3話:あの夜の目撃者
ルヒトゥルス国を守る魔障壁。
あれがあるからこそ、他国はルヒトゥルス国に侵攻することができない。
だけど、この魔障壁を維持するには莫大な魔力を必要とする。
そのため、魔法使いは日常的に魔障壁に魔力供給を義務づけられるのだ。
体感で、奪われる魔力は全体数の八割程度。
それでも、残りの二割で一般人と同程度なのだから、それだけで魔法使いの魔力の高さ──異常さというものがわかるというものだろう。
(体内から魔力を奪われる感覚は、いつになっても慣れなかった)
不自然に魔力を消費するために、慢性的に体調が悪かった。
ブレスレットを嵌めた右手首は常にどくどくと、うるさく脈打っていた。
幼少期は、あまりにその音──感覚がうるさくて、眠れない時もあったほどだ。
血を吸い上げられる感覚は、採血を思わせた。
ずっと、ずっと嫌だった。
呪いのブレスレット──。
密かに、私が呼んでいた名前だ。
そんな呪いじみたブレスレットが、壊れた……。
呆然としていると、リュンガー伯爵が壊れたブレスレットを拾い上げる。
「……私がなぜ、これを知っているのか気になる、という顔ですね」
いえ、呪いのアイテムを手放せた喜びで茫然自失していただけです。
……とは言えなかった。
実際、どうして彼が魔力封じの存在を知っているのか、気になったから。
(もしかして彼は──)
果たして、私の推測の答えは、彼の口から得られた。
「魔法使いが現れない時は、教会に勤める聖職者が、その任を担います。と言っても、1人あたりの提供量などたかが知れていますがね。それでも、塵も積もれば山となる。今までは……あなたが生まれるまでは、そうして魔障壁を維持してきたのです」
「……やっぱり、リュンガー伯爵は聖職者だったのですね」
「昔の話です」
彼はあっさりと流してしまった。
その様子からして、あまり深く聞かれたくないことなのだろう。
そう察した私も、それ以上聞くことはしなかった。
「まず、今のあなたには選択肢がふたつあります。ひとつめは、今すぐこの場を離脱して、海外に出ること。魔法使いなら、空間魔法を応用すれば、どこにでも行けるでしょう。しかし、この場合、問題点がひとつあります」
「……何でしょう?」
リュンガー伯爵は、得体の知れない人間だ。
元聖職者なのに、今は伯爵という立場になる。彼がどうやってその地位まで上り詰めたかは不明だし、先程の彼の様子からして、あまり楽しい話でも無さそうだ。
そして、伯爵という立場にありながら彼は、私を逃がそうとしている。
ルヒトゥルス国において、魔法使いの重要さを理解した上で、だ。
リュンガー伯爵の声は淡々としていた。
本当に含みなく、ただすべきことをしている、というような──。
「魔障壁の近くには魔力探知機が隙間なく配置されています。まず、それに引っかかるでしょう。その場合、魔力探知機を壊し、追っ手を徹底的に打ちのめす必要がある」
「…………」
「レディ・キャロライン。あなたは、自分の都合で関係の無い人間を傷つけることは出来ない」
「……随分、知ったように話すのですね。あなたとはあまり、お話したことがなかったと思うのですけれど」
「もちろん、私の憶測に過ぎません。ですが、関係の無い人間を次から次に……おそらく、彼らは捨て身で向かってきます。『何としてでもあなたを捕縛しろ』と命令を受けるでしょうからね。殺す覚悟で、足や目を潰さなければならない。…………出来ますか、レディ・キャロライン?」
「……何か、試されてます?」
「まさか」
「なら、その答えはNOですわ。私にはできない」
私の答えに、一瞬リュンガー伯爵はホッとした様子を見せた。
だけどすぐに、真剣な表情でまた話を続ける。
(このひとは、何?何を考えているの……?)
「では、二つ目の選択。これが、先程の私の提案に繋がるのですが──他国に出れない、となると、あなたはほとぼりが冷めるまで、この国で潜伏しなければならない。だけど、そうするにはあなたの容姿は……非常に目立ちます」
「容姿、というよりこの目でしょう?」
私の指摘に、リュンガー伯爵は頷いて答えた。
私は珍しい色違いの瞳だ。
ルヒトゥルス国において、オッドアイは魔力の高さの象徴と言われている。
陛下に尋ねたことはないけれど、おそらく過去の魔法使いも同様にオッドアイだったのだろう。
「王家も、まさか思わないでしょう。あなたを匿う貴族がいる、とは」
「……確かに」
灯台もと暗し、とはよく言ったものだ。
絶対にあり得ない、と思うその思い込みを逆手にとる。
だけど──全てを賭けるには、あまりにも私はリュンガー伯爵を知らなすぎる。
(でも……さっき、リュンガー伯爵は私の魔力封じを壊したわ)
それが露見すれば、彼とて無事では済まされない。
魔法使いの魔封じを壊すなど、国家転覆罪で逮捕されてもおかしくない。
それを、彼はいとも容易く行ってしまった。
その前に彼は私のすることを『応援している』と言っていたので、態度で示して見せたのかもしれない。
それに──
「……どうして、あなたはそこまで親身になってくれるのですか?」
それが、一番気になる。
魔法使いを逃がす、つまりそれは国家転覆罪に当たる。
バレたら、タダでは済まない。
普通、人はリスクを避けるものだろう。
貴族がメリットもなしに危ない橋を渡るとは思えない。
社交界では、思いやりは搾取される一方なのが常だ。
私の言葉に、リュンガー伯爵は驚いた顔をした。
それに何か、予想外のことを口にしたかしら?と首を傾げた。
彼は僅かな沈黙の後、呟くように言った。
「私は、あなたのことを知っていました。あの夜、私はあの会場にいたんです。最初にあれを目撃したのは、私です」




