2話:搾取
「これなら、自分で切りました」
「…………はい?」
その時のリュンガー伯爵はといったら……
(すっごい驚いてるわ……!!)
それもそうよね。
貴族の娘が自ら髪を切るなんて死ぬ間際くらいしか有り得ないし、死を覚悟した行動と思われかねない。
私の言葉にリュンガー伯爵は絶句したようだったが、やがて聞きづらそうにしながら尋ねてきた。
「失礼ですが……レディ・キャロライン。あなたは、何を?」
その後に続く言葉は【何をしようと言うのか】という意味のものだろう。
それを察した私は、にっこりと笑みを浮かべた。
きっとそれは、不敵で挑発的なものだったことだろう。
「貴族令嬢として、死のうと思います」
「死……」
「リュンガー伯爵。あなたには恩がありますもの。お伝えしますわ。……このまま、私が行方知らずになったら、きっとあなたは、少なからず気にすると思いましたから」
「そう、ですね」
彼はぎこちなく頷いた。
びゅう、と冷たい秋風が吹く。
暑い夏は終わり、秋に差しかかり、季節はそろそろ冬を迎えようとしていた。
昨日までなら、長い髪がなびいたことだろう。
だけど、髪を切ったために、その冷たい風は直接首に吹き付けてきた。
(寒……っ)
いつまでも、ここで立ち往生しているわけにはいかない。
ちらりと私が乗ってきた馬車に視線を向ける。
(でもなぁ~~……キルシュネライトの馬車はあの有様なのよね……)
なんといっても、馬が居ない。
馬が居ないのだ。
どっか行ってしまった……。
恐らく襲撃のどさぐさで、馬を繋げる紐とか、そういったものがちぎれたのだろう。
(馬は繊細な生き物だものね……)
襲撃者に怯え、音に震え、そのまま逃げ出してしまったようだ。
この先は、王都があるし、上手くいけば馬は保護されていそうだけど……。
愛らしく優しい馬たちだった。無事保護されていてほしい。
(王都まで目と鼻の先……だけど、歩いて行くのはとてもじゃないけど無理)
今の私の格好は、山道を歩くにはあまりにも向いていない。何より徒歩で行ける距離では無い。
この踵の高い靴では、ものの一時間も経たないうちに足を痛めるか、あるいは靴擦れを起こすだろう。
(どうしよう……)
それに、ミーシャや御者、護衛たちも運ばなければならなかった。
(リュンガー伯爵の手を借りるしかないわね……)
そう思って、顔を上げた時。
ふと、彼が随分思い悩んでいる様子に気がついた。
「伯爵?」
呼びかけると、彼はハッとしたように私を見た。
それから、思案したように彼は言った。
「では、レディ・キャロライン。我が邸に来ませんか?」
「…………。はい?」
今度は、私が呆気に取られる番だった。
突然のお誘いに、当然めちゃくちゃ驚いた。
そして同時に、強く警戒した。
彼の目的が見えないからだ。
全身に緊張を走らせていると、私の警戒心を察知したのだろう。
リュンガー伯爵は慌てたように言い繕った。
「違うんです。すみません、驚かせてしまいましたね」
「…………」
何がどう違うって言うのよ?と聞き返したかったが、この場で彼の機嫌を損ねるのは悪手だ。
少なくとも、御者と護衛ふたり、そしてミーシャを安全なところに運び込むまでは大人しくしておくべきだろう。
私がじっとリュンガー伯爵を見つめていると、彼は困ったように曖昧な笑みを浮かべた。
「あなたは、社交界から姿を消すつもりなのでしょう?」
「ええ。……お父様に伝えますか?」
「なぜ?私にはそうする理由がない」
「あなたも知っていると思いますが、私には王太子殿下の縁談が持ち上がっています。お父様に報告すれば、あなたはとても感謝されるでしょう」
「そうだとしても、それがあなたの道を遮る理由にはなりません。あなたには、やりたいことがあって、既に道を決めたのでしょう?」
リュンガー伯爵の声は不思議だった。
穏やかで、まるで──そう、神父様の有難い説教を聞いているような。
それで思い当たる。
そういえばこの人は、教会で修行を積んだ元聖職者なのだった、と。
私の推測に過ぎないが、私の考えは当たっている気がした。
リュンガー伯爵が言葉を続ける。
「私はあなたの決めたことを応援しますよ」
言葉通りに信じていいものか、どうか。
聖職者の言葉なら、額面通りに受け取れただろう。
だけど、リュンガー伯爵は伯爵位を戴く貴族だ。
派閥は?彼の裏には誰がいる?
彼と手を組んでいる人は?
そんなことを瞬間的に疑ってしまう。
そして、そんな自分に気付くと苦笑した。
どうやら私は、さっきの襲撃事件のせいでだいぶ神経が尖っているようだ。
今まで何も思わず享受していたものに、全て意味と整合性を探してしまう。
(……疲れる、わ)
とても疲れる。
肩の力を抜けないのは。
常に緊張状態を強いられるというのは予想以上に疲弊した。
その時、リュンガー伯爵は「失礼」と言い、突然私の手首──に嵌められたブレスレットに触れた。
このブレスレットは、ただの飾りではない。
これこそが、魔力封じの道具だ。
ブレスレットに触れると、リュンガー伯爵はふたたび聖句を唱えた。
「ルヒトゥルスに根付く、守護神よ。生きとし生けるものから辛苦、簒奪、淪落から救い給え。|女神の祝福をここに《パラカロー・ドセ・ム・ティネヴロギーア・ティスセアス》」
ぱぁ、と一瞬、その場に淡い光が迸った。
そして次の瞬間、私は目を見開くことになる。
「──」
カチャ、と。
生まれてからこの十八年、物心ついた時には既に身につけていたブレスレット──魔封じが、壊れたからだ。
金の鎖のようなそれは、文字通り私を縛っていた。
ブレスレットの、溶接された繋ぎ目の部分が壊れたようで、するりとそれは手首を抜けて、落ちた。
カシャン、と小さな音と共に、地面に落ちる。
「あなたがもう社交界に戻らないなら、これは不要ですね」
リュンガー伯爵の静かな声に、顔を上げた。
「良いんですか?こんなことをして……。このことが露見したら、伯爵も無事では」
「そうですね。このことが露見すれば、ですが」
それから、リュンガー伯爵は私を見て肩を竦めた。笑みを浮かべ、彼が言う。
「ですが、ここには私と、私の部下、そしてあなたしかいません。その上、私の部下はみな、先程の戦闘の事後処理に奔走している。今この瞬間を目にしていたのは私とあなたのふたりだけになります。……つまり、外に漏れる危険性はない」
あなたと私が黙っている限りね、と言葉が続く。
(信じられない……)
色んな意味で、信じられなかった。
こんな大それたことを、伯爵という地位にある彼がしたこともそうだけど。
それ以上に──。
こんなに呆気なく、魔封じが壊れたことに、私は驚愕していた。
この魔力封じは、強すぎる魔法使いを制御するためのものだけど、それと同時に違う役割も担っていた。
むしろ、それがこれの本来の役割と言ってもいい。
長年私が身につけていたこのブレスレットは、魔法使いの魔力を、問答無用に吸い上げる呪いの道具でもあったのだ。




