0話:お別れを言いに来ました
「お幸せに、ローゼンハイム卿。これは、餞別ですわ」
彼女はおもむろに何か、きらめくものを取り出した。
(あれは──)
刃物だ、と気が付き、腰を浮かす。
何せ、キャロラインは苛烈な女だ。
彼女は未だに自分のことを裏切り者だと思っているようで、顔を合わせる度に憎悪の籠った視線を向けてくる。
この裏切り者、と言われたのも一度や二度の話ではない。
だけど、仕方の無いことだったのだ。
あれには、理由があった。
彼女にだって、事情があったのだ。
そう思ったところで、ふと、キャロラインのさっきの言葉が頭をよぎる。
「餞別だと?」
「ええ。いずれ、必要になると思うわ」
彼女は頷いて答えた。
それから、彼女は一切の迷いを感じさせない手つきで──ざっくりと、髪を切った。
髪を、切ったのだ。
☆
元婚約者のキャロラインが邸を訪ねてきてから、四日が経過した。
怒涛の数日だった。
もっとも、ここに閉じ込められてからは、時間感覚が狂い始めているので推測に過ぎないが。
あの日──キャロラインは、帰り道の馬車を襲われた、らしい。
犯人は、不明。
キャロラインの行方も、不明。
俺には、キャロライン誘拐及び殺害の嫌疑がかけられている。
キャロラインが俺を訪ねてきた翌日、陛下からの勅命が降りた。
重要参考人ということらしいが、その扱いは犯罪者のそれと変わらない。
俺は、自身が勤める軍に収容され、そこで尋問を受けることとなった。
尋問は、手心を加えないためか面識のないやつが担当することになった。
そして、その取り調べの仕方に愕然とした。
彼は、俺を犯人だと決めつけてかかった。
「おら!さっさと吐け。お前がやったことはわかってんだよ!!」
ガンッと机の足を蹴り飛ばし、唾を飛ばしながら男が恫喝する。
(こいつはチンピラか?)
愕然としていると、焦れたのか、男はバン!と手のひらを机に叩きつけた。
自白を強要されているのは火を見るより明らかだ。
しかし、脅しに屈するつもりはない。
俺には背負っているものが多い。それに、こんな違法な取り調べに屈してたまるものか。
怒鳴られれば怒鳴られるほど、反骨精神が刺激された。
職業柄、荒事には慣れている。
威圧された程度では嘘の自白などするはずがない。これに暴力行為が加わったとしても、決して俺は認めないだろう。
流石に、城の中だからか、あるいは、俺が公爵家嫡男だからか、暴力行為はなかった。
しかし、寝る時間すら与えないかのように入れ代わり立ち代わりひとがやってきて、尋問を受けるのは、精神的にもきついものがあった。
睡眠不足のためにうつらうつらとしていると、男がまた大声をあげる。
「おい!!このままだんまり続ける気か!?それなら、ローゼンハイム公爵家は取り潰し決定だなぁ!」
「……何の証拠もないのになぜ俺を犯人だと決めつける?」
「そんなの、お前が1番疑わしいからだよ!」
男の言葉に、ハッと鼻で笑う。
ただ、疑わしいから?
それだけで、犯人だと決めつける、だと?
バカバカしいにも程がある。
そんなのがまかり通ったら、世の中冤罪だらけになるじゃないか。
冤罪、その単語に苦い思いが込み上げる。
(いつから王城は、こんな無法地帯になった?)
少なくとも、俺の知る限りこんなことは今まで一度もなかった。
取り調べは、あくまで話を聞くためのものだ。証拠があるならまだしも、疑惑だけでこんな真似はしない。
軍に所属する騎士は、そこら辺のゴロツキとは違うのだ。
(それなら──)
そこでふと、俺はある推測に辿り着いた。
だいたい、この取り調べを命じたのは……。
考えているうちに、数日、恐らく三日が経過していた。
連行された部屋は密室で、明り取りの窓すらない。
そのため、推測でしかないが、食事の回数からして、恐らく三日だ。
連れていかれた先は、謁見の間だった。
俺は、疑惑どころか犯罪者かのように手首を拘束され、謁見の間へ向かった。
全てが、おかしかった。
思えば、キャロラインから手紙が届いた時からおかしかった。
そして、キャロラインの誘拐事件もそうだが、その後の動きもおかしい。
そもそも、の話。
伯爵令嬢が失踪した程度で王が動くだろうか?
伯爵家の嘆願があったとしても、こんなに早く動けるものだろうか?
それも、近衛騎士を動かす、だと?
(……おかしい)
全てがおかしい。
自分の知らないところで、目まぐるしく自体が動いているように思えた。ため息を吐く。
圧倒的に情報が不足している。
自分は、被害者だ。
巻き込まれただけに過ぎない。
キャロラインも、面倒な置き土産を残してくれたものだと思う。
しかも、あの餞別の意味すら未だに分からない。
(悪女……?いや、毒婦か……)
もしこれが、全てキャロラインの策略なら、彼女はとんだ悪女だ。
どこかで野垂れ死んでいてくれないか、と騎士として有るまじきことを考えた。
これも全て、睡眠不足のせいだ。
睡眠不足の頭で考える。
扉の先は、謁見の間。
そこで待つ陛下なら、全ての答えを持っているのだろう。
俺は、それを、引き出せるだろうか──




