お隣さん
───ピンポーン。
「んぁ……?」
来客を知らせるチャイムの音で目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む光を鬱陶しく思いながら体を起こし、眠り眼を擦る。
誰だ?
寝起きで回らない頭を使い、来客相手を予想する。
……大家さんか?
不味い、不幸な事故のせいで家賃はまだ稼げていない。このままではボコボコにされてしまう。
俺は冷や汗と共に一瞬で目を覚まし、音がならないように慎重に体を起こす。
扉の方に向かい、のぞき穴から来客を見る。
覗いた先、そこに居たのは予想と違い大家さんでは無かった。
淡い桃色の長い髪、大きく綺麗な瞳、未成熟だが凹凸のある体付き、テレビで見るアイドルのような美少女がそこに居た。
瞳を奪われて数舜、冷静さを取り戻して考える。
……宗教勧誘か?
いや、訪問販売という説もあるか。
間違っても部屋の中に入られないように警戒心を持ち少しだけ扉を開く。
「どちら様ですか……」
「先日隣に引っ越してきた橘です。これから迷惑を掛ける事があるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「ああ、丁重にどうも、後藤と言います」
反射的に挨拶を返したが、頭の中は疑問符だらけだった。
隣に引っ越してきた?目の前の少女が?
「こちら、粗品ですが」
そう言いながら、手に持った紙袋をすっと差し出してくる。
紙袋を受け取りつつ、気になったことを聞くことにした。
「その、深い意味はないんだけれど、勿論親御さんと住むんだよね?」
「いえ、一人暮らしです」
一人、暮らし?こんなセキュリティーも無いマンションに?こんな美少女が?
いや、いやいやいや。
「駄目でしょ」
「え?」
冷静に考えて、こんな風呂も無いようなボロくて古い場所は住むだけでも大変なのだ。
若いうちは窮屈かもしれないが、親元で守られながら暮らした方が良いに決まっている。
「親御さんはなんて?こんな場所反対されなかったのか?」
「それは、その、……許可は、してもらいました」
言い淀むその姿、それは言いたくない、思い出したくも無い記憶を思い出させたようだ。
俺は気付く。
大家さんには悪いが、こんな場所に好き好んで住みたがる人間などいるはずが無いのだ。
つまり、この少女はどうしようもない理由でここに居るのだ。
「す、すまん、変な事を聞いた」
「いえ…………」
重い空気が辺りを包む。
不味い、年中パチ屋に通い真面な人間関係を構築してこなかった弊害が出てる。出まくってる。
普通に考えれば聞く前に彼女の事情など察しそうなものに、ロクな社会経験も無い俺は無遠慮にも踏み込んでしまった。
空気を、空気を換えよう。
「ま、まあ人生色々あるよな。俺もここ最近借金が溜まりまくって、このままじゃぶっ殺されそうなんだよな。でも、生きてれば何とかなるよな、あはは」
「……!!そ、そうなんですか!?」
適当に放った言葉の何に引っかかったのか、凄い勢いで食い付いてくる。
「お、おう」
「実は、私もなんです!」
私も?何が?
「大喧嘩して家を飛び出して貯めてた貯金で何とか生活していたんですけど、そろそろ限界だったんです。正直諦めてしまいそうでした。でも、そうですよね、生きてれば何とかなりますよね!」
キラキラした瞳で捲し立てられる。
え、家出少女?
待て、待ってくれ。さっきの言葉、取り消させてくれ。確かに大抵の事は生きてれば何となると思うよ?でもそれは、何とかなるって言うか、何とかなっちゃうって感じだよ?おすすめ出来ないよ?
「いや、すこーし考え直した方が───」
「───私、頑張ります!!後藤さん、ありがとうございます!!」
「ちょま」
静止の言葉も届かず、メラメラと燃える彼女は勢いよく立ち去った。
えぇ……。
俺、もしかしてやっちゃいました?
絶対不味いよな。あんな若い子が勢いに任せて行動したら、絶対にやらかしちゃうよな。
俺は一人、扉の前で立ち尽くしあわあわと震えるのだった。
「ギョォア!?」
どうしよう、本当に心配だ。流石にその日のうちに何か問題を起こすってことは無いよな?
ダンジョンの中、いつも通りゴブリンを倒しながら朝会ったお隣さんの事を考える。
今日会ったばかりのお隣さんの事など深くは知らないが、駄目な男の適当な発言で焚きつけられる程純粋なのだ、悪い大人に騙される未来しか想像できない。
あ、ヤバい、胃が痛くなってきた。
人生を適当に生き、好きな事しかしてこなかったため俺はストレスに弱いのだ。
灰になったゴブリンから取り出した魔石を握っては開き、握っては開く。
どうしよう。もっかい話に行った方が良いよな?お節介した方が良いよな?
ダンジョンの中だというのにウジウジ悩んでいると、ダンジョンの奥に人影が見えた。大きさからして、ゴブリンではない。
他の探索者か?
ダンジョンで他の探索者に会う事はあまり無い。
何時もゴブリンを狩っているダンジョンの一層が人気は無い上、敢えて人が少ない場所を選んでいるからだ。
少し警戒しながら、近づいてくる人影を見る。
「っ!?」
それは、薄暗い洞窟の僅かな光源を反射し、鈍色に光る全身鎧だった。
興奮しているのかフスフスと息を荒げ、恐ろしい事に全身鎧のソイツは刃こぼれ一つない長身の剣を手に持っていた。
聞いた事がある。魔物の中には、肉体を持たず鎧の様な見た目をした者もいると。
ゆっくりと、こちらに向かい全身鎧は歩みを進めてくる。
おいおい。人間?魔物?どっちだ?
バットを強く握る。
「おぉ……!」
「っ……!?」
呻き声を上げる全身鎧にバットを向ける。
「ち、近づくんじゃねぇッ!」
「えぁ……!」
鎧を鳴らし、警告を無視して近づいてくる。
言葉が通じていないのか、やはり魔物なのか!?
覚悟を決め、全身鎧と戦くことにする。
先手必勝、俺は勢いよく飛び出す。が、
「ご、とぉ……さん……」
ガシャリと大きな音を立てて全身鎧が倒れた。
倒れた衝撃により、頭を覆っていた兜が外れ素顔が露わになる。
「た、橘さん……!?」
全身鎧の正体は、隣に引っ越してきた橘だった。
桃色の髪を汗で頬に張り付け、目を回してぐったりとしている。
何故ダンジョンに彼女が、と思ったが、それを聞くよりも彼女の体調の方が心配だった。
バットを下げ、倒れた彼女に近づく。
「大丈夫か?」
「だい、じょばない、です……」
倒れた橘の体を起こし、見るからに重そうな鎧を外そうとする。が、外し方が分からなかったので取り敢えず肩を貸して壁際に移動させる。
「す、すみません……」
「いいのいいの。それより、何でダンジョンの中に?」
「……?探索者だからです」
「え、マジ?」
橘は容姿から見ても間違いなく未成年。一応十五歳から探索者免許が取れるが、その歳でダンジョンに潜るとは勇敢なのか、恐れ知らずなのか。
「はい。ダンジョンに入ったのは、今日が初めてですけど……」
「初めてなのに全身鎧なんか着てきたのか?結構お金掛かったんじゃないか?」
絶対高いだろ。
その上どう考えても彼女の身体能力では使いこなせない装備だ。
「いえ、コレはレンタルで借りました」
「れ、レンタル!?」
そんなのあるの!?
「……?免許を取る前、講習で説明されましたよね?」
「そ、そうだっけ?」
完全に覚えていない。そういえばそんな説明あった様な気もする。
橘は深く息を吸い、洞窟の壁に身を預ける。
慣れない装備だけでなく、緊張もあったのだろう。顔を青くして座り込む彼女の姿は弱々しく見える。
俺は無かったが、初めての探索では少なくない割合の人間が体調を崩すらしい。
初めてのダンジョン探索か。
……もしかして、俺のせい?
いや、どう考えても俺が焚き付けたせいだよね?
一応大人の端くれとして、物凄く心が痛いんだが。
最悪の場合、彼女が死んでいてもおかしくなかったのだ。
早鐘を打つ心臓を抑えながら、体力を回復させるために休憩を挟んで、何度も謝罪する彼女と共にダンジョンから帰還した。