病院
目が覚めると、そこは見知らぬ天井だった。
嘘だ。
既に病院に入院して一週間近く経ち、見慣れた天井だ。
『上位個体』を倒して気絶した後、俺は気付けば病院に居た。
祈凛も同じ病院に入院している。だが重度の火傷で未だ治療中だが、命に別状はない。
本当に無事でよかった。この話を聞いた時は安堵の余りベットから崩れ落ちそうになった。
ちなみに俺も腕が吹き飛んだり片目が弾け飛んだりしたが、既に腕も片目も治っている。
腕は気絶している間に福宮が『恩寵』でくっつけてくれた。片目に関してはいつの間にか治っていた。『再生』のおかげかとも思ったが、どうやら『身体能力強化』の真の名、『知と血を統べる王神』の能力のようだ。
治ったのはいいのだが……。
「片目が碧眼になってるんだよなぁ……」
一体どういう事?痛々しい大学生みたいになってるんですけど?
鏡で見たときは声が出たわ。何このオプション付き再生、勘弁して欲しいんですけどぉ……。
大家さんに見られたら腹を抱えて笑われることを確信しながらベットから出る。
時計を見ると、まだ朝食の時間には余裕がある。
入院してから随分と健康的な生活になったのを自覚して、今日は優雅な朝の散歩をすることを決める。
朝日が薄っすらと照らす病院内にある庭園、そこには先客の姿があった。
薄桃色の髪をミディアムボブに伸ばして、車椅子に乗った少女だ。
少女は車椅子だというのに付き添いの人間が周囲に見えない。
少女は病人故か体は細いが顔色は悪くなく、気持ちよさそうに目を細めて日光浴を楽しんでいる。
園内に置かれたベンチに座りながら声を掛ける。
「また一人で抜け出してきたのか?」
「あ、おにーさん。早起きだね」
俺の言葉に、少女はにやりと笑みを浮かべて言葉を返す。
この少女の名前は橘叶望。
苗字から分かる通り、祈凛の妹だ。
叶望とは入院してからすぐに知り合った。
叶望は姉が重傷を負って入院したと知るや否や、同じパーティーの俺のところに理由を知る為突撃してきたのだ。
祈凛と同じ様に行動力に溢れている。その行動力がいい方向に向かってくれればいいのだが、自分の病室からの脱走など少々お転婆な方向に向いているのが困ったところだ。
しかも叶望と知り合いになってから、何故か俺が看護師さんから怒られるのだ。
「あんまり看護師さんに迷惑を掛けない方が良いぞ。怒られるし」
主に俺が。
「良いんだよ。私は別に一人じゃ歩けないってわけじゃないんだし。それに、少しは体を動かした方が良いでしょ?」
「それはそうだが、その判断をするのはお医者さんだからなぁ……」
「そんな事よりさ、おにーさん。説得する言葉、考えてくれた?」
叶望には、説得する言葉を考える様に頼まれていた。内容は『祈凛に探索者を辞めるように』だ。
叶望は今すぐにでも祈凛に探索者を辞めて欲しいみたいだ。
それは当然だろう。姉がいつ命を落とすかもしれないダンジョンに潜っているのだ。心配で仕方ないだろう。しかも実際に重傷を負って命を落とすかもしれなかったのだ、猶更その気持ちが強くなるのも理解できる。
俺も正直、その意見には賛成だ。
「うーん、祈凛って案外頑固だから、下手に言葉を間違えると意固地になりそうであんまりいい言葉が出ないんだよなぁ……」
「いっそ、おにーさんがお姉ちゃんを手酷く振ったら?」
「嫌だ、嫌われたくない!」
というか、あの心優しい少女に心無い言葉を言うなんて、俺の心が耐えられない。
「……おにーさんの意気地なし」
じっ、と冷たい視線が突き刺さる。
止めて、小さい子にそんな目で見られると本気で悲しくなるから!
「と、取り合えず、探索者をやる理由が無くなればいいんじゃないか?」
「探索者をやる理由って……」
俺の言葉に、叶望の表情が暗くなる。
祈凛が探索者をやる理由。それは一つだ。
「……もしかしておにーさん、私の病気が治ると思ってるの?」
その言葉は、小馬鹿にするような、自分の傷口を抉るような自嘲に溢れた物だった。
「……治せる奴が居るんだろ?」
「それ、誰に聞いたの……」
冷たい声と共に此方を睨み付けてくる。
「誰にって自分で調べてだけだよ。そもそも完治不可能の病気を治せる人間なんて、有名じゃない訳ないだろ?」
病気自体、叶望も隠そうとはしていなかった。
いや、隠そうとしても隠せないのだろう。叶望の患者衣の上からでも、足に出来た鉱石の様な物体は確認できる。
病名が分かれば、それがどれ程の難病かなど直ぐに分かった。そしてその難病の治療法が存在する事も。
「それじゃあ、その人に依頼するのにどれくらいお金が掛かるかも分かってるでしょ?普通に働いても絶対無理なんだよ」
「……そんなに高いの?」
俺の疑問に叶望が呆れたようにため息を吐いた。
さーせん、そこまで詳しく調べてませんでした……。
「五回分」
「ん?なんの?」
「平均的なサラリーマンの生涯年収五回分」
「…………え?」
生涯年収五回分?いや、いやいやいや、生涯年収って何億とかの話ですよね?つまりそれってじゅ、十桁なのでは……?
「高すぎだろ……」
「どんな病気でも治せるんだから、これでも安い方だと思うよ。おにーさん」
「で、でも探索者なら時間を掛ければいけなくは……ないか?」
命を懸けているだけあって探索者の稼ぎは結構いい。始めたばかりの俺ですら割と良い額を稼げているのだ。安全に続けるとすれば数十年かかるだろうが、稼げない額では無いかもしれない。
希望的願望の含まれた発言に、叶望は苦笑しながら小さく漏らす。
「私、あと一年くらいで死んじゃうんだよ。……余命宣告、されちゃってるんだよ」
その言葉に、俺はなんと返せば正解だったのだろう。
ただ口を開こうとしては閉じ、まとまらない言葉を何とか出力しようと必死に頭を回す。
そんな様子を見て叶望の苦笑が、優し気な笑みに変わる。
「別にいいんだよ。この病気になってからこうなる事は決まってたことなんだし。とっくに覚悟なんて出来てるし」
なんだよ、それ。
叶望の諦めて、それでも受け入れた表情。
その表情を、俺はついこの間に見ていた。
祈凛だ。俺の為に『上位個体』に飛び込み自殺覚悟で『迷宮鉱石』を起動させた祈凛。
物分かりが良く、自己完結してしまう似たもの姉妹に俺は沸々と怒りを抱く。
「ふひぁっ!お、おひーひゃん!?」
叶望の頬を掴み、こねくり回す。
「諦めるには早すぎるだろ。一年ってのは案外長いんだぜ?それに祈凛も諦めてないんだろ、それなのに叶望が諦めてどうするよ」
「ひゃなひてくだひゃい!」
ブルブルと体についた水を弾く犬の様に顔を振り、俺の手から叶望が離れてプンスカと頬を膨らませ怒りを露わにする。
「たとえ諦めていなくても、無理な物は無理なんですよ!」
「無理じゃない」
「無理ですっ!」
「無理じゃない」
続けざまに否定したことで、叶望の感情が爆発する。
「うぅぅぅっ!じゃあ、おにーさんがどうにかしてくださいよ!私だって諦めたくて諦めてる訳じゃ無いんですよっ!?どうしようもなくてっ、頑張ってる姉さんに迷惑を掛けたくなくてっ、それなのにそんな勝手な事言わないでくださいよっ!!」
叶望はそう叫んだ後、はっとして、言ってしまったと、口に出してしまったと後悔した表情になる。
その姿を見て、その言葉を無理矢理引き出したことに申し訳なさを感じつつも、俺は覚悟を決める。
「ああ、俺がどうにかするよ。祈凛にも借りがあるしな」
すらりと、想像以上に軽く言葉が出た。
うん、やっぱりそれがいい。
口に出して、改めてそう思う。このお人好し姉妹には、幸せになって欲しい。
俺はすっと立ち上がる。
「お、おにーさん……?」
「期待してもいいぜ。俺、実は才能があるらしいからな!」
「え……!?」
思い立ったが吉日。俺は即座に行動に移す。
「いや、どうするよ……」
大口を叩き行動する事に決めた、のだが一体どうすれば桁違いの金を手に入れることができるのだろうか?
勢いよく戻ってきた病室のベットの上で俺はうんうんと唸った。
特殊な技能も資格も無い俺では真っ当な方法では稼げない。だが俺にも唯一、才能がある職がある。
そう、探索者としての才能が。
やはりダンジョン、ダンジョンでどうにかしよう。
だが、今まで通りの探索ペースでは稼ぎきれる気がしない。
たしか『迷宮鉱石』が高いんだよな?ちんたら魔物を倒して魔石を集めても一年で稼げないだろうし、やはり狙うは『迷宮鉱石』か。
……都合よく大金が転がってこないかなぁ。
俺は始める前から少し弱気になった。
「何か困り事ですか?」
「うおっ!?」
突然ベットの横から声が掛かる。
そこに居たのは中性的な容姿を持つ男。そしてその容姿からは想像できない程の実力を持つ元探索者、雨尾だ。
「失礼、つい癖で気配を消してしまいました」
「く、癖ぇ……?」
どんな癖だよ。
文句の一つでも言ってやりたいところだが、つい先日命を助けて貰った恩もある。あまり強くは言えなかった。
「ま、まあいいっすけど、一体何の用ですか?」
「お見舞いと報告です」
そう言って、雨尾は手に握った果物かごを軽く上げる。




