反撃
「店員……さん…?」
口に出したのは、祈凛だった。
「店員?ああ、そう言えば自己紹介をしていませんでしたね」
怪物を前に、まるで思い出したかのようにその人は語り出す。
「私の名前は雨尾景虎、雨尾でも景虎でも好きな方で呼んでください」
戦場での自己紹介、怪物を無視したそのふざけた行動を許さぬように、怪物は触手を振るう。
だが、その触手は届かない。
弾かれたのではなく、届かなかったのだ。まるで間合いを図りそこねたかのように、雨尾の眼前で空振りする。
その直後、雨尾の姿が消える。
「ガ─────」
怪物の小さな悲鳴、同時に怪物の首がずるりと落ちた。
「よっと」
地面に首が落下する手前、いつの間にか現れた雨尾が首を掴む。
「な、に……」
手も足も出なかった怪物が、雑草を引き抜くような気軽さで打ち取られた。
信じがたい光景に、言葉を失う。
だが、
「まだ───」
影から、二つの黒い狼が飛び出る。
完全な不意打ちに思えた。しかし、雨尾は合わせる。
すっと、狼へと片腕を振る。
それだけで、二体の狼の体が真っ二つになった。
手元には……糸か?
雨尾と怪物達の戦闘は、傷一つつくことの無く雨尾の圧勝だった。
魔物を倒しても雨尾の表情は余韻を感じさせず緩いままで、こちらに向かって手を差し出してくる。
「まだ終わっていませんよ。さ、立ってください」
「あ、ああ……?」
終わっていない?
手を借り立ち上がりながら、疑問を呈す。
あの怪物が、この現象を引き起こしていたのではないのか?
確信がある訳では無かったが、この不可解な魔物達の動きはあの怪物によるものだと思っていた。
察した雨尾が答える。
「あの植物人形が魔物達を率いているのは当たりですよ。ただ、あれは本体では無いようです」
そう言って雨尾を打ち取った首を見せる。
その首を見て気付く。
怪物が、灰になっていない。基本、魔物は死ぬと数秒も経たずに灰になる。だというのに、怪物は首だけでなく、全身がしっかりと残っていた。
「そろそろ追撃が来ますよ……よく見ると、かなり手酷くやられていますね」
俺の血だらけの体を見てそう言うと、雨尾は後ろを振り返り、福宮と誰かの名前を呼ぶ。
後ろの方には、いつの間にか警備隊らしき二人の人影があった。
福宮と呼ばれた八重歯の特徴的な女がこちらに向かってくる。
「福宮、彼を治してあげてください」
「了解です。『叡智溢れる医杖』」
福宮の手元に、長杖が現れる。
古木の様な乾いた色合いに、二匹の蛇が絡みつき、グリップの部分白い翼のついた長杖だ。
それを俺の胸元に当てる。
ぼんやりと温かい熱が、全身に広がっていく。
傷が癒えていく。間違いなく彼女の『恩寵』だ。
「お、おお……」
「ん?傷の治り早いな。再生系の『恩寵保持者』か?」
「え?まあ……」
正確には『恩寵』による『再生』なのだが。
「やはりそうか。……一応言っておくが、いくら再生系の『恩寵』を持っていたとしても、死ぬときは死ぬからな」
ぐっと、顔を近づけて脅してくる。
「そう、そうです!」
祈凛も同調して責め立ててくる。
「わ、分かってる。……つもりです」
座った祈凛の視線に、すっと視線を逸らす。
自覚はあります。ちょっと無茶をしてる自覚は。
「さて、準備はいいですか?相手も本気を出して来たようです。ここからが本番ですよ」
雨尾が視線を奥に向け、俺もそちらを見る。
来る、来る、来る。
怪物が、植物が絡み合い体を作る人型の人形達が。
「嘘だろ……!」
その数は十体。
まるで有象無象の魔物達のように、あれ程の力を持った存在が群れを成している。
それでも雨尾は変わらない。
「まだ出し惜しみしますか」
「出し惜しみ……?」
「ええ。まだ敵は本気を出すつもりが無いようです」
「こ、これで本気じゃない?」
それは一体何の冗談だ?
「私の想定が正しければ、この倍は余裕で出してきますよ」
「マジかよ……」
「事実だ」
「っ!?」
いつの間にか長身で顔に大きな傷跡のある、福宮と同じ警備隊と書かれた近未来的なアーマーを着込んだ男が立っていた。
「揺路だ」
「りゅ、龍之介だ」
互いに名前を名乗ったことに揺路は満足して頷き、特徴のないオーソドックスな長剣を手にして前に出る。
「俺が行こう」
前に出た揺路に呼応するように怪物の群れが動き出す。
「ガァッ!」
鞭のようにしなる怪物の腕が、複数同時に迫る。
圧倒的な速度の、俺では見てから動いても回避できない程の面攻撃。だが、揺路は高速で迫る攻撃を完全に見切っていた。
派手な動きではない。
最短で最小の動きで、全ての攻撃を避けていく。
そして合間を縫うように、手にした長剣を投げた。
「『最高に最悪な爆弾』」
『恩寵』により、怪物の群れの中で長剣が爆ぜる。
「くっ!?」
目が焼かれ、耳が劈かれる。
数十メートル離れている俺達の方まで爆音と爆風を響かせて、頑強な怪物の群れを紙屑のように吹き飛ばした。
たった一撃で、怪物の群れを粉砕したのだ。
余りにも常識外れな威力に驚き、揺路の方を見る。
「ふむ、こんなものか?」
「揺路、もっと威力を抑えろ、耳が痛い」
「いや、これでも必要最低限に抑えたつもりだ。洞窟の中だからな」
そんな会話を福宮と交わす。
そこには余裕があった。揺路と福宮、そして雨尾には全くと言って動揺が無い。
戦いを見る以上に、実力差と言うものを感じる立ち振る舞いだった。
「さて、そろそろこちらからも仕掛けますか」
雨尾が呟き、それに同調するように皆が動き出す。
『ソレ』は慄いた。
まさかあれ程の人間が現れるとは……。
『ソレ』は考える。
仕掛けるべきか、引くべきか。
『ソレ』は悩み、決断を下す。
「防衛は彼らに任せて私たちは先に進みます。なので、今のうちに敵について語っておきましょう」
行動を共にするのは、俺と祈凛、揺路と福宮、そして雨尾だ。
祈凛には残っていて欲しかったのだが、猛反発に合って押し切られ、結局着いてきてしまった。
なんだか俺への信頼が減っている気がする。
ダンジョンの奥に進みながら雨尾は語る。
「敵の正体、それは十中八九『上位個体』です」
「『上位個体』?」
「ざっくり言うと、魔物における『恩寵保持者』です」
「そんなのが居るのか……」
「居ますよ。大抵は深層で生まれますし、極稀に浅層に生まれれば即座に『探索者協会』から依頼を受けた上級探索者に狩られるので、熟練の探索者でも無ければ出会いませんが」
「じゃあ、今回は生まれたばかりの『上位個体』って事か?」
「いえ、これだけの規模と範囲の『恩寵』から考えて、かなり成長した個体ですね」
「……『上位個体』ってのは、生まれたらすぐ狩られるんじゃなかったのか?」
最初の説明と矛盾している気がする。
「それだけ知性と能力が高い個体だという事です。無論、運もありますがね」
「成程」
つまり、今回の『上位個体』は長い間息を潜め、しっかりと準備をした上で仕掛けて来ているのか。
「……勝てるよな?」
ここまで来て未だに底を見せない『上位個体』に、不安が心に芽吹く。
「勝ちますよ」
雨尾は一切の迷い無く、はっきりと断言する。
「不安なここで引き返しますか?まあ、ここからは命の保証は出来ませんからね、無理強いはしませんよ」
煽るように言い放ち、試す様にこちらを見る。
俺も不安をかき消すように声を出して、覚悟を改める。
「いいや、行く。ここで全部終わらせる」
その返答に、小さく笑みを浮かべて雨尾は頷く。
「それでは、説明を続けましょうか」




