雰囲気
じっとりと肌に張り付くような、不快で不穏な空気が周囲に蔓延している。
この空気の発生源は、ここに集まった探索者達だ。依頼を受けたほぼ全ての探索者が不安を抱いているのだ。
ヒソヒソと小さく探索者ごとの仲間内での会話が漏れ聞こえる程度の、誰もが意見を言いずらい嫌な静寂も合わさり、最悪と言ってもいい雰囲気が出来上がっていた。
「……このままじゃ、不味いんじゃ無いか?」
いくら人数が揃おうとも、魔物たちの数も尋常では無い。こんな空気のまま戦って勝てるのだろうか?
不安から漏れ出た言葉に、林部が反応する。
「不味いだろうな。ただでさえ戦力不足の上、降級をチラつかせた半強制依頼だ。探索者達のモチベーションも高くは無い。むしろ最低だな」
「しかも有象無象の探索者を纏める指揮官もイネーからナ」
「おいおい、マジでヤバイじゃねぇかよ……」
「もう一つ言えば、本来ここに居るべき協会所属の警備隊も来てネーからナ。協会としてはオレらなんて、高位の探索者が来るまでの、時間稼ぎの捨て駒って事だろーナ」
吐き捨てるような入曽の言葉に、信じられない気持ちと、協会への沸々とした怒りが湧く。
「……本気で防衛する気が無いのか?ここを抜けられたら地上に魔物が出ることになるんだぞ?」
「ここの支部長は臆病だからナ。数少ない警備隊は万が一の為に自分の護衛にでも回してんダロ」
「ふざけやがって……!」
ギリギリと、『多衝棍』を握る手に力がこもる。
「……仕方あるまい。今は足りないものを求めるより、どう補うかを考える方が有意義だ」
「そうだが、実際にはどうしようもないだろ……」
林部の言葉は正論で、正解なのだろう。だが、目の前に迫り危険を感じながら、冷静に割り切ることは難しい。
それに、この現状をどうやって解決すればいいというのか。
「そうだな、そろそろ行くか」
「何をだ?」
何をするのか、林部は集まった探索者たちの前、少しだけダンジョンの奥に進む。
そして振り返り、叫んだ。
「皆、聞いてくれ!俺の名前は林部双喜。普段は『運命の輪』というパーティーのリーダーをやっている者だ!階級は六級、恐らくこの中では俺より高位の探索者は居ないと思う!」
その声に、反論は出なかった。
ここに居るのは全て六級以下の探索者だけの様だ。
「階級がそのまま実力だとは思わない。だが、一定の実力は担保されていると思っている。故に、皆にはこの場を乗り切るため、俺の指揮の元動いて貰いたい!異論があるなら遠慮なく言ってくれ!」
その鋭い声でここに居る全ての探索者の視線を集め、瞳を返す様に林部は周囲を見回した。
「……勝算はあるのかよ。俺は適当なところで逃げるつもりだぞ。こんな危険な依頼、本気でやるなんて馬鹿馬鹿しい」
どこからか、不機嫌さを隠そうともしない男の声が聞こえる。
その意見に林部は即座に答えた。
「確かにこの依頼は危険だ!そういった不安があるのも理解しよう!だが、ここが抜かれればそのまま魔物達は地上に出る事になる!そうなれば犠牲になるのは無力な一般市民だ!俺はそれが我慢ならん!」
「だから何だってんだよ。知りもしねぇ他人の心配より、まずは自分の心配だろ……」
先程よりも、さらに棘のある言葉で、明確に否定される。
良くない雰囲気だ。
林部の言葉は響かず、むしろ反対派の男の意見が探索者たちの心を蝕んでいく。
ひそひそと、探索者たちの間で言葉が交わされる。その中身は、どれもこの保身と不満によるものだった。
「おい……!」
空気を換える為、声を張り上げようとすると、横から入曽が俺の肩を掴んだ。
「まあ見てろってナ」
入曽の言葉に答える様に、鷹揚に、そして自信に満ちた顔で林部が言った。
「安心しろ、俺強い!」
「は、はぁ……?お前、何言ってるんだ?」
悪いが俺も、この瞬間だけは男と同じ意見だった。
強いからと言って、男が意見を変えるとも思えないし、この空気を払拭する事出来ないだろう。
そんな俺と男の意見を吹き飛ばす様に、林部は戦斧を掲げ───戦斧を振り下ろす。
「───『雷神の至撃』っ!!」
その言葉と共に戦斧は雷光を纏い、空気を引き裂き地面に向かう。
眩い光が瞳を焼き、激しい音が鼓膜を突いた。そして放たれた一撃は大地を穿ち、硬い地面が砕け散る。そのまま勢いは収まらず、地面から伝い電撃と共に壁に激突するまで破壊をまき散らした。
轟音と雷光。現実離れした、必殺技とでも言うべきものだった。
だが、あれ程の一撃、人のいない側面に放っていたからいいものを、直線上に人間が居ればどうなっていたか。恐ろしい想像が駆け巡る。
しかしそれは他の探索者を唖然とさせ、力を証明するには十分すぎる一撃でもあった。
「これが俺の『恩寵』だ。俺がこの力を使い、皆を守ろう!」
その力強い声は、先の光景と合わさって探索者の心に強く響いた。
もしかしたら、この男が居るならば、と。
「……あ、あ、アンタ一人が強くたって守り切れるもんじゃないだろ!」
男がまたしても反論を吐く。
その声は震え、ただ先に変えられない否定してしまった故に今更意見を変えられないという、意固地な考えによるものだった。だが、的を射た声でもある。
「安心すると言い!俺だけではない!そこに居る男も、俺と同様の強さを持つ猛者だ!」
そう言って林部は俺を指差した。
「は…………?」
探索者達の視線が、俺の方に集まる。
それは好奇と期待の合わさったくすぐったいものだった。
「ちょ───」
反射的に否定しようとすると、がっ、と横から腕が飛び出て首元に絡まり強制的に肩を組まされる。
「オイオイ!オレを忘れてもらっちゃ困るゼ!これでもそこのハゲと同じ六級だゼ!」
俺の言葉に被せる様に、入曽が声を張り上げる。
「なっ……!?」
「この雰囲気を壊すんじゃねーゼ?ここが正念場ダ」
耳元で、誰にも聞こえない様に小さな声で囁かれた。
「っ」
「戦いは武器を振る前から始まってんダ。別に丸っきり嘘ってわけじゃねーダロ?アイツが言うんだ。平均以上の強さはある筈サ」
実際に俺の強さがどの程度なのかは分からない。これまで知り合った探索者と言えば、祈凛か琴音だけなのだ。流石にサンプル数が少なすぎる。
だが、ここで求められている事に事実かどうかは関係ない。
ようは、勝てそうと思わせる事が重要なのだ。
正直詐欺の様で気が乗らない。しかし、ここで空気を変えなければ勝負の土台にすら上がれない。
守り切れなければ、多くの犠牲が出る事になる。そのことを思えば、自分の感情など端に置くことに抵抗は無かった。
俺は覚悟を決め、声を上げる。
「俺が魔物共をぶっ殺してやる!」
拳を握りしめ、天に向かって突き上げる。
その仕草と声に、おお、と探索者たちが沸く。
ヤバい、凄い恥ずかしい……。
感情を顔に出さないように、ムスッとした表情で居よう。
「では、他に異論はないか!」
再度戦斧を地面に叩きつけ、林部が問う。
その問いは探索者達の、力強い意思と秘めた瞳で答えられた。
「では、各々の配置を決めようか!」




