逃走
「クソ!」
走りながら、現状への罵倒が溢れる。
一体どうなっている。
後ろには無数の魔物、正気を失った魔物達は止まることなく目を血走らせ、涎をまき散らしながら互いを押しのけ合い追い縋ってくる。
駄目だ、追いつかれる。
先程と同じように石を『多衝棍』で打ち、魔物を転倒させて妨害するが、数の多さゆえに効果が薄い。
「あっ……!」
前方、俺の前を走っていた助けを求めてきた探索者少女が小さく声を上げ、躓き転倒する。
俺は迷わず決断する。
「祈凛っ!」
「えっ!?」
抱えていた意識のない方の探索者少女を祈凛に投げ付ける。
混乱しながらも祈凛は少女を受け取る。
そして俺は転倒した探索者少女の前に立ち、無数の魔物に相対する。
その間に倒れた少女は立ち上がり、魔物から逃げていく。
「りゅ、龍之介さん!」
「先に行け!」
魔物の中、飛び抜けて早く襲い掛かってきたゴブリンに『多衝棍』を叩きつけて叫ぶ。
「俺が時間を稼ぐ!その間に逃げて助けを呼んでくれ!」
襲い掛かる魔物を叩き、弾いていく。
一撃の威力よりも、手数を増やして距離を取ることを優先する。
「で、でも……!」
「早く!俺は強い!大丈夫だ!」
「っ……!絶対、無事でいてください!」
逡巡して、二人の探索者少女を見て祈凛も決断する。
逃げる祈凛達を見て、息を吐く。
「ギャァ!」
俺の横を抜けようとするゴブリンを叩きつける。
「行かせねぇよ……」
周囲には無数の魔物、その全てが狂気的な瞳でこちらを睨み、殺意を滾らせている。
そんな状況を、俺は鼻でせせら笑う。
そうしなければ、この状況に怯えて泣き叫んでしまいそうだった。
既に手遅れとなったこの状況で、何故カッコつけて殿など引き受けてしまったのかと後悔している所だ。
恐怖も、後悔もある。
だが、迷いは捨てる。
「掛かって来いよオラぁ!」
雄叫びを上げ、魔物の群れに飛び込む。
『多衝棍』をガンガンと魔物達に叩きつけ吹き飛ばす。
しかし、魔物の勢いは止まらない。
吹き飛ばされた合間を縫うように、ゴブリンが、狼が飛びかかってくる。
「らぁ!」
くるりとコマのように体を回し、蹴り、殴り、『多衝棍』を振り回す。
俺の周囲が、一瞬の間だけ空白を作る。
───『星の一撃』。
その僅かな隙を使い、恩寵を行使する。
小さく、か弱い光が『多衝棍』に宿る。
狙いは既に決まっている。
俺は目の前の小さな背丈のゴブリンを踏み台替わりに踏みつけ、魔物達の上を跳ぶ。
跳んだ先、そこに居るのは豚の顔、だらしなく弛んだ肉体を持つ巨大な体躯の魔物、オークが居た。
「吹っ飛べっ!」
オークの弛んだ腹を『多衝棍』が打ち抜く。
その瞬間、『多衝棍』がオークの体宙に浮かせ、吹き飛ばす。
「ブモォッ!?」
飛んだオークは低く滑空し、ボーリングの様に直線上の魔物達を吹き飛ばして轢き殺した。
そうして出来た安全地帯に着地、魔物達に向かって迷わず突っ込んだ。
『多衝棍』を、拳を、足を、全身を使って魔物達を殲滅していく。
思考よりも早く、体を動かす。
絶え間ない魔物達の連撃に小さく体が傷ついていき、体力は疲弊していく。
『再生』で無理矢理体を癒して動かし、魔物を殺す、殺す。
止まらない、止められない。止まれば、その時が死ぬ時だ。
戦う戦う戦う。
全身全霊で戦い続ける。
だが、終わらない。
いくら無数の魔物の群れだからと言って、既に視界に収まる程の魔物は倒した。だが、一向に魔物の数が減ったように見えない。
むしろ増えている。
殺せば殺す程、戦えば戦う程増えていくような、そんな錯覚すら覚える。ダンジョン中の魔物達がここに集まってきているのだ
戦意が薄れていく。
無数の魔物が、終わりの見えない闘争が確実に心を蝕んでいく。
体力はまだある。力だって残っている。『再生』によって肉体はベストコンディションを保っている。
だが、体よりも先に、心が折れそうだ。
その心の揺らぎが隙となり、死角からの狼の奇襲に気付くのが遅れる。
「ガゥァッ!」
「くッ!?」
狼の牙が、腕に突き刺さる。
鋭い痛みと、肉体を抉られたというショックがさらに心を揺さぶり、隙を作る。
そして魔物達は、その隙を見逃すほど甘くない。
ここまでの鬱憤を晴らすかのように、我先にと襲い掛かってくる。
全身を擦り潰す様に、全方位から攻撃を受ける。
「───!」
声すら出せず、亀のように身を丸めて耐える。
───『星の一撃』。
数瞬の溜め、そして一気に解放する。
『身体能力強化』を強く意識し、体に残る力を出し切るつもりで『多衝棍』を振り回す。
「がァッ!!」
獣のような声を上げ、張り付いた魔物たちを剥がす。
だが、たった数瞬、その僅かな時間で革鎧を突き破り、全身をズタボロにした。
身体中から血が溢れ、最早防具の体をなしていない革鎧と、『多衝棍』を赤く染めていく。
痛い、痛い、痛い。
ただでさえ薄れていた戦意を折るように、激痛が走る。
思考が、ぼやけていく。
『再生』は働いている。だが、この状況ではあまりに治癒が遅い。
目の前には魔物が居るというのに、緊張感が薄れていく。
このままでは─────死ぬ。
極限の状況、絶体絶命。
…………ああ、なんかイラついてきたな。何で俺がこんな目にあっているんだ?
そんな中、俺の中に湧いてきたのは恐怖では無く、怒りだった。
目の前の理不尽が、迫る死が、俺の中に今まで感じたことの無いようなぐつぐつと煮えたぎった怒りを湧き立たせる。
魔物達が迫る。
死が近づいてくる。
─────死ぬ、殺す、死ねない。
走馬灯のように、高速で思考が回る。
世界がスローになったようにゆっくりと感じる中、頭にひび割れるような激痛が走る。
痛みの中で、体が動く。
その動きは鋭く、早く、迷いなく魔物の方に向かっていく。
『多衝棍』を振り回し、魔物達を蹴散らしていく。
強い、明らかに力が、動きが良くなっている。
されど、余りにも負傷が大きく、魔物の数も多すぎた。
燃え尽きる直前の、蝋燭のように激しく動き回る。
「ガァッ!」
「グっ!?」
狼が、俺の足に嚙みつく。
狼の頭部に拳を振り下ろし、砕く。
「ブルァ!」
「がっ!?」
オークの拳が、顔面を打つ。
合わせる様にカウンターで『多衝棍』を当てて吹き飛ばす。
攻撃を食らい、それに対抗する様に攻撃する。
それは最早戦いにすらなっていなかった。理性無き獣の闘争であった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
咆哮を上げる。
頭を割るような激痛は収まらない。
次第に手も、足も動かなくなってくる。
負傷が『再生』で誤魔化せる領域では無くなってきた。
振るった腕から力が抜け、『多衝棍』がすっぽ抜ける。
膝が折れ、地面に手を突く。
不味い、体が言う事を聞かない。
頭痛は鳴りやまない。
魔物の凶手が迫る。
─────死。
「ふんなぁっ!!」
掠んだ視界の先、魔物達が一気に吹き飛んだ。
吹き飛ばしたのは、巨大な戦斧を振り回す男だった。
禿頭に、凛々しく険しい顔立ちに筋肉質の体を持つ戦士。
「無事かっ!助太刀に参った!」
男は安心させるように力強い笑みを浮かべて魔物達を蹴散らしていく。




