第三階層
レンタルショップの店員さん。
その人はひどく気配が薄い。気配だけでは無く、記憶に残るような特徴も薄い。
肩で綺麗に切り揃えられた珍しくも無い黒髪、整った顔立ちだが癖のない顔つき、身長は男性にしては低く、女性にしては高い。顔立ちと相まって制服に包まれた立ち姿からは男女のどちらとも判断できなかった。
いつも接客業の人間らしい柔和な笑みを浮かべる彼、もしくは彼女は『多衝棍』をレンタルした時からも分かるように、高い身体能力を持っている。
恐らくは元探索者、もしかしたら現役かもしれない。
そう、思っていたのだが。
「与暦、私は前にも言いましたよね。迷わず進める事は貴方の長所ですが、それは同時に欠点になり得ます」
「はい……」
訓練所で店員さんは琴音の名字を呼びながら叱る。
どうやら二人の間には以前から交友があるようだ。
琴音は顔をしょんぼりさせて反省している。
凄い、どんな大人でも手を焼いていた琴音が素直に見える。一体どういう関係なんだ。
「壊すなと言ってるんじゃありません。実践のために武器をやむを得ず破壊してしまう事もあるでしょう。しかし、その可能性があるのなら、最初からそのために対策を打つべきだとは思いませんか?」
「はい……」
どんどん、琴音の肩が狭まる。
「壊してしまってもお金を払えばいいと言う話ではありません。そういう細かいところから信用が……と、これ以上は言っても仕方ありませんね。次からは気を付けてください」
「はい……」
「後藤さん、貴方もです。初めての事に挑戦するときは、十分に対策と準備を行ってください」
「うす……」
俺も怒られてしまった。
それから数分、破損したレンタル品の処理をしてから店員さんは仕事に戻っていった。
「ふぅ、どうにかなったな」
店員さんが居なくなった途端、琴音の顔つきがいつもの自信満々なものに戻る。
その顔つきには反省の色があまり見えない。
いつも通りだな。と思いながら、気になったことを聞く。
「琴音って、店員さんと知り合いだったんだな」
琴音はビクリと震え、嫌な事を思い出したような表情になる。
「……昔、探索者になったばかりの頃、少しの間、一緒にダンジョンに潜ったことがある」
「一緒にパーティーを組んでたのか?」
「半年の間だけだ」
半年、それだけの期間の割には、物凄い苦手意識が感じられる。
琴音は、愚痴をこぼす様に言葉を続ける。
「あの人は清く、正しく、そして強い。私がここまで強くなったのは確実にあの人のおかげだが、もし過去に戻れるとしたら、あの人は二度とパーティーは組まない、絶対にだ……!」
「そんなにか?」
「そんなにだ!」
一体何があったんだよ。
「あの人はな、他人を谷底に蹴り落とせる人間だ!容赦情け無くな!」
「そんな人には見えないけどな……」
容姿は完全に人畜無害そのものだ。
「騙されるな龍之介!あの腹黒鬼畜には気を付けた方が良い、地獄の訓練が始まるぞ……!」
そうこう話していると、遠くの店員さんと目が合う。
にっこりと笑みを浮かべるその姿は、なんだか前より圧を感じる。
「お、おう……」
俺達は足早に、店員さんから逃げる様に訓練所から移動した。
「ガッ!?」
『多衝棍』に打たれたゴブリンが、宙を高く舞う。
地に落ちたゴブリンは灰になり、周囲の既に灰になったゴブリンの仲間入りを果たす。
翌日、俺はいつも通り祈凛とダンジョンに来ていた。
「大分、二階層にも慣れてきたな」
「はい、龍之介さんんおかげですね」
「いや、祈凛の動きもかなり良くなってきてるよ」
「本当ですか!」
「ああ」
お世辞ではない。初めて二階層に来た時よりも確実に動きの速度が上がり、的確になっている。
二階層を安定して探索出来るようになったのは、俺が『多衝棍』での火力を手に入れたことも大きいが、祈凛がダンジョンに『適応』している事も影響している。
さらに言葉を発さずとも連携も取れるようになり、パーティーとしての完成度が上がっている。
なのでそろそろ、次のステップに上がるべきだろう。
「祈凛、そろそろ三階層に行かないか?」
二階層にきて一週間も経っていないので少し急ぎすぎかもしれないが、琴音の案内のおかげとは言え三階層には既に一度足を踏み入れている。
その経験から、今の俺達なら対応できると思う。
「……そうですね、私も三階層に挑戦したいと思ってました」
祈凛も、神妙な顔で頷く。
俺達は再度装備を確認し、三階層に挑むことになった。
三階層、そこは今までの階層と変わらず洞窟だ。
この前琴音に教えてもらったのだが、このダンジョンは五階層まで同じような洞窟らしい。
少し緊張はあるが、初めて二階層に来た時ほどではない。祈凛も然程緊張していないようだ。
琴音に連れてこられたおかげだな。
「慎重にいこうか」
とはいえ、油断するつもりは全くない。
気を引き締めて、三階層を歩いていく。
それから数分後、祈凛が反応する。
「前から何か来ます!」
武器を握りしめ、意識を前方に向ける。
洞窟の奥、暗闇から現れたのはいつものゴブリンでは無かった。
灰色の毛並みと鋭い牙を持った二頭の狼だった。
俺は祈凛の前に立ち、駆ける。それと同時に、二頭の狼も俺の方に向かって地を蹴る。
「らァッ!」
「ガァルァ!」
狼に向けて『多衝棍』を振る。狼も避けようとするが、『身体能力強化』され的確に狙いすました俺の一撃を避け切ることが出来ず、胴を打ち抜き吹き飛ぶ。
しかし狼もやられっぱなしでは無かった。
俺が『多衝棍』を振り抜いた隙を見逃さず、もう一体の狼が首元に飛び掛かってくる。
仲間が作った隙を活かした連携だ。だが、連携するのは狼だけではない。
「はぁッ!」
祈凛の槍が、俺の隙を埋める様に突き出される。
その槍は狼の頭部に突き刺さり貫通する。
狼はビクリと小さく震え、灰になった。最初に吹き飛ばした狼も壁に当たりそのまま灰になっている。
無傷で文句のつけようのない、完全勝利だ。
「いけそうだな」
「はい!」
祈凛が嬉しそうに頷く。
初めての三階層でこの結果、成長を実感頬できる。祈凛だけでは無く、俺も少しだけ頬が緩み笑みが浮かぶ。
順風満帆、かなりいい調子だ。
それからも何度か三階層で戦い、切りの良いところで探索を止めて帰還した。
『ソレ』は知っていた。
自らの弱さを知っていた。敵の強さを知っていた。自らの無知を知っていた。敵の博識さを知っていた。
故に見た。自らを、敵を。何度も、何度も。
息を殺し、自らの存在を悟らせないように、長い間、本能を殺して知ることに努めた。
見て、見て、見て。知って、知って、知って。
長い時を掛けて、『学び』を深めた。
故に、
「……こぉ…しぇ、くれぇ……」
深い緑の、黒に近い色をした蔦に包まれた、四肢を貫かれた敵が呻く。
皮をなめして作った鎧を纏い、鉄を打って鍛え上げた剣を手に取った敵は、今や虫の息だった。
一切の抵抗を許さぬよう、身に着けていた全てを剥いだ敵を見て『ソレ』は思った。
もうすぐだ。もうすぐ『学び』は完成すると。
『ソレ』は震える、ダンジョンの奥地で、探索者の寄り付かない深い森の中で震え続けた。
『学び』の先にある、血と悲鳴の狂乱を夢見て。