プロローグ
目の前で、私の歴史が乱暴に箱詰めされていく。
昨日まで「奥様」と作り笑いを浮かべていたメイドたちが、今は侮蔑と、そして奇妙な解放感に満ちた表情で、私の私物を次々と木箱に放り込んでいた。
「まあ、このドレス、こんなに派手なものを……。やはり元が平民だと、こういうものしかお選びになれないのね」
「本当よ。クライフォルト家の品位を著しく貶めていたわ、この女は」
「これでようやく、あの方の冷たい視線に怯える日々も終わるのね……。本来この家に嫁がれるはずだった、心優しく清らかなリリアーナ様がいらっしゃれば、屋敷も明るくなるでしょうに」
聞こえよがしに囁かれる陰口。リリアーナとは誰だ、初耳だが。どうやら叔父のゲルトナー卿が後釜に据えようと画策している令嬢の名前らしい。
なるほど。私を追い出すために、事前に周到な根回しをしていたわけか。
私が「冷酷で傲慢な悪女」で、そのリリアーナとかいう女が「心優しき悲劇のヒロイン」というわけだ。実に分かりやすい構図じゃない。
(悪役令嬢、ねえ……)
私はばたばたと動き回るメイドも気にせずに眠る娘、レーラの頬をそっと撫でた。
確かに、私は貴族の作法も、腹の探り合いも苦手だった。愛想笑いも、お世辞も言えない。だから、必要最低限の会話しかせず、毅然とした態度を崩さなかった。
それが彼女たちには、「圧政」や「冷酷さ」に映っていたらしい。馬鹿馬鹿しい。
そこへ、芝居がかった足音と共に、この茶番劇の主役たちが現れた。夫の叔父、ゲルトナー卿と、家令のダリウスだ。
「悪女ベルキア! 貴様の横暴も、もはやこれまでだ!」
ゲルトナー卿が、まるで舞台役者のように大仰な身振りで私を指さす。その顔は、正義の鉄槌を下すことに酔いしれている者のそれだった。
「本来、このクライフォルト家を守るべき我々の忠言にも耳を貸さず、素性の知れぬ山猿上がりが奥方様の座に居座り続けたこと……長年お仕えしてきたこのダリウス、断腸の思いでございました」
(……何この茶番。演劇で流行りの『悪役令嬢断罪イベント』ってやつ? まさか自分が当事者になる日が来るとは……笑えないわね)
「ベルキア殿。あなたも元はしがない冒険者だったと聞いております。ならば、路頭に迷うことにも慣れていらっしゃるでしょうな? これも、あなたの『故郷』に帰る良い機会ですぞ。がはは!」
ゲルトナー卿の下品な笑い声が響く。私はゆっくりとそちらに顔を向けた。
その視線に気づいたのか、ダリウスがわざとらしく咳払いをして口を挟む。
「ゲルトナー様、お言葉が過ぎます。ベルキア様は、これでも前伯爵様がお選びになった方。我々としては、せめてもの情けとして、ベルキア様の『私物』は全てお持ちいただく手筈となっております。感謝していただきたいものですな」
「ほう、ダリウスは優しいのう。この私なら、着の身着のまま追い出してやるところだが」
「いえいえ、全てはクライフォルト家の名誉のため。追い出した女がみすぼらしい恰好で野垂れ死にでもされたら、我々の評判に傷がつきますゆえ」
よくもまあ、ペラペラと。
私は腕の中で健やかな寝息を立てる娘、レーラを抱き直した。この子に、こんな汚らわしい会話を聞かせたくない。
「感謝ですか? 夫が消息を絶ったのをいいことに、ありもしない罪で私を陥れ、財産を簒奪し、赤子ごと追い出そうというあなたたちに、ですか?」
「黙りなさい、この不貞女が!」
ゲルトナー卿が顔を真っ赤にして怒鳴る。私の静かな反論が、彼の安いプライドを刺激したらしい。
「貴様の子が、本当に伯爵様の子であるという証拠がどこにある! 山猿上がりの貴様が、どこぞの馬の骨とも知れぬ男と過ちを犯した可能性は十分にある!」
「……ええ、そうですね。では逆に、この子が不貞の子であるという証拠はどこに?」
「証拠などなくとも、我々がそう判断したのだ! それが全てだ!」
あまりの展開に、私は怒りを通り越して、冷めた笑いすら込み上げてくる。
「それでなくとも貴様は我が甥である伯爵の寵愛を笠に着て、我ら親族をないがしろにし、善良な使用人たちを虐げてきた! その罪、万死に値する!」
「左様でございます、ゲルトナー様」
ダリウスが、これまた悲劇の忠臣といった顔でよよよとハンカチを目元に当て頷く。
「……虐げた、ですか。私がいつ、誰を?」
「しらを切るか! 貴様のその冷たい視線! 傲慢な態度! それ自体が我々への侮辱だったのだ!」
「はあ……。つまり、私があなた方に媚びへつらわなかったのが罪だと?」
「なっ……貴様、この期に及んで……!」
ゲルトナー卿が顔を真っ赤にして激高する。どうやら図星らしい。
私はふう、と一つため息をついた。
「もう結構です。あなた方の頭の中では、私がとんでもない悪女だという物語が出来上がっているようですから。何を言っても無駄でしょう」
私の態度が、さらに彼らを苛立たせたらしい。荷造りは急かされ、あれよあれよという間に全ての準備は整ってしまった。
そして数時間後。
私はわずかばかりの手切れ金と、『悪役令嬢ベルキアの全財産』がうず高く積まれた大八車と共に、屋敷の門の前に締め出されていた。
もちろん、左腕には私の可愛い可愛い、唯一の味方。まだハイハイも出来ない我が娘、レーラ。
ギィ、という重い音を立てて、背後の鉄門が閉ざされていく。
「……あ、余りにも手際が良すぎない!?」
誰もいない雪道への私のツッコミは、誰の耳にも届かずに消えていく。
「はあ……。さて、と」
私はレーラの小さな体を抱き直し、目の前の大八車を見据えた。
中身はドレスに宝飾品、そしてかつての愛剣。悪役令嬢の追放セットとしては、随分と豪華じゃないか。
(まあ、見てなさい。ゲルトナー、ダリウス、それに名も知らぬリリアーナ嬢)
私は大八車の重い持ち手に手をかけた。
「あんたたちが作り上げた『悪役令嬢』が、これからどれだけ稼いで、どれだけ幸せになるか。せいぜい遠くから指をくわえて見てることね」
バツイチ? 子持ち? 悪役令嬢?
上等じゃない。そんな肩書、ただのアクセサリーだ。
「行くわよ、レーラ。私たちの新しい人生の始まりよ」
今はただ、腕の中の温もりだけを信じて。
元・悪役令嬢にして、元・最強の剣帝は雪の夜へと力強く踏み出した。
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