1.陽翔の秘密
祭りの翌日は朝から土砂降りの雨で、瑠璃はげんなりしながら登校した。
「雨の日は髪がうねるから、嫌になっちゃう!」
柚希も自身のくせ毛を指で弄りながら、溜息をついていた。
「瑠璃はいいなぁ〜、ほとんど寝癖もつかないし、真っ直ぐだし…」
「それ、ハル兄にも言われた」
「へぇ~。晴翔さんは、癖がつきやすいの?」
「うん。毎朝苦労してるよ」
二人が他愛もない会話をしていると、やがて始業のチャイムが鳴った。
担任の杉村が出席を取り、「ん?坂下は休みか?」と驚いた。
「昨日は元気そうでしたけど…俺、一緒に祭を見て回ったし…」
と、山本が言う。
「そうか…祭で、はしゃぎすぎたかな。あとで電話しておくか…」
杉村が言ったか言わずかで、ふと教室の引き戸が開いて、青い顔をした研吾が入ってきた。
「お、坂下!お前、大丈夫か?具合が悪そうだな」
「……ちょっと……頭が痛くて……でも、大丈夫です」
「そうか?あんまり無理しないで、辛かったら保健室に行けよ。頭痛薬とか、飲んだか?」
「……はい。一応……」
研吾の様子から、その頭痛薬もあまり効果がなさそうに見えた。
研吾は席に着くと、瑠璃も心配になって振り返った。
「坂下君。無理そうだったら言って。保健室、連れてってあげるから」
「……うん。ありがとう…」
その後、研吾は結局一校時目の途中でぐったりしていたため、教師の指示で瑠璃は研吾を保健室へと送っていった。
「……すみません。雨宮さん…」
「気にしないで。…それより、痛むのは頭だけ?他に調子の悪いところはない?」
「…はい……特には」
「そう……あまり無理をしないでね」
「うん……あの、雨宮さん…」
「ん?」
健吾は廊下の途中で立ち止まり、迷うように目線を彷徨わせている。瑠璃も立ち止まり、健吾の言葉を待ったが、健吾は「あの……その……」とまごついて、一向に話が進まない。
「どうしたの?」
つい、急かすように声を掛けると、健吾はビクッと体を震わせて俯いた。
「ーーごめん。……なんでもない」
そうして早足に瑠璃を追い越すと、保健室へと入っていった。
「…何なの?」
瑠璃はモヤモヤした気分を抱えつつも、どうしても伝えたいことがあるならまた言って来るだろうと気持ちを切り替えて、教室に戻った。
結局、研吾の体調は戻らず、昼前には早退していった。
放課後、瑠璃は担任に言われてプリントを研吾の家に届けることになった。心配だからと柚希もついてきたのだが…
「なんでハル兄まで?」
陽翔もなぜかついてきていた。先に帰って良いと伝えたが、陽翔は取り合わない。
「だって、女の子二人で男の家に行くなんてさ、危ないでしょ?」
「危ないって……玄関先でプリント渡すだけだよ」
瑠璃は呆れて溜息をつくが、柚希はニコニコしていた。
「陽翔さんは相変わらずですね。心強いです!」
「そうでしょ?」
「……もう…柚希、ハル兄をのせないで」
いつものことだが、陽翔と柚希は意見が合いやすい。特に、瑠璃のことに関しては。今も二人は瑠璃の後ろからニコニコしながらついてくる。瑠璃は時々、陽翔が二人いる錯覚に陥った。
「ねえ、柚希ちゃん。瑠璃、最近冷たくない?反抗期ですかね?」
「あれはきっと照れ隠しですよ。思春期に入って、急に恥ずかしくなってしまったんじゃないですか?」
「そうか……確かにそうかもね。なら、時間が解決してくれそうだね」
「そうですね。瑠璃は大丈夫ですよ。なんせ、陽翔さんが大好きですから」
「……ちょっと」
「そっかぁー。なんか照れるなぁ〜」
「ちょっと!聞こえてるんだけど!」
小声で話す柚希と陽翔の会話の内容が看過できず、瑠璃は振り返って割り込んだ。二人は瑠璃に怒気を向けられても、ニコニコしたままだった。
(疲れる……)
なぜ自分の周りの人間はこんなにもお節介なのか…。しかもこの二人は特に、よく瑠璃のことを理解しているのだ。本音を言えば、陽翔や柚希に構われるのは嬉しいし有り難い…けれど、それを素直に表現すれば、更に調子に乗って世話を焼いたり首を突っ込んだりしてくるので、怒ったフリをするのが標準化している。そんなところもバレているのだろう。そこが更に気に食わない。
「そんなにカリカリしないでよ。ちょっと気になったことを、身近な人に相談してるだけなんだから」
陽翔が溜息交じりに言う。
「それ、普通本人のいる前でする?」
瑠璃が呆れると、「それは……」と陽翔はいったん溜めて、「わざと…だよ?」と小首を傾げる。
「うん、うん!」
そして柚希も同上する。
「……」
一瞬、陽翔を殴り倒したくなった瑠璃だったが、ふと別の案を思いついた。そこで瑠璃は一度目を閉じて、呼吸を整える。そうして目を開くと、陽翔に満面の笑顔を向けた。
「!」
陽翔は瑠璃の意図を測りかねて絶句する。瑠璃はそれに満足しながら、
「不安にさせてごめんね。"お兄ちゃん"」
トドメを刺した。
「…ガハッ!!」
瞬間、陽翔はまるで刺されたのではないかというような変な声を出しては、何故か口許を手で抑えて後退った。顔はおろか、耳まで真っ赤になっている。
普段邪険に扱っていた分、素直なお兄ちゃん呼びは効くだろうと思ったが、予想以上に良い反応だ。
「おぉ~!瑠璃のカウンターが決まった!」
柚希は嬉しそうに実況する。
「柚希も調子に乗ってると、"レイヴン"のチケット取るの、協力してあげないよ」
レイヴンとは、柚希が好きなロックバンドだ。人気急上昇中で、ライブのチケットを取るのが大変な為、時々瑠璃もチケットを購入し、購入出来たら柚希に渡すなど協力していた。
「そんな!それだけはご勘弁を!瑠璃様ぁー!謝りますからぁ〜!」
柚希は半分泣きながら瑠璃にしがみついた。
「はいはい。わかったよ」
瑠璃はポンポンと柚希の頭を撫でて許す。陽翔をギャフンと言わせられただけで、瑠璃は満足だった。
「ほら。早くプリント渡しに行くよ」
「…はい」
瑠璃が歩き始めると、陽翔は大人しく返事をしては、静かに歩き出した。柚希も同様に歩き出す。
(ふふ……いい気分)
研吾の家は、高校の裏手にある団地にあった。
「えっと……B棟の301っと」
担任に貰った住所のメモを頼りに進む。
「ああ、ここだ……坂っち、寝てるかな?前にお母さんと二人暮らしだって言ってたから……お母さん、まだ帰ってないかもだし……」
言いながら柚希はインターホンを押す。ややあって、「……はい?」とインターホンのスピーカー越しに、研吾の声がした。
「雨宮です。学校のプリントを届けに来たんだけど…」
瑠璃が答えると、「えっ!?」と驚いた声がしたかと思うと、ガタゴトと騒がしい音がした後に、ゆっくりとドアが開いた。研吾はまず瑠璃を見て、柚希を見、それから二人の後ろにいる陽翔に驚いて目を見開く。
「ごめん。大人数で……後ろのは私の兄」
瑠璃が紹介すると、陽翔は「はじめまして」と研吾に、にこやかにあいさつをする。
「ど、どうも…」
陽翔がいることで萎縮したのかまごつく研吾に、瑠璃はプリントが入った封筒を手渡した。
「はい、これ。…頭痛はどう?」
瑠璃が聞くと、研吾は少し目線を泳がせつつも、「だいぶ、楽になった……来週は、問題なく学校に行けると思う」と答えた。
「そう。じゃあ、また来週、学校で」
「う、うん…また来週…」
「じゃあね。坂っち!」
軽く挨拶を交わして、三人はアパートを後にする。
しばらく歩くと、不意に柚希が笑った。
「坂っちさ、最初絶対、瑠璃が一人で来たと思ってたよね。私と陽翔さん見てびっくりしてたし!」
「そう?」
「そうだよ!」
「やっぱり、俺が居て正解だったな。居なかったら今頃どうなっていたか……」
「ちょっとハル兄。それ、どういう意味?」
瑠璃が首を傾げると、陽翔はやれやれと首を横に振る。
「何かと理由をつけて家に入れてたかもしれないって思ってさ。家には彼一人だったみたいだし、変な気を起こされてたかもしれない…」
「そんなこと、あるわけないでしょ。仮にそうでも私、坂下君みたいな優男には負けないし」
瑠璃は幼い頃から護身術のつもりで柔道を習っていた。途中で飽きて、中学を卒業した折に辞めてしまったが、黒帯を取ったこともある。
瑠璃は呆れたが、陽翔はいたって真面目な顔をしていた。
「瑠璃は、あんまり男を舐めないほうがいいよ」
「…別に、男の人を舐めてる訳じゃないよ」
「いいや。舐めてるね。"坂下君には、そんな度胸はない"って思ったでしょ?」
「それは…」
正直、思っていた。陽翔のような明るい性格ならともかく、研吾のような内気な青年には、女の子を遊びに誘うとか、ましてや力ずくで引き止めるような真似は出来ないだろう……と。
「その気になれば押さえ込むのなんて簡単なんだよ。だから、あんまり舐めちゃダメだ。普段は頼りなくてバカに見えても、舐められているのが分かって逆上されると、何をされるか分からないんだからね。男はプライドを傷つけられるのが何より嫌なんだから……柚希ちゃんも、油断は禁物だよ」
「…わかった」
「…は、はい」
あまりに陽翔が真面目に言うので、瑠璃も柚希も素直に頷いていた。そんな二人の様子を見て、陽翔は笑顔になった。
「怖がらせてごめん。帰ろう」
それから柚希を家に送り届けてから、瑠璃と陽翔は家に帰って来た。二人は協力して夕飯を作る。
「そういえば……明日だよね」
「ああ。もうそんな時期なんだね」
瑠璃はカレンダーの日付にに付けられた赤い丸印をチラリと見た。日付の下には"たつきの墓参り"と、父の雑な字で書いてある。
"たつき"とは久瀬 龍樹という、父の親友の事だった。今から十八年前に、交通事故で妻と共に亡くなった。以来、父は毎年欠かさず墓参りに行っていて、その時は何故か必ず陽翔と瑠璃も連れて行った。二人の母の墓参りならともかく、何故友人の墓参りにも同行させるのか、瑠璃はいつも不思議だったが、両親も久瀬夫婦も学生時代からの友人同士だったとのことで、想い入れが強いんだろうくらいに思っていた。
「……そう言えば、墓参りの後に話したいことがあるって、父さんが言ってたよ」
「話したいこと?」
瑠璃は一瞬、祭りの日に父が陽翔と何か話していた光景を思い出した。何だか父の様子がおかしかった気がしていたが、その時に言われたのだろうかと思った。
「実は……会社の人との麻雀に負けて、借金あります…とか?」
陽翔が冗談めいて言うと、瑠璃は吹き出した。
「その、微妙にリアリティあるのやめて…」
「いや、他に思いつかなくて」
「お父さん、どんだけ信用ないのよ」
「瑠璃だって、"リアリティある"って言ったじゃんか」
二人が騒いでいると、丁度父が帰宅した。
「おお、二人とも。楽しそうに何話してるんだ?」
父の顔を見た途端に二人は声を上げて笑った。父が困惑して顔を顰める。
「な、なんだ?急に…」
「い、いや…ごめん。前に父さんが、"話したいことがある"って言ってたから、内容は何だろうねって話してたんだ」
「それで、ハル兄が"麻雀に負けて借金がある"とかじゃないの?って言うもんだから…」
「何なんだ?それは………そんなんじゃねぇよ」
父は呆れた顔をしたが、そんなんじゃないと言った一瞬、どこか遠くを見るような目をしたのが気になって、陽翔と瑠璃は自然に笑いを収め、目配せした。
翌日、土曜日だった事もあって、三人は朝から隣町にある霊園にやって来た。海の側、なだらかな丘の上に、久瀬夫妻のお墓はあった。久瀬龍樹は両親とも早くに死別しており、親戚とも疎遠だったという。故にお墓は、妻である由利の実家の墓に龍樹も入れてもらったそうだ。なので、久瀬夫婦の墓参りに違いないのだが、実際は"椎名家"の墓という、なんとも複雑な様子になっている。
「龍樹、由利さん。久し振り」
父は墓に手を合わせ、陽翔や瑠璃も倣った。父はいつもより長く手を合わせたあと、陽翔と瑠璃を振り返る。
「よし。いつも通り、飯食ってから帰るか!」
三人はいつも、墓参りを終えると近くのファミレスで食事をしていた。今日も例に漏れず、霊園から車で二十分の距離にあるファミレスへと向かった。和・洋・中と、様々なメニューを取り扱っていることで有名な、全国に店舗を展開するチェーン店だった。
「私は……これと、これ」
「じゃあ、俺はこれかな……父さんは?いつものランチセットにする?」
「ああ。それでいい」
ほとんどのメニューを食べたことがあると言っても過言ではない三人は、メニューを決めるのも速かった。
「最近は便利だよねー!店員さんを呼ばなくても、タブレットで注文出来るんだもんね」
陽翔が、半ば感動しながらタブレットを操作して注文する。数年前にはまだこの店は、ベルで店員を呼んで口頭で注文をするスタイルだった。今ではタブレットに加えて、配膳ロボットを使用している店舗もあるらしい。
「どんどん機械は進化するなぁ〜」
父がしみじみと言って、瑠璃は吹き出した。
「父さん……それ言っちゃったら、年寄りだって」
「ほんと!ほんと!」
陽翔も釣られて笑いだし、「おまえらなぁ……」そう言いながら父は、困ったような嬉しいような、変な顔をする。
「ちょ、ちょっと……父さん、泣いてない?」
「え!?……本当だ……どうしたの?」
父の目に涙が光るのを見た気がして瑠璃がたじろぎ、陽翔も目を丸くした。
「き、気のせいだっ!」
父はサッと顔を背け、次に顔を上げたときには、もう涙は消えていた。
食事の後は買い物をしてから家に帰ったので、すっかり夕方になっていた。
「あぁ~疲れたー」
家に着くなり、瑠璃はドサッとソファーに座り込み、「ちょっと!仕舞うの手伝ってよ!」と陽翔が吠えた。そんな中、
「……二人とも。ちょっといいか?」
どこか神妙な顔をして、父が言って、ダイニングのテーブル席を示した。それで二人は顔を見合わせつつも、いつもの席に座った。
「……実は、二人にずっと言ってなかったことがあるんだ」
父は苦しそうに顔を歪めては、舌で舐めて唇を湿らせる。
「陽翔は……本当は家の子じゃない……龍樹のーー久瀬の子だ」
「……えっ?」
瑠璃は声を上げたが、陽翔は黙っていた。けれど顔色は悪く、膝に置かれた手は、白くなるほどに固く握られていた。
父は更に続ける。
「陽翔が一歳になるかならないかの時に、龍樹が由利さんと陽翔を連れて、家に遊びに来ていたんだ。その時、近くのスーパーに酒やツマミなんかを買出しに二人が出掛けて、俺と遊ぶと言って駄々を捏ねた陽翔を家に置いていった。……そのあと、交通事故で二人はーー」
苦しそうに顔を伏せた父の声は震えていた。
「龍樹は天涯孤独だったし、由利さんの両親も、病気がちで、とても子どもの面倒を見れる状態じゃなかったから、俺は明美と相談して、陽翔をを引き取ることに決めたんだ」
明美とは、瑠璃の母のことだ。
「初めは親が居ないのを不思議に思っていた陽翔だったが、ある時から急に俺をパパ、明美をママと呼ぶようになったんだ。それを見て俺達は、おまえの本当の親として振る舞った。おまえが傷つかないように、親戚や知人に口止めもした。……すまん!陽翔。もっと早くに言いたかったんだが、瑠璃を産んで明美が死んで、おまえが家事を手伝うようになってくれたのを見てから、とても言い出せなくなった……おまえに、俺の息子で居てほしかったんだ……すまない陽翔。産みの親を、他人のように思わせて……本当に…すまない……っ!」
テーブルに顔を伏せて泣き崩れる父を見て、陽翔はサッと立ち上がると、父の背中を擦る。
「……なに謝ってるんだよ。父さん……父さんは、俺の為を想ってくれたんだろう?それに、今までずっと愛情を持って育ててくれてた。俺は、雨宮陽翔で、幸せだったよ。……産みの親は違うかもしれないけど、俺にとっての親はもう、父さんだ。だから、そんなに謝らないで」
「ーーけど……龍樹と由利さんに、申し訳なくて……毎年、墓参りに行く度、謝ってたんだ……」
「でも、父さん。いつも墓参りには絶対俺と瑠璃を連れてってたよね?用事で行けないっていうのは許されなかった……それだけでも、きっと二人は許してくれるんじゃないかな?」
「……」
その後はもう、父は言葉を紡げずに泣いていた。
「……俺、出来ればまだ、雨宮陽翔で居たいんだけど……いいかな?」
陽翔が控えめに言うと、父は弾かれたように顔を上げた。涙でぐしょぐしょの顔で、目を見開く。
「いい…のか…?」
「いいも何も……今さら"久瀬陽翔"になれって言われても困るよ。他に親戚居ないんでしょ?」
「……ああ」
「瑠璃も、それでいい?」
「…え?……う、うん…」
瑠璃はまだショックから立ち直れずにぼんやりしていた。
「何だよ瑠璃。嫌なの?」
「嫌なわけない!…わけ、ない……けど…」
「けど?」
「……変な気分」
「アッハハ!何それ。……これからも今まで通りだって!……ハイ!話はおしまい!今度から久瀬さんのお墓に手を合わせる時は、父さんと母さんって思って手を合わせればいいんだよね?簡単じゃん!……さぁ~て!今日は父さんが好きなカツ丼作るからね。二人とも手伝ってよ?」
「…お、おう……」
「……うん」
妙に明るく捲し立てる陽翔に圧倒されながら、父も瑠璃も料理を手伝った。
(……どうしよう……全然、大丈夫じゃない…)
瑠璃はサラダのレタスを千切りながら、自分の心臓が煩いほど脈打っている音を聞いていた。
お読み頂き、ありがとうございました。
陽翔の秘密が、物語にどんな影響をもたらすのか……次回をお楽しみに!