2.悪夢
暗闇に、赤い光が揺らめいている。赤い光に注目していると、やがてそれが光ではなく、燃え盛る炎であることが認識できた。炎は辺りを焼いていて、何が燃えているのか、焦げ臭い匂いもしている。徐々に炎が燃やす範囲が広くなり、まるで昼間のように明るくなった。
瓦礫と化した家屋が見える。そんな家屋を踏み壊しながら、何か大きなものが蠢いていた。生き物のように見えるそれを、もっとよく見ようとしたが、突然目の前に人影が立ちはだかり、視界が遮られる。人影はこちらに背を向けており、手に身の丈ほどある棒のようなものを持っていた。そうしてその棒を前に突き出し、蠢く何かに向かって行った。
(待って!!)
叫んで引き留めようとしたが、声が出ない。なおも追い縋ろうと前に踏み出すと、激しい炎が行く手を遮り、地を揺るがすほどの低く大きな咆哮が響いた。ーー
「行かないでっ!!」
叫んで瑠璃は跳び起きる。一瞬、何が起こったのか分からなくて呆然としてから、周りを見渡してみて、少しずつ状況が分かってきた。暗いが、ここはいつもの瑠璃の部屋。ベッドサイドの棚の上の時計は、二時を指している。辺りが暗いので、深夜の二時で間違いないようだ。瑠璃はパジャマ姿でベッドに入っていたが、びっしょりと汗をかいていた。
「……夢……見て、た…?」
まだ頭がぼんやりとする。頭を押さえ、息を整えていると、「瑠璃?大丈夫?」とドアの向こうから、晴翔の声がした。
「……入ってもいい?」
やや遠慮がちな声がして、ゆっくりとドアが少しだけ開く。伺うようにゆっくりと、晴翔の顔が覗いた。
「……っ!」
晴翔の顔を見た途端、どうした理由か、瑠璃の両目から涙が溢れた。
「瑠璃っ!?」
晴翔は慌てて部屋に入ってきて、瑠璃の側に膝まづく。
「どうした?瑠璃」
「…っ……うぅ……」
瑠璃は、言葉を発することができずに泣きじゃくる。腕で乱暴に涙を拭うが、いくら拭っても、涙は止まらない。
「……瑠璃…」
晴翔は、瑠璃の頭を自分の胸に抱き寄せる。そうして、優しく瑠璃の背中を撫でた。瑠璃はその安心感からか、更に涙が止まらなくなってしまった。
「怖い夢でも見た?」
晴翔は背中を撫でながら、穏やかな声で問う。
「……っうぅ……わ、わかん…ない…」
瑠璃は徐々に落ち着きを取り戻し、やがて涙は止まったが、それでも晴翔の服を握りしめて、そのまま晴翔の胸に顔を埋めていた。
「……ごめん……ハル兄……もうちょっと…」
泣いたせいで、声が掠れて弱々しい。それが何だか幼い子どものようで、晴翔はクスリと笑った。
「フフ……なんか、懐かしいなぁ~。瑠璃、結構泣き虫だったよね……いつもこんなふうに俺が慰めてさ」
「……保育園くらいの時ね」
瑠璃は顔を上げて晴翔を睨む。
「そうだっけ?結構最近まで…グホッ!!」
ゴン!と鈍い音を立て、瑠璃は晴翔の胸に頭突きを食らわせる。
「いったいなぁーもう!……せっかく慰めてあげてるのに……反抗期ですか?」
「うるさい…」
しかし、そうは言いながら瑠璃はまだ晴翔から離れようとしなかった。
「本当に、どうしたの?こんな、甘えて……もしや!これは、俺が見ている夢では?願望が夢に出てきている…的な!」
「……ハル兄……私に甘えられたいとか思ってたわけ?」
瑠璃がパッと離れて、軽蔑した目で晴翔を睨む。晴翔は慌てて首を振って否定する。
「ち、ちがう、ちがう!!…最近の瑠璃、そっけないから寂しいなとは思ってたけど、甘えられたいとかじゃなくて、兄として、頼ってほしいとか、話してほしいとか、そういう意味でっ!」
「……プッ……ふふっ」
顔を赤くして取り乱す晴翔が可笑しくて、瑠璃は吹き出した。笑う瑠璃を見て、晴翔は一瞬驚いた後に、優しく目を細めた。
「よかった。笑ってくれて…」
「……ごめん。心配かけて。もう、大丈夫」
瑠璃もようやく笑顔を向ける。そして、「実はね…」と、先程見た夢の話をする。晴翔は神妙な顔をして聞いていたが、やがて首を捻った。
「その夢と、俺を見て泣いたのとは、どんな関係があるわけ?」
「そこは、分かんない。でも…」
棒のような物を持って何かに向かって行った人影が、晴翔ではないか。だからこそ、夢のなかの瑠璃は、あんなにも止めようとしたのではないかと思った。そのまま晴翔に言うと、晴翔も頷いた。
「それはあるかも……例えば、その棒のような物は紅龍の槍かもしれない。そして、蠢いていたのは牛鬼で、それと戦いに行ったのかも…」
「それなら、舞の練習をしたから、そんな夢を見たのかもね。なぁんだ!大した事ないじゃん」
瑠璃は笑ったが、晴翔は「うーん…」と難しい顔をして黙り込む。
(大した事なくは…ないか…)
瑠璃も、実際には納得していなかった。夢にしては、気持ちがざわめくほどリアルに感じたし、ここ最近見ている悪夢の続きのようにも思う。あまりオカルトめいた話を信じない瑠璃だったが、それでも、予知夢のようなものではないかと、不安になった。
(もし、予知夢だとしたら、ハル兄は…)
牛鬼に、一人で立ち向かってしまうのだろうか。
「……明日は大学休みだから、念のため、和成叔父さんに聞いてみるよ。……大丈夫。きっと、ただの夢さ」
不安そうに顔を顰める瑠璃の頭を、ポンと撫でて晴翔は立ち上がる。
「……ハル兄……もし、牛鬼が復活したりしても、戦いに行ったりしないでよ。いくら神器を継承したって言っても、実戦経験ないんだし、怪我するたけだから…」
「……さて!風邪引かないうちに、早く着替えて寝ろよ〜」
(無視した…)
「ハル兄っ!」
「る〜り〜。下着が透けてるぞ!はしたないから、早く着替えなさい」
ビシッ!と、晴翔は瑠璃を指さした。
「…えっ?」
慌てて自分の体を見てみると、確かに、汗ばんでいるせいで下着が透けて見えていた。顔にカッ!と血が上る。火照って、熱い。
「ハル兄の変態っ!!」
瑠璃は慌てて布団にくるまりながら、咄嗟に、身近にあった枕を晴翔に投げつける。晴翔は笑って枕をキャッチしながら、「変態とは心外な。不可抗力です」とふざけた調子で言った。
「いいから、早く出て行って!」
「はい、はい」
晴翔はポイッと枕を投げて返すと、部屋を出て行った。晴翔が隣の自室に戻った音を聞き届けてから、瑠璃はベッドを出て部屋の明かりをつけ、タンスから着替えを取り出した。
「ハル兄……行かないとは言わなかったな…」
もとから正義感も責任感も強い晴翔は、他人の喧嘩でさえも仲裁に入ってしまうお人好しな一面がある。それも彼の魅力の一つではあるが、そのせいで怪我をしたり、損な役回りになることも多い。もしも本当に牛鬼なんて妖怪がいて、それが復活するなんてことがあれば、継承者として、真っ先に飛び出して行くだろう。そんなとき、自分は果たして、晴翔のように戦いに行けるだろうか。
「……なんて、そんなこと、あるわけないよね」
瑠璃は自分に言い聞かせるように言うと、サッと着替えてベッドに潜り込んだ。
そのあとは、もう夢は見なかった。
次の日の放課後。いつものように晴翔が迎えにやって来ていた。校門の前で複数の女子生徒に囲まれていたが、瑠璃がやってくるとすぐに駆け寄ってきた。
「お疲れ様。体調に、変わりはない?」
「うん。大丈夫」
「早速なんだけど、メールした通り、岩を見に行こう」
晴翔は瑠璃が登校してすぐ、和成のところへ行って、瑠璃の夢の話をした。和成は、封印に何かしらの異変があったのではないかと疑い、瑠璃と含めて三人で確認しに行きたいと言う話になったことを、瑠璃にメールで知らせていたのだった。
「話は分かったけど、ハル兄と叔父さんだけでも確認に行けばよかったんじゃない?」
「そうだけど……夢を見たのは瑠璃だから、瑠璃が見たら、何か感じることもあるかもしれないって」
「ふーん…」
瑠璃はあくまで気乗りがしない態度を貫いたが、岩を確認しに行くのは、妥当な判断だと感じた。
牛鬼を封じた岩がある山は、神社より少し北にあった。その山を越えると隣町になるので、よく町の境界線として認識されている山で、標高はそれ程高くはなく、中腹までは車でも行く事が出来る。割と初級者向けの山で、今の時期は登山者も多い。
二人は和成の車で山の中腹まで登り、そこからは徒歩で山頂を目指した。封印の岩を見に行くツアーもある手前、登山道の整備は抜かりなく、木で階段や手摺りが作られている。ジグザクに進んで行くこと一時間。『双龍伝説の地』と書いた色とりどりの幟や朱色の鳥居が見えてきて、鳥居の脇には社務所が建っている。ここでは御朱印が貰えたり、御守が買えたりする。今は夕方とあって、登山者はまばらだった。
問題の岩は、その更に奥に、ひっそりとあった。直径二メートルほどの大岩で、しめ縄が巻かれている。草地の上にあったが、岩の周りは綺麗に草が刈られていた。手入れをして、清めるという意味合いがあると、瑠璃たちは幼い頃から聞かされており、時々雨宮家の者が交代で、草刈りにやってきていた。瑠璃や晴翔も、何度か草を刈りに来たことがある。
「特に変わった様子はないな…」
和成はぐるりと岩の周りを一周して見て回る。
「うん。三日前にも草刈りに来たけど、そのときのままって気がするな…」晴翔も難しい顔をする。
「やっぱり、なんでもないんじゃない?たまたま稽古に影響されたから、あんな夢を見たんだと思う。ごめんね、二人共。付き合わせて」
瑠璃は明るく言ったが、和成は心配そうに首を傾げた。
「夢って言うのは、我々が思っている以上に不思議なものだと思うんだ。時に自分の心の状態を見せて注意を促したり、知りたいことを教えてくれたり……あるいは、これから起きることを教えてくれたりする……うちだけの話で言えば、神器の継承だってそうだ。次の継承者は夢を見る。だから、継承者である瑠璃の夢は、何かしらの意味を持つんじゃないかと思うんだけどな……瑠璃。本当に何も感じないか?」
「そう言われても…」
瑠璃は岩をあらゆる角度からじっと見てみる。しかし、何も思い浮かばない。試しに触っても見たけれど、ただ、岩特有の冷たさを感じただけだった。
そもそも、この岩が本当に牛鬼を封印しているかすら怪しい。
「やっぱり、分かんないや。暗くなるし、帰ろう」
瑠璃はそう言ってサッと岩に踵を返し、登山道に戻って行った。晴翔と和成はやれやれといった感じで顔を見合わせ、瑠璃に続いた。
「全く……瑠璃はどうして、ああも伝説に無関心なんだろうなぁ〜」
和成が小声で言うと、晴翔も声を潜めて、「あれでも怖がりなんで、きっと信じるのが怖いんだと思います」と言って笑った。
「なるほどな…」
和成はどこか感心したように言う。
「大丈夫。もし、牛鬼が出てきたとしても、俺がなんとかしますよ!」
ニッと歯を見せて笑う晴翔だったが、和成はそれをどこか不安そうに見ていた。「ーー晴翔では、無理かもしれんな……」と、小さく呟く。
「えっ?何か言った?叔父さん」
「い、いいや。何も…」
お読みいただき、ありがとうございました。
科学では証明出来ない不思議なことって、結構転がっていますよね。そんな話が子どもの頃から好きでした。
物語も段々と妖しさが増してきました。少しでも楽しんで頂けたら、嬉しいです。




