4.雲外蒼天
瑠璃はぼんやりと目を開けた。白い天井に、細長い蛍光灯……視線を身の周りに移せば、薄い青色のカーテンに周囲をぐるりと囲まれ、白い柵のついたベッドに寝かされており、これまた白いカバーが掛けられた布団が体に掛かっていた。見慣れた家の様子とは違うことに、瑠璃は徐々に不安になってきた。
「…あ…れ…?」
声を出してみて驚いた。まるで自分の声でないかのように枯れた音をしている……それから、口の中が酷く乾いていた。今声を出したことにより唇が切れでもしたのか、軽く鉄臭い血の味がする。それを意識すると、急激に喉の渇きを思い出した。
(水が飲みたい…)
それで何かないかと首を回していると、枕元に手の平サイズで、中央に押しボタンが一つだけ付いているリモコンの様なものを見つけた。それで瑠璃は、ここがどうやら病院のようだと理解した。
周りは静かだったが、耳を澄ませば足音や話し声がする。蛍光灯の明かりは点いていたが、夜ほど暗くはなかったので、夕方なのかもしれない。
瑠璃は枕元のボタン――恐らくはナースコールであろうボタンを押してみた。なんの音も響かなかったが、さほど間を置かずにバタバタとした足音が近づいてきた。ガラガラと引き戸の開く音がして、サッとカーテンが開いた。看護師だろうか?白い制服に身を包んだ、優しげな顔をした女性が現れた。
「目が覚めたのね。ここは、病院よ。どこか具合が悪いところはない?痛いところは?」
瑠璃は無言で首を横に振る。
「何か欲しいものは?」
「……水…」
瑠璃は疲れているのか話すのが億劫で、失礼だとは思いつつも、単語を話すのがやっとだった。しかしそれで女性は気を悪くする様子はなく、「水ね?すぐに持って来るわ。それから、ご家族の方も呼んで来るから、そのまま待っていて」と笑顔で言った。これにも小さく頷いて見せると、女性は笑顔のまま頷いて離れて行った。
瑠璃はその後また少し眠ってしまったようで、気がついた時には周りは先程より明るくなっていた。しかしそれは太陽の光ではなく、もっと人工的な明るさだった。すぐに蛍光灯の明かりだと気がついて、いつの間にか夜になっていたのだと悟る。
「瑠璃!」
控えめだが、強い調子の声が聞こえてそちらを見ると、顔色の悪い信行と目が合った。泣いていたのか、涙の跡を残した頬に赤い目をしながらも、ホッとしたように笑顔を浮かべている。
「…お…と――ッゲホッゲホッ!」
「すまない!驚かせたか?」
体を起こして話そうとして、瑠璃はむせ込んだ。信行は慌てて布団の中に手を差し入れて、瑠璃の背中を擦る。
「良かった。起きてくれて…」
何を大袈裟なと瑠璃は一瞬思ったが、ふと、自分はどれくらい眠っていたのだろう?と疑問に思った。
「瑠璃は丸一日眠っていたんだぞ。怪我も、軽い火傷程度だったから、疲れたんだろうって先生は言っていたんだが……」
信行の言葉を聞いて、いつ目覚めるのか分からない娘を見守るのは、精神的負担が大きいだろうと瑠璃も察しがついた。
「……水」
瑠璃も話そうと思ったが、自分の喉がカラカラなのを思い出して、むせ込みが落ち着くと周りを見渡した。
「水か?……ほら」
信行がベッドサイドのテーブルに載っていたコップに、ペットボトルの中身を注いで渡してくれる。ペットボトルのラベルは、有名なスポーツドリンクのものだった。
瑠璃が喉を鳴らしながら一気にスポーツドリンクを飲んでいる様子を、信行はホッとした様子で眺めていた。
「……ごちそうさま」
「まだ、たくさんあるからな。ゆっくり飲め」
「うん。ありがとう」
瑠璃が落ち着いたのを見て、信行は瑠璃が意識を失った後からのことを話し始めた。
瑠璃と同じように、陽翔もまた意識を失い病院に運び込まれたこと。自身が炎に包まれていたからか、瑠璃よりも火傷が多かったこと。治療され、念の為入院しているのだが、瑠璃同様にまだ目が覚めていないこと……それらの言葉を聞きながら、父は物凄く心配しただろうと察しがついて、瑠璃は胸が苦しくなった。
「じゃあ、ハル兄はまだ寝てるの?」
「ああ。おまえの隣のベッドだ」
「え?」
瑠璃が驚いて仕切るように引かれていたカーテンを開けると、右隣のベッドに陽翔が横になっているのが目に入った。顔にガーゼが貼ってあったり、腕に包帯が巻かれていたりしたが、顔色は悪くない。
「ハル兄…」
「バイタル的にも、問題はないって言われてるんだがな…」
そう言う信行の目の下には隈が見て取れる。
「お父さん……まさか、寝てないの?」
「二人とも目覚めないし、気が気じゃなくてな…」
「なんか、ごめん…」
「なんで瑠璃が謝るんだ」
信行はふにゃりと笑っては、瑠璃の頭をくしゃりと撫でた。
陽翔が目覚めたのは、翌日の昼だった。全身が筋肉痛のような痛みがあるそうで、体を動かすのが大変なことを除けば、いつもの陽翔だった。
「じゃあ、牛鬼はハル兄が倒しちゃったの?」
すっかり体調が回復した瑠璃は、陽翔のベッド横に椅子を持ってきて座り、父の持ってきた林檎の皮を剥きながら、陽翔の話を聞いていた。
信行は陽翔が目覚めたのを確認した後、瑠璃に強く言われて一旦家に帰り、休んでいる。
「まあ……そういうことになるのかな?俺の前に現れた靄がたぶん牛鬼だったんだと思うし、槍の炎で焼かれて消えちゃったから。――そのあとのことは記憶に無いんだけど…」
「ああ、その後はね――」
瑠璃は、陽翔が槍の力で炎を生み出して雑木林を燃やしていたこと、瑠璃が蒼龍の力で陽翔を止めた事を話した。
「すごいなぁ!流石は継承者だ」
陽翔は大袈裟なまでに感心していて頷いていたが、瑠璃は複雑な表情で俯いた。
「私だけで力を使えた訳じゃないよ。柚希とか楓とか、坂下君とかが応援して、助けてくれたから出来た……それで言うなら、ハル兄のほうが凄いよ。一人で牛鬼と戦って、倒しちゃったんだから…」
「何も凄くなんかないよ。あの時は、とにかく必死だったから……それに、結局力を制御出来ずに操られちゃうし…」
「それでも、ハル兄は凄いよ…」
呟くように瑠璃が言うと、フッと陽翔は笑った。
「だとしたら、それは瑠璃のお陰だよ」
「え?」
「瑠璃を殺すって牛鬼が言ったから、それだけはさせないって強く思ったのが大きかったのかも。だから、瑠璃のお陰」
「……なにそれ…」
そう言って笑う陽翔を直視出来ずに、瑠璃は不貞腐れたように言っては立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ジュースでも買ってくる。……何か要る?」
陽翔の問いに、瑠璃は顔を背けたまま答える。
「いや。俺はいいよ」
「そう」
瑠璃はそのまま陽翔に背を向けて病室を出て行こうとしたが、「瑠璃」と陽翔が呼び止めた。
「……何?」
まだ不貞腐れたフリをしながら瑠璃が振り返ると、陽翔はいつものように爽やかに笑っていた。
「助けてくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」
瑠璃は、はにかみながらも今度は笑顔で応えた。
※
二週間後。瑠璃と陽翔と信行は、三人で神社に訪れていた。三人並んで、拝殿で手を合わせる。改めて龍神への感謝と、無事に牛鬼を倒せたことを報告しようという陽翔の提案だった。
いつもはそういうことを嫌がる瑠璃も、今回の事で思うことがあったようで、二つ返事で付いてきていた。
「結局、舞は続けるんだね…」
初詣や双龍祭の前後にするお参りの時より長く手を合わせた後、瑠璃が疲れたように言った。
あれから、清水を始めとするオカ研のメンバーの調査では、不思議な事件は起きなくなったらしい。和成も邪気を感じないと話していたことから、牛鬼が倒されたのは確実だろうと、雨宮の親戚の間でも話が纏まった。
「まあ、伝承を伝えることも大切だからな。牛鬼が居なくなったとしても、それは変わらないだろ。……なんだ?瑠璃。まだ舞は面倒なのか?」
信行は瑠璃の顔を覗き込む。しかし、瑠璃の表情は穏やかだった。
「ううん。まあ、人前で舞うのに抵抗があるのは変わらないけど……私も、継承者だから」
「そうか……」
そう言う瑠璃を、信行は眩しそうに見やる。今回の出来事で、瑠璃がまた一つ、成長したの感じていた。
「――あのさ。二人とも」
ふと、陽翔が瑠璃と信行に声を掛けた。不思議そうに振り返る二人に、陽翔は固い表情を向ける。
「俺さ……一人暮らしをしてみようかと思うんだ」
「「え?」」
突然の話に、信行も瑠璃も全く同じ反応をした。
「牛鬼に取り憑かれていた時さ、"お前には自分がない"と言われてその通りかもって思った…」
「そんなこと!――」
「瑠璃。今は黙って聞こう」
口を挟もうとした瑠璃を信行が制すると、陽翔は微かに笑った。
「妖怪なんかの言葉を鵜呑みにするわけじゃないけど、百パーセント否定も出来ないなって思って……俺は父さんと瑠璃の本当の家族じゃないから、無意識のうちに二人に嫌われないように良い子を演じてたのかもしれない…」
陽翔の言葉に、信行も瑠璃も難しい顔をして押し黙る。そんな二人の様子を見て、陽翔は慌てて否定するように手を振った。
「ああ、ちがう、ちがう!別に今までが辛かったとか、無理してたとかって訳じゃないよ。二人のことが本当に大切で、力になりたくて自然とやってた事だから……だからこそ、牛鬼の言葉に一瞬でも怯んだ自分が悔しいって言うか……もっと自信を持って俺は俺の好きに生きてるんだって言えるようになりたいなって思ったんだ」
「……それが、どうして一人暮らしをする話になるわけ?」
瑠璃が若干不安そうに言う。
「近すぎると分からないこともあるかなって……少し距離を置いて一人になったら、自分の気持ちがはっきりするかもしれないと思うんだ。だから、ちょっと一人で考えてみたい」
「いいんじゃないか?陽翔ももう子どもじゃないし、良い機会かもな」
「ありがとう」
「……」
頷く信行の隣で、瑠璃は不機嫌そうな顔で黙ったままだ。
「…瑠璃?」
それで不安になった陽翔が窺うように声を掛けると、瑠璃は不意に吹き出した。
「嘘だよ!……良いんじゃない?これでハル兄のシスコンが治るかもしれないし」
「え、シスコン?」
「どうだかなぁ〜?寂しくて余計酷くなるかもしれないぞ?」
「ちょ、ちょっと父さん?」
「えぇ~!まさかハル兄、毎日電話してきたりしないよね?」
「しない!……と思うけど……」
陽翔は言ってから少し悩むようにする。
「そこはちゃんと言い切ってよ〜」
「ごめん……だけど、それなら……俺は瑠璃と父さんのほうが心配だよ」
「え?」
瑠璃がきょとんとする。それを可笑しそうに見ながら、陽翔は顎に指を充てて考え込む。
「掃除、洗濯、料理……二人に任せて平気かなって。見兼ねて叔母さんが助けにくる羽目にならないよね?」
「私だって出来るし!」
「俺だって出来るぞ!」
信行と瑠璃の声が重なる。陽翔は一瞬目を丸くしたものの、すぐに破顔し声を上げて笑い始めた。信行と瑠璃も互いに顔を見合わせて、やがて釣られて笑い出した。
「なんか、楽しそうだな」
そこへ、和成と楓がやって来た。
「母さんが冷やし中華作ったってさ。みんな、食べてくだろ?」
「食べる!」
瑠璃が笑って、楓と一緒に神社の横にある家に向かう。そこは、和成達家族の家だった。
「あ、父さん。ちょっといい?」
それについて行きかけた信行を、陽翔は呼び止める。
「ん?どした?」
陽翔は、拝殿の横にある木陰に信行を招く。
「父さんに、言っとかなくちゃならないことがあって…」
「うん?」
「俺が、一人暮らしをしたいって言い出したもう一つの理由なんだけど…」
陽翔はそこで、言いにくそうに視線を下に向けた。
「――瑠璃か?」
「えっ…」
信行の言葉に弾かれたように顔を上げた。
「陽翔は瑠璃が生まれてからずっと、瑠璃を守ってくれていた。本当におまえは、良い兄だと思うよ。俺は和成に、そんなに世話を焼いてやったことは無い。――ただ、だからこそ、真実を聞かされたら、おまえは悩むんじゃないかとは思っていた」
「流石は父さんだね……うん。確かにその事で少し悩んだ。俺は、瑠璃を妹として大切に守ってきたつもりだった。……でも、実は兄妹じゃないって知ってから、俺ははたして、本当に瑠璃を妹として大切にしていたのかどうか、分からなくなった……ひょっとしたら、異性として見ていた瞬間がなかったかって恐くなって……そうしたら、瑠璃とどうやって話すかまで迷うようになった…」
珍しく暗い顔をして俯く陽翔を、信行はただ黙って見つめる。
「今のまま気不味いのは嫌だ。瑠璃にも余計な気を遣わせそうだし……だから、一旦離れて、答えを探したい」
「おまえの気持ちは、分かった。思うようにやってみろ。俺から言えることは……おまえが望む限り、おまえはいつまでも俺の息子だと言うことだ。それが"養子"であっても、"娘婿"であってもだ。いつまでも家族だ。だから、好きなようにしろ。……まあ、娘婿の場合は、瑠璃の了承がいる訳だがな」
そう言って信行はニッ!と笑う。その言葉を受けて陽翔は目を丸くする。
「……瑠璃と結婚しても……良いの?」
「ああ。陽翔がどういう人間か、俺はよく知っている。おまえになら、瑠璃を幸せに出来るだろう」
「そう…」
陽翔は心なしか嬉しそうに笑った。
(なんだ。答えは見つかっているじゃないか)
信行は内心で苦笑する。気持ちはあるのに今の関係を壊したくなくて、無理矢理、瑠璃を妹として扱おうとしているようだ。きっと瑠璃の反応が怖いのだろう。
(なんにでも積極的な陽翔にしては、珍しいな)
それ程までに、陽翔にとって瑠璃の存在は大きかったということか……。
信行は何となく、瑠璃は陽翔を拒まない気がしていた。最近は年齢のせいもあってか、やや距離を置きがちだったが、もう少し子どもだった頃は、瑠璃は陽翔がどこに行くにもついて行く程に、陽翔が大好きだったのだ。
(来年か、再来年か……)
信行は頭の中で、陽翔が瑠璃と結婚したいと告げる未来を想像した。それはなんだか不思議な心地だったが、けして悪い気分ではなかった。
瑠璃を授かった時、いつか誰かの元へと嫁に出てしまうことを想像して虚しくなった時期はあったが、息子の陽翔が相手ならば、なんの不足もない。この世に、こんな穏やかな気持ちで娘の結婚を見守れる親が他にいるだろうかと考えて、可笑しくなる。
これまでとは関係は変わるものの、また三人で一緒に暮らすことになれば嬉しいなどと、幸福な妄想が止まらない。
「お父さん!ハル兄!何してるの?早く来ないと、麺が伸びちゃうよ!」
あまりに二人が来ないので、見かねた瑠璃が和成の家の玄関から顔を覗かせた。
信行と陽翔は一瞬顔を見合わせて笑い合っては、競うように家に向かって駆け出した。
完
お読み頂きありがとうございます!
これにて、双龍伝説は完結となります。お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
後半から、最初に思っていた内容から二転三転しており苦労しましたが、なんとか年内に書き切ることが出来ました。
拙い文章ですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
2025年も終わりますね。皆様、良いお年をお迎えください。いつかまた、別の作品でお会いしましょう!




