1.陽翔と瑠璃
「私達が死んだら、あやつは誰が倒すのでしょう?」
「あやつを呼んだのは人の子だ。だから、あやつを止めるのもまた、人の子だろう。我らを呼んだのも、また人の子であったように…」
「……そうかもしれませんね……」
「見守ろう。人の子は神に選ばれた支配者だ。我らに出来るのは、手助けのみ」
――暗闇だった。他に何も無いかのような深い闇。しかし、そこに唐突に赤い色が混じる。パチパチと、何かが爆ぜる音がする――赤い色の正体は、燃え盛る炎だった。炎の勢いは更に増して、暗闇を明るく照らす。やがて暗闇の中に、壊れて瓦礫と化した建物が見えた。
(……熱い…苦しい……)
グオォオオォォオオー!!
炎は更に勢いを増して迫る。炎と共に、まるで地の底から響いてくるかのような、太く大きな咆哮が響く。
(行かなくちゃ!)ーー
「っ!!」
瑠璃|は、ベッドから勢いよく起き上がる。パジャマが体に張り付くほどの汗をかいていた。何度か荒い呼吸を繰り返す。
(まただ……)
このところ瑠璃はよく、悪夢とも取れる夢を見ていた。夢の中ではいつも、瑠璃は焦っていた。とにかく急がなければ、と。それが、何なのかは分からない。いつも同じところで目が覚める。ここ1ヶ月、ほとんど毎日見ていて、瑠璃は最近寝不足だった。
「ほんと、なんなのよ…」
乱れた髪を掻き上げて、ベッドサイドの時計に目を向ける。六時十五分。起きるにはまだ早いが、再び眠れる気がしなかったので、起き上がって着替えた。
脱いだパジャマを持って部屋を出て階段を降り、洗面所脇の洗濯機にパジャマを放り込む。そうして顔を洗おうとすると、
「瑠璃?今日は早いね。野球部の朝練とか、あったっけ?」
ニつ年上の兄の陽翔がやってきた。
「…ううん。ちょっと早く起きちゃっただけ。それに今は、助っ人に呼ばれたりしてない」
瑠璃は高校二年生。特定の部活に入ってはいないが、昔から運動神経が良く、助っ人として、度々運動部に呼ばれていた。
「顔色悪いよ。大丈夫?」
晴翔は自然と瑠璃の頬に手を伸ばし、瑠璃の長く真っ直ぐな黒髪を掬い上げて瑠璃の耳にかけ、頬に触れた。瑠璃はむっとして晴翔の手を邪険に払い除ける。
「大丈夫。……てか、こういうの止めなよ」
「ん?こういうのって?」
晴翔は心底分からないと言う顔で首を傾げる。瑠璃はため息をついて、
「私の髪を触ったりとか、そういうの」
「えっ?なんで?」
「シスコンっぽいでしよ。また彼女に怒られるよ」
晴翔は一瞬ポカンとしたが、やがてにっこり笑う。
「それならご心配なく。……昨日、別れました」
「はぁ~…」
晴翔は男女ともに人気が高く、望めば恋人もすぐ出来たが、付き合っても長続きしない。大抵彼女のほうから別れを告げられる。その理由は、瑠璃への関わり方だった。基本誰に対しても面倒見が良くて優しいのだが、瑠璃への気遣いは時に、彼女よりも瑠璃を大切にしているような錯覚を起こさせる……というか、本当に瑠璃のほうが大事なのだ。学校への送り迎えは当たり前、毎日お弁当を作る、デートに出かけても夕飯には戻って夕飯を作る……という有り様。
「そんなんじゃ、いつまでも結婚出来ないよ」
「……まあ、それならそれで、しょうがないかな…」
「良くないよ。余計に私にばかり構うようになるでしょ。そして、私にも彼氏が出来ない」
「そんなに普通の兄らしくないのかな?俺…」
晴翔はなおも首を傾げる。瑠璃はそれ以上は答えずに顔を洗うと、リビングに向かった。リビングのソファーには、父親が座っている。既に朝食を済ませ、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「父さん。おはよう」
「お、瑠璃。おはよう。今日は早いな」
「うん。なんか早く起きちゃった。……それより聞いた?ハル兄の話」
「ん?」
「また彼女に振られたんだってさ」
瑠璃の言葉に、父は破顔する。
「またか!全く……今回はどれくらい続いたんだったか…」
「三ヶ月〜」
父の問いに晴翔がのんびり答えながらやってきて、やがてキッチンで朝食を作り始めた。
「う~む……晴翔はなかなか男前だと思うんだが、やっぱりなぁー……」
父は唸り、瑠璃と目を合わせる。瑠璃は父に頷いて見せて、
「そうね。なんか、"お母さん"って感じだもんね」
「そうそう」
「えっ?なんか言った?」
フライパンで目玉焼きを作る晴翔が後ろの二人を振り返るが、「なんでもない」と、父と瑠璃の声が重なった。晴翔は訝しげに二人を見たが、結局調理に集中した。そして、
「父さん。そんなにのんびりしてていいの?今日は早めに出勤するって言ってなかった?」
カレンダーに書いてある予定を見ながら、言う。
「おっと!そうだった!」
父は慌てて立ち上がり、スーツの上着を着ると、鞄を持った。
「ほら!お弁当!…家の鍵と車の鍵は?財布持った?携帯は?」
晴翔がいちいち確認し、父の持ち物が揃っているのを見て、「いってらっしゃい!」と送り出した。
その一連の動きを見て、瑠璃は、
(うん。やっぱり、お母さんだ)
と、ひとりごちた。
瑠璃には母親が居なかった。瑠璃を産んですぐに亡くなってしまい、そのことが晴翔の兄としての自覚を早くに確立させたのか、五歳の頃から父親を手伝い始め、今では家の誰よりも家事が得意だった。瑠璃は"お母さん"が分からなかったが、テレビや漫画や友達の話から推測するに、晴翔のしてくれることが、兄よりもむしろ母のようだと感じていた。
「ほら。瑠璃もご飯食べよ」
そう言って、晴翔は自分の分と瑠璃の分の食事をテーブルに並べた。二人揃って「いただきます」と手を合わせる。
「……ところで、本当に大丈夫?何もない?」
「しつこいな…」
「だって……やっぱり顔色が悪いよ。今日だけじゃなくて、最近」
「……変な夢を見るだけだよ。それでたまに寝不足になる」
「どんな夢?」
「暗くて、建物が燃えてて……私は急がないとって焦ってる……そんな夢。何度か見てるんだよね」
「うーん……なんだろう?夢占いとかになんかないかな?」
晴翔はスマホを取り出し、調べ出した。
「私も調べたけど、ヒットしなかった」
「そう……あ、でも、もしかしたら……"双龍"に関係あるとか?」
双龍とは、文字通り二頭の龍のことだ。炎を司る紅龍と、水を司る蒼龍の双子の龍で、大昔、平安の頃、この土地に現れた牛鬼という妖怪を倒す為に人に力を貸した。牛鬼を倒すまではいかなかったが、封印をすることは出来た。その戦いで二頭は命を落とすが、代わりに、雨宮家に紅龍の力が宿った矛と、蒼龍の力が宿った扇を残した。もしまた牛鬼が復活しても、対処できるように。そして、その矛と扇は、晴翔と瑠璃の家系で代々管理しており、使い方も継承されてきた。晴翔と瑠璃は毎年、この町の神社で行われる祭の場で、伝承を伝える一環として、矛と扇を使った舞を披露している。
「まさか。だいたい、あんなのおとぎ話でしょ。龍も妖怪も、居るわけないじゃない」
「でも、牛鬼が封印された岩は、実際にあるんだよ?」
牛鬼の封印された岩は、山の頂にしめ縄をされて存在していた。現代はツアーを組んで観に行くなんてことも行われている。
「あんなの、観光の目玉にしようとそれっぽい岩にしめ縄巻いただけでしょ」
「夢がないなぁ〜。それが伝承を受け継ぐ、雨宮の娘が言うことですか…」
「むしろまともに信じてる雨宮家のほうが変だって。もし仮に牛鬼が封印されていたとして、千年も出てきてないなら、もう復活出来ないんじゃない?」
「そうかもしれないけど……でも、俺も瑠璃も、神器を継承するとき、龍の夢を見たでしょ?あれは、どうなのさ」
神器の矛と扇は人を選ぶ。継承するものは、受け継ぐものによって、紅龍か、蒼龍の夢を見る。継承者だった祖父と、祖父の弟が亡くなったあと、晴翔は十歳の時に紅龍の、瑠璃も同じく十歳の時に蒼龍の夢を見たため、継承者になった。
「それは……分からないけど……たぶん、あれよ。お祖父ちゃんが死んじゃったって聞いて、意識してたから見たのよ」
「あくまでケチをつけるんだね」
「ハル兄こそ、なんで信じてるの?」
「それは……信じたいっていうのが本音かな」
「信じたい?なんで?」
瑠璃が聞くと、晴翔は何故か答えにくそうに視線を彷徨わせながら、アップバングの茶色い髪を掻き上げる。
「え~っと……守りたいものがあるから……かな。使える力は欲しいっていうか…」
「守りたいもの?」
「ああ!もう!なんでもない!はい!この話は終わりっ!」
晴翔は急に話を切り上げると、食器を片付け始めた。瑠璃もそれ以上は追求せず、自分の食器も片付けた。
瑠璃の通う高校は、家から歩いても十五分ほどの距離にある。どこにでもあるいわゆる進学校だが、制服がおしゃれなことで、この辺りでは人気の高い学校だった。女子は紺のブレザー、青と紺のチェックのスカート。スカートと同じ柄のリボンか、ネクタイ。男子は、紺のブレザー、グレーのズボン、青と紺のチェックのネクタイという一見ありふれた形なのだが、去年、晴翔の友人だった当時の生徒会長の思いつきで、晴翔と瑠璃が学校のPRポスターに載ったことがあり、その時の二人のビジュアルがあまりに良かったことで一気に人気になったのだった。スラリと背が高く、優しげな顔立ちで人懐っこい印象の晴翔と、凛として近付き難いクールな雰囲気の美少女の瑠璃……兄妹揃って、"初恋泥棒"の異名を持っていて、晴翔と瑠璃が登校すると必ず人だかりが出来る。まるで芸能人のような扱いだ。
今日もそんな生徒の人だかりに晴翔がそれなりに応えている間に、瑠璃は校舎に入る。晴翔は、「じゃあ、帰り迎えに来るからね!」と、瑠璃に笑顔で手を振った。瑠璃はそれに応えずに教室に向かう。
「瑠璃は相変わらず冷たいねー。晴翔さんかわいそ~」
そんな瑠璃を追って、一人の女子生徒がやってきた。瑠璃の幼い頃からの友人で同級生の、畑山 柚希だった。小柄で丸い瞳が印象的な少女で、軽く癖のあるツインテールも相まって、年齢より幼く見える。瑠璃は苦い笑みを零す。
「仕方ないでしょ。あのシスコンを少しは治さないと、ハル兄、彼女出来ないと思うし…」
「それは同感だけど、瑠璃こそ、晴翔さんが彼女さん一筋になっちゃったら、困るんじゃない?」
「え?」
「小さい頃はいつだって晴翔さんにくっついて歩いてたじゃない。瑠璃こそブラコンでしょ」
「それは小さい時の話でしょ!今はそんなんじゃない」
ついムキになって言い返す瑠璃を、柚希はニヤニヤしながら見ていた。
「そう?じゃあ、私が晴翔さんと付き合っちゃおっかなぁー」
「いいんじゃない?柚希のことなら、ハル兄もよく知ってるし。柚希の底抜けに明るい感じ、ハル兄に似てるから、気が合うんじゃないかな」
瑠璃は淡々と言いながら席につくと、教科書を机にしまい始めた。柚希はそんな瑠璃の隣の席に着きながら、慌てた。
「ちょっと!冗談だってば!私が、あなた達の間に入れるわけないじゃない!」
「私は気にしないよ。むしろ、柚希なら安心して任せられる」
「そうかもしれないけど……でも、私は、二人に幸せになってほしいんだよ」
「どういうこと?」
瑠璃の追求に、柚希は辛そうに顔を歪める。
「……二人が、兄妹じゃなかったらよかったのにな…」
柚希の言葉に、瑠璃は一瞬固まった。
「ごめん!なんでもないから、忘れて!」
柚希は慌てて話を切り、自分も教科書を机に仕舞い始めた。
晴翔と瑠璃は、似ていない兄妹だと言われてきた。主に晴翔が、父とも、写真に写る母とも似ていなかった。小学生の頃はそれで兄が同級生にからかわれたこともあって、瑠璃は怒りで兄の同級生を殴ってしまい、父が学校に呼ばれる騒ぎになったこともある。その時の晴翔は、普段の明るさが嘘のように静かだった。瑠璃は謝る気はなかったし、父も「晴翔は間違いなくうちの息子です!」と珍しく怒っていた。結局話し合いの末、からかった同級生が謝ることになり、次の日にはいつもの晴翔に戻っていたが、この問題は晴翔の中で大きな傷になっているであろうことは、容易に想像が出来た。だからこそ、晴翔は"良い兄"でいることで、家に居場所を作ろうと必死になっているのではないかと瑠璃は思っていた。
(誰がなんと言ったって、ハル兄は大事な家族だよ…)
恥ずかしくて本人に言ったことはないが、瑠璃は心からそう思っていた。
やがてチャイムが鳴って、担任が教室に入ってきた。体育担当の杉村という男性教師で、晴翔が在学中に入っていたバスケ部の顧問だった。
「お~い、席につけ〜」
気怠げに教卓についた杉村は、背後を振り返る。
「今日は転校生を紹介するぞ。……ほら、自己紹介」
長めの髪をセンターで分けて、中肉中背で自信が無さ気に背中を丸めた男子だった。
「……坂下……研吾です……よろしく」
イメージ通り、おどおどした自己紹介だった。
「雨宮」
杉村に呼ばれて、瑠璃は立ち上がる。
「学級委員長の雨宮 瑠璃です。分からないことがあれば聞いて下さい」と自己紹介して会釈する。坂下も一拍遅れて「……どうも」と会釈した。
「席は雨宮の後ろだ」
言われて坂下は席に着いた。
(大人しそうな子だな…いじめられたりしなきゃいいけど……)
瑠璃は休み時間には校内を案内してあげようと思ったのだった。
午前の授業は滞りなく進み、昼休みになった。柚希と教室で昼食を食べた瑠璃は、坂下に声をかけた。
「坂下君」
「…!は、はい?」
坂下は驚いて飛び上がった。
「驚きすぎでしょ…」
柚希がクスリと笑う。
「よかったら校内を案内しようと思うんだけど、どうかな?」
「え…あ、あの…」
「迷惑だったらいいけど」
「いえ!…う、嬉しい…です」
瑠璃は坂下を伴って廊下に出た。周りの視線が、二人に集まる。学校のマドンナ的な存在の瑠璃が男子と二人で歩いているのだ。目立たない訳がないのだが、瑠璃は慣れているためその辺りの配慮がなかった。瑠璃は気にせず要所を説明して歩くが、その後ろを歩く坂下は、返事はすれど、生きた心地がしなかった。坂下の反応があまりにも単調なので、瑠璃は訝しんで後ろを振り返った。
「具合でも悪い?」
「……いや……そういうわけじゃ……」
さすがになんと言ってよいか分からず坂下は固まる。そこへ、
「ちょっと瑠璃!坂下君困ってるじゃない」
柚希が現れて瑠璃を軽く睨む。
「えっ?困ってる?」
キョトンとする瑠璃を見て、柚希は大袈裟なため息をついた。
「いつも言ってるけど、瑠璃は目立つの!注目の的なの!だから隣にいる人は萎縮しちゃうのよ」
そこまで言われてようやく気付いたように瑠璃は「ああ」と声を漏らす。
「ごめん。みんなが見てくるのに慣れちゃってた」
「いえ……」
「しょうがないから私が、ついて行ってあげるよ」
柚希が加わったことで幾分か注目度は下がり、坂下は、ホッと息をついた。
放課後、瑠璃と柚希が帰ろうと玄関に向かっていると、
「畑山さん!……あ、雨宮さんっ!」
控えめに声が掛り、振り返れば坂下が立っていた。
「どうしたの?坂っち」
少し話して慣れてくるとすぐにあだ名をつけたがる柚希は、坂下にさっそくあだ名をつけていた。坂下もそれを嫌がるふうでもなかったためそのまま定着していた。
坂下は目線を彷徨わせながらも二人に何かを差し出した。
「あ、校売に売ってるプリンだ!」
柚希が嬉しそうに言った。
「…校内を案内してくれたお礼です……じゃ、じゃあ、また明日」
坂下は恥ずかしそうに顔を伏せながら言うと、早々と帰って行った。
「坂っち、案外いい奴だね!」
「そうだね」
二人が笑い合って校舎を出ると、
「あ、瑠璃!柚希ちゃんも、お疲れ様」
晴翔が、校門で手を振っていた。
「ハル兄…」
「お疲れ様です!」
三人は並んで家路を行く。学校での様子など、他愛もない会話を楽しむ。
「そういえば、そろそろ祭の時期ですよね?いつもの舞、今年も舞うんですか?」
柚希が思い出したように言った。それに晴翔は微笑み、瑠璃はげんなりとする。
「もちろん!今日もこれから神社で舞の練習だよ」
「面倒だけどね…」
「えー!瑠璃の舞、私は好きだなぁ~。扇子で優雅に舞っててさ、ほんとに綺麗だよ!やっぱり扇子の舞は、女の人がやるといい雰囲気だもん。今年も楽しみにしてるんだから!」
柚希は瑠璃の服の裾を掴んで引っ張る。
「わかったよ…ちゃんとやるから」
瑠璃はなんとか柚希を引き剥がして、ため息をつく。そうしている間に、分かれ道に差し掛かった。
「じゃあ、また明日!瑠璃、ちゃんと練習するんだよ!晴翔さん、さようなら!」
「はい。さようなら〜」
柚希が走り去って行くと、晴翔がクスッと笑う。「柚希ちゃんは、ほんとにいつも元気だよね」
「そうだね…」
「瑠璃も、もっと素直になればいいのになぁ」
「私、いつも素直だけど?」
「そう?なんか最近は特に、俺と距離を置こうとしてない?」
「気のせいでしょ」
瑠璃はプイッとそっぽを向く。そういう時は大抵、本心を言わない時だと、晴翔は理解していた。
「まあ、いいけどさ…」
それで諦めたように呟いた。瑠璃はそんな晴翔の横顔をちらりと見ながら、「言える訳無いでしょ…」と小さく呟いた。
晴翔と瑠璃は、家に寄って支度を済ませ、家から歩いて三十分程ある神社に向かった。二人は幼い頃から、初詣とは別に、何度も通う機会があった。それは双龍の伝記を伝える者として、代々雨宮家に受け継がれてきた役割として、神社主催の夏祭りで、双龍の遺した矛と扇を使った舞を披露することになっているので、その練習をするためだ。それは伝記を伝える意味もあるが、牛鬼の封印を強める意図もあるのだという。雨宮家の人間なら誰でも舞えるが、実際に祭で舞うのは継承者の二人で、今は晴翔と瑠璃がその役目を担っている。
「たまには別の人がやってもよくない?楓とか…」
瑠璃はふて腐れたような顔で言う。
「やっぱり、継承者じゃなきゃだめなんだろうさ。まあ……楓なら喜んで舞ってくれそうだけど、替わるとしたら瑠璃のほうじゃなくて、俺のほうじゃない?」
「え?」
「楓、瑠璃のこと大好きだから、瑠璃と一緒に舞いたいって言うかもよ?」
「ああ、そっか…」
楓とは、二人の従弟にあたる少年だ。瑠璃より三つ年下で中学生だった。
「そんなに舞うのが嫌なの?」
「嫌っていうか、なんか胡散臭くて…」
「しょうがないじゃないか。継承者になっちゃったんだし…」
「ハァー…」
「ため息つかない!」
ポン、ポンと晴翔は瑠璃の肩を笑いながら叩くと、意気揚々と神社に入っていった。
「おっ。二人共、いらっしゃい」
二人が中に入ると、柔和な笑顔を浮かべた男が声をかけてきた。
「叔父さん。お疲れ様〜!」
晴翔が親しげに挨拶をする。
彼は二人の叔父で、雨宮 和成。楓の父親だった。神社で神職をしていて、今日は二人の舞の稽古をつけてくれることになっていた。
「いらっしゃい。二人共忙しいのにごめんね。毎年のことだから、本当は稽古なんて要らないんだろうけど、年に一度の厳粛な儀式だし、一応ね」
そう言って和成は、本殿に隣接する道場に、二人を案内する。普段は剣道場として使われていて、晴翔も中学まではここで剣道を習っていた。今日は二人の舞の稽古がある為、剣道部は休みになっている。
幼い頃からの慣習とは不思議なもので、晴翔も瑠璃も、道場に足を踏み入れた途端に、それまでとは打って変わって、引き締まった表情に変わった。
道場の床間の上に、槍と扇が置いてある。実際の神器を模したもので、刃は入っていないが、実物とさして変わらない、演劇などで使う小道具だった。
「早速だけど、一度通しでやってみようか」
和成の声かけで二人は武器を構え、二人の準備が整うと、和成は側に置いていたラジカセの再生ボタンを押した。ラジカセから、和楽器を主旋律とした、低く、重い音色が流れ出す。そのゆっくりと不安を煽るような旋律が一分程流れる間に、語り部が伝承を朗読することになっている。今は和成が、よく通る声で、厳かに語っている。
ーーその昔、人の栄たるを恨めしく思った牛鬼という妖かしが、妖術をもって作物を枯らし、川を堰き止め、家畜に疫病をもたらした。
人々は古来より土地神と崇めていた龍神に助けを求めた。すると水の力を操る蒼龍と、火の力を操る紅龍の二頭の龍が、龍神の使いとして下界へ下り、牛鬼に立ち向かった。ーー
ここで旋律は、テンポが速く力強いものに変化し、晴翔が槍を激しく回しながら、道場中央に躍り出た。棒術のように槍を回転させては持ち替えたり、シュッと音が鳴るほどの速さで前へ突き出したり、荒々しい動きを繰り返す。
ーー紅龍は火の烈しさを持って牛鬼を追い詰める。しかし、それだけでは大地を荒らすばかりで、止めを刺すには至らなかった。そこで蒼龍は、水の力で荒れた大地に潤いを与え、大地の力を蘇らせる。ーー
曲調が一度緩やかなものに変化し、このタイミングで、瑠璃が晴翔に替わって中央で舞い始める。両手に扇を持ち、頭上に扇を構えてはサッと開き、また閉じては、腰の位置まで手を下ろしてから開いたりを繰り返しながら、右へ左へ緩やかに、しかしどこか力強く動きながら、時に両手を広げて回転する。舞う度に瑠璃の髪が波のように揺れ、瑠璃の凛とした表情も相まって、どこか浮世離れした美しさを感じる舞だった。
(綺麗だな…)
我が妹ながら、晴翔は思わず息を止めて見入っていた。
ーー蒼龍の力で大地は力を取り戻し、大地は二頭の龍に力を与えた。
大地の力は個人に与えるものでなし。幾星霜、万物の全てに与わるものなり。
二頭の龍が力を合わせるとき、黎明の光が辺りを照らし、牛鬼を物言わぬ岩へと変貌させた。ーー
ここで晴翔は再び舞い始めたが、先程の荒々しささは消え、瑠璃の舞に合わせるように、同じテンポで舞う。二人は近づいたり離れたりしながら、大きく円を描くように舞う。やがて曲が一層激しさをまして、クライマックスを想起させると、
ーー我らは双龍と共にこれを語り継ぎ、龍神への感謝と、永遠の平穏を子々孫々に至るまで守り続けると、ここに誓うものなり。ーー
語りの終わりに合わせるように、舞う二人の動きがピタリと止まる。二人が真っ直ぐに前を見つめると、一際高い音色の笛が鳴り響き、和太鼓がドドン!と鳴って、曲が終わった。
「うん!いいよ、二人共。強いて言うなら……」
そのあと、和成による細かい演舞指導を受けながら何度か練習し、終わる頃には十八時をまわっていた。
二人はその後、ほとんど無言で家路についていた。
「そういえば……学校の玄関先にいた男の子は誰?見たことない子だと思うんだけど…」
(良く見てるな…)
またいつもの過保護ぶりが発揮されている様子の晴翔に、瑠璃は軽く溜息をついた。『自分はすぐ彼女を作るくせに、私に近づく男の子がいると警戒するんだ』という言葉を寸前のところで飲み込む。
「あれは、転校生」
「転校生?学期途中に珍しいね。どんな子?」
「大人しい感じの男の子。まあ、休み時間に校舎案内したら、お礼にってプリンくれたし、いい子なんじゃないかな」
「ふーん」
晴翔の返事が、普段の彼にしては少し素っ気ない。あまりにも分かりやすい反応に、瑠璃は晴翔を見つめた。「ん?何?」と、それに気づいて晴翔は首を傾げる。瑠璃は「なんでもない」と言うに留めた。
(男の子の話をした途端これだ……これじゃあ、当分、シスコンは治りそうにないな…)
「そういえば、今日の晩ごはんは何?」
瑠璃が話題を変えると、晴翔はニッと笑う。
「瑠璃の好きな、ハンバーグ!面倒な稽古にちゃんと参加したご褒美だよ」
「……ありがと」
「あれ?照れてるの?声が小さいよ〜」
「うるさいっ!」
バシッと瑠璃は晴翔の背中を叩く。「いてっ!」と軽く跳び上がりながらも、晴翔は笑っている。
「お礼はちゃんと言わなきゃダメですよ~。はい、もう一回!"ありがとう!お兄ちゃん!"って言ってごらん」
「言わないっ!」
「え〜」
瑠璃はスタスタと速歩きで家路を急ぐ。晴翔は軽くため息をついて、瑠璃を追いかけた。
お読みいただき、ありがとうございます。
龍とか妖怪とか、自分が好きな設定を盛り込んでいます。専門知識に欠けるところがあるかとは思いますが、温かい目で見守って下さると幸いです。
宜しければ、評価やコメントをして下さると励みになります。