この世を制するのは力ですよ? ~人間界を追われたパワー系令嬢、最強の脳筋一家と出会う~
パワー系に挑戦しました。
「ヴァルキリア・サーベルランス、貴様との婚約は破棄させてもらう」
夜会の最中、十年来の婚約者であるアデル・レインエア子爵令息は、そう言い放った。瞬間、私の手の中でグラスが砕け散る。
「な、何をする! その腕力を見せつけ、我々を脅しているつもりなのか?」
「い、いえ、私は脅してなど……」
そう。これは決してわざとでない。あまりの衝撃に、ついグラスを強く握ってしまったという、本当にそれだけなのだ。
しかし彼は、おぞましいものを見る目を私に向けたまま、隣にいた令嬢の肩を抱き寄せた。いや……ずっと気になっていたんだが、そもそもその令嬢は誰だ? 誰なんだ?
「婚約破棄された途端、暴力に訴えようとするだなんて……。私、怖いです……」
令嬢は肩を震わせる。
「エマの言う通りだ。まったく、貴様は昔から変わらないのだな」
「し、しかしアデル殿は、私の強いところが好きだと、ずっと言ってくださっていたではありませんか……!」
「そんなもの噓に決まっているだろう? 貴様のように力しか能のない女など、好きになるはずがない。貴様などを気に入る物好きがいるのなら、ぜひお目にかかりたいものだな」
見下したように笑う二人を前に、私は呆然と立ち尽くした。しかし、これも仕方ないことなのだ。
「分かりました。謹んで婚約破棄をお受けいたします」
私は微笑みを浮かべ、場を立ち去った。
その後、屋敷に戻るや否や、
「アデル殿からの婚約破棄の件、つつがなく了承したのだろうな?」
と、父はさも当然のように言った。
「まあ、お前も心労を受けただろう。しばらく領地で休養するといい。家のことはもう何も気にかけるな。分かったら、明日の朝にでも出発しろ」
父は母の腕の中の赤ん坊を撫でている。その赤ん坊こそ、サーベルランス家次代当主であり、生まれて間もない私の弟だった。
「お気遣いいただきありがとうございます」
私は微笑んだ。
かくして、婚約を破棄された私は、王都の屋敷からも追い出されるに至ったのだ。
*
サーベルランス子爵家は、代々続く騎士の家である。よって、当代サーベルランス子爵も、当然息子に騎士職と家督を継がせるつもりだった。それなのに、いったい何の運命のいたずらか。子爵と夫人の間に生まれたのは、五人連続、全て女だった。
年齢のことを考えても、おそらく次はない。これが最後のチャンスである。祈りと恐怖を一身に受けて生まれてきた六人目は——やはり女だった。苦肉の策として、子爵はその末娘に騎士職を継がせることにした。レインエア子爵家の四男坊を婿入りさせる話は、この時決まったことである。
かくして、サーベルランスの末娘は、令嬢としてのたしなみの代わりに、剣や弓、体術、馬術ばかりを仕込まれ、成長していくこととなった。そして十八年。末娘は完全なるパワー系に成り果てていた。
しかし、またもや何の運命のいたずらか。夫人が身ごもった。なぜ今更? 誰もがそう思った。本当に馬鹿げた話だった。さらに馬鹿げたことには、第七子は、あれほどまでに待望された男児だったのだ。
家の中の空気は一変した。後継者は長男だ。結果、用済みになった末娘は、速やかに処分されることになった。と、もうお分かりだろうが、その末娘こそが、私——ヴァルキリア・サーベルランスである。
*
さて、あれから私は、領地にある屋敷で生活することとなった。屋敷の使用人らは、あからさまに冷淡な対応だが、まあ仕方ない。用無し令嬢にこびへつらっても、何の得もないのだから。
だが、ただ屋敷に引きこもっているわけにはいかない。少しでも役に立たねば。で、何ができるかと考えたところ、パワーしかない、と思った。私は自分の持てるパワーを使い、岩を粉砕したり、荷馬車を持ち上げたり、何かとやってみた。
結果、
「うわあああ! 化け物が来たぞおお!」
「ママー、怖いよー!」
「逃げろ! 逃げるんだ!」
私がひとたび街に現れると、人々は建物の中に駆け込み、扉と窓を固く閉ざすようになった。私は震えた。あれ? もう私、人間として生きるの無理なんじゃないか?
「野生に帰るか……」
私はそう呟いた。
*
その日の夜、私は領地の外れにある山にたどり着いた。屋敷には武者修行のために山にこもると書置きした。山には危険な獣が多数潜んでいるため、人々は滅多に近寄らないのだ。
さて、到着早々、獣たちがよそ者の私を排除すべく襲い掛かってきた。だが、果たしてどちらが強いのか、「分からせ」なければ。私は襲い掛かる動物たちを「分からせ」続けた。私は向かうところ敵なしだった。最後、それなりの犬が出てきたが、顔面に一発決めたところ、きゃんと鳴いて逃げ去っていった。
その後、私にかかってくるものはいなくなった。彼らは完全に服従し、果てには果物や木の実を貢ぎ始めた。いやー、いいな。強さだけが支配する世界、野生。私のいるべき場所はここだった!
と、野生ライフを満喫していた、そんなある日のこと。なんだか山が騒がしいと思って出向くと、小さな子供が熊に襲われているのを発見した。
「まあまあ、落ち着けって」
私はすかさず間に入り込み、熊を落ち着かせようと試みた。しかし、熊は話を聞こうとしない。うーん、これはかなり盛り上がっちゃってるな。よし。こうなったら仕方ない。
「ほら、落ち着け」
一発頬をびんたしたところ、熊は、すん、とした。
「とりあえず、今日はもう帰れ。分かったな」
熊は素直に頷き、そして去っていった。
「さあ、これでもう大丈夫だ」
私は子供の方を振り向く。八つくらいのかわいらしい少女。彼女はまだ震えている。なぜだ? 熊はもういないから、安心していいはずなのに。私は考え、そして結論を出した。
いや、熊より私の方が怖いだろ! 化け物が一匹消えて、よりやばめな化け物が現れただけだよな、この状況!
どうしよう。完全に怖がらせてしまっている。非常に由々しき事態だ。このままでは、私、人間に仇なす害獣として駆除されてしまうのでは?
少女はいよいよ握った拳を震わせる。うわああ、ついに泣くか——
「何という強さなのだ!」
あれ? この子、目がきらっきらだぞ?
「凄い! 凄いぞ! なあ、お前はいったい何者なのだ⁉ どうやったらそんな風になれるん……」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。そっちこそいったい何なんだ? 何をしにここに来た?」
一気にまくし立てられ、私は困惑する。
「私はリシェルティア。この山の主を倒しに来た。強いと噂の主を倒せば、奴も私を認めるかと思ってな」
「山の主? ここでそんな強いやつに会ったことはないぞ。敢えて言うなら、ちょっと大きめの犬が一ぴ……」
「いや、それが主だ。ついでに、犬ではない。狼だ」
「え……」
「で、倒したのか?」
「……まあ」
「なるほど。となると、お前が新たな山の支配者ということか」
私は戦慄した。いつの間にか、私は山の主になっていたらしい。このままでは、今度こそ駆除——
「あはは、お前、最高だな!」
しかし、少女は腹を抱えて笑い始める。
「気に入った! なあ、お前、私の師匠にならないか⁉」
このちびっ子は何を言い出すんだろう。というか、さっきからやけに尊大だな、この子。
「悪いが、私は人間界と決別した身。これからは野生で生きていく……」
「頼む! お前の強さは本物だ! 私が今まで出会った中で一番かっこいい! 私もお前のようになりたいのだ! どうか私にお前の強さを伝授してくれ!」
な……! 私をここまでほめてくれるだと⁉
「よし、任せろ! 私が君を育ててやろう!」
私は物凄くちょろかった。かくして、私の生活に謎の少女——リシェルティアが加わることになったのだ。
「君はどうして強くなんてなりたいんだ?」
とりあえず素振りをさせながら、私はそう尋ねた。
「この世を制するのは力だからだ」
リシェルティアは平然とそう言った。え? この子、こう見えて脳筋なのか?
「……君、物凄くやばい思想を持ってるんだな」
「やばい思想などではない。これは我が家に伝わる家訓なのだ」
うーん、余計にやばいな。この子のことは、あんまり勘繰らない方が良さそうだ。
「とにかく、私は強くなりたい。それなのに、奴はそれを阻止してくる。奴をぎゃふんと言わせるためにも、私は奴より強くなってやるのだ。ヴァルキリアみたいにな!」
リシェルティアはまた目を輝かせる。本気の憧れの眼差しだ。そんな目で見られるのは初めてで、なんだか不思議な気持ちがする。だけど、決して嫌ではなかった。
*
それから十日ほどたったある日。弓の弦がだめになってきたので、リシェルティアがやってくる前に、私は修理のため屋敷に戻った。
屋敷の中を歩いていると、
「ヴァルキリア様も可哀想ですよね」
と、ふいに侍女の声が耳に飛び込んだ。
「これまでの人生を無駄にして、これからの人生も棒に振ったんですから」
「旦那様は休養とおっしゃりましたが、もう中央に呼び戻すことなどないに決まってますよ。馬鹿力しか能のない娘など、今となってはもう恥さらしでしかないですもん」
「それなのに、また山にこもって鍛錬だとか。いい加減に気付いた方がいいのに」
「教えて差し上げたら? せいぜい今から女らしくなさいって」
「でも、今さら手遅れよ。だって、ヴァルキリアさ……」
その時、彼女らは扉の外の私に気が付いた。途端、彼女らは凍りつく。
「も、申し訳あ……」
「いや、いいんだ」
私はにっこり微笑んだ。
「君たちの言う通り、私は可哀想で、そして何より恥さらしなんだから」
そして、私は立ち去った。別に傷ついたわけじゃない。全部知っていたことだし、何よりそう言われることには慣れている。でもやっぱり、そろそろいい加減にしないとな。私は笑いながら、少しため息をついた。
*
「修行は今日でおしまいだ」
その日の昼、やってきたリシェルティアに、私はそう告げた。
「どうしてだ?」
「君に本当のことを教えよう。ぶっちゃけてしまえば、この世界で、強い女に価値はないんだよ。私は昔貴族だったんだが、変に力を身につけた結果がこれだ。居場所がない。誰にも必要とされない。その現実から逃げて、ここにきた。だけど、それももう辞め時だ。私は今日山を下りる。これからはせいぜい女らしくするよ。人間界に受け入れてもらえるようにな」
そう。これが世界の現実だ。
「リシェルティアはまだ間に合う。強くなろうなんてもうやめろ。君は私みたいな失敗作になっちゃいけない」
「そなたの言っていることは分からん! なぜ強いとだめなのだ⁉ なぜそなたは自分に価値がないなどと言うのだ⁉ そんなことないではないか!」
リシェルティアは必死に言うが、
「とにかく、私はもう二度と力は使わない」
と、私は顔を逸らす。
しかし、その時だ。山中の鳥が一気に飛び立った。それを皮切りに、獣たちも次々逃げ出した。何か——何か途方もないほど強大なものが、山に入り込んだのだ。
「……奴だ」
見ると、リシェルティアががたがた震えている。
「ここがばれた! ついに奴がやって来たのだ!」
「奴……?」
「とにかく隠れるぞ!」
私はリシェルティアに引っ張られる形で、茂みの中に潜む。そういえば、「奴」という人物の存在は、何度かほのめかされていた。いったい、「奴」とは何者なんだ?
「リシェルティア、出てきなさい」
やがて現れたのは、一人の男だった。取り立てて筋骨隆々なわけでなく、むしろ優男の部類に入るだろう。だが、分かる。あいつは只者でない。数多の実戦を経験した者特有のオーラ。それを獣たちも察知したのだ。
「私は怒ってなどいないのですよ。さあ、今すぐ出てきてください。一緒に帰りましょう」
というか、あの男、表情筋が壊死しているのか? そのレベルで、すん、とした表情をしている。余計に怖い。
何としてでもリシェルティアを守らなければ。そう思った。令嬢として生きる限り、強さが役立つことなどない。だけど、今は違う。
「大丈夫だ。私が君を守る。絶対にな」
私は飛び出すと、男に切りかかった。
「貴様、人攫いか何かだな! リシェルティアは渡さない!」
「ほお、これはこれは……」
相手は攻撃を剣で受け、私をはじき返した。しばらくにらみ合った後、私たちは再び激突する。思った通り、こいつはかなり強い。これほどまでの猛者は、中央でもお目にかかったことがない。激しい攻防の末、ついに私の剣ははじかれた。
「なかなかの腕前でしたが、これで終わりですね」
と、彼は私の首筋に剣の切っ先を突きつける。
しかし、
「誰が剣術勝負と言った?」
私は思い切り相手の股関を蹴り上げた。
倒れた相手に馬乗りになると、私はそのまま力いっぱい顔を殴り続けた。よし、私の勝ち……なはずだ! 汚い手じゃない。先に油断した相手が悪いのだ。
「リシェルティア、今のうちにこのロリコンから逃げろ!」
私がリシェルティアを見たその時、何かに手を掴まれた。振り向くと——しまった! こいつ、まだ動けたのか! 男は手を掴んだまま、身体を近づけてくる。まずい。このままでは報復される——
「素晴らしい」
「は?」
「これほどまでの打撃は、今まで受けたことがありません。さぞかし高名な戦士殿でいらっしゃるのでしょう。ぜひあなたのお名前をお聞かせ願いたい」
いや、顔めーっちゃ近いんだが? 手も握られっぱなしだし……。というか、こいつ、ちょっと喜んでいるのでは? なぜだ? なぜぼこられて喜んだ? もしや……そういう系なのか?
「は、放せ! 君、なんか怖いぞ!」
その時、
「いい加減にしろ!」
と、茂みからリシェルティアが飛び出した。
「暴走しすぎだ、父上!」
「……ちちうえ?」
瞬間、血の気が失せるのが分かった。
「リシェルティア、どういうことだ⁉ この人は君の父親だったのか⁉」
「これは失礼。まだ名乗っていませんでしたね。私はレギオーン・ネオ・アームストロング。アームストロング家の当主で、この国の将軍職についております。この子、リシェルティアにとっては父親にあたります」
私はあやうく卒倒しかけた。アームストロング家。代々続く将軍家であり、歴史に名を残す猛将を排出し続ける、高名な一族である。そして、その当主ともなれば、人間界最強と言っても過言ではないのだ。
「もももも、申し訳ございません! どうか無礼をお許しください!」
そして、私はそれをぼこぼこにしてしまったのである。
「謝られることなどありません。武道の心得がある者なら、出会ったらまず戦うのが世の常というものです」
わー、この人、どうしてこんな頭おかしいことを言えるんだろう。うん、決定。絶対にリシェルティアと同じ血が流れてる。
「あなたとはぜひまた手合わせ願いたい。この後、ご同行していただいても良いですね?」
私は震えた。 これ、怒ってる! 絶対怒ってる! 今度は私をめっためたにしてやると、そういうことに違いない!
「さて、リシェルティア。私が仕事をしている間、あなたは大人しく待っているよう言いましたよね。それを、勝手にこのような場所に通って。後でお説教ですよ」
逃げようとするリシェルティアを、レギオーン殿はやすやすと抱え上げる。
「さあ、共に下山と参りましょうか、山の主殿」
相変わらずの無表情でそう言われ、私はただ頷くしかなかった。かくして、野生最強になった私は、人間界最強の男に捕獲されたのだった。
*
二人は隣の領地に宿泊していたらしい。王都に向かう途中、所用があり立ち寄ったのだとか。そして、今からは再び王都に向かうのだった。
「……私はヴァルキリアと申します。生まれた家は……サーベルランス家です」
馬車の中、私は質問というか、取り調べを受けていた。
「ほお、あの騎士一族の。して、ヴァルキリア殿。よろしければ、私……ひいては我が軍の指南役を務めてはくださいませんか?」
「……申し訳ありませんが、お受けできません。私はもう戦いはやめるつもりですので」
「なぜです?」
「変に強い女など、この世界には必要ありません。貴族令嬢として、いえ、人間の女として、私は失敗作なのです。これからはせめてまっとうに……」
しかし、
「あなたのおっしゃることはよく分かりません」
レギオーン殿は首を傾ける。
「力という能を持つことの、何が悪いのです? この世を制するのは力ですよ? 私は強いものが好きです。そこに男も女もありません。あなたは強い。だから私はあなたが欲しい」
クールな顔でめちゃくちゃな暴論を吐くレギオーン殿を前に、私は考え込む。これは……将軍ジョークなのか? と思ったが、違う。この男、目がまじだ……!
「決定ですね。ご両親の許可をいただくため、共に王都まで参りましょう」
あ……沈黙は肯定にされるんだ。この人はどうやっても私を逃がしてくれないらしい。
「やったな、ヴァルキリア! これでもっと一緒にいられる!」
と、リシェルティアはリシェルティアで盛り上がっている。
アームストロング家のパワーに圧倒され、私はもう大人しく従うことにした。
*
旅の途中、私は毎朝、レギオーン殿の模擬戦の相手をさせられていた。気付けば、つい夢中になりすぎ、打ち合いは兵士たちがドン引きするほど白熱する。結果は五分五分というところだろうか。
「私もやる!」
と、リシェルティアが言うが、
「あなたは大人しくしていなさい」
と、レギオーン殿はぴしゃりと言い放つ。
「ヴァルキリアのことは褒めるのに、どうして私はだめなのだ!」
「よそはよそ、うちはうち、というものです」
脳筋のレギオーン殿は、リシェルティアに関しては、恐ろしいほどに過保護だった。あらゆる危険を排除し、怪我一つさせないよう気を配る。鍛錬なんてもってのほかだ。
「ヴァルキリアはいいなあ。父上と同じで、強くて、かっこよくて」
リシェルティアは、離れたところでふてくされている。
「父上は私に何もさせてくれない。私が弱いから。きっと私のことが嫌いなのだ」
これは……なんとかした方がいいのかもしれない。私は、一人で素振りを始めたレギオーン殿のところに向かった。
「なぜ娘であるリシェルティア様には、強くなることを禁じられるのですか? 彼女はそれを望んでいらっしゃるのに」
「リシェルティアは……私の本当の娘ではないのです」
レギオーン殿は剣を振る手を止めた。
「あの子は先代当主である兄の娘で、本来私にとっての姪にあたります。兄は死後、家と職、そして父親という立場まで、私に継がせたのです。兄は、娘に幸福な人生を歩ませてくれと、そう私に託しました。強さは至高の存在です。しかし、それが少女にとって幸福であるのか、私には分からないのです。武の道は辛く険しい。痛みに耐え、傷を負う鍛錬の日々。そんな人生を、果たして兄は娘に望んでいたのでしょうか」
「では、レギオーン殿は、私のことも不幸だと思われるのですか? 家の都合で、幼い頃より武術だけを叩き込まれてきた私のことも」
「……すみません。そのようなつもりはなかったのです」
「私はずっと憐れまれていました。楽しくもない武術を、無理やりさせられている、と。だけど私は、本当は、鍛錬に明け暮れる日々が嫌いではなかったのです。だから、可哀想がられる筋合いはない。恥じる筋合いもない。今ならはっきり言えます。私はこの自分を不幸と思いません。私もまた、途方もなく好きなのです。強いものも、強くなることも。そして、強者と戦うことも。この世の力の、その全てが」
私は微笑んだ。今までの噓の笑みじゃない、心からの笑みだった。
「そう気付けたのは、リシェルティア様が、私に純粋な憧れを向けてくれたからです。そして、彼女の憧れの根源には、あなたへの憧れがあるのだと思います」
「……そうでしょうか」
レギオーン殿は呟いた。
「リシェルティアは、私を嫌っているように思います。所詮私は偽物の父親ですから」
アームストロングめ! 私は内心で吠えた。まったくどの方面でもめんどくさい親子だ。
*
その日の夜、私たちは王都に到着した。そして、なぜか私は夜会にいた。パートナーを見繕うのが面倒なので、付き添ってほしい。そう言ったレギオーン殿は、しかし直前に、兵士たちに呼ばれてどこかに行ってしまった。
一人でここにいると、婚約破棄されたあの夜を思い出す。ちょうど向こうにあの二人に似た人影が——って、本当にあれ、アデル殿とエマ殿じゃないか?
「ヴァルキリア……なぜここに? 貴様は領地にやられたはずでは……」
アデル殿は分かりやすく困惑の色を浮かべる。
「まさか、一緒に来る男が新しくできたということか? どんな男なのだ? お前を選ぶ奴など、どうせげてもの好きで、脳みそも筋肉でできているような馬鹿なのだろう?」
その時、
「失礼な奴だな。ヴァルキリアの知り合いなのか?」
と、下の方で声がした。
まさか——と思ったら、やっぱり。リシェルティアだ。部屋で寝ているよう言われたのに、また抜け出したのか。というか、その格好は何だ? 変に身をやつして……私の小間使いのつもりなのか?
「貴様、召使いの分際で……」
しかしその時、
「レインエアの息子! お命頂戴する!」
と、凶器を手に、アデル殿に向かって走りくる男が一人。
私はとっさにその腕を掴み、背負い投げを決めた。男は床に激突し、気絶する。どうやら賊が紛れ込んだらしい。どこからともなく現れた新たな数名が、アデル殿含め私たちを取り囲む。
衛兵が駆けつけるより早く、私は素手で賊を倒していく。それなのに、あの馬鹿! 私の後ろに隠れていればいいのに、アデル殿が悲鳴を上げて逃げ出した。これでは守り切れない。案の定、賊がアデル殿に切りかかる。それに気付いたアデル殿は、隣にいたエマ殿を引っ張って盾にした。
しかし、そこでリシェルティアが動いた。背後から賊の足にしがみつき、おかげで狙いがそれた。そのすきに私が絞め技を決めて、賊は無事に鎮圧された。
「大丈夫か⁉ リシェルティア!」
私はリシェルティアを助け起こす。少し身体を打ったらしい。
「じ……自業自得だ!」
気まずさを払拭するように、アデル殿は早口でまくしたてる。
「小娘のくせに出しゃばって! 最近の女は調子に乗って首を突っ込むから嫌なのだ! この失敗作が……」
気付けば、私はその頬を思い切り殴っていた——が、もう片方の頬を殴る拳が別にあった。
「アームストロング将軍! いったいなぜ⁉」
そこにいたのは、レギオーン殿だった。
「他人をあれこれ言うだけで、自身は何もしようとしない。あなたのように弱い人間が、私は大嫌いなのです。ついでに言えば、あなたの言う失敗作は私のかわいい娘にあたります」
「あ……ああ……」
アデル殿はその場にへたり込んだ。私たちは暴力沙汰を起こしてしまったわけで、本来ならば糾弾は避けられない。しかし今は、広間中の人間が、ひいてはエマ殿までが、アデル殿に軽蔑の視線を向けていた。
*
その後、レギオーン殿が中心となって、騒動の後始末をしている間、私たちは手当てを済ませ、アームストロング邸に戻っていた。夜がすっかり深まった頃、レギオーン殿はようやく私たちのいる部屋に姿を現した。
「またお説教なのだろう? 勝手なことをした……」
しかし、やってくるや否や、レギオーン殿は跪くと、リシェルティアを強く抱きしめた。
「危険な目にあわせてしまい、申し訳ありません。これでは本当の父上様に顔が向けられません。本当に申し訳ありません。申し訳……」
「……怒ってないのか? 私のこと、弱いから、嫌いなのではないのか?」
レギオーン殿は答えない。答えられないのだ。
「そんなことないさ。父上はただ、君のことが大切すぎるだけなんだ」
私が頭を撫でると、リシェルティアは瞳を潤ませた。
「ごめんなさい、父上。もうしない。もう強くなりたいなんて言わない。いい子にする。だから……」
「いいえ、リシェルティア」
レギオーン殿はようやく顔を上げる。
「考えを改めるべきは私の方です。私が気付いていないだけで、あなたはもうこんなにも強かった。これからはヴァルキリア殿に鍛えてもらって、もっともっと強くなってください。楽しみにしています」
リシェルティアは目を大きく見開いたが、
「そうだな。強くなって、そして力で世界を制してやる。父上や、前の父上がそうしたように」
と、笑った。
「ええ、そうですよ」
と、レギオーン殿は相変わらずの無表情で、しかし少し笑っているように見えた。
「ヴァルキリア殿、娘を……いえ、私たち親子を助けてくださり、ありがとうございました」
「いえ、助けていただいたのは私の方です」
私は笑う。きっとこれが私の最高の笑みだ。あのまま山の中にいたら、きっと私は今感じている胸のぬくもりも、ずっと感じられなかっただろう。
その後、三人で食卓を囲んだ後、
「さあ、今夜はもうお開きにしましょう。明日はサーベルランス家に、指南役の件を申し込みに赴かなければ」
レギオーン殿がそう言うと、
「えっ、指南役で申し込むのか? てっきりヴァルキリアを妻にさせてほしいと申し込むと思っていたのに」
と、リシェルティアが首をかしげる。
「昔、酒に酔って漏らしていたではないか。いつか自分より強い女にぼこぼこにされてみたい、と。父上がヴァルキリアに蹴られた瞬間、私は思った。あ、今、父上は完全に落ちたのだろうな、と」
やっぱりレギオーン殿は、そういう系だったのか……! いや、それより、私がこの人を落としたとか、いったいどうなってる……⁉ 私は驚きのあまり、またもやグラスを粉砕してしまった。
「わ! 大丈夫か? 怪我してないか?」
一通り心配した後、
「やっぱり、ヴァルキリアはアームストロング家が向いてるぞ。なんたって、我が家のグラスは、全て強化グラスで、簡単には割れないように作られているのだ。誰かさんもよく割りがちだからな」
と、リシェルティアは視線を横にやる。
レギオーン殿を見ると、無表情のまま、拳だけがぷるぷる震えている。足元には割れたグラスの欠片が散らばっていた。
*
後日談になるが、夜会の一件で、私の評判は爆発的に上昇した。両親は再び私に家を継がせることを画策したが、アームストロング家の圧力で、結局それはかなわなかった。そして、私はアームストロング家に迎えられ、最終的に……まあ、これ以上語るのは野暮だろう。
一方の両親は、弟を私と同じ方法で育てることにした。だとして、出来はそれほど良くなかったようだ。とりあえず職を継いだ弟は、やがて、次代アームストロング将軍リシェルティアにこてんぱんにされることになるが、それはまだまだ先の話である。
まだまだ勉強中ですので、アドバイスなどいただけるとありがたいです。