【コミカライズ化】婚約者を奪った元友人からパーティに誘われました。~真冬のガーデンパーティは正気の沙汰じゃない~
モンスターが跋扈し、瘦せた土地ばかりのパルディア大公領に王都の貴族から一通の招待状が来た。
『拝啓、私の最愛の友達、レティシアへ。僻地に嫁いで辛いわよね。何か困ってないかしら?でも、おかげで、私とヨラン様は幸せになれるわ!!本当にありがとう!! 今度、公爵家の薔薇園でパーティを開くから、気分転換に来てくださいね。あ、化け物……じゃないや、パルディア大公様とぜひ同伴でどうぞ。あなたの唯一の友達、アンナより』
「あの子も変わっていませんわね……」
大公妃レティシアはため息を吐く。
「レティシア。どうかしたのか?」
声をかけてきたのはパルディア大公エドモンドだ。先の戦で大やけどを負い、鉄の仮面をつけて生活をしていた。しかし、今は治療の甲斐もあって、元来の麗しい美貌が戻っている。青みのかかったシルバーブロンドに海の色の目、鍛えられた体とすらりとした長身、そしてレティシアを尊重してくれることが何よりもありがたい。
「ここに来られて心から嬉しく思っているところです」
レティシアが微笑むとエドモンドは少し照れたように微笑む。
「それは私の方だ。君のおかげでパルディア大公領は寒さや飢えに怯えることがなくなった。領民は君を女神と称えているし、それは……私も同感だ」
「あら閣下ったらほめ過ぎですわ」
「これくらいじゃ足りないな。君の能力がこの土地を発展させてくれたのだ。領主として感謝に絶えない」
エドモンドはレティシアがしてくれたことを英雄譚のように語る。
それをレティシアは気恥ずかしく、また努力の日々が決して無駄ではなかったと嬉しく聞いていた。
レティシアは公妃となるために様々な分野を血のにじむ思いで勉強していた。領地運営にとどまらず、商会や船団の管理、外国との交渉、各ギルドとの調整……レティシアの努力の甲斐あり、彼女はそれをすべてモノにしてきた。
それはパルディア大公妃ではなく、国王に一番近いと謳われるゴールドーン公爵家の嫡男ヨランのためだった。病弱な公爵は早々にヨランに爵位を譲って夫婦ともども温暖な土地に移り住んでいたためヨランは若き公爵として社交界中の憧れの的だった。金髪碧眼の美しい彼は幼少からの許嫁だったのだが、ある日突然レティシアは別れを切り出されたのだ。
「悪いなレティシア。俺はアンナを愛している。この気持ちに嘘なんかつけない!!」
「ヨランさまああ!! 嬉しい!!」
とある内輪だけのパーティでレティシアの友人だったヴァース伯爵家のアンナと抱き合ってそう宣言した。
レティシアの能力を認めていた前ゴールドーン公爵夫妻、生家のガルダーズ侯爵家が激しく抗議をしたのだが、ヨランは王妃イザベラの甥ということもあって『大公家との縁談を用意するから許してやって』と婚約解消を呑むよう王から通達が来たのだ。子供のいない王妃イザベラがヨランを実子のように可愛がっていたのも大きい。
憤るガルダーズ侯爵家一族だが、全てに疲れたレティシアはそれを呑んだ。
唯一の友達と生涯を捧げようとした人に裏切られ、レティシアはもはやヤケになっていた。
化け物と揶揄されるパルディア大公が相手だと知った後も、
「化け物? 友達の婚約者を奪ったり、婚約者を裏切った人の方がよっぽど化け物じゃなくて?」
と言い切り、止める親や親類縁者、使用人を押し切って書類にサインした。
パルディア大公領は寒くて寂しい所だったが、人々はとても温かかった。そして、大公のエドモンドが素晴らしかった。
「レティシア。私の妃になってくれるということだが、ご覧の通りの化け物だ。こんな私に美しい君が生涯をかける意味はない。かりそめの結婚にとどめ、ほとぼりが冷めれば君も新しい人生を見つけると良い。私のすべてを使ってその手助けをしよう」
鉄の仮面をかぶり、黒いローブを纏った青年はレティシアにそう言った。レティシアはその言葉でここに骨を埋めようと決心した。
身内に甘い王妃や、軽々しく婚約を覆す公爵家、そして友達を平気で裏切るアンナ。そんな人たちが作る王国で生きるよりも、ここで自分の能力を発揮したい。
「閣下、かりそめの結婚、確かに承りました。ですが、何もしないというのは性に合いません。何かしらお手伝いさせてくださいませ。こう見えて事務処理は得意でございます」
レティシアは言い切った。エドモントは驚き、ここにモンスターが出ること、寂れた場所であること、王都で暮らした方がいいと説得したが、最終的に折れた。
エドモンドは使用人たちにレティシアを大事にもてなすよう厳命した。そして彼らはそれを粛々と守った。また、レティシアが生家のガルダーズ侯爵家と手紙の行き来がしやすいよう専用のメッセンジャーを用意した。これでいちいちエドモンドに許可を得なくて済み、レティシアの気も楽だろうという配慮だった。
そのおかげで、レティシアは日々、親戚や家族と手紙を好きなように交わすことができた。彼らはレティシアを心配していたが、パルディア大公領での暮らしがとても良いことを知り、王妃に弱い国王や薄情者の公爵がいる王都よりもパルディア大公領に住めて良かったと思うようになった。
しかし、王たちを許せるかはまた別の話で、ヨランのような人間が公爵位に居座ることに不平を募らせていた。レティシアを可愛がっていた前公爵夫妻も同様だ。レティシアがいるからこそヨランに任せて病の静養に専念できたのに、数々の愚行を犯す息子にもはや腹を据えかねていた。王妃の命令さえなければとっくの昔に勘当しているところだ。
■
日がな一日、読書やガーデニング、刺繍に日光浴。好きなように過ごす日々は楽しいが、どうにも体がムズムズする。
レティシアはエドモンドの公務を少しずつ手伝い始めた。そしてエドモンドは彼女の処理能力の高さに舌を巻く。側近たちも目を見開き、手放しで褒めたたえた。
「閣下! 大公妃さまは素晴らしいです。あっというまにヴァルゼ商会との話をまとめあげました」
「フェーザ海峡の件、大公妃さまの助言で問題が解決しました!! トゥール国と交易が可能です!!」
数々の手柄にエドモンドは敬服した。交易が増えれば越冬に必要な燃料が手に入り、領民が凍死することもない。
エドモンドはレティシアに感謝した。そして二人は土地を良くするために議論することが多くなった。しかし、二人の討論は時間がいくらあっても足りなかった。エドモンドの持つ課題、レティシアが抱いた疑問、二人は夫婦別室で過ごすはずの夜でさえ、執務室で過ごした。
ソファはいつのまにか寝台扱いされ、そこに毛布が常備されるようになった。
ここまで来ると、
「なんで正式に結婚なさらないんだろうな?」
「レティシア様以外のお妃は考えられんというのになあ」
と家臣や使用人たちは頭を抱える。いい加減しびれを切らした家臣筆頭デザン侯爵はエドモンドに尋ねた。
「閣下、契約結婚は続行されるので?」
言外に早く結婚しろと滲ませているのだがエドモンドに通じない。
「もちろんだ。レティシアと初めてした約束だ。必ず守りたい」
ぐっと拳を握って決意までするからデザン侯爵は口をへの字に曲げた。
なお、レティシアにも打診してみたのだが、
「閣下は素晴らしいお方です。瑕のあるわたくしよりもステキな方がお妃になれればと思います」
と臣下の立場でしか答えず、家臣たちはやきもきしていた。
■
レティシアは毎日楽しい日々を送っていた。今まで持っていたアイディアも、ヨランにすべて却下されて実現できなかったが、エドモンドは違った。
「面白そうだ。ぜひやってみてくれ。大公代理の権限と印章を君に渡そう」
と権限丸ごとくれたのだ。家臣たちも、
「今までの大公妃さまの功績なら問題ありません。むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」
と後押ししてくれた。
レティシアはまず、モンスターを売り物にできないかと考えた。外国では一部のモンスターが甲冑など装備として活用されているのをレティシアは知っていた。持てる人脈を駆使し、試行錯誤の末にレティシアはモンスターの販売用ルートを確立させた。
並行してレティシアが奮闘したのは火傷の治療だ。
エドモンドが皆を怖がらせないよう、常に仮面を被ってローブを纏っているのを見ると、常に胸が締め付けられた。どうにかして彼を火傷の痕から自由に出来たらと強く思った。
交易で縁を繋いだ数々の商会、船団の人々を頼ってレティシアはついに治療法を見つけた。はるか遠い東の国から治療師を招いた。
「必ず治るとは限らないけれど、試してみる価値はあると思うの」
「むしろ、ここまで私を気にかけてくれてありがとう。ダメで元々、君の心遣いに感謝する」
そして治療師の秘薬と施術によってエドモンドは元の姿を取り戻したのだ。
■
一方、レティシアが去ったゴールドーン公爵領は荒れた。公爵夫妻は体を弱くして隠居していたため、実務を担当したヨランとアンナが能無しだったのだ。
レティシアのおかげでワインと毛織物は高級ブランドとして外国にも知れ渡っていたのだが、葡萄の収穫量は落ち、毛織物の原材料となるヤギの頭数が半分以下になっていた。アンナが目先の利益を優先し、おかしな改革をやった挙句に反抗した職人たちをやめさせたことが原因だった。
社交界ではゴールドーン産は粗悪品という噂が流れ始めたところでヨランは焦った。
「くそっ、また商会から取引を中止されたっ!! ゴラン商会からは手数料の引き上げを要求されているし……レティシアがいてくれたらな……」
ヨランは柔らかな巻き毛の彼女を思い出す。今までヨランはサインするだけで良かった。すべてが順調だった。
「ヨランさまあ。ガリア・ジュエリー店でピンク・ダイヤモンドのネックレスが売られているの。あれ欲しいわ」
派手なドレスを着たアンナが満面の笑顔で飛び込んできた。
「アンナ。今、俺は忙しいんだ」
「それじゃあ印章だけちょうだい。お買い物に使うの」
「わかったから早く行ってくれ」
ヨランは投げやりに言った。アンナの事は可愛いが、今はそれどころではなかった。
その態度にアンナはむっと顔をむくれさせる。
(最近、ヨランさまの態度が悪いのよね。私みたいに可愛い女の子を妻にできるんだからもっと喜べばいいのに。……そうだ。レティシアを呼んでパーティを開けば私の凄さを思い知ることができるわよね)
アンナは指にはめたゴールドーン家の印章を見てにやりと笑った。
■
ゴールドーン公爵家の薔薇園はトアディエ王国で最高峰の広さと美しさを誇る。それはレティシアが様々な商会から多種多様な品種を揃え、専用の職員を雇っていたからこそ実現できたものだ。
なんといっても目玉は冬薔薇。名前の通り、厳寒期にも美しい花を咲かせる薔薇で、特に雪割れ薔薇が幻想的で絵になるのだ。貴重な薔薇で、さらに開花は10年に一度、レティシアはその花が咲く時期にパーティを開きたいとアンナに話していた。
そしてアンナはずっと手に入れたいと考えていた。
(地味で本の虫のレティシアよりも、私の方が冬薔薇の持ち主に相応しいもの。レティシアには悪いけど、ヨラン様も薔薇も私のもの。それを色んな人に見せつけたいわ)
アンナはそこでパーティを開くことを考え、社交界の有力貴族に招待状を送った。そしてもちろん、引き立て役のレティシアにもだ。
(美貌の貴公子ヨランさまと私、それに対して化け物大公と並ぶレティシア、最高のシチュエーションだわ!!)
アンナはふふっと笑った。
こうしてレティシアにも招待状が届いたのだった。
王妃の寵愛を受けるゴールドーン公爵家からの招待状、しかも冬薔薇が見られるということで貴族たちは快く承諾した。
「レティシア様がいないのは残念だけれど、冬薔薇は見てみたいわ」
「ワインも毛織物も品質が落ちてしまったけれど、薔薇は庭師がいる限り変わりませんものね」
社交界の人々はパーティを待ちわびた。なお、ヨランが知らされたのは後になってからである。
「パ、パーティだと?! アンナ! なぜそんな勝手な真似をしたんだ!」
「ええ? だってえ。ヨランさまがいいって言っていたもの」
アンナの言葉にヨランは頭を抱えた。
(そういえば最近はめんどくさくなって『いい』としか言ってなかったな。それにしてもパーティを開くなんてどこからそんなお金を……)
ヨランはふとアンナの指に嵌められた印章に気づいて顔を青くさせた。その後は金策に走り回り、いくつかの土地を売り払ってなんとか金を作った。
さすがに招待状を送った後で『お金がないからできません』は公爵家の面子があるので無理なのだ。
(大勢人が来るからそこで新しいビジネスチャンスもあるだろう……。もしかしてレティシアにいいアイディアを聞けるかもしれない)
■
ヨランやアンナの企みを知らないレティシアは、今まであったこととアンナからの手紙をエドモンドに見せた。彼は苦々しい顔をする。
「ヨランがここまで酷い男だったとはな。手袋をいますぐに投げつけたいところだ」
「ふふ。私のために怒って下さってありがとうございます。でも、荒事はモンスター相手にだけなさいませ。私にとってもう過去の事ですから」
レティシアは笑う。自分でも笑顔で話せる日が来るとは思っていなかった。
「で、どうする? 君が望むならどんなことでもしよう。あいつらが度肝を抜くような最高のドレスと豪華な宝石を用意するのはどうだ?」
いたずらっ子のような顔でエドモンドがいう。普段凛々しい彼がまるで子供のようだ。
「必要ありませんわ。今となっては未練もありませんし、冬薔薇も手に入らない物ではありませんから、パーティは不参加にいたします」
「そうか。……それなら、こっちでもパーティをやるのはどうだ? 冬薔薇はないが、冬ならではの雪像を立てて楽しむんだ」
「あら、楽しそうですわね」
二人は笑いあってさっそく雪像パーティの準備をしはじめた。そして、その最中にレティシアはあることを思い出した。
(アンナはパーティを主催したことがないけれど、大丈夫かしら?)
心配してしまうのは、アンナの失敗は彼女一人にとどまらず、周囲に大迷惑をかけるからだ。アンナがどうなろうと知ったことではないが、他の人々が不幸になるのを黙っているのは性に合わない。
レティシアは不参加の手紙と共にあるものを準備しておいた。
■
冬薔薇パーティが開催された。
レティシア不参加の知らせを聞き、ヨランは落胆したがアンナは喜んだ。
(そりゃあ化け物と一緒になんて出て来れないわよねぇ。よっぽど苦労しているんだわ。やっぱりゴールドーン公爵家に嫁いだ私は正解よ!)
アンナはここぞとばかりに着飾ってピンクダイヤモンドを自慢した。ヨランはアンナをエスコートしながら、参加した客たちに挨拶をして回った。ワインと毛織物も売り込んだが、誰もが丁寧に断っていく。
「今年の出来は大変良いものでして、伯爵の食卓にいかがでしょう?」
「お心遣いありがとうございます。しかし最近、医者から禁酒せよと言われておりましてな。いやはや実に申し訳ない」
酒好きで有名なバクス伯爵ですらこの始末だ。
ヨランは乾いた笑いしか出なかった。
一方、アンナはパーティを楽しんでいた。
「ふふ、凄いでしょう? ロザン公国のドレスにファリン帝国のレース、そしてダッタン大陸のピンクダイヤモンドですわ。公妃たるものこれくらいしなくてはね」
「さすがですわー」
「すごいですわー」
貴族のご婦人方はアンナの自慢話に根気良く付き合った。色々突っ込みどころ満載だった。
(ゴールドーン公爵家はパルディアと違って自治権がないから公妃ではないでしょ!)
(きっとゴールドーン公爵の前婚約者のレティシア様が大公妃だから向うを張っていますのよ)
しかし、内心で思うのはただ一つ。
(寒い)
だ。
冬薔薇は確かに見事だった。美しいが、真冬に薄いドレス姿で冷たいワインとコールドミールを食べるのは中々に堪える。
なお、アンナはちゃっかり最高級ブランドのドルーフ商会の毛皮を纏っており、防寒も十分だ。ヨランは勝手知ったる薔薇園事情故にこちらも防寒対策バッチリだった。男性陣は元々スラックスに蝶ネクタイにジャケット姿でご婦人方ほど薄着ではなかったが、それでも寒い。
厳冬期、コートなしの室内着で風を遮るものがない庭に出ているわけだ。誰もが凍えた。顔に出さず、誰も文句が言えないのは相手が公爵家だからだ。
唯一口出しできそうな国王夫妻はアンナが招待状を送っていなかった。
ゆえに、人々は凍えたまま不味いワインに口を付け、チーズを齧った。
「お父様。美味しくないわ……」
「いいから食べなさい。何か口に入れないと凍死するぞ」
あちらこちらで悲しい声がする。
そんな中、とある使者が来訪した。
「パルディア大公家代理のものです。大公夫妻が不参加になることをお詫びいたします」
やってきた使者は深々と頭を下げた。
「そして、お詫びがてらパルディアから皆様への贈り物を公妃レティシアからのお言葉と共にお届けいたします」
そしてたくさんの外套をのせた荷車が入って来た。
『皆様。素晴らしい冬薔薇に囲まれて、楽しいひと時をお過ごしのことと思います。庭での宴がより楽しいものとなりますよう、パルディアの新製品をお届けいたします』
「まあ、あのロゴはドルーフ商会のものですわ!!」
「新しい商会を設立したという噂は本当でしたのね。しかもドルーフのラーザ織!! 軽くて丈夫、そして保温にすぐれた最高傑作!! わたくしに一枚!!」
「わたくしも!!」
皆がこぞって衣類に飛びついた。
「暖かいわ暖かいわ。これで凍死せずに済むわ」
「こんなに軽いのに毛皮のコートよりも暖かいな」
配られたのは衣類だけではなかった。たくさんの火鉢が置かれ、スープとホットワインが振る舞われた。
「熱々で美味しいですわ」
「ううむ。五臓六腑に染み渡るなあ」
人々はむせび泣きながら美味しいワインを飲み干した。
ヨランは人々の喜び様を見て、ゴールドーンの主に相応しいのが誰か悟った。そしてアンナはパルディアが豊かなこと知って嫉妬した。
(今からでもパルディア大公妃に……でも、化け物大公は怖いわ……うう……)
■
後日、ドルーフ商会……というよりはパルディアに大量注文が入った。極寒の中で食べたワインとスープが忘れられないらしく、衣類だけではなくワインや缶詰なども売れた。
ちなみに例の極寒地獄パーティは恐怖体験として語り継がれているらしい。また、寒さがどれだけ辛いか悟った貴族たちは領民たちに食料や防寒具、暖房器具を配って飢えや寒さに苦しまないよう奔走していた。そしてその調達先がパルディア大公領の物品だったのだ。
ちなみに、お金の出所はゴールドーン公爵家からの賠償金である。極寒パーティで体調不良になった貴族たちに謗りが生まれ、慌てたヨランがお金で解決しようとしたのだ。借金はさらに膨れ上がった。
また、今回の件で大勢が体調不良で寝込み、憤慨した貴族たちは国王にゴールドーン公爵家の処罰を要求し、ヨランは爵位を剥奪されることになった。代わりに傍系の少年がゴールドーン公爵となった。ヨランに不満を持っていたレティシアの生家ガルダーズ侯爵家や友人たちが水面下で扇動していたのだが、ヨランやアンナの横暴さに腹を据えかねていた貴族たちはそれがなくても動いていただろう。
レティシアは財政が揺らいでいる公爵家を継がされた少年を気遣い、アンナに解雇された職人たちを探しだして紹介し、必要なだけ出資した。
婚約解消されるまでレティシアが人生を捧げた土地でもあり、見捨てられなかったのだ。
「レティシア!! 出資するならあんな子供よりも俺にだろう!! 十数年一緒に過ごした仲じゃないか!! お前は俺を愛しているだろう? 俺もお前を愛している。お前がいないと俺はダメなんだ」
ヨランは毛織物の材料となるヤギの産地、ラーン領主の伯爵位を持っていた。彼はそれで一旗あげようと王都に来ていたレティシアにすがった。
「ヨラン。あなたが欲しいのは私の能力だけでしょう? 結局、あなたは自分を満足させてくれるなら誰でも良かったのですわ」
レティシアは呆れた顔で言った。
今まで自分に従順だったレティシアの変わりようにヨランは目を見開く。
「レティシア……?どうしたんだ。いつものようにヨラン様と呼んでくれよ…」
「大公妃の私があなたに様をつける義理はありませんわ。賠償金を差し引いても資産はあるのだから慎ましく暮らしなさい。そうすれば苦労することなく余生も過ごせるでしょう」
レティシアは側近に命令してヨランを退室させた。彼は最後までレティシアの名前を叫んでいたが、今のレティシアには何も感じることはなかった。
ちなみに、アンナは強烈だった。
「私のおかげで借金魔の男と結婚しなくて済んだんだから感謝の印にエドモンド様に会わせて!」
ここまで逞しいと逆に尊敬してしまう。彼女の発案のパーティで大惨事になったことをもう忘れているのだろうか。
「アンナ。あなたは生家に戻っているから平民じゃなくて貴族だけれど、私は大公妃、エドモンド様は大公。身分をわきまえなさい」
ため息をついてレティシアは言う。
「酷いわレティシア。友達でしょう? 友達なんだからお願いくらい聞いて」
アンナの言葉にレティシアは似たような状況を少し思い出していた。アンナはこんなふうにレティシアからなんでも奪っていった。友達だからしょうがないと自分に言い聞かせてきたが、今はそれが間違いだと悟る。
「アンナ。わたくしは気が付きましたの。あなたは友達じゃないとね」
レティシアはそう言ってアンナを追い出した。謝罪の言葉でも聞ければと思って会ったが、時間の無駄だった。
後日、アンナはレティシアが非情な女だと吹聴して回っていたが、極寒地獄パーティの主催者が言っても説得力はなく、「大公妃に無礼を働くなんてどんな躾をしてらっしゃるの?」と極寒地獄パーティ被害者のご婦人方がアンナの生家、ヴァース伯爵家に詰め寄った。そしてアンナは厳格な修道院に入れられることになった。
それを風の噂で聞いたレティシアはアンナの性格も丸くなればいいと思った。
なお、ヨランに肩入れしていた王妃はさすがの国王も処分を余儀なくされ、謹慎生活を送っているらしい。重臣たちがこぞって体調不良になったのだから当然だろうが、逆を言えば王妃を貴族たちの言葉の刃から守っているともとれる。
ゴールドーン公爵の妹だった王妃は世間知らずだ。結婚前までは両親と兄に守られ、結婚後は国王に守られて生きてきた。彼女は愛嬌があって明るいが、王妃であっても外国語一つできず、書類も読めない。それでも王は許してきた。愛ゆえに彼女の望むとおりにすべてを与え、甘やかした。子供ができずに悩む王妃にヨランを与えた。王妃は自分が育ててもらったように甘やかしてすべてを許した。
だが、それがむしろ王妃、そしてヨランの成長を阻み、取り返しのつかない事態になってしまっている。
今にして思えば、参加者に事前にアドバイスをしておけば良かった。そうすれば、ここまでの大事にはならなかったかもしれない。レティシアは後悔する。だが、それを見透かしたようにエドモンドが言う。
「今回のことは彼らの失態だ。君が責任を感じることはないさ」
「そうですけれど……」
気にかかるのは陛下からの手紙だ。レティシアの采配に感謝するという内容、そして王都に戻ってきて欲しいとの内容だった。ヨランや王妃の後始末で大忙しなのだろう。ほぼほぼ泣き言と愚痴だったのは笑ってしまった。
だが、王が求めるのは能力だけでレティシアじゃなくてもいい。それがどうにも辛くなっていた。きっと、そう思うようになったのはパルディアの暮らしが素晴らしいから。
(でも、しょせん私はかりそめの大公妃。閣下の火傷も治りましたし、商会も順調、後進も育ってきていますもの。ここにいる意味はないのかもしれない。いっそのこと契約終了する前に出て行った方が……)
これ以上いると離れがたくなる。
歯切れが悪く、言葉を止めるレティシアにエドモンドは尋ねる。
「そういえば、ゴールドーン公爵家から君宛に何通も手紙が来ているそうだな」
「ああ、あれですね」
レティシアは困ったように笑った。手紙は出資した例の少年からのものだ。補佐官として手伝って欲しいというお願いだった。レティシアが知り合った時はまだ六歳だった彼の中でレティシアは親戚のお姉さんのままなのだろう。身分差を気にせず、今も当時の距離感でお願いをしてくる。
「どうかなさいまして?」
「ゴールドーン公爵家が君を取り戻したがっているのは人づてに聞いている」
「ああ、ご存じだったのですね」
「戻るのか?」
「いいえ」
少年にはしっかりとした補佐官を付けている。それにレティシアが戻ると彼のためにならない。
「そうか……なら、良かった」
ようやくエドモンドに笑顔が戻った。つられてレティシアも笑顔になる。
「閣下のお顔が戻って私も嬉しいですわ。ここのところ何かを思い悩んでいたようですから」
レティシアが言うとエドモンドはふうと重いため息を吐いた。そして絞り出すようなかすれた声で言った。
「……陛下から君を王都に戻せと命令されている。白い結婚であることを看破されてしまった」
「……はい」
「君と約束した。これはかりそめの結婚でいつか君を自由にすると……」
「覚えておいでだったのですね」
「君との約束だ。忘れるものか。レティシア。だから……だから、すぐに私と別れよう。船に乗って外国に行くのもいい。ここから離れてくれ」
エドモンドの言葉はレティシアに衝撃をもたらした。いつか別れる日が来ると知っていながらも、こんなに早いとは思わなかった。
レティシアの声は震えた。
「閣下にとってわたくしはもう不要ですか……?」
思わずそう尋ねるくらいに、レティシアは身も心もこのパルディアから離れがたくなっていた。
「いや、必要だ。だが、これ以上一緒にいれば私は君との約束を破ってしまう。君を二度と自由にはできない」
エドモンドは真っすぐな目でレティシアを見た。
「私と正式に結婚してくれないか。それが嫌なら……どうかこの地を離れて欲しい。そうでなければ、私は君を無理やりにでも妃にしてしまうだろう」
「……閣下に能力を認めて頂けて嬉しいですわ」
レティシアが答えた。嬉しいが素直に喜べない。国王が望むのも、ヨランが欲しがるのもレティシアの能力だけで、結局は誰でもいいのだ。
「違う。そういうことを言っているんじゃない。私には君が必要なんだ。君がたとえ全てを忘れてしまっても、何もできなくなっても、私は君という存在を愛している」
エドモンドは苦しそうな声で訴える。レティシアがいなくなってしまうと感じてからようやく自分の心に気が付いた。そして、この思いがレティシアの枷になると知っているから言えなかった。
判決を待つ罪人のようにエドモンドはレティシアを見た。彼女は泣いていた。
「レ、レティシア……。すまない。困らせてしまったな。本当に申し訳ない」
エドモンドは慌てた。どうしていいかわからず、手が宙に浮く。
「閣下、わたくしは嬉しいのです。わたくしという存在を閣下は認めて下さった。愛して下さった。わたくしも同じですわ。閣下がどのような姿でも、どのようになろうとそのお心に恋しております」
レティシアは涙を流しながら微笑んで言った。エドモンドはそんな彼女におずおずと手を伸ばし、ゆっくりと涙を指先で拭った。
「愛してる。これからもずっと君だけを愛するよ」
そう言葉を添えて。
■
家臣と領民の祝福を受け、ようやく結ばれた二人はいっそう仲睦まじい夫婦となって大公領をさらに発展させた。
パルディア大公領が僻地だと噂されていたのはもはや過去のものとなり、またパルディア大公が化け物どころか絶世の美男子と知れ渡ったため、大公家でパーティが開催されればこぞって皆が参加したがった。もはや王都はお飾りのものとなり、パルディアこそがトアディエ王国の首都であった。
なお、国王は相変わらず手紙を送り続けているが中身がだいぶ変わってきた。系譜をたどればパルディア大公家と縁続きであるということを持ち出して、エドモンドに次期国王になってくれというものだった。これには王都の貴族が賛同し、反国王派まで協力して大公領にお願いしにきた。
「レティシア。君はどうしたいかな?」
エドモンドが尋ねる。彼はレティシアに無理強いをせず、いつも心を尊重してくれる。
「そうですわね。パルディアの地は十分すぎるほど潤いましたし、トアディエ王国を富国にするのもいいかもしれません。それに国が潤えば大公領もさらに発展するでしょうし……。一緒に育てていけませんこと?」
むずむずと背中がかゆくなるのは気分が高揚しているからだ。熟した果実も美味しいが、苗から育てていくのも楽しい。トアディエ王国は育てる余地がまだまだある。
「君の誘いを断るわけないさ。やろう」
「ええ」
二人は笑いあう。
こうして、二人は王位を譲り受け、その能力をいかんなく発揮して国を盛り立てて行った。前国王クリスは前王妃イザベラと共に静かな場所で余生を暮らした。
「もっと早くこうすればよかったなあ。遠回りをしてしまったよ」
「あなた。ごめんなさい。私が愚かなばかりに迷惑ばかりかけてしまったわ」
イザベラはほろほろと泣く。
「君を愛した私がいけなかったんだ。君は王妃に向かなかった。それを知っていたのに、君に求婚した私の罪だ」
「こんなことを言っては怒られますけれど、私はあなたと結婚できて幸せでしたよ。大好きなあなたと毎日一緒にいられるんですもの。間違った生き方をしてしまいましたけれど、あなたと結婚したことは後悔していませんわ」
イザベラは泣きべそをかきながら言う。その顔をみてクリスは改めて国王になったことを後悔した。そして、レティシアにいくら謝っても足りないとも思った。
自分たちの犯した過ちがあまりにも大きすぎたが、二人のおかげで国は救われる。
「二人の幸せが永遠でありますように」
クリスはそう願った。