羊牧場
「でっかい牧場だなー。」
真守と芽愛の目の前にはだだっ広い柵におおわれた草原地帯が広がっている。
ギャレットから話を聞いた翌日。ギャレットから言われた方向にしばらく歩くとこの牧場にたどり着いたのだ。
「それにしても羊が見当たらないな。」
「羊を勝手に見に行って怒られると困るし先にここの管理者を探しに行きましょ。」
二人は羊が一匹も見当たらない牧場を囲っている柵に沿って歩いていく。しばらく進むとボロボロの小さな木造づくりの小屋が見えてくる。
「すいませーん。誰かいますかー?」
その小屋の入口の扉をノックしながら声をかける。しかし返事が返ってくることはなく人がいる気配もない。真守と芽愛はお互いの顔を見合わせ、ゆっくりと扉に力を込める。すると鍵がかかっていなかった扉はなんの抵抗もなく開いていく。
「失礼します。」と一応声を出しながら小屋の中に入る。中には何の変哲もない普通の家具が並んでいる。
芽愛は近くの机に近づき表面に指を当ててつーと引く。
「外側は随分と壊れていたけど、中は随分と綺麗。それにちゃんと掃除もされてるみたい。誰か住んでるのね。」
そう言いながらずんずんと奥に進んでいく芽愛。
「誰か住んでるのなら勝手に入ってはまずいんじゃ?」という真守の制止を無視して奥の部屋に入っていったがすぐに戻ってきた。
「特に何もなかったわ。」
「その部屋は?」
「普通の寝室よ。」
小屋の大体を確認して満足したのか小屋から出て三段ほどの小さな階段を降りていく。
すると小屋の陰から手押し車を押して出てきた人と目が合う。その青年は芽愛を認識すると持っていた手押し車の取っ手を離し尻もちをつく。支えられていた手を話された手押し車はガシャンと大きな音を立てて地面に落ちる。
「なんか凄い音したけどどうしたんだ?」
外から聞こえた音に扉から顔を出して芽愛に話しかける真守。
「あ、あの話を――――」
「泥棒だぁぁぁぁーーー!」
自分の家の前に見知らぬ人がたっていた驚きが中から顔を出した真守を見て恐怖に変わり、青年の足を動かし手押し車に足をひっかけて転びながら逃げていく。
しかしどれだけ必死に走っても冒険者である芽愛にとって追いつけない速さではない。すぐに走って横に並ぶと話を聞いて貰えるように説得を試みる。
「すいません、少し話を――――」
「わぁぁぁぁぁぁーー!」
「私たち冒険者ギルドから来て――――」
「うわぁぁぁぁあ!!!」
「あのすいません!少し話を!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁああ!」
「話を.......」
「わぁぁぁぁぁあ!!」
「話を聞けぇ!」
いつまでたっても叫びながら走って話を聞いてもらえそうになかった芽愛は痺れを切らして青年の脳天にチョップ。当然青年はその場に倒れる。前に倒れてしまったのでひっくり返して顔を上になるようにする。すると青年は泡を吹いて気絶している。
その時には既に遅かった。苛立ちから周りを見ていなかった芽愛だったが今になって気づく。
顔を上げて周りを見渡すとおそらくこの牧場で働いているものたちであろう羊を捕まえているくたびれた格好をした人たちから見られている。
一間おいてその場の全員の動きがぴたっと停止する。そこに聞こえるのは静かな風の音と泡を吹き続ける青年のぶくぶくという汚い音。
この間を先に制さなければこの青年の時の二の舞になってしまう。そう瞬時に判断した芽愛は慎重に声をかける。
「急にお邪魔してすいません。少しこちらの牧場に聞きたいことがありまして――――」
「うわぁぁぁぁあ!!兄ちゃんがやられたにげろぉぉぉぉ!!!」
「なんだなんだ!? 何が起こってるんだ!!」
「冒険者ギルドに連絡を! 誰か強い人呼んできてぇぇー!!」
「メェェェェェ!」
先に動いた芽愛の速さはとても正しかっただろう。芽愛の下に泡を吹いて倒れる青年の姿がなければ。
結局小屋での青年のやり取りと全く同じようにパニックに陥った人々は捕まえていた羊を手放して大騒ぎしながら走って逃げていく。羊はその声に驚き同じように混乱して走り回る。
そしてその倒れる青年と逃げ惑う人々とその周りを走り回る羊とその状況を作り出した芽愛はおろおろと戸惑っているというカオス。
小屋の前で立っていた真守は遠くの方から聞こえてくる芽愛の「話を聞いてぇぇ!」という悲痛な叫び声と逃げ惑う人々と羊を眺めながらため息をついたのだった。
―――――――――――――――――――
それから数十分後。
「いやぁ、みっともない姿を見せてしまって申し訳ない。」
ようやく落ち着いた青年と、芽愛と真守は先の小屋の中で向き合って座っていた。
「いえ、勝手に小屋に入ってしまっていたのは私たちですから。本当にすいません。」
頭を下げる芽愛。それに対して慌てて立ち上がる青年。
「頭をさげないでください。昨日の夜に今日異能者ギルドの人が来るかもっていうことはギャレットハウスのギャレちゃんから聞いてたんですよ。それなのに気づかずにこちらこそ申し訳ない。」
ギャレットハウスという言葉を聞いて小さく身を震わせる芽愛。もはやトラウマになっている。
それにしてもあの怪物を素直にギャレちゃん呼びとは過去に何かあったのだろうか。
それでも勝手に入ったのは真守達なのだから青年が謝る必要は無いと思うがこの腰弱な青年を見るからにさっさと話を進めないとずっと申し訳ない申し訳ないと言い続けるような気がしたので本題にはいる。
「それで、昨日ギャレットさんから聞いたんですが羊の数が減っているとか?」
「ええ、それで私たちも生活があるので値段を上げざるをえず.......申し訳ない。」
また頭をかきながら申し訳なさそうに頭を下げる青年。
「それについてはいいんですが、私たちはどうして羊が減っているのかを聞きたくてここに来させてもらったんです。」
「え、えぇある程度の話はギャレちゃんから聞いているのですが、私共でお力になれるかどうか.......。」
「話せるだけのことでいいので教えていただけませんか?」
「分かりました。ですが、本当に私たちもわからない事が多いのであまり話せることは無いですよ?」
そう言って窓の外を見る青年。
そこには先の芽愛を見ておどろいて逃げ惑っていた人々が羊を捕まえ直して世話をしている。
「私たちは代々この牧場を家族で経営しているんです。特に裕福という訳ではありませんでしたが家族はみな動物が好きということもあって嫌がることも無くこの仕事を受けいれていました。ですがある時を境に急激に何匹かの羊たちの様子がおかしくなったんです。」
「そのある時というのは?」
「わかりません。なんの前触れもなかったものですから。急にバタバタと倒れる羊や狂った様に暴れ出す羊もいました。その羊は可哀想だったのですが他の羊たちをも襲い始めたので仕方なく冒険者ギルドに依頼を出して討伐してもらいました。」
悲しそうに当時のことを話す青年。その様子からも余程この牧場を大切にしていることが伺える。落ち込んでしまった空気を変えようとわざとらしく青年は笑って続ける。
「まあ、そのせいもありましてもとからあまり金銭的余裕のなかった我が家はこの有り様ですよ。」
はははと力なく笑いながらこの家ですと言うようにトントンと机を叩く。
話によるともとから長年たっていた古家はその時に暴れた羊と冒険者の戦いでさらにボロボロになってしまったという。
話を黙って聞いていた芽愛は青年と向き直り窓の外で青年の家族といる羊を指さし言う。
「それでは私たちもできれば羊と残っていればその羊の死体を見させて欲しいのですがよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いません。こちらに来てください。」
そう言いながら席をたち外へ出ていく青年の後に二人も続いて小屋を出る。
外にいた人々は近づいてくる青年の姿をとらえると羊を引っ張りながら近づいてくる。
「兄ちゃん、この人たちは?」
「昨日話しただろう。異能者ギルドの人たちだよ。」
おそらく青年の弟なのであろう少年の問に青年が答える。青年の様子から芽愛と真守に害意は無いと判断した少年は芽愛から羊を見せて欲しいと頼まれると断ることなく許可を出す。
それにありがととお礼を言うと真守も芽愛とともに羊を見る。
「触っても?」
「構いませんよ。」
羊の毛並みに触れてみるとモコモコの毛の中にてが吸い込まれていく。芽愛も同じように羊の毛に手を押し当てている。
ガリガリと体をかいてやるとめぇぇぇと気持ちよさそうに目をつぶる。
「何か分かったか?」
「さっぱり、羊型の魔物ならまだしも本物の羊はさっぱりね。」
羊のことはさっぱりわからないので芽愛に問いかけてみたものの芽愛も同じく首を振る。
「すいません。今度はその死んでしまったという羊を見せていただいても?」
「えぇ、こっちです。ついてきてください。」
少年にお礼を言って羊を返し青年の後について行くと先の小屋とは反対の方に少し大きめの小屋がある。
「ここです。少し臭いますが入りますか?」
「はい、お願いします。」
青年が力を込めて扉を開くとなかから生暖かい風が吹いてくる。足を踏み入れるとツンと死臭が漂っているのがわかる。
「この子たちです。左側に置いているのが急死した羊で右側に置いてあるのが冒険者の方に倒していただいた羊です。」
小屋の中の左右にかためられている羊の死体の説明をする青年。
それらの羊の死体のなかにはハエやウジ虫のたかっているものもある。
「そちらの死体は古いものです。虫がたかっているので気をつけてください。」
青年の注意喚起を無視して左側の虫のたかる死体の側へしゃがみこむ芽愛。慌てている青年を無視して手でハエをはらいながら死体を観察する。
「この死体と今まで普通に寿命を終えてなくなった羊との違いは何かありますか?」
「一応確認しましたが、ないと思うのですが。」
「念の為もう一度確認していただけますか?」
じっくりと横たわる羊を見ながら触って確認する青年。しばらく触っていたが手を離して首を振る。
「やはり違いは見られませんね。今まで見てきたものと変わりありません。」
「そうですか.......。」
次に二人は急に暴れだしたという死体に目をやる。
「確認なのですが、この羊は冒険者を雇って討伐したんですよね?」
「はい、そうです。私たちではどうにもなりませんでしたので。」
芽愛がその死体から感じた違和感を確かにするために青年に確認をとる。
羊の身体中には無数の切り傷と弓矢で射貫かれたような跡がついている。前足の蹄は砕けておりその時の戦いの激しさを語っている。芽愛は背中が大きく裂かれていることからおそらく死因は出血多量だろうと推測する。
その事に違和感を感じたのだ。魔物化した羊ならばこれ程の戦いの跡が残っていてもおかしくはないが相手は暴走していたとはいえただの家畜用の羊。対して羊を討伐したのは冒険者だ。
どれほど初心の冒険者であっても冒険者になる試験をクリアしている以上ただの羊にこれ程まで手こずるということはありえないのだ。
まるでこの様子だとその冒険者が怪しいかそれともこの羊がまるで魔物のような――――――。
そう芽愛が思考し、さらに詳しく調べようと死体に手を伸ばしたその時、外が何やら騒がしくなっているのに気づき草原を見渡す。するとさっきの青年の弟が慌ててこちらに向かって走り小屋の中に飛び込んでくる。
「はぁはぁ、兄ちゃ.......はぁはぁ、羊が.......母ちゃんと..............はぁはぁ、じいちゃんが.......。」
「どうしたんだ洋太! 一旦落ち着くんだ。」
転がり込むようにして小屋の中に入ってきた青年の弟、洋太は息も絶え絶えで焦りながら何かを伝えようとする。
慌てて洋太のそばに駆け寄った青年は洋太に落ち着くよう言いつけゆっくりと背中をさすってやる。
数秒後呼吸が元に戻った洋太は涙を流しながら叫ぶ。
「母ちゃんとじいちゃんが羊に襲われてる! また前みたいに羊が暴れだしたんだ!」
青年が顔を驚愕と焦燥と恐怖にそめるのとほぼ同時、横で話を聞いていた芽愛と真守は走り出していた。
小屋に来た方向へ逆走しながら騒ぐ声の聞こえる方へ走る。
そこで目にしたのは鼻を息荒く鳴らしながら青年と洋太の母と祖父に襲いかかっている羊たちの姿だった。