郵便局
俺は立て付けの悪い引き戸を力任せに閉じると、猛暑のせいか手汗で濡れているキーを原付バイクにつきさした。
心なしかその手は強ばっているように思えた。
7月の熱気には嫌になるが、郵便局経営に休みなどない。
勢いのまま愛車にまたがると、熱線を浴びたサドルのシートカバーが俺の股間を焼きつけてきた。
本当にたまったもんじゃない。
親父が夏風邪にやられてさえいなければ、こんな仕事はまっぴらごめんだ。
俺はこんな田舎町なんて捨てて、早く上京したいのに。
辺りを見回してみても、見慣れた山とトタン屋根か瓦屋根の家ばかりだ。うんざりする。
これを風情があっていいだなんて言えるのは、「もってる」ヤツの戯言に過ぎない。
風が吹いた。
そこで俺ははっとして我に返った。
眉間によったしわを伸ばし、エンジンをかける。
町内放送のスピーカーから機械音のチャイムが鳴った。正午を知らせる音だ。
俺は坂を登り始めた。
しばらくが経った。
腕時計を見ると、どうやらもう16時らしいことがわかった。
なんとなく区切りがいいので、持参した水でも飲もうかと空き地にバイクを停める。
郵便物や手紙、葉書で底の見えなかった配達カゴはずいぶんと軽くなっており、ゆっくりブレーキを踏んだにも関わらず一瞬浮いたとわかった。
俺はなるべくコケの生えていない木を見つけると、根元に腰を下ろす。
水筒を取りだして水を口に含むと、木陰に吹くやさしい風が自分をふんわりと包んでくれたような気持ちになった。
昼間に感じていた苛立ちはどこかに行ってしまったようだった。
今日は、久しぶりに町中の人と話した。
みんなにこやかで、みんな幸せそうだった。
まさか俺がこの地域を「クソ田舎」だなんて思ってもいないだろうと、そんな様子であった。
それとも、俺が父の家業を継ぎ、この町に残ることを決心したのだと勘違いしたのかもしれない。
どちらにせよ、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
ここはおまえの居場所なんだと、諭されたような、表現を変えるなら、認識させられた気がした。
自分は、一体何をしたいのだろうか。
都会に出たとして、何が変わるのか。何も変わらないだろう。
そんなことは知っている。
ただ、自分の世界の限界がこの小さな田舎町なんだと言われているような気がして、やるせなかったのだ。
俺はこの町が嫌いだ。
年中虫はうるさいし、時期が来ると町はずれの畑は牛糞臭い。
かわいい女の子がいないから出会いもないし、極論を言ってしまうと夢がない。
――だから、自分がゆっくり死んでいるように思えてしょうがなかった。
だが、今は少し気が楽になった。
自分はこの仕事が好きだったのだ。
ただただ町を廻り、モノを届けるだけの仕事だが、変化を楽しめる。
停滞していて、発展という概念に見放されたと思っていたこの町も、刻むような速度でだが、変化していたのである。
何より、みんなが自分を、自分が思っていたよりも覚えていてくれた。
そのことがなんだか嬉しかった。
寂しい考えかもしれない。今朝の自分が聞いたら鼻で笑うような考えかもしれないが、気にならなかった。
鈴虫が鳴き出した。
この時期の鈴虫は珍しい。
どうやら数匹で鳴いているらしい。
早起きの鈴虫にも、仲間がいるのだろう。
俺は、自分を恥じることをやめた。