熊手紙
登場人物
俺 (22才。部品工場のバイト。語り部)
オジサン (37才。ベテランのバイト。皆の信望厚い)
由加 (23才。新人バイト。ドンくさい)
彩加 (24才。新人バイト。生意気)
おばさん (?才。彩加を嫌い、由加に接近)
*
バイト先の工場に30代後半のオジサンがいた。
8年以上いるベテランで、人柄良くて仕事もできて皆から慕われていた。
揉め事なんかがあると仲裁し、困っている人がいると真っ先に助け、
人の悩みを聞き、雨ニモマケズじゃないけど、聖人のような人。
だからといって完璧でもない。たまには大コケするような事もあるんだけど、
それはそれで人間らしい魅力だった。
オジサンは誰それ構わずいろんな人と飲みに行くのが好きで俺もよく御一緒した。
くだらない話もよくしたが、この人と飲む酒は俺の癒しであり活力源だった。
オジサンは社員や管理職からの信頼も厚く、いずれは社員になるみたいだけど、
どんな立場であれ、尊敬するオジサンには変わりはない。
*
ある日、新しいバイトの女の子2人が入ってきた。ともに20代。
職場が地味なので可愛い子はまず来ない(苦笑)。
由加はダサいイモねーちゃん。
重い黒髪を束ね、未処理の太眉、口元の産毛は完全に髭。
年季の入った股上の厚いデニムに機能性重視のダッドシューズ・・・。
せっかく美人の素地はあるものの、
これらの要素がものの見事にそれを根絶させていた。
仕事も機転が利かず、ドンくさく、何故かたまに声が野太くなる。
バイト仲間からは陰で「チン○ついてない男」なんて言われてた。
もう一人が彩加。
由加とは対称的。
入ってきた当初は由加に毛の生えた程度だったが、
何故か日に日に女子力を高めていった。
ふわっとした明るい色のショートヘア。
程よい露出感がある流行りを取り入れた服装。
オールスターをラフに履きくずし男心をくすぐる。
決して美人じゃないが、
女子らしい女子が珍しい職場にあってチョットした紅一点。
仕事の覚えも早く、要領よくテキパキこなす。
でも、相手によって露骨に態度を変える。あざとく生意気。
おおかた男たちには可愛く素直に対応したので結構チヤホヤされていたが、
反面、一部の同性、即ちオバサンたちからは当然の如く嫌われていた。
由加と彩加の力関係は彩加が完全に上。
由加はいじめられっ子の雰囲気もあったから、強い彩加には完全に従っていた。
由加は何故か男たちには堂々と接するが、
同性の彩加に対しては気持ち悪いぐらい従順だった。
何ていうか、学生時代の弱者特有の卑屈な癖というか、妙な習性というか、
攻撃を恐れてすすんで防衛線を張っている姿は見ていてイタかった。
ちなみに由加は彩加を「お姉さん」と呼んでいた。
(もしかしたら、2人ともいじめられっ子だったかもしれない)
*
由加がオジサンと同じ部署で仕事をすることになった。
オジサンは丁寧に、時にちょっと厳しく、理想的なレクチャーで作業を教授した。
オジサンは明るくてサッパリしている人だから、
仕事相手としてもストレスは少ないと思うし、
何しろ仕事ができるから、協同作業が楽だったと思う。
そして何よりも、ベテランのおじさんがドンくさい由加のメンツを立てるので、
(例えば他のバイトではなかなかできない作業を教えて修得させたり、
由加がいて本当に助かっていると言葉に出したり)
周囲の由加に対する態度は悪くなかった。
由加にとっては本当にラッキーな環境を手に入れたと思う。
そんな素晴らしい環境を手に入れた由加に彩加が接近した。
目的は由加ではなく、もちろんオジサン。
由加にさえ、こんなに優しい対応しているのだから、
私にはとびきりの対応をしてくれるわねって感じで。
ところが不思議なことに、このオジサン、彩加には冷たいんだよね、どことなく。
オジサンは大人だから無視したりはしないんだけど、
仕事上の話以外はほとんどせず、あれ?って感じ。
彩加は当然それが気に入らないみたいで、
オジサンと由加の間にわざとらしく割って入ったり、
自己アピールしたりするんだけど、オジサンの態度は変わらない。
オジサンは彩加のあざとさを知っていたのか、
彩加に対するドライな姿勢を崩さなかったんだ。
そしていつしか彩加も降参。
逆に今までの行儀の悪い自分を反省するかの如く、どことなく素直になり、
由加に対しても苗字ではなく「由加ちゃん」と呼んで、
友人のような接し方になっていった。
*
そんなある日、変な事があった。
由加に「手紙」が来たんだ。
俺たちは出勤するとまず最初に、
自分の名前の書いてある分担簿にハンコを押すんだけど、
そのボードに由加宛の手紙が挟まっていた。
職場名部署名と由加の名前が書いてあるクマさんの絵の描いた
中途半端に可愛い封筒だった。
クマはクマのクセに星の旗をもっている。
「由加様へ」、、、?
俺は一瞬凝視してしまったが、変に思われると感じてすぐその場を離れた。
たぶん差出人は工場内か外部の人かわからないけど、職場に手紙が届き、
事務方が本来、由加に直接渡せば良いものを、
面倒臭いからボードに挟んでおいて、
「本人(由加)勝手に取ってね」って事なんだろう。
俺はいつもギリギリに職場に入るから、
皆(由加含めて)もうあのクマ手紙に気付いているだろう。
でも手紙はそのまま放置して挟まったまま。
その内、バイト仲間の男の一人が由加に
「あの手紙、由加さん宛だよ。持って来ないと」と由加を急かした。
バイト仲間は(ラブレターなんじゃないの?)みたいな顔をしていた。
まあ皆そう思うだろう。彩加も気にしてる。オジサンは余り興味なさ気だが…。
由加は重い腰を上げるように、その手紙をとってきて、ポケットにしまった。
期待や不安や諸々の感情はあったろうが、
とりあえずは休憩時間にゆっくり見ようとしたようだ。
*
休憩時間は皆、各々ずらしてとるが、今日に限って由加と重なった。
といっても休憩フロアはわりかし広く、
遠くのテーブルに由加がいるのがわかるぐらいの距離がある。
由加はいつも休憩時間に自宅から持ってきたパンやお菓子を頬張っていたが、
今日は違った。
寝てるような姿勢でテーブルにふさぎこんでいた。定番の仮眠スタイル。
由加のそれは初めて見た。
さっきの手紙を読んだ後だと思うが、疲れているのか、体調が悪いのか、
あるいは手紙の内容が変なものだったのか…わからない。
ふと由加が顔を上げた。
瞬間、俺は見た。
彼女、泣いてたみたい。
*
翌日から由加と彩加の雰囲気と関係が変化した。
由加は手紙の内容を彩加から執拗に聞かれても教えなかったようだ。
由加は彩加に対して「お姉さん」と言わなくなり、
ハッキリ距離をとっているように見えた。
彩加は由加がラブレターをもらったと思っていた。
「相手はどんなだか知らないけどアンタもやるわね」みたいな羨望と、
少しの劣等感が混合し、
また最近自分を避ける姿勢の由加に対しての疑問と危機感からか、
由加に対して今まで以上に柔らかい態度をとるようになった。
1~2週間、由加と彩加には微妙な空気が流れていたが、
由加はもともと鈍感なタイプなので(チン○のついてない男)、
何かあってもすぐ忘れるのか、
気がつくとまた彩加を「お姉さん」と呼ぶようになっていた。関係はいつのまにかリセット。
あの手紙、一体なんだったのか?
そして2年ぐらい経ったかな。由加も彩加もバイトを辞めていった。
2人とも結構長くやった方だと思う。
*
俺は就活しながらいまだに工場にいる。オジサンはやっと社員になった。
恩人なので俺も嬉しかった。
でもオジサンには俺にも言えない苦労も沢山あったと思う。
10年近くバイト身分だったからな。
以前に比べ、接触する機会は減ったが、仲は変わらず、たまに酒を御一緒する。
そんなある日、休憩中におばさんに声を掛けられた。
このおばさんは、オジサンよりも古くからいる人で、
完全にパートタイマー的な人。仕事もあんまりで、突発の欠勤や遅刻の多い人だ。
地元の駅が同じで、たまに自転車に乗ってる俺を見かけるらしい。
地元のラーメン屋の話をした後、何となく由加の話になった。
流れで彩加の話もした。
「変わったコ達だったね。特に彩加は女が嫌う女の典型。
ムカついてたから口きかなかったよアタシ」
そういえば、このおばさん、彩加を嫌っている女性群の筆頭だった。
「ブスのクセに、、、」 呟くおばさんの顔が少女のようだった。
かたや由加とは仲良くしようとしたけど、どことなく陰があり、
一定の距離を保とうとするから、あまり親しくなれなかったらしい。
「でも由加ちゃん、手紙のことで辞めようとした時、アタシが励ましたの。
負けちゃダメだって。それであの時、辞めなかったんだから」
「えっ!あの手紙のこと、知ってるんですか?」
「ウン。出勤ボードに挟まってたやつでしょ」
俺は思わず食い入った。
「帰り際、“手紙もらったでしょ?”って話しかけたら、ウルウルしてるのよ。
つらい顔に見えたから“どういう手紙だったの?”って聞くとうつむいたから
思わず手紙を見せてごらんって言ったの。そしたら見せてくれたのよ」
その手紙には以下の文章が書かれていたらしい。
「もう一人の子。裏でキモイとかキタナイって言ってるよ。→AYK」
短い内容だからおばさんも覚えていたんだろう。
おばさんは一瞬、“もう一人の子”の部分が引っかかり、
同じ部署にいたあのオジサンが浮かんだらしいけど、
「オジサンは“子”じゃないよね(苦笑)」
で、最後のイニシャル見て納得。
その時、由加がおばさんをじっと見つめたから、おばさんはドキッとして思わず
「アタシが書いたんじゃないよ」って言ってしまったとか。
「確かに彩加は嫌いだけど、由加の悪口を言っているのは直接聞いたことないし、
何よりアタシそんな陰険な事しないよ!」だって。
俺はそうですよねって答えたけど。
まあ他にも工場には彩加を嫌う女が何人かいたから、
多分その辺が書いたんじゃないですかねって言っておいた。
おばさんは、一人の女性社員の名をあげて、「あの人かな?」って笑ってた。
*
それからしばらくして俺は工場のバイトをやめた。
何とか就職にありつけたので。
今の仕事は大変でバイトとは責任が違うけど、収入が安定してるし、
何しろやりがいがあるんで満足している。今更ながら社員の重みを痛感した。
オジサンとは今でも交流が続いている。
オジサン始め、工場の人たちと飲みに行く機会はたまにある。
職場は違ってもオジサンは相変わらず尊敬してやまない先輩で、
悩みを聞いてくれてアドバイスもくれる。
そしていつもながらオジサンと飲みに行くと遅くなる。
俺もオジサンも皆、ストレス溜まってんのかな。
この日も終電がなくなり、同方向の者が組になってタクシーで帰るといういつものパターン。
俺はオジサンと同方向だからよく同じタクシーに乗る。
車中、何を話したかは忘れたが、
何故かその日はオジサンのアパート(マンションとも言えなくもないが)に
泊まることになった。
*
初めて入ったオジサンの部屋。何の変哲も無い部屋。
実は職場の人間が来たのは初めてだという。(もう同じ職場ではないが)
散らかってもないし、かといってキレイでもない。
オジサンはわりと大雑把なのでダンボールにそのまま生活用品が入ってたりする。
でも飲みかけ、食べかけとかは無く、居心地はそんなに悪くない。
一晩だけ寝る空間としては十分だ。
座布団を枕にカーペットに寝そべり、部屋を見渡した。
部屋隅の棚には書類がすべてクリアファイルに入って置かれている。
「さすが!」って言ったら「当たり前だよ」だって。
そして次の瞬間、青ざめた。
透明のクリアファイルの一つに、封筒が入っている。
熊のイラストが描いてある。
星の旗を持った熊。
心臓が高鳴った。
俺はすぐ顔に出るタイプなので焦った。
顔が引きつり、汗を掻いた。落ち着け、落ち着け、でも汗が止まらない。
気付かれるぞ、ヤバイ。俺が気付いた事、気付かれる。
渾身の勇気を振り絞るようにしてオジサンに言った。
「もう寝ますね」
オジサンはどこか悲し気に「ウン」と言って灯りを消した。
そして実に滑らかな口調で「オヤスミ」と言われた。鳥肌が立った。
、、、。眠れなかった。でも寝たフリをした。
オジサンはベッドの上で背を向けている。
寝ていたのかは判らない。呼吸は感じるが、とても静かだった。
恐る恐る棚の方をもう一度見ようとしたが、できなかった。
だってオジサンが振り返ると思ったから。
とりあえず棚は二度と見たくない。
目を閉じてじっと時が経つのを待った。
朝、自然なかたちで早く帰ろうと思った。
地獄のような3~4時間を乗り越え、ようやく朝になった。
俺はわざとらしい欠伸をして「帰りますよ」と言いオジサンのアパートを出た。
オジサンはまだベッドの上で背を向けている。
本当はそれ以上に言葉をいくつか添えて、
例えば「昨日は飲み過ぎましたね」とか一言二言言わないと
マズイと思っていたけど、声が出なかった。
ドアを静かに閉める時ですら、棚の方を見ることは出来なかった。
そしてドアを出る瞬間「お疲れさん」って言われたのを覚えている。
起きたばかりの朦朧とした声ではなく、単調だが明朗な響き…。
オジサン、寝てなかったのかな?
とにかく逃げるようにその場を遠ざかり帰宅した。
それからオジサンと会うことは二度と無かった。
*
ある日、地元でおばさんにあった。
おばさんはまだ工場やってるんだって。
そして聞いてもないのに、オジサンが工場を辞めたことを知らされた。
せっかく10年もかけて社員になってこれからだって時に何で辞めたのか。
職場の皆もわからないのだそう。
噂では地方の観光ホテルに住み込みで働いてるとか。
、、、衝撃と怒り。
なんだろね。まったく。
ふざけんなバカヤロー!
そんなに純粋な中年オヤジが居るのかよ!ケジメ?懺悔?くだらねえ!
自分を聖人だと思っているのか!ただただ不気味なだけじゃないか!
俺は悔しさと罪悪感にさいなまれた。
俺はやっぱり見てはいけないものを見てしまったのか。
*
オジサンは何故、熊手紙を書いたのか。
由加(または彩加)に対し何か恨みでもあったのか。
俺はありったけの記憶を掘り起こして、当時の状況を思い起こした。
一つだけ思い当たる節があった。
やはり由加だ。
作業台に自分の道具箱をのせているオジサンに対し、
由加がこう言った場面を思い出した。例の野太い声で、
「そこの箱、邪魔だからどけてくれます?」
オジサンは「ああゴメンネ」と
道具箱をどかしたんだけど、その時、俺は思った。
由加って彩加に対してはビビリまくってんだけど、
相手が親切な異性だと傲慢な態度がたまに出るんだなって。
あの時は、チョット失礼だなぐらいにしか感じなかったけど、
今考えると、とんでもなく無礼だよな。
よりによって大恩あるオジサンに対し、あの台詞は無いと思った。
その後、工場内に痛々しい激突音が響いたんだ。
音の方に駆けつけたら、オジサンが足ぶつけちゃったって苦笑いしてて、
俺もだいじょうぶっすか?なんてやりとりがあったんだけど、
ぶつけた箇所は、何かが蹴っ飛ばした跡にしか見えなかったんだよな。
オジサン、
最高にブチギレてたんだよ!
終
ではなくまだ続く
猫手紙 シェダゴン
登場人物
オジサン (40才。観光ホテルにて住み込みで働く)
女将 (45才)
山田さん (50才)
マキオ (青年)
後輩 (25才。彼女と熱海に来る。オジサンと遭遇するのか?)
彩加ではなく、由加に一撃くらわすためのものだった熊手紙。
現40才。オジサンはここ熱海の観光ホテルにて住み込みで働く。
オーシャンビュー。日の沈む海。苦笑い。
「エセ聖人。自爆」
渾身のミサイル熊手紙は実質オジサン自身に対する核兵器であった。
何しろ、自らとはいえ、こんな遠くに飛ばされてしまったのだから。
「性格は変わらない。だから環境を変える」
テレビ番組での受験の心得を説いた東大生の言葉だが、
オジサンはこれに即応した。
すなわち、すべてを捨てて、新天地に旅立つ。
あの、後輩をアパートに止めた夜、、、、
もういいか。
このへんで終わりにしたいと思います。
おしまい。
ハッキリとわかるあざとさよりも、
無神経な、ある意味天然の、純粋な傲慢は罪だ。