幕間 国交正常化前夜
イステイジアの末姫、シャクナゲは無表情で、しかし真剣に何かを考え込んでいた。シャクナゲは手元の書類から、ちろりと目を上げた。自室には見目麗しく、忠義心にあふれる侍女達がはべっている。自分の身の振り方によっては、彼女達の運命も大きく変えてしまうだろう。
和平協議が始まった時から、ジェンシャリオンの釣書や情報が次々と自分の元に届けられた。最初から 「婚約」 も交渉のカードの中に入っていたのだ。本当にそうなるかは、当時五分五分といった所だったが。
ジェンシャリオンの経歴はそれはそれは輝かしいものだった。それらが全て本当かどうかは更なる調査が必要だが、灌漑設備の改良に長年取り組み、ダンディリオン国の農産物生産量を増産させたのはジェンシャリオンの手腕だという。王の補佐も務め、国王派のみならず非国王派からの信頼も厚い。武功もあり、本当にひとりの人間についての事なのか、少し信じられない思いがわいてくる。
これは確かに他国にくれてやるわけにはいかない人物だ。
婚約者がいない点がどうにも腑に落ちないが、ダンディリオンへ潜り込ませているナズナの身内によると、外見に難があり、持ち上がる縁談がことごとく破談になるのだという。王弟との縁組をそう簡単に断わられるものだろうかとどうにも納得出来ないのだが、ジェンシャリオン本人の希望で、政治的に避けられない縁談で無い限り、お相手の令嬢の意向を最大限考慮するという方針らしい。
どうにもよく分からない話だ。
絵姿は数年前のものしか手に入らなかった。特徴的なのは、茶系の髪の半分ほどが白髪におおわれていることだろうか。
普通の顔に見える。
しかし縁談話の顛末を聞く限り、この絵も現実に即したものか疑わしい。
―――シャクナゲの気持ちは決まった。
本日の和平協議を終え、夜の会食とは名ばかりの腹の探り合いへ向かう準備をしているだろう父王のもとへ足早に向かう。十二ひとえの裾がひるがえり、たいそうはしたない事になっているが、この交渉カードを一刻も早く届ける必要があった。
「お父上様」
呼びかけると同時に、侍女のナズナとヒナゲシが廊下と座敷の間の障子をスパンッと開ける。
シャクナゲは父王の元へ馳せ参じると、ぴたりと両手を畳につき、背筋を伸ばして頭を下げた。
「シャクナゲはダンディリオンに参りとうございます。この大商談、必ずや成功させてみせましょう」
父王はじっと末の姫を見つめると、しばし間をおいて、ひとこと
「よくぞ申した」
と言葉を残し、交渉という戦場へ戻っていった。
シャクナゲは父の背を見送りながら、希望に満ちあふれ、これからの事に思いをはせる。
もしジェンシャリオンの功績が虚飾だとしても、彼の近くに実際それを行った者がいるはずだ。その者と、是非商売がしたい。商売人としてのどうしようもない衝動がシャクナゲを高揚させていた。
これまでダンディリオン王弟は、幾度も縁談が流れてきた。国内では、家格も良く人物としても申し分の無い令嬢はあまり残っていないだろう。王弟の縁談は、かの国の重大な懸案事項であるはずだ。放置すれば正妻に出来ないような女性にろうらくされ内政に影響が及ぶかもしれないのだ。
十中八九、自分との縁談は成立するであろう。
―――思惑通り、末姫をダンディリオンに出しても良いかもしれないと匂わせると、大使としてイステイジアに滞在中のジェンシャリオンの兄に当たる王弟―――こちらの王弟は結婚済みだ―――をはじめダンディリオン陣営は色めき立った。表向きそっけない返答をしていたが、早馬や魔法の伝書等、ありとあらゆる手段でダンディリオン王に 『イステイジアから和平婚儀の可能性あり』 の報が伝えられ、ダンディリオン王からは 『何をおいても姫の輿入れだけはもぎ取れ』 と厳命が発せられた。
その内情がイステイジア王にだだ漏れだったことから、ダンディリオン陣営がどれほど浮き足立っていたのかうかがい知れるというものだろう。
イステイジアは、この一手を足がかりに和平交渉の主導権を掴み、大国ダンディリオンと小国イステイジアの間で、公平な条約が結ばれたのである。