第1章 初夜は手さぐりよちよち歩き(5)
鳥の鳴き声が聞こえ、ぼんやりとシャクナゲは覚醒した。
チュピチュピチュピと可愛らしい鳴き声のみが聞こえ、ここはイステイジアでは無いのだと、現在地の認識確認を行う。イステイジアではわざと結界を緩め、害のない魔物は都の中に入れていた。ギョエーという鳴き声が恋しくなるとは、イステイジアを離れるまで思っても見ないことだった。
ふと隣を見ると、ジェンシャリオンが上半身を起こし、仕事の時の顔で書類を見つめている。ふわりと髪が乱れ、寝巻き姿で仕事の顔をするジェンシャリオンはとても色気があり、見ているだけでドキドキして来た。好きすぎるせいか、頭頂部あたりから光が発しているような幻まで見える。太陽の化身のように神々しいジェンシャリオンが、ふとこちらを見たかと思うと、それはそれは優しく柔らかい声を発した。
「おはよう、なーたん」
その声はとろりと甘い蜜のように耳から入り、全身に広がる。ぞわぞわとした感触を感じながら、シャクナゲは心の中で歓声をあげた。
「仕事に行かなくてはならない。休みは、また今度だ」
ジェンシャリオンの冷静な声に、シャクナゲもまた少し頭が冷え、はしたなく身もだえしようとしていたのをやめた。
「承知いたしました」
努めて感情を押し殺し、答える。本当は昨夜のように触れて欲しい。しかし夫が仕事へ行こうとしているのだ、甘えるのは王弟の妻として間違っている。シャクナゲもジェンシャリオンに習い、上半身を起こした。夫を準備万端、仕事におくりださなくては。
「それで・・・・・・あの、昨晩わたくしが申し上げた事ですが。本当の気持ちですので」
しかし、未練があふれ、口からするりと言葉が出てしまった。そして自分の行為に自分で驚愕する。恋とはこんなにも人を浅ましくしてしまうものなのか。恐ろしい。
自分の行為に少し落ち込み目線を下げると、昨晩と寸分たがわず、きっちりと着込まれている白い寝巻きが目に入った。
――――――え?
手足をからめる儀式を、されていないのだろうか。いや、でもいいのだ。そんなはしたない行為は子を作るためのものであって、どうしても昨夜行わければならないものでは無かった。今晩からでも行えば、何の支障もないはず。
冷静に考えたが、昨晩、自分があられもなくジェンシャリオンに魅了され、そのはしたない行為をして欲しくてたまらなくなった事を思い出した。恥ずかしい。今思うとものすごく恥ずかしい。
動揺するシャクナゲに、さらに動揺するひと言をジェンシャリオンが放った。
「あぁ、お米が好きなのだろう。用意しておこう」
言葉の意味が全く理解できなかった。
思考が止まり、気がつくと唇に柔らかい感触があった。
未だかつて無いほど近くにジェンシャリオンの顔があり、口づけされたのだと認識するまで少し時間がかかった。
そして、お米がどうとか、自分の言葉が伝わっていないこととか、全ての思考が彼方に飛び去り、ジェンシャリオンが好きでたまらなくてどうしようもない気持ちだけが残った。
この人さえ側にいてくれるなら、他はどうでも良いのだ。
これが世界の真実なのだ。
広い食堂でひとり優雅に朝食をいただき、庭に面したガラス張りのサロンでお茶を楽しみながら、シャクナゲはヒナゲシに話しかけた。
「この屋敷はこのままでも落ち着くけれど、何も無くてまるで寺院のようだわ。ジェンを侮る不届き者が出ないように、まずは屋敷の中を整えなくては。家令のロータスに美術品や絵画の所蔵品について確認したいわ。お茶の後、呼んで来てね」
「かしこまりました。しかし奥様、明日からで良いのではないでしょうか。本日はゆっくりとお休みになられても・・・・・・」
シャクナゲはヒナゲシを振り返った。
「どうして?」
無邪気に小首を傾げる様子に、ヒナゲシは悟った。
主人は初夜を正しく迎えなかったのだ。そして、主人に恥をかかせた上に朝から登城した新しい男主人を思い浮かべた。
あ・の・う・す・ら・ハ・ゲ~~~!
「昨日の式の疲れはすっかり取れているし、何ともないわ。ヒナゲシは心配性ね」
何も分からず機嫌の良さそうな主人に、ヒナゲシは思わずつぶやいた。
「お子ちゃま」