第1章 初夜は手さぐりよちよち歩き(4)
結婚式の翌朝、家令ロータスは、夜明け直ぐに届いた書類を持って廊下を早足に歩き、主人の書斎へ向かった。
式の翌朝だというのに、あの年寄り共は遠慮というものを知らない。いつか思い知らせてやらなければ。
不機嫌を隠そうともせず、少し強めに書斎の扉をたたく。
「どうぞ」
誰もいないはずの書斎から返事が返ってきた。しかも我が主人の声のように聞こえる。いや、幻聴に決まっている。主人は6歳も若い花嫁とひと晩過ごし、寝入っているはずだ。
そっと用心しながら扉を開けると、主人と目が合った。
「・・・・・・」
「・・・・・・旦那様?」
ロータスは、さっと書斎に入り音もなく扉を閉めると、足音を立てない早足で主人に詰め寄りせまった。
「あ・ん・た、いったい何やってんだ!」
そして直ぐに居住まいをただし、言い直す。
「失礼しました。しかし奥様を放っておいて、何をなさっているのですか。目覚めた時、奥様がひとりだった時のお気持ちをお考えになって下さい。初めての経験をなされてどんなに不安な気持ちになられるかと思うと―――」
「―――していない」
「・・・・・・は?」
ロータスはあっけに取られたような顔で主人を見た。
主人はバツが悪そうな顔でロータスを見ている。
「何があったのですか。私共で協力出来ることであれば何でも致します」
「・・・・・・いや、その。ただ眠っただけだ。お互いに疲れていたらしくて、うっかりぐっすりと寝てしまった。なーたんはまだ寝ているので、起こしたら悪いと思って、私の部屋からこちらに来て仕事をしていた」
「なーたん・・・・・・とは?」
「シャクナゲだ。国元での愛称らしい」
いやもう本当に何をしているんだ。
好きな女性が、無防備に隣で寝ていて、ぐっすりとは。しかも結婚していて何をいたそうが何の問題も無いのに。もう意味が分からない。
ロータスは侍女長を呼ぶ鈴を鳴らした。
侍女長コメリナが、こんな日の朝に何事かと書斎に駆けつける。
「お呼びでしょうか」
さっと控えたコメリナ。
「旦那様」
ロータスは目で主人に「言え」と促す。
「えー、昨日は二人とも疲れていたので・・・・・・寝た。それだけだ」
「まぁ!」
コメリナは、さっと表情を陰らせた。主人より、余程状況が分かっている。
「それで、奥様は」
「まだ寝ている」
「それは、ようございました。さ、旦那様、お早く!」
事情を飲み込めない主人が、え?、え?、と家令と侍女長を見る。
コメリナは業を煮やして、扉を開け放った。
「奥様がお目覚めになる前に、寝室にお戻りください!さあ、早く!」
ロータスの期待通り、コメリナは一発で主人を寝室に戻してくれた。いつも頼りになる。ありがたい。
侍女長コメリナに凄いけんまくで寝室へ戻され、扉を閉める直前には家令ロータスから書類を押し付けられる。
ジェンシャリオンがすごすごとベッドへ戻り、書類の内容を確認していると、ほどなくシャクナゲが目を覚ました。
「おはよう、なーたん」
呼びかけて、何だか申し訳ないような気持ちになった。
寝起きのシャクナゲは、それはそれは可愛らしく、夜明けの光を集めて出来た妖精のようだ。その妖精が目覚めて最初に見るものが自分だとは。起きて直ぐの、身支度を整える前の自分は、普段より薄毛が目立つ。生え際が後退しているだけではなく、頭頂部が薄くなってきている様子がはっきりと見えることだろう。
さらに申し訳ない気持ちで、シャクナゲに告げる。
「仕事に行かなくてはならない。休みは、また今度だ」
「承知いたしました」
間髪を入れず、すっとシャクナゲが答えた。
「それで・・・・・・あの、昨晩わたくしが申し上げた事ですが。本当の気持ちですので」
もじもじしている。目がうるみ、ほんのりとほほを染める様子を見せられて、今さらながら欲望が湧き上がって来るのを感じた。
そんなに米が好きなのか、可愛い。
しかし仕事だ。
「あぁ、お米が好きなのだろう。用意しておこう」
我慢出来ずに軽く口づけだけを交わすと、ベッドを出て自室に向かう。
自分で身支度を整えていると、いつの間にかロータスがいて手伝ってくる。
「奥様に呼ばれました」
言葉少なにロータスが報告して来た。
しばらくすると、今度は料理長が入ってくる。
「少しでも召し上がるようにと奥様が」
トレーを置き、そのまま出ていった。
ロールパンに上から切込みが入れられ、野菜や肉がはさまっている。紅茶とコーヒー、ジュース、水も添えられていた。ロールパンサンド等という食べ物は、子供の頃の遠乗り以来だ。懐かしい。
そして、使用人達とシャクナゲに見送られ、馬車で王城へ向かった。
朝、急に出なければならない時、いつもは自分で身支度をし、ロータスにだけそっと伝えて家を出ていた。朝は食べない事が普通で、忙しければ昼も食べそびれ、夜まで何も食べない事も良くあった。
これが結婚というものか。
早く仕事を終わらせよう。そして、今度こそゆっくりと、夫婦の時間を過ごすのだ。