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第1章 初夜は手さぐりよちよち歩き(3)

 婚儀の後の夕食で、自分を見るなりジェンシャリオンは飛び切りの笑顔を見せてくれた。

 シャクナゲは幸せをかみしめた。


 ダンディリオン国の者は、自分を可憐で無垢な姫君だと思っている。夕食のドレスを選ぶ時、最初はそのイメージに合わせ、フリルとリボンがあしらわれた小花柄のものを着た。

 そこで迷いが出た。

 そんな事になるのは稀だった。シャクナゲは自分が周りからどのように見えるか、よく分かっていた。分かった上で外見すら道具として利用しているのだ。

 道具としては小花柄のドレスで完璧なはずなのに、何か物足りない。もっと、彼に自分を見て欲しい。もっと、もっと・・・・・・。

 ―――国の道具としてのシャクナゲではなく、私を見て欲しい。

 衣装部屋に吊るしてさえいなかった、箱の中に入っているドレスをふわりと取り出す。ダンディリオン国内でイステイジアブームを作り出す、ひとつの舞台装置として用意したドレスだ。

 シャクナゲはこのドレスに袖を通す予定は無かった。少し幼く見えるデザインでありながら、袖を無くし胸と背中を大胆に開けた形は男性を誘っているかのようであったし、肩と腕を隠せてもいないのにヒラヒラと着いた飾りの布地があざとい雰囲気を見せていた。しかし、こういう男性の視線を誘うようなドレスは、結婚適齢期の女性達には人気がある。

 シャクナゲは侍女を見ると、そのドレスをそっと渡した。


 何故か家令の男性が恐い顔でジェンシャリオンを見ていた。

 威厳ある主人が、他国の王族とはいえ小娘に破格の対応をするのが承服出来ないのかもしれない。使用人にこんなにも忠誠を誓われているのか。さすがジェンシャリオン様。

 家令には悪いが、契約とはいえ、ジェンシャリオンと自分を縛りつけるこの立場を死ぬまで降りるつもりは無い。彼に他の女性を寄せつけず、一生独占しようとする行為を堂々と行えるのだ。こんな特権を手放す訳にはいかない。ジェンシャリオンは魅力溢れ理知的で穏やか、しかも剣や弓、馬の扱いにも優れているという。

 完璧人間か。皆が憧れる白馬の王子様か。

 いや、王弟だった。

 先程まで、準備してきた通りに予定を進めることばかりに気を取られていたが、式典がひと通り終わった今、本当に夫婦になったのだ。




「本当に、夫婦になったのね」

 夕食を終え、自室でほぅっと吐息をもらすシャクナゲ。

「まだでございますよ」

 すかさず侍女ヒナゲシが間違いを正す。

 ヒナゲシは若くして領地経営に辣腕を振るい成功をおさめた後、兄に全てを移譲し、侍女としてお城にあがった異色の男爵令嬢である。イステイジアでは男爵令嬢として侍女になっても、ほぼ下働きに近い仕事しか与えられないが、ヒナゲシは領地経営の功績を認められ、シャクナゲ付きの侍女補佐となった。

 それからかれこれ5年の付き合いである。

 銀の髪をきっちりとまとめ、常に隙のないヒナゲシは、容赦なくシャクナゲに現実を教えた。

「貴族同士の婚姻とは、子をなす義務がございます。滞りなく義務を果たす土壌が整ってこそ、正式に夫婦と言えましょう」

 それに対し、シャクナゲは自信ありげに胸をはって見せた。

「大丈夫。どれだけ春画を見て予習してきたと思っているの?」

「そうでございましたね」

 すっとヒナゲシが手で口元を覆った。口は隠せているが、目は隠せていない。

「・・・・・・なっ何で笑うのよぅ」

 納得いかない、とヒナゲシを見るシャクナゲの背後からボソリッと声がかけられた。

「大丈夫かと思いますよ」

 イステイジアから連れてきたもうひとりの侍女、ナズナだ。

 ヒナゲシが銀の髪と瞳であるのに対して、ナズナは灰色の髪と瞳を持ち、ふんわりと穏やかな雰囲気で、常に微笑んでいる。

 つい今しがた天井裏から館に戻って来たナズナは、常に隙だらけに見えて、実はシャクナゲの警護を担当する武官として随行していた。しかし、ダンディリオン国に入ってからというもの、その高い能力はジェンシャリオンの調査に向けられていた。

 ジェンシャリオンに裏の顔などは存在しない。ただただプライバシーを侵害し続けているだけだ。能力の無駄使いである。

「旦那様におかれましては、何年も前から3ヵ月に1度の割合で固定の娼館に足をお運びになっているご様子。奥様の認識がお子ちゃま以下でも旦那様に全てお任せすれば大丈夫かと」

「え゛?」

 にっこりと微笑むナズナに対して、シャクナゲは涙目だ。

「ほんとうに?」

 衝撃のあまり息も絶えだえに聞くシャクナゲの頭を、あらー、と優しくナズナがなでる。

「お嬢様・・・・・・」

 ヒナゲシがつい、と言った感じで昔の呼び方をし、珍しく優しい声を出した。

「旦那様のお年で経験が無いなんて、逆におかしな話なのですよ。決まった愛人がいないだけ良かったではありませんか。53年間も姫様に出会うため、特定の相手と巡り合わなかったのです。姫様はもう、奥様なのですよ。胸をはって下さい」

 シャクナゲは思わずヒナゲシに抱きついた。

「ひなげしぃー」

「はいはい、涙をふきましょうね」

「ジェンシャリオン様は23歳よぉー」

「・・・・・・そうでございました」


 いつもより強い香りの香油を入れた湯浴みをした後、うっすら化粧をされ、真新しい襦袢をまとい、髪もしっかりととかされる。

 シャクナゲがベッドの上に正座をすると、どの角度から見ても綺麗なように、ヒナゲシとナズナが衣服と髪を整えた。

 最後にヒナゲシが灯りを魔法で薄暗く調整した。ここから先はひとりで立ち向かわなくてはならない。

「奥様、怖い事や嫌なことをされそうになったら直ぐにお呼びください。必ず駆けつけます」

 大丈夫よ、と言おうとしたのをやめてシャクナゲは

「ありがとう」

と言った。

 ヒナゲシが小さく

「あのハゲおやじめ」

と恨みのこもったつぶやきをこぼした。

 新しい館で気が合わない使用人でもいたのだろうか。早く打ち解けられると良いが。


 しばらくすると、控えめにノックが聞こえた。

 はい、と言おうとしてとっさに止め、はっと息を吸う。返事をしたら、待ち望んでいたようではないか。

 いや、拒否する気持ちは無いのだが、返事をするのはやっぱり恥ずかしいし。

 等とグダグダしているうちに扉が開かれてしまった。

 急いで頭を下げ、三つ指をついた。

「ジェンシャリオンさま、ふつつか者でございますが、幾久しくお願い致します」

 習ったのはここまで。

 この先は春画で見た。

 ヒナゲシには自信満々といったふうに胸をはって見せたが、本当はよく分からなかった。手足をからませて、並んで寝れば良いのだと思う。そうすれば子が出来るはず。何という人体の神秘。生命の誕生は奇跡だと言うが、正にその通りだ。あとは、そう、服を脱がなければならない。恥ずかしいから、ジェンシャリオン様には目をつむってもらおう。

 予習は完璧だ。

 シャクナゲの心に自信がみなぎった所で、ジェンシャリオンから声をかけられた。

「顔をあげてくれ」

 何やら背すじ辺りがぞくっとして、子猫を抱いた時のように喜びに胸がきゅっとしたかと思うと、手足はふわふわし、胸の動悸が早まり、呼吸も少し苦しくなって来た。

 あぁ、まただ。

 ジェンシャリオンが優しい声を出すだけで、程度の差はあれ、自分はいつもこうなってしまう。

 今回はひどい。初めてジェンシャリオンに会った時に迫らんとする勢いだ。


 ジェンシャリオンに初めて会った時。そう、王城の前で、ジェンシャリオン・ロードデンドロン・ダンディリオンと名乗られた時。実際に本人を目の前にして、手元に来ていた情報は本当だったのだと、数々の功績は確かにジェンシャリオンの行いであったのだと確信した。

 顔には威厳と知識のシワがきざまれ、髪は途方もない苦楽の積み重ねを語るように頭頂部に向かうほど弱り、全てを乗り越え、飲み込んできた事を秘めた白髪が顔を縁どっていた。だと言うのに、瞳には叡智と希望の光が力強く輝き、身体は歴戦の勇士のように一部の隙もなく引き締まっている。

 シャクナゲは己を恥じた。

 この地方にいない黒牛でわざと入国し、魔法で演出し、人心掌握のために策を弄した自分を。

 ジェンシャリオンが膝をつき、シャクナゲは無意識の所作で片手を出す。

 その手の甲に口づけを受けた時、手の甲から全身に波が押し寄せ、ジェンシャリオンの美しい瞳にうっとりと意識が吸い込まれたかと思うと、息が浅くなり、気が遠くなっていった。


 ジェンシャリオンとの邂逅を思い出し、あの時のような失態はおかすまいと、意を決して顔を上げる。

「まずは呼び方を改めないか?夫婦になったのだから」

 そう言うなり、気がつくとジェンシャリオンはするりとシャクナゲの隣に座っていた。

 ジェンシャリオンの野性的なまなざしが、近い距離から自分を射るように見る。何故か全身をなでられたように感じ、かすかに 「はっ」 と甘い吐息がもれた。同時に興奮のあまり鼻血が出ているような気がして、鼻の下に手を当て、その手を見てみる。大丈夫、鼻血は出ていない。

 なおもジェンシャリオンが甘い声で自分に囁きかける。

「国元での愛称は何だった?」

 もう、ダメだ。うっとりとジェンシャリオンを見つめることしか出来ない。

「なーたん・・・・・・です」

 はしたない吐息がもれそうになるのを何とかこらえ、答える。

「ナータン?」

 優しく誘惑するようにジェンシャリオンが繰り返し、色気のある瞳で自分を見る。

「いえ、あの。たん、は、ちゃん、が変化したもので」

 何とか答えたが、もうこれ以上きちんとしゃべれる気がしない。だと言うのに、ジェンシャリオンは甘くささやきかけるのを止めようとはしない。シャクナゲは甘い言葉の波に流されて、おぼれているように感じていた。

「では、公の場では無い所では、なーたんと呼ぼう」

 あぁ、何だかとてつもなく恥ずかしくて甘い。

 このままでは、自分が自分では無くなってしまいそうだ。

 シャクナゲはわずかに残った理性の力をふりしぼって、ジェンシャリオンから目をそらした。

「あっありがとうございます?」

 胸がドキドキし過ぎて、声がうわずる。

「私のことも・・・・・・いや、私には愛称が無かった。呼びたいように読んで欲しい。ジェーンでもシャリでもかまわない」

 ジェンシャリオンの望みなら、何でも叶えてあげたいが、イステイジアでは、ジェーンは女性名、シャリはお米の異称だ。こればかりは否を伝えなくては。

「では、ジェン・・・とお呼びします」

 ジェン、という言葉を口にのせた途端、自分が特別な事を許されたような心持ちになった。

 この方を独り占めにしたい。この方の子が欲しい。

 子をなすためには手足をからませなければ、と、自分でも信じられないくらい大胆にジェンシャリオンの手を握った。

 それに応えるようにジェンシャリオンの手がさわさわとシャクナゲの髪をなでてくる。

 髪からぞくぞくとした感触が伝わってきて、シャクナゲは目を閉じた。

「今日は疲れたろう。ゆっくりおやすみ」

 優しい言葉とは裏腹に、ジェンシャリオンはシャクナゲの体を軽々と意のままに動かし、布団の中に滑り込ませた。

 あぁ、このまま私はジェンシャリオン様に好きにされてしまうんだわ。服を脱がされて、手足をからめる儀式をされてしまうに違いない。

 でも、熱にうかされるように、それをされたいと思う自分がいる。

 意識が遠のいてきてしまった。

 でも、これだけは伝えなくては。

「ジェンの願いは何でも叶えたいのですが、シャリという言葉はイステイジアでお米という意味なのです。ジェン・・・好きです。愛しています」

 ―――そしてシャクナゲは意識を手放した。

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