第1章 初夜は手さぐりよちよち歩き(1)
和やかな夕食を終え、ジェンシャリオンは湯浴みをし、寝巻きに着替えていた。
湯あがりの薄毛がほわほわと心もとなく揺れ、広すぎる額がキラリキラリと部屋の灯りを反射している。
この部屋の灯りに使われている魔石は、職人の手によって細かく角度をつけてカットされ、部屋にきらびやかな雰囲気を足していた。今回シャクナゲを迎え入れるに当たって、この味も素っ気もない館の寝室と、そこに連なる部屋にのみ設置された侍女長コメリナ心尽くしの逸品である。しかし、今から1週間前の夜に設置された時、ジェンシャリオンの広すぎる額にまできらびやかな雰囲気が足される事が判明した。ちなみに本人はまだ気づいていない。
家令のロータスは従僕を下がらせると、まったくもう、という露骨な視線を主人へ向けた。
その視線に耐えきれず、ついにジェンシャリオンはキラリキラリと額を光らせながら口を開いた。
「なんだ?」
「なんでもございません」
涼しい顔でつーんと答えるロータス。
しばしの沈黙の後、ジェンシャリオンがあきらめたようにロータスを見た。
「でもな・・・・・・。何を言えと言うんだ」
ロータスはやれやれと深くため息をついて主人を見た。
今日、ロータスは旦那様の恋の応援団団長として頑張った。主人が奥様を褒めるタイミングがおとずれる度に、目線で合図を送った。あまりにも主人が鈍いので、結婚のお披露目の儀式が終わり館に戻ってからは 「合図をしたら奥様を褒めるか口説くかなさって下さい」 と直球で伝えた。それがことごとく失敗に終わったのだ。
ふーっとロータスは息を吐いた。怒ってはいけない。理想的な女主人を得るためには、失敗は許されないのだ。
「奥様が食堂にいらっしゃった時です。愛らしいドレスをお召しになっていましたね。私はここで合図を出しました」
「あぁ、あれは可愛いかったなぁ。ダンディリオンとイステイジア、ふたつの国のドレスを足したような形で。あのようなドレスは初めて見た。特に袖のない肩口に何色かの生地が短い袖のようになっていたのが、シャクナゲ姫の若々しい魅力というか瑞々しさというか、とにかく私とは正反対のものを引き立てていて、本当に私が夫になって良いのかと真剣に悩んだ」
「・・・・・・それです!それでございますよ!何故それを言わなかったのですか!何ですかあの 『にこー』 は!」
ロータスはくわっと目を見開いて、とぼけた様子ですらすらと奥様を褒める主人に顔を向けた。この主人は何も言わず 『にこー』 と気の抜けた笑顔を向けるのみだったのだ。
「いやぁ・・・でもー」
ジェンシャリオンはグダグダと続けた。
「娼館の女に言うみたいな事をシャクナゲ姫に言うのはちょっとと思ってなぁ」
さらにグネグネと何か言っている主人の発言に、ロータスは膝の力が抜けそうだった。
いや、もう今にも膝と手を床に着いて、絶望の姿勢を取りそうになっているのをギリギリのところで持ちこたえていた。
―――そうだ、そうだった。
この主人は奥様に出会う前に、恋をしたことも女性とお付き合いをしたことも無かったのだ。
たまに娼館へ通って発散するのみという、わびしい人生を過ごしてきた。
王弟という、引く手あまたのステータスを持ちながらジェンシャリオンがこうなってしまったのは、少年時代に急に進んだ老け顔のせいだった。
ジェンシャリオンは子供時代、他の王族と同じように輝くような美少年であった。その頃、ジェンシャリオンにその気は無くとも、同じ年回りの少女が自然と周囲に集まってきていた。
ジェンシャリオンに気に入られるように、と親から言い含められて寄って来ていた少女もいたが、少女の方も満更ではなく、自分から美少年ジェンシャリオンのお気に入りになりたいと、熱のこもった視線を向けていた。
それが、12の頃から徐々に白髪が見えるようになり、15の頃には額が広いではごまかせない雰囲気が生え際に漂い始め、その頃には顔と地位目当ての少女達がことごとく去っていった。
ジェンシャリオンは気にもしていなかったが、気のおけない友人だと思っていた少女から距離を取られた時は、さすがに少年らしい傷つきやすさを隠しきれず、少女を庭園のすみにそっと呼び出して尋ねた。
どうして急に言葉を交わさなくなったのか。自分たちは友人では無かったのか。
少女は悪びれもせず言った。
『あなたの事は、もちろん今でも大事な友人だと思っているわ。でもね、私もそろそろ婚約者を決めなくてはならないの。あなたとの間にあらぬ噂が立てられては困るのよ』
少女はサバサバとした性格だった。そのあけっぴろげな性格のままに、少女は言葉を続けた。
『私は三女だし、政略結婚はお姉さま二人が引き受けて下さって、私はその必要が無いの。待っていても勝手に結婚話が降ってきてはくれないの』
少女はなおも言葉を続けた。
『覚えているかしら、あなたと初めて言葉を交わした、子供達を集めたお茶会。あれってあなたと自分の娘を婚約させたい親達が開いたものだったのよ。あの頃のあなたって今とはちょっと違ったじゃない?』
顔が、か。
主人が心配で、椿の茂みから様子をのぞいていた青年ロータスは思った。
『愛が無くても、あの頃のあなたとならキスとか〇〇〇とか×××とか出来ると思っていたけれど、あなたは少し変わってしまったから』
顔が、なのか?顔なのか?
青年ロータスは椿の茂みの中で悔しくて唇を噛みしめた。つい手に力が入り、固いつるつるとした葉が2、3枚はらはらと落ちる。
『とにかく、周りに誤解されて、大人達があなたと婚約させようと動き出したら困るのよ。約束する。あなたの事は一生友人だと思っているし、困った時は何を置いても力になるわ。だから、私の婚約者が決まるまではしばらく距離を置いて欲しいの』
少女は走り去り、少し振り返って、お願いよー、と手を振った。
少女の姿が見えなくなってから、青年ロータスは主人の元へ走りよった。何も言わず、主人を抱きしめた。
主人は泣いていなかった。
『びっくりした・・・・・・』
とつぶやいて、ぼんやりとしていた。
ロータスは、どんなにジェンシャリオンが優れた人物かを本人に言って聞かせた。
その間、ジェンシャリオンは、ただただぼんやりとしていた。
そんな事があった後も、ジェンシャリオンの内面は変わらなかった。同性の友人達はジェンシャリオンから離れて行ったりしなかったし、ジェンシャリオンの周りから女性が消えたことで、より友情を深められたという面もあった。ジェンシャリオンは皆から 『グランパ』 と呼ばれて慕われ、それは今も続いている。
―――それから一年ほどして、件の少女が友人に復帰した。
ある日突然、
『ジェンシャリオン!私、やったわ!やってやったわ!』
と言って話しかけてきたかと思うと、何事も無かったかのように友人として振る舞った。
少女は本当にサバサバとした性格であった。
その少女は、現侯爵夫人カメリアである。
一瞬、昔の思い出に意識を飛ばしていた家令ロータスは、頭をゆるゆると振って呼吸を整えた。自分がしっかりしなければ。女主人が将来この館を去ってしまうかもしれない。
「旦那様・・・・・・女性と話す糸口は褒めることでございます。それは娼婦に限ったことではありません。それについては、説明する適任者を思い出しましたので後ほど。目下の問題は、今夜を乗り切る事にございます」
そう、この後、奥様の準備が整い次第それは始まってしまう。結婚式後の初夜という名のイベントが。
奥様に末永くこの館にいていただく為には、重要なミッションと言えた。
「・・・・・・旦那様。いいですね、商売女とは違うのです。嫌がることはしてはいけません。同意を得ないことをしてもいけません。旦那様、使用人全員の将来がかかっているのですよ」
ジェンシャリオンが「あー」だか「うー」だか言っていると、シャクナゲが自国から連れてきた侍女が、主人を呼びに来てしまった。
ロータスは階下の使用人食堂に戻り、旦那様の恋の応援団団員と共に、神に祈るしか無かったのである。