プロローグ(2)
長い一日が終わり、人々が姫の姿を思い出しながら幸せな気持ちに浸っていた頃。
当の姫、イステイジア国第四王女シャクナゲは、王弟ジェンシャリオンの私邸に初めて足を踏み入れていた。
財力や権力からすると、驚くほど質素な邸宅であった。敷地や屋敷は体面を保つに充分な程度の広さを備えているが、装飾や高価な置物等が無く、良くいえば実務的な屋敷である。
館の使用人達の紹介が済み、用意された私室に通されると、既に滞在していた離宮から私物は運び込まれ、自国から連れてきた侍女も控えていた。
シャクナゲの部屋は白と淡いオレンジの布製品や調度品で整えられ、家具は木目を活かしたデザインで揃えられていた。他の部分の布製品が白と紫がかった濃い青で揃えられている所を見ると、この部屋だけシャクナゲのために明るい色に変えてくれたのだろうか。衣装部屋つきのこの部屋は三室続きの端に位置しており、隣に寝室、その向こうが夫となったジェンシャリオンの私室との事だ。
「ではまた後で」
穏やかにシャクナゲに声をかけたジェンシャリオン。風格が伴い、父が娘に声をかけたかのようだ。
「はい。ジェンシャリオン様」
目を伏せ、浅くひざを折って返事をする新妻にジェンシャリオンは苦笑した。
「私たちは夫婦になったのですから、かしこまらなくて良いのですよ」
「――――はい」
礼を直して顔をあげたシャクナゲの頭をなでて、主人は自室へと向かった。
「旦那様」
寝室をはさんで反対側の自室に入るなり、家令は直ぐに主人に呼びかけた。
目線で発言を許されると、丁寧に聞こえるように主人へ言い聞かせる。
「家庭を持つ年寄りとして申し上げます。奥様への旦那様の態度は年の離れた上司のようでございます。もう少し距離を縮めた接し方は出来ないものでしょうか」
家令はジェンシャリオンより十歳年上なので「年寄り」という表現もあながち間違ってはいない。しかし、外見は誰がどう見ても家令の方が若々しく、ジェンシャリオンの方が十も二十も年上に見える。この気心の知れた家令は、時々わざと自分を「年寄り」と言って、嫌味を言うのだ。
「また説教か」
目をそらした主人に、家令のロータスは詰め寄ったかと思うと
「何をおっしゃいます。わたくしは旦那様の恋の応援団団長でございますよ!」
と力強く言い切った。
「ちなみに副団長はメイド長改め侍女長となったコメリナ。団員も続々と加盟中でございます」
目をこれでもかと見開く主人に、家令ロータスはしっかりとうなづいて見せた。
「えぇ、存じておりますとも。女性に絶望していた旦那様が、シャクナゲ様―――いえ、今日からは奥様でございました―――奥様と打ち合わせや面会を重ねる度に、ご人格に惹かれていく様子は手に取るように存じております。毎回同行したわたくしが、つぶさに見ておりました。奥様はこの館の女主人にふさわしく、いえそれ以上のもったいないお方です」
ここまで早口で一気に言い切った家令は、ふと居住まいをただし、真っ直ぐに主人を見据えた。
「奥様がこの館の正しく女主人であることを、使用人達は願っております。男児が産まれた後も、女主人としてお側に使えたいと希望しているのです」
ロータスは少し思案して言葉を続けた。
「そうですね・・・・・・。素直に奥様への想いを伝えてみてはいかがでしょう」
「おっ・・・・・・おもい・・・・・・」
ジェンシャリオンはギクシャクとロータスを見つめた。
ジェンシャリオンの足音が遠ざかり、すっかり聞こえなくなるのを待って、シャクナゲは、自国から連れた二人の侍女のうちのひとり、ヒナゲシをゆったりと見た。
「聞きました?」
ジェンシャリオンの前で控えめに振る舞っていた様子は、なりを潜め、王族の存在感と周囲に与える圧力を垂れ流していた。
ヒナゲシの主人はたまにこうなる。主に駆け引きを行う時だが、今回は感情を抑えられずにこうなっているようだ。
「・・・・・・何を、でございましょうか」
無表情で静かにヒナゲシは主人に問うた。
シャクナゲはそっと両手で顔を覆い叫んだ。
「私たちは夫婦ですって!夫婦ですって!きゃー!」
上半身をクネクネと動かしたかと思うと、胸の前で細く華奢な手を組み合わせ、うっとりと遥か彼方を見つめた。
「はぁっ。ジェンシャリオン様、素敵すぎる。尊い・・・・・・」
イステイジア第四王女シャクナゲ、和平をもたらした女神とダンディリオン国民から圧倒的な支持を受ける彼女は、国民の圧倒的大多数から「ハゲおやじ」と揶揄される王弟に――――――――――――
ベタぼれしていた。