第三話 黒い日記帳
作:稗田阿瑠(先攻)
「えへへ、あははは〜」
春樹はスキップをしながら横断歩道を渡る。
隣で歩いていた優は、呆れ果ててため息を吐いた。
「普通呼び出しくらいでそんなに上機嫌になる?」
春樹の気持ちがなかなか理解できない優がそう聞くと、春樹は当然と言わんばかりに胸を張った。
「なるよ!だってあの白石先生だよ?」
そう、2人は昨日、保健室の白石先生に呼び出されたのだ。
ー明日の放課後、もしよかったら来てくれるかな。
そう言って、ニコッと微笑む白石先生の姿が春樹の脳裏に焼き付いていた。
「はぁ、全く........」
優は額に手を当てる。
そんなことも気にせず春樹は満面の笑みのままスキップを続けた。
........白石 花墨。
保健室の養護担当の先生で、今にも落ちてしまいそうなほど大きな胸と細すぎないウエストが特徴的な、グラマラスな先生。
声もたたずまいも大人っぽく、誰からも愛される人気の先生である。
思春期真っ只中の春樹はどうやら、その大きな胸と揺れる長い髪に惹かれたようだ。
同い年で同じく思春期真っ只中の優にもまぁ分からなくは無かったが、異常なまでに白石先生に執着する春樹に正直少し引いていた。
「呼び出しだけでそこまでときめく?」
もはや諦めた様子の優が、春樹の顔を覗き込みながらそう問う。
「うん!だって、あんな理想的な体型ないでしょ、普通.......ボンキュッボンだし、細すぎないし!なんかいい匂いするし、ほんっと、サイコー!」
何故か、「サイコー!」のところだけ物凄く協調して春樹は歓喜のあまり飛び上がった。
だめだこりゃ。
春樹は周りの白い目すらも気づいてないみたいだし、きっと頭は白石先生でいっぱいだ。
うん、放っておこう。
優はそう決意し、黙って通学路を進んだ。
その間にも春樹は歓喜の舞を踊り続けていて、周りの視線は冷たくなっていくばかり。
「あれ、俺まで変な目で見られてない?」
優がそう呟くも、春樹の耳にそんな言葉は全く入っていかないようでとにかく白石先生の名前を連呼しながら踊り歩いていた。
放課後。
「えっへへへー、えへへー」
「いつまでにやけてんのお前.......」
朝からずっとにやけている春樹と、呆れながらもやっぱり放って置けない優。
2人は並んで廊下を歩いていた。
「なぁ、白石先生の用件ってなんだろうな」
優が歩きながらボソッとつぶやくと、
「そんなことは今はどうでもいいー、白石先生に呼ばれたこと自体が奇跡!!!」
と春樹がぴょんぴょん飛び跳ねて即答する。
もはや話が噛み合っていない.......
優は額に手をやった。
「ねぇねぇ、もう着いちゃったよー?早いねぇ、楽しいことは早く過ぎていっちゃうんだねぇ」
もはや別人と化した春樹が、保健室のドアを一気に開ける。
ガラガラガラ、ドシャーン!と音を立てて、ドアが勢いよく開く。
保健室の中では、その音にびっくりした白石先生が目を丸くして2人を見ていた。
「な、何してるのよ........ドアはもう少しゆっくり静かに閉めてね」
少し困った顔をしながらも、先生はもう一回ドアを優しく閉め直し僕らを保健室の中に入れてくれた。
春樹は自分が何故呼ばれたのか聞くのを待てないらしく、先生を前にして朝より更にうずうずしている様子。
一方優は........白石先生に見惚れていた。
何故だろう、初めて会ったわけではないのに、こんなに白石先生のことをはっきりと見つめたことがなかったような気がする。
鋭い目つき、綺麗に整えた爪先、椅子に座る仕草。
何もかもが『美』そのものだ。
綺麗に整えた長い髪を結ぶ時には、香水ではない何かが香る。
噂に聞く『青春フィルター』とやらを差し引いても、その美しさが優にはわかる。
「何、どうしたの?何かついてるかしら」
その声に優はハッと我に帰った。
いつの間にか無意識に先生の全てを感じようとしていたみたいで、自分で自分のことを気味が悪く感じてしまう。
隣の春樹を見ると、そんな優にもお構いなしで相変わらず期待の眼差しを先生に向けていた。
「来てくれて、ありがとうね」
ニコッと微笑みながら、先生はそう言って僕らの方を振り返る。
「先生、なんで呼び出したの?なんで呼び出したの?」
春樹がぴょんぴょん飛び跳ねながらまるで幼い子供のような口調でそう問うと、先生は髪を結いながら答えた。
「嗚呼、そのことね」
急に、先生の顔が険しくなる。
流石の春樹もその雰囲気を察したようで、真剣な表情になる。
優は、急な出来事に少し戸惑いながらもとりあえず春樹と同じく真剣な顔をしておいた。
座って、と言わんばかりに先生は自分のデスク前に置かれた2つの椅子を指差す。
急な緊張に少し動きを鈍らせながらも、2人はその指された椅子に座った。
「時字ちゃんって、覚えてる?時字 佳子ちゃん。」
先生が佳子の名前を口にするなり、春樹は表情を曇らせ硬直する。
優も、同じく固まったまま。
「そ、それで佳子がどうかしたんですか?」
春樹が緊張のあまりどもりながらもそう言うと、先生は更に険しい顔をして言った。
「あの子、去年のこのくらいに亡くなったじゃない。自殺だったらしいわね。その数日前に、私こんなものを渡されていたの」
デスクの引き出しから何かを取り出す先生と、それを見つめる2人。
重々しい空気が保健室全体を包み込む。
引き出しから出てきたのは..........日記帳だった。
黒いカバーの端には桜の刺繍が施されていて、その下に名前が書いてある。
大事にしていたのだろう、きっと。
「これね、時字ちゃんが貴方たちに渡して欲しいって。時が来たら渡して欲しいって言っていたの。ごめんなさいね、暫く渡せなくって.......」
そう言って先生は、大事そうに持っていた日記帳を暫く眺めたあと春樹に渡した。
「貴方達、パンダ桜の秘密を知ってしまったんでしょう.......?私は、あの世界に時字ちゃんがいると思っているわ」
「先生も知ってるの!?」
先生が『色の無い世界』について知っていることに対し、驚いた春樹が思わず話を遮り叫んでしまう。
そんなことも気にせず、先生は話を続けた。
「ええ、そうよ。随分前から知っていたわ.......さっきも言った通りきっとあそこに時字ちゃんがいるはずなの。もう一度逢いたいなら、その日記帳がきっと役に立つわ。頑張ってね」
先生は椅子から立ち上がり、真剣な眼差しを優に向ける。
そして優の両手を握った。
「は、はい。本当に、あそこに佳子がいるんですか?」
「いるはずよ。まだ間に合うと思うの」
優は握られた手を握り返し、普段とは全く違う先生の目を見つめた。
春樹も、何かを決意した様に受け取った日記帳をぎゅっと握りしめる。
「時字ちゃんを、ここに連れ戻すことはもしかしたらできないかもしれない。でも、逢いに行ってみなさい。応援してるわ。とにかく、ブラックには気をつけて」
「ブラック?」
聞いたことのない単語に2人は一斉に声を上げる。
「そうよ。あの世界をうじゃうじゃしてる、謎の生物。まだ会ってないかしら。よくわからないけれど、私達のことを敵視しているみたいだから気をつけて。貴方達まで死なない様に......」
先生の目が潤む。
どれだけ真剣かが、その目から伝わってくる様で優は息を呑んだ。
.............これから、何が待っているのだろう。
「また、来たね」
「......うん」
日曜日。
再び2人は、あのパンダ桜の木の前にいた。
「ねぇ、白石先生は『時が来たら』って言ってたじゃん。それってなんなんだろうね」
春樹が木を見上げながらボソッと呟いた。
「わかんね。でも、今はその『時』なんだよきっと!」
優は木の後ろに回りながら春樹の胸に抱えられた日記帳を横目にチラッと見る。
あそこに、佳子の秘密が隠されてるんだ。
そう思うと、胸からこみ上げてくる何かが抑えきれなくなりそうだった。
「さぁ、行こう!」
「うん!」
2人でそう叫び、手形に手をハメる。
また手形の周りが光り、辺りに砂埃が舞う。
春樹が優の方を見てニコッと笑うと、優もニコッと笑い返した。
ゴォォォ.........と音を立てて、砂埃はますます激しく舞う。
2人はまた、目を閉じた。
期待と不安を胸に抱えながら.......