4-10
街の東にある酒場にいた。
砂の国の中でも北東に位置するこの街で、少し東に進むと旧ドワーフ族領である現在の獣人族領に入る。
近年はこれまでのように獣人族や魔法使い族と人間族が揉めることも無くなっているので、平和であるようには思えるが、いつ獣人族が攻めてきたとしても怪しくはない空気感をこの街は有していた。
スラムで暮らす俺たちであっても、噂話などを中心にではあるが、そういった情報、空気を感じていた。
酒場では昼間なのに酔いつぶれた客が多くいた。
「この街が平和だのなんのって、そんなものは嘘っぱちだ。俺の古くからの連れと連絡が取れなくなった。それは念願の軍への入隊が決まってからだった。どの所属になったかも分からず、アイツもボロ雑巾のようにこの国の軍に使い捨てられたんだ」
酔った客が自分でテーブルの上に置いたであろう帽子に向かって、話しかけている。真実が定かではない話しではあるが、ここは不平不満の溜まり場のようだ。
俺はいつものように隠れる事もせず酒場のカウンター席に着いた。
「小便臭えガキが。お前なんかが1人で来ていい場所じゃねぇ」
カウンター向かいでグラスを拭く中年がそう言ってきた。しかしそんことに構うことはない。自分のペースに持って行くんだ。
「マスター。この店で一番強い酒をくれねぇか?」
カウンター向こうの中年を周りが「マスター」と呼んでいたので、俺もそう呼んでみた。
「冗談も休み休みに言え。お前みてぇなガキに売れる酒は俺の店には置いてないぜ?」
「頼むよ。一生に一度で良いんだ。人生で一度だけでも酒ってものを飲んでみたい。どうせ大人になんかなれないなら、せめて酒ってものの味を味わってみたいんだよ」
「穏やかじゃねぇな。お前は何か病でも患っているのか?」
「病気なんかじゃないよ……。いや、でも病気よりも深刻かもしれないな」
肩を落とし、眼だけでマスターを追った。
マスターは何も言わずに透明なグラスを俺の前に置いた。
グラスに入った液体は黄色く少し濁っていた。
「一番強い酒ではないが、酒らしい酒だ。お代はいらねぇよ」
グラスを顔に近付けた。
むわっとしたアルコールの香りが鼻に入ってきた。
こんなもの口に含めるはずがないと思えた。
マスターの方に眼だけをやると、こちらを向かずに鼻で笑っていた。
急に恥ずかしくなってきて、一気に酒を飲み干した。
喉元がカーッと熱くなり、咳き込んだ。
「ははは。美味いことなんかねぇだろ。子どもには」
「いや、俺もこれで思い残すことがないや」
強がってそうは言ったが、なんだか胸が熱くなり汗が浮き上がり始めた。
そっと、水の入ったグラスをマスターが置いた。
礼を言う前にその水を一気に飲み干した。少し、ほんの少しだけ胸の熱さがひいた気がした。
「なんでこんな無茶をやろうしたんだ?」
渋々とマスターが訊ねてきた。
「もう俺は死ぬんだ。いや、俺だけじゃない。この街の奴らはみんなだ」
「おっかねぇ事言うじゃねぇか、小僧。なぜ街の連中が死ぬんだ?」
俺は酒の入っていたグラスを少し前に出した。
「水か?」
「酒だよ。酒」
「小僧。将来とんでもねぇ大人になるぞ」
そうは言いながらもマスターがもう一杯酒を注いでくれた。
今度はそれを少しだけ口につけた。そうすると、アルコールの強さだけでなく、前には感じられなかったこの酒本来の香りを感じた。
「そうそう、大人は酒をそうやって味わうものだ」
今度はマスターが笑いながらそう言った。
俺はグラスを目の高さまで上げて、グラス越しに酒を眺めた。
「獣人族が攻めてくる……」
「ハッ、とんだ妄想だな。確かにこの街は獣人族との国境に近い。だが、ここ何年国同士の争いなんてものはここでは起きていない」
「だと良いんだがな……」
「小僧、お前はなぜ攻めてくると?」
「ソーナー・ダイナスティ」
「え?」
「俺の名前はソーナー・ダイナスティだ。小僧じゃねぇ」
また少し酒を口に付けた。
「そうか。それはすまなかった。ダイナスティ。お前みたいな小ぞ……、いや、お前の言う根拠が分からんな」
「俺はこう見えて結構な大きな商人の所で働いている。最近、獣人族側に麦を多く運ぶことが多くなってきたんだよ」
「それだけでは何とも判断ができないな」
「街の領主の所へ麦を運ぶんだ。それだけじゃない。色々な街で同じような文句を聞いたよ。『忙しい時期に麦も若い働き手も取っていくんだ』ってな」
「おい、そりゃ……!!」
酒をまた口に付ける。
マスターが俺の次の言葉を待っていた。
「麦は兵糧、若い働き手ってのは徴兵のことだ。商人をお偉いさんたちは俺ら下っ端のことなんか気にせず、一目散に街から去って行きやがったよ」
「戦だと……! いつから始まる?!」
こうなれば、こちらのペースだろう。
自分を落ち着かせる為にも、もう一度グラスを口にあてた。
「お、おいダイナスティ。どうなんだ?!」
「プハー! 舐めただけでもやっぱり酒は飲めたもんじゃねぇな」
マスターが頼みもしないのに、また水を出してきたので、手を軽くあげ礼をした。
「いつからなんか分からねぇよ。ただ、俺が敵なら勘付かれない内に大きな一撃を喰らわすとは思うけどな」
俺は出された水をゆっくりと飲み干した。カウンターには袋に入った銀貨があった。
マスターはどこにもいない。
「なんだこれ……?」
袋を掴み、辺りを見間渡したが、先ほどまで座っていた酔っ払いたちも姿を消していた。
なんだ。この酒場は……?
酒場を出ると、フラッとした。これを酔いというのかもしれない。
酒場の中に意外と長い時間いたようで、急いで処刑が予定されている広場へと向かい足がもつれながらも走った。
少し走ると、人が集まってザワついていた。
「どういうことなんだよ!」
「そんな! 役人は知っているのか?」
「処刑なんてしている場合じゃないだろ!!」
な、なんだ?!
人が集まった所の足元から1つの黒い影が現れた。
何か動物か……?
黒い影はトニーだった。すばしっこく動いていたので、人に思えなかった。
こっちに気付いたトニーが寄ってきた。
「トニー。これは何なんだ?」
「俺たちのウワサ作戦が成功し始めている。誰かが奴らに噂を流したんだよ」
「奴らって……?」
「ゴッドハード。情報を集めることを生業とした集団らしい。どこに巣食っているのかは知らないが、バーを開いているって噂もあるな」
バー? 酒場のことか? まさかな。
「どうした? ダイナスティ」
「いや、何でもない。こっちのことだ。それで広場はどうなっている? トニー」
「俺も詳しくはわからねぇ。ある程度は広まっているんだろうが、役人の耳にまで届いているのかどうか」
「それなら、広場へ急ごう。噂が広まった所で、タイガーパンチを助けられるのか、まだ分からないからな」
二人で走り始めると一人、二人と仲間が集まり始めた。
皆が噂の状況報告の他に気になった点をトニーに伝えている。
「おい、ダイナスティ。お前どうした? 気分が悪いのか」
「トニー。俺の気分はすこぶる良いよ」
「……何があった?」
「少し大人になっただけさ」
「はは! こんな時に。度胸のある奴だよ。お前は!」
そう言って、トニーが嬉しそうに背中を叩いてきた。
酒を呑んだことがそんなに嬉しいのかな?
トニーの笑顔の理由も分からなかったが、なんだか漠然と良い事が起きる。そんな気になった。
タイガーパンチも救えるだろう……。
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この物語の1話目です。
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