7: 羊の村
その晩、騎士団を歓迎する宴が伯爵の屋敷の大広間で開かれた。人いきれにのぼせたイリスは辺境伯自慢の庭でも眺めようかとテラスに出たが、少し離れた暗がりに薔薇を眺めて佇む男女の後ろ姿があるのに気づいて固まった。
「体調のほうはどう? ずいぶんお腹が目立ってきたね」
「ええ、お陰さまでだいぶよくなってきたんですよ。バルドさんが送ってくださったオレンの実は、なにも食べたくなかったときにほんとうにおいしくて。わざわざありがとうございました」
長い付きあいの二人らしく、気のはらない穏やかな会話だ。
「それはよかった。南方に出たとき、うちのイリスがめちゃくちゃ気に入ってたからいいかと思ったんだ」
「イリスさんって…すらっとしたとっても綺麗な方よね。あらっ、バルドさんもしかして…?」
嬉しそうなユーナにバルドが焦って否定する。
「ちがっ! あいつは十二のときに俺が拾った妹みたいな!」
「あらあら。そんなに慌てるバルドさんも珍しい…」
うふふと笑うユーナときっと赤面しているバルドの姿をこれ以上見ていられなくて、イリスはそっと大広間に戻った。
隊長の心があの人でいっぱいなのはわかってる。
イリスが入り込む隙なんてこれっぽっちもないことも。
一年前のあの口づけだってそう。
同じ黒髪のイリスを、酔いつぶれてまちがえただけ。
こんなむなしい思いばっかり、もうやなんだけどな。
広間に戻ると、嬉しそうなハーディが駆け寄ってきた。
「いたいた! もー、どこに隠れてたんだよ!」
傷心の乙女モードが、一瞬で戦闘モードに切り替わった。
「なにかご用でも?」
眉間に皺を寄せて冷たく言い放つ。
「腕相撲で誰もかなわないってのがどうしても信じられなくてさ! ね、俺と勝負してくれない?」
キラキラした目をして、この身の程知らずめが。
思う存分たたきのめしてくれる。
「なるほど。覚悟はよろしいようで」
五分後、格好の余興とばかりに盛り上がる兵団と騎士団の者たちが取り囲む中で、瞬殺されテーブルに沈んだのはハーディだった。
「うそだ! こんなほっそい腕で! こんな可愛い顔して!」
「だから言ったじゃないっすかー!」
男どものゲラゲラ笑う声が止まらない。
辺境伯も腹を抱えてばんばん壁を叩いている。
ふんっと鼻で笑いながらも、心で涙するイリスだった。
あーあ。これで恋する乙女なんて言っても誰も信じてくれないっての。
また溜息がこぼれるイリスだった。
*×*×*×*×*
次の日、ハーディとディオとイリスは馬にまたがってヒーツ村の被害状況を見て回っていた。
イリスにしたら失礼極まりない男と行動をともにするのは不本意この上なかったが、状況を考えたら仕方がない。
ディオにしても、期待されているのは険悪になりがちな二人の仲をとりもつ役と、おかん改め心配性なバルドとーさんを安心させる役だ。損な役回りにも程がある。
といっても、ぴりぴりしてるのは二人のまわりだけだ。牧歌的風景で名高い風光明媚なヒーツ村は、なだらかな起伏をくり返す明るい緑の丘のあちこちに羊の白いもこもこしたかたまりが散らばっている。凄惨な襲撃が夜な夜なくり返されているとはとても思えないあまりにも平和な眺めだった。
「どうも犬は夜にしか現れないみたいでね…。まだ、被害状況を検分するぐらいしかできてないんだ」
「じゃあ、夜の見回りを増やせばいいんじゃないですか?」
「うわっ、即答ありがとう。…そうなんだよねー。今晩はゆっくり休むとして、明日から神力持ちと騎士とでチームを組んで交代で見て回るほうがいいよね」
村のはずれの森に差しかかったとき、イリスは懐かしい風景にふと脚をとめた。いやな思い出が多いこの村だが、ここだけは違う。
「ん? どうしたの女王様。なんか気になる?」
「その女王様っての、やめてくれませんか。イリスと呼んでください」
「んー。なんか女王様ってぴったりなんだよねー。こう、折れそうに華奢なのに凛とまっすぐ伸びた感じとか…」
「あ! さすがクラース副長! わかります?」
ハーディが笑う。
「ディオさんこそクラース副長なんて。ディオさんのほうが年上だしハーディって呼んでよ」
「じゃあ、俺もさん抜きでディオと!」
「で、イリス。なんか気になることでも?」
イリスは眉間の皺をちょっとゆるめて溜息をつく。
「五年前にバルド隊長に拾われたのが、あそこなんです」
そう言って森のきわにひっそりと建つ炭焼き小屋を指さした。
*×*×*×*×*
九歳からバルドに拾われる十二歳まで、イリスは羊飼いの手伝いをしながら村のはずれの炭焼き小屋でひとり暮らしていた。親のない子供にできる仕事はそれぐらいしかなかった。
お礼代わりにもらった野菜を抱え、疲れた脚をひきずるように帰ってきたある夕方のこと。小屋の手前に、土に埋めた生ごみを掘り返している野犬の群れがいた。森の奥の餌が不足してくると羊を襲いにくる厄介な連中だ。
群れのボスらしき犬がイリスに気づき、唸り声をあげながら取り囲んでくる。イリスの手には羊追いの杖ぐらいしかない。
*×*×*×*×*
バルドはヤヌス辺境伯領での初めての本格的な戦闘を終え、これ以上ないほど落ち込んでいた。十六歳で王都の騎士団に入って一年、神力の有効な遣い方や様々な戦術を身につけてきたと思っていたが、実際の戦場でそれを使えるかと言ったらまったく別の話だった。
バルドの小隊は、ノーズ砦から山へ少し入ったところの集落へ救援に駆けつけ、なんとかフォボス軍を追い返したものの集落の人々を全滅させてしまったのだ。いや、正確には一人の少女だけ助かったが。
バルドと同じ年頃のその少女は、目の前で家族全員を殺されたショックで言葉を失い、食事もほとんどとれなくなってしまった。
その後、紛争が一段落したこともあり、バルドは少女を伯爵家の屋敷に預けると逃げるように休暇を取ってきてしまった。
集落が全滅したのは、決してバルドが拙かったせいではない。だが、声を出すこともできずに呻くように涙を流す少女の顔が脳裏にこびりついて離れなかった。
のどかな牧歌的風景で心を癒そうと、ヒーツ村を訪れたある夕方。バルドは犬の唸り声を耳にした気がして顔を上げた。
少し離れた森の手前で、十歳ぐらいのやせっぽちの女の子が野犬の群れに取り囲まれていた。しかも女の子は、手に持った羊追いの杖で応戦しようとしているらしい。
そんな無茶な! バルドは駆けつけようとして仰天した。
飛びかかってきた一匹目の犬を半身になってぎりぎり躱した女の子が、犬の腹に杖を叩きこんで吹っ飛ばしたのだ。
そんな馬鹿な!
じりじりと後退する野犬の姿にバルドが茫然と固まっていると、少女は右手に握りしめた杖を高々と掲げて一気に振り下ろした。
バリバリバリーッ! 凄まじい稲妻と雷鳴とともに軽く地面が揺れ、しばらくして眩さにくらんでいたバルドの目に映ったのは、黒焦げになった野犬と凛と立つ女の子の姿だった。
虹色持ち…。 それもすごい力だ。 信じられない…。
バルドはイリスを王都へ連れて帰ると、騎士団養成所で武芸を鍛えさせるかたわら、簡単な勉学や神力を自ら手ほどきしてやった。ヤヌス領に残してきた少女への償いをこの女の子にしているような気がしないでもなかったが、この子が将来大きな戦力になることは間違いない。辺鄙な片田舎に埋もれさせるには、あまりに惜しすぎる人材だった。
*×*×*×*×*
「イリスと隊長の出会いってそんなだったんかー! さすが剛力女王。登場からして派手すぎ! 半端ない!」
「それじゃぁにいさんがおとんになるのも無理ないねー」
眉間の皺が復活する。
…だから親子にするな。親子に。
「もし、あのとき隊長に拾ってもらえなかったら…」
イリスは寂れて壁がぼろぼろに崩れた炭焼き小屋を指さす。
「私は今でもあそこでひとり、暮らしていたかもしれない」
「いやいや! イリスみたいな美人にそれはないっしょー!」
「うーん、そだね。村の羊飼いの少年に早々に口説かれて、今頃は赤ん坊のひとりやふたりいたかもね」
こいつは! 爽やかそうな顔して、とんだエロ魔人め。
イリスの眉間のでこぼこは、さらに深くなるのだった。




