6: ヤヌス伯領兵団副長
ヤヌス辺境伯から国王と騎士団長へ援軍の要請が入った。ヤヌス辺境伯領と西隣のシプソン伯領にフォボスの兵が侵攻してきたのだ。ヤヌス辺境伯領は戦慣れした屈強な兵団を誇るが、本格的な侵攻に被害が拡大する前に騎士団の協力を、とのことだった。
なお、シプソン伯領にはヤヌス辺境伯の弟が婿入りしており、両領地間にはほぼ同じ領地のような感覚がある。
馬が越せないオーリン山の狭い山間部での衝突が主なため、戦闘の規模はそれほど大きくなることはない。しかし、辺境伯領を奪われると王国にとっては看過できない事態となるため、ノーズ砦は死守すべき防衛の拠点であった。
*×*×*×*×*
聖騎士隊長執務室に、書類の山と格闘しながらおしゃべりに興じるバルドとディオがいた。
「フォボスからの攻撃、最近多いっすねー」
「あっちの辺境伯が七年前に代替わりしたんだよ。なんでも二十代半ばの色っぽい女伯爵って話だぞ。ほらこの申請書、書式が違うって突っ返しとけ」
「うぇ、めんどくせ。…そのお色気ねーちゃんが、無類の戦好きってわけっすか?」
「さあなぁ。彼女の参謀のタナトスって男がものすごい切れ者だって噂はあるけどな。ああ、あの犬が出だしたのもその頃からだ」
「あー、あの化け犬っすね」
「騎士団への要請も、俺たちの神力であの犬をなんとかしてほしいってのが大きいと思うぞ…っと、いっちょあがりっ」
「あれ、隊長の義弟さん、伯領兵団のハーディ・クラース副長? も強い神力持ちじゃなかったっすか?」
「また計算間違えてやがる。…ハーディか? あいつは稔りの力と癒しの力と炎の力の三色持ちだ。神力もくそ強いが剣術も俺とどっこいどっこいだぞ」
「まじっすか! お近づきにならないようにしよっと」
追加の報告書の山を持ってきたイリスが口をはさむ。
「二年前の応援のときは、なんにもできないうちにフォボスが退いてっちゃいましたからね。今度こそちゃんと役に立ちたいですね!」
「おっ、剛力女王がやる気に満ちておられるな!」
「フォボスのやつらもかっわいそぉー」
ふざけて頬に手を当てるディオの頭を思いきりひっぱたく。
*×*×*×*×*
数日後、バルドとディオとイリスの聖騎士隊三名を含む騎士団先遣隊五十名が、ヤヌス辺境伯の屋敷に到着した。
聖騎士隊員三名と、先遣隊隊長をつとめる騎士団第二騎士隊のニコ隊長ら主だったメンバーは、辺境伯の執務室で伯領兵のタケル団長らと早速軍議に入る。
「フォボスの兵力は主にオーリン山からノーズ砦に下る川沿いに進軍し、ノーズ砦北の山中に散開しています。また、ごく一部ですがシプソン伯領に下る沢沿いや下流のヒーツ村にも出没しています」
地図を指でたどりながらタケル団長が状況を説明する。
「では、こちらも兵力の大部分をノーズ砦に割けばよろしいか」
「ええ。ただ、ヒーツ村の羊に例の犬によると思われる被害が大きく出ています」
「うーむ、そうすると神力持ちをそちらにも回すべきか…」
「ノーズ砦のほうにも犬が出没していまして…」
そのとき執務室の扉が荒々しく開き、すらりと引き締まった長身の青年が駆け込んできた。
「こらっハーディ! ノックぐらいせんか!」
汗で額にはりついた焦げ茶色の髪を後ろにやりながら、青年は栗色の瞳を見開いてあからさまに顔をしかめた。
「えー。間に合うようにヒーツ村から必死で馬を飛ばしてきたのにー」
ぷっとバルドが笑う。
「あいかわらずお行儀がいいな! ハーディ!」
とたんに青年は向日葵のような笑顔を向けてきた。
「バルドにいさん! お帰り! ちっともこっちに帰ってこないんだから。そんなに王都の美女軍団がいいのかよ!」
「はっはっは、羨ましいか! なんならお前も王都に来い」
血のつながりはないが、なんとも仲の良い義兄弟だ。
「こらこらバルド、ハーディまで連れて行くな。これでも兵団の頼もしい副長なんだぞ」
「これでもって! 親父、ひどい!」
そこでようやくハーディは呆気にとられる他の面々のほうに顔を向けた。
「あ、すみません騎士団の皆様。伯領兵団副長ハーディ・クラースです。はるばる応援に来ていただきありがとうございます!」
きっちりと腰を折ってお辞儀する。
前回の応援のときはすぐにフォボスが退却したこともあって、シプソン領に出ていたハーディと会う機会のなかったイリスだった。十九歳という若さで荒くれ者ぞろいの兵団の副長を任されるからどんなしっかりした青年かと思っていたら、とんだ期待外れだ。三色の神力持ちという強さと、伯爵の義理の息子という立場から就いただけらしい。
「あれ、こちらの美少女は? 初めましてだよね?」
ハーディが長身を折るようにして覗き込んできた。
イリスは立ち上がって慇懃に敬礼する。
「聖騎士隊のイリスです。クラース副長どうぞよろしく」
ハーディはなぜか戸惑うような顔をして顎に手を当てた。
「うーん? イリス…イリス…。なんだかあんまり似合わない名前だね…」
「こらこらハーディ。いきなり何を言い出す」
「いやなんだろ、なんとなく…」
初対面の女性に向かってなんて失礼な!
イリスは冷ややかにハーディに告げた。
「私はシプソン領ヒーツ村で育ったみなしごです。虹色の神力があることから、単純に虹という意味の名で呼ばれるようになりました」
さすがにハーディがしまった、という顔をし、場がしーんと静まり返る。
「イリスと呼ぶのがなんだかなっていうならね、クラース副長。こいつのことは剛力女王って呼ぶといいっすよ」
にやにや笑いながらディオが言う。
なっ! ディオってば!
雰囲気をどうにかしたいからって、今ここでそれを言う?
「えっ、なにそれ?」
すかさずハーディが食いつく。
「聖騎士隊の連中に、腕相撲でこいつにかなうやつはいないっすからね!」
「うそっ! おっかねー!」
栗色の澄んだ瞳にまじまじと見つめられたじたじとなる。
「こら、いいかげんにしろハーディ。兵力をどう分けるか決めていたところだ」
ヤヌス辺境伯の言葉でやっと話が前に進み始めた。
「先ほど言ったとおり、ヒーツ村に犬による被害が出ていますが、砦の周辺でも犬の報告があがっています」
「うーむ。兵の大部分はノーズ砦に置くとして、ヒーツ村にも三人ぐらい神力持ちを配置したほうがよさそうだな」
「ハーディ、またシプソンのほうに行ってくれるか」
タケル兵団長が地図のヒーツ村を指さしながら言った。
「了解! ねぇ、女王様はヒーツ村の出身だって言ったよね。一緒に来てくれる?」
イリスが頷きかけると、バルドが慌てて口をはさんだ。
「待て待て待て! イリスはまだ本格的な戦闘に慣れてない。俺のそばを離れないほうがいい」
バルドの甘やかしにハーディが眉をひそめる。
「慣れてないなら慣れればいいんだよ?」
「いやいやいや。こいつはまだ十七で危なっかしいんだ。目が離せん」
まただ。また子供扱い。バルドの中のイリスはいつまでたっても出会った頃のひょろひょろの十二歳かっつーの。
思わず溜息をこぼすイリスを見てハーディはさらに押した。
「なんだ、もっと若いのかと思った。十七なら十分一人前だよにいさん。ちょっとぐらい親離れさせてあげたら?」
「だっ…誰が父親だ! 俺はまだぴちぴちの美青年だ! こんなでかい娘がいてたまるかっ!」
憤然とまくしたてるバルドに、イリスはさらに溜息がこぼれる。ついに妹を越えて娘扱い…。乙女心が砕けそう。
そんなイリスの乙女心をさらに木っ端みじんに粉砕する人物が、ノックとともに現れた。
「ヤヌス辺境伯の妻、ユーナです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「ああ、ユーナ。気分が悪くて休んでいたんだろう? 無理して起きてこなくていいのに」
伯爵の心からのいたわりに微笑みでこたえる美しい人。
艶やかな黒髪を横でゆるくたばね、大きく膨らんできたお腹を簡素なドレスにくるんでいる。
バルドの肩がかすかにこわばるのを、イリスは隣で感じた。
そんな二人を、ハーディが鋭く見つめていた。




