34: まさかの伏兵
別荘での話し合いから五日後の昼過ぎに、サーラとタナトスが湖畔の基地を訪れることになった。
タナトスがいろいろと手配してくれたおかげで基地には食材を納入する商人が出入りするようになり、遠征中とは思えぬほど恵まれた食事にありつけることに皆感謝しきりだった。
その基地で、朝から兵士たちがわいわいうるさい。
「女伯爵にお目にかかれるのか!」
「すっげー美人ですっげーいい体してるってよ!」
そんな馬鹿を片っ端から叩いてまわるのがイリスの役目だ。
「ウラ伯爵に不快な思いをさせたらただじゃおかないからねっ! ちょっとでも下品な目で見たら…わかってるね!」
*×*×*×*×*
昼食を早めに終えたサーラとタナトスは、従者を数名従えて基地への山道を登りつづけていた。
「こんなふうに遠乗りに出るのもなんだか久しぶりね!」
「そうだな。すべての方がついたら領内のあちこちを二人で見て回るのもいいかもしれんな」
「素敵! はやくそんな日が来たらいいのに!」
ここしばらく鬱々と心を覆っていたものが取り除かれて、サーラは晴れ晴れとした笑顔を見せていた。
タナトスはまだみずはに未練があるかもしれない…。
でも、みずはがタナトスにこれっぽっちも惹かれていない、むしろタナトスのことは忌避しておりハーディという恋人に夢中なのは、あの数時間でよくわかった。
タナトスもむしろ今は、ウラ領のこれからをどうするかで頭がいっぱいなように見える。
タナトスに愛されてなくてもいいの。
少なくともみずはに居場所を奪われてしまうことはない。
これからもタナトスのそばにいられるとわかったらそれで十分!
悲しみに打ちひしがれていたサーラにとって、まさに起死回生の逆転劇を勝ちぬいたような思いだった。
一方タナトスにしても、しばらく頑なでぎこちない笑顔しか見せなかったサーラが、急に以前のように明るくかわいらしく甘えてくるようになり-----結局理由はよくわからなかったが-----胸のつかえがとれたような思いだった。
二人は湖へと馬を走らせながら、秋空に映える紅葉した木々や渓谷の美しさをのんびりと楽しむのだった。
*×*×*×*×*
オーリン軍の基地では、途中まで女伯爵たちを迎えに行くように、ヤヌス伯がイリスとハーディに指示を出していた。
「(名馬の礼と)歓迎の意を示し、丁重にお迎えするんだぞ」
「親父。(俺への)気配りが細かいね!」
二人でのおでかけにハーディはご機嫌だ。
「しっかりお二人を守る役目を果たしてきます!」
「えー、イリス、そんな堅く考えなくても…」
「二人っきりだからってでれでれしたら…」
「ひっ! 氷の女王はやめようよ!」
馬鹿な義息子を生ぬるい目で見送る伯であった。
*×*×*×*×*
サーラから贈呈された名馬にまたがり湖から川へ下る道へと歩を進めていくと、湖畔の野草が不思議に大きな蕾をつけはじめているのに目をひかれた。
「ものすごく大きな花が咲きそう…」
「んー、どんな色の花なんだろ」
「一面に咲いたらすごい壮観かも?」
「だね。また二人で見に来よう!」
ほかに誰もいないとやっぱりデート気分になってしまうのは、初々しい恋人たちにとって仕方のないことだろう。
街道が湖から離れ、時折急な下り坂になってはまたなだらかな渓流沿いの道になる。
いくつ目かの小さな滝の下流にかかる橋を渡っていたとき、数人の男性の怒号とか細い女性の悲鳴が渓谷に響き渡った。
*×*×*×*×*
ウラヌス谷で隊列がジヴェ将軍に襲われ混乱に陥った数日前、『こんなことになるんじゃないかと思っていたよ』と冷静に思う自分にモロス・カナンは我ながら少々呆れていた。
帝都の腐りっぷりは滅びゆく国の典型に思えたし、大義も戦果もまったくないオーリン王国への出兵に多くの税と兵の命がつぎ込まれる現状には歯がゆさしか感じられなかった。
だが、ジヴェ将軍の思わぬ一言を耳にしたとたん、体中の血が沸騰した。
「前線基地は解体されたからの」
-----前線基地が解体された? 解体されたって?
じゃあ、基地の総司令だった父は…父はどうなったのだ!
手ぬるいやり方で基地の解体が成功するとは思えない。
ということは父は…父は殺されたのか!
モロスにとって父は、戦で家をあけることが多いぶん子煩悩で妻想いの優しい父だった。モロスが軍隊の道を志したのも、大佐という高い地位につく父への憧れがあったからだ。
そんな父が、敵との戦いにおける名誉の戦死ではなく、卑怯な味方の裏切りで無念の死を遂げたなんて! 志の高いモロスにとって、それはとても許せることではなかった。
敵味方が入り乱れる隙をついて、モロスはいちかばちか道の脇の谷川に身を投げた。
*×*×*×*×*
そして今、モロスは渓谷の岩陰に身を潜めている。
女伯爵とその愛人だと噂の参謀が、仲良く馬を並べて大きな滝のやや上流の橋に差しかかるのが見えた。そのすぐ上流には、また別の小さな滝がある。
神力は弱い炎の力しかなく一人の味方もないモロスにとって、ジヴェ将軍への仇討ちは端から望めそうになかった。それでも、なにかして親父のために一矢報いてやりたい!
ウラ領でいろいろ聞きこむ内に、女伯爵が別荘に住んでいることを突き止めた。
さらに、オーリン王国の追撃隊が占拠している元前線基地に交渉に向かうこともわかった。
敵だった奴らともう仲良くしようとするなんて!
やっぱりウラ領の女伯爵は、ジヴェ将軍と組んで親父の死に関わっていたに違いない!
くそっ! 美しい顔をした魔女め!
親父、あの世から俺が敵を討つのを見届けてくれ!
*×*×*×*×*
小さな滝の脇の急な細道を登りながら、サーラは水飛沫で虹が出来ている、とすぐ前を行くタナトスに声をかけた。
水音でよく聞き取れなかったタナトスが、なんだ?と眉を上げて振り向くと、サーラの愛馬シフルが棹立ちになるのが見えた。何者かが炎の矢を打ち込んだのだ。
「サーラっ!」
彼女によく似合う浅葱色の乗馬服が緩い弧を描きながら谷へ落ちていくのが、やたらゆっくり見えた気がした。考える暇もなく自分も滝へ飛び込んでいた。
小さな滝の下でなんとかサーラの袖を掴み、橋桁に蔦を絡めてサーラの体に巻きつける。だが、橋の上から見るよりずっと水の勢いは激しく、タナトスの神力で作った蔦では長くもちそうになかった。このすぐ下流には大きな滝がある。
またか!
また俺の弱さがこんなところで!
タナトスの脳裏に忘れたくても忘れられない冬の日の思い出が甦り、思わずきつく瞼を閉じた。
あの日の氷雨のように。
激しい川の流れのように。
またしても水は俺の大切なものを奪っていくのか。




