25: 女伯爵の孤独
本日四話目です。
順番にご注意くださいませ!
サーラは洞窟の入り口にもたれるように佇み、乾いた涙を流し続けていた。
みずは…。あれが、みずは…。
わたくしと、ぜんぜんちがう、美しい子…。
---オーリンにお前の大切な者はいないのか---
切実なタナトスの言葉が頭の中に何度も響く。
あれがタナトスが愛し続けている子なのね。
私がここに来てはいけない理由は、あの子と会っていたから。
タナトスは何度も情熱的に抱いてくれたけど、所詮私は体だけ。
タナトスの心はずっとあの子の、みずはのもの。
洞窟から激しい光が漏れた気がして、ふと顔をあげた。
目の前は、闇の中のまっ白な濃い霧。
風で払わなければ伸ばした手の先も見えはしない。
…それでも私は、タナトスから離れたくないの。
*×*×*×*×*
タナトスが、ルーのようにほのかに青白く光る不思議な若者を伴って洞窟を出てきた。
「これは霧丸だ。これも、妖力で不死となった身だ」
「…そう…」
「サーラ…」
タナトスが何か言いかけて、やめる。
「とにかく基地へ戻ろう。やることが山ほどある」
基地で待っていた帝都の使者の言い分は、うんざりするほど馬鹿馬鹿しいものだった。
そんなに簡単にノーズ砦を落とせるというなら、お前らがやってみろ。前線の指揮権などすぐさまお前らにくれてやる。
早く洞窟に戻らねばならないのにいつまでたってもごね続ける使者に、タナトスの我慢も限界だった。いつも以上に慇懃無礼な切り口上で使者の荒唐無稽な言い分を切って捨て、尻を蹴り飛ばすように執務室から追い出した。
部屋に戻って外套を手に取ろうとすると、背後からサーラが声を掛けてきた。
「またあそこに戻るの? こんな真夜中なのに危ないわ」
しばらく沈黙が流れ、やがてタナトスが答えた。
「霧丸とルーを連れていくから心配ない。サーラはもう寝ろ」
振り向こうともしないタナトスに、ひび割れたサーラの心が血を流す。思わず冷たい声が出た。
「今日はいつも以上にイライラしていたわね。使者に切りつけやしないかと怖かったわ」
びくっとタナトスの肩が揺れた。
顔色をうかがうようにサーラの頬に手を伸ばすが、思わず固まったサーラに戸惑いを見せる。
「サーラ?」
そのままタナトスが肩に手を置き、傾げた顔を近づけてきたが、サーラのこわばった表情は変わらない。
タナトスの口から小さな溜息がこぼれた瞬間、サーラはタナトスの胸に手を置き、突き飛ばすようにして後ずさった。
「サーラ…。どうした?」
「わたくしは…わたくしは、あなたが傍にいてくれるならほかはどうでもいいの。あなたがわたくしの伯爵という地位を利用したいならいくらでもすればいい。わたくしは…わたくしは!」
「サーラ、サーラ、急に何を言い出す」
タナトスはサーラを抱きしめるが、サーラのかたい態度は変わらない。むしろその腕から逃れようともがきだす。
もう一度無理やり口づけようとしたとき、サーラの平手がタナトスの頬を張り、タナトスのまとう雰囲気が一変した。
「なぜ…、なぜ急にそんな態度をとる。俺が帝都の使者を冷たくあしらったのがそんなに許せないか」
「ち…、ちが…」
「サーラは俺のものだ! 違うか!」
がっとサーラの体を抱き上げると、寝台へ乱暴に投げおろし肩をおさえつけた。
「ごめ…ごめんなさい…ちがうの…」
「何が違う! お前が俺のものだとわからないなら、何度でも教えてやる!」
激しく奪うような口づけに、サーラの心は軋んで泣いた。
タナトス…タナトス…
あなたが欲しいのに…
どうしても…
明け方。疲れ切って眠るサーラの体を掛布で包みなおし、タナトスは溜息をついた。
頑ななサーラの態度がどうしても許せず、どろどろにとろけるまで何度も激しく責めてしまった。
「どうした、サーラ。ようやく道が見えてきたのに」
タナトスも疲れを隠せなかったが、洞窟に急がねばならない。サーラの頬をそっとひとなでして、部屋を後にした。
目覚めたサーラがからっぽの寝台にまた涙を流すことも知らず。
*×*×*×*×*
オーリン山の反対側、シプソン領の中腹で。
イリスとハーディは大樹の枝に腰をおろし、幹にもたれていた。前に洞窟から逃げてきたときとまるで同じだ。
自分の手で焔を葬ったイリスの罪悪感と喪失感はとてつもなく深く、絶望的に癒しがたい。
先ほどから声もなく涙を流し続けるイリスに、ハーディは肩を抱いて髪をなでてやるぐらいしかできなかった。
いつのまにかうつらうつらと夢を見る。
またこの夢 …最近よく見る…
…なにか叫んでいる
よく聞こえないけど…
必死にぼくの名を呼んでいる
小さな両手を懸命に伸ばして
だめだ。こっち…来ちゃ。
ぼく…ことはもういいから。
…だめだ…アヤ…
君は幸せに生きて…
凄まじい炎と煙の切れ間から
黒髪の少女が泣き崩れるのが見えた
*×*×*×*×*
洞窟に戻ったタナトスは、呆然と立ち尽くしていた。
法陣がない。罔象も焔もあの男もいない。
もうすぐ解き放たれるはずだった残り二体の傀儡も。
命の尽きかけていた槐も、結界ごと消え失せた。
ふ…はは…。
やられた。
さすが罔象。
俺とは比べ物にならんな。
敗北感か自嘲か怒りなのか、自分でも訳がわからない感情がぐちゃぐちゃ心を乱してしばらく動けなかった。
ふと気づくと、ルーが脛にぐいぐいと耳をこすりつけつぶらな赤い瞳で見上げていた。
そうだな。失ったものを嘆いてもしかたない。
俺には、お前もリヨンも霧丸もいる。
まだなんとかやりようはある。
タナトスは踵を返し、もう二度と訪れないであろう洞窟を後にした。




