22: 忍び寄る業
ヒーツ村に戻ったハーディとイリスは、神域で見たことを駐屯地の皆に報告した。ただ、忠利とイリスが同じ世界からの転移者であることなどは説明が難しいし、へたすると気が変だと思われかねないので、山頂の深い霧の中に不思議な洞窟があってフォボスの者がそこにいたと言うにとどめておいた。
「はぁ、朝まで戻らないから心配してたら、そんなとこまで行ってたんすねー」
駐屯地の皆は交代でベッドに入りはしたものの、ほとんど寝ずに心配してくれていたようだった。申し訳ないことに深い隈をこしらえたげっそりした顔で各々が頷いている。
(実は捜索隊が出発する寸前だった)。
「まあとにかく、犬には炎の大技しか効かないらしいことだけでもヤヌス領に知らせておかないとまずいよなー」
ノーズ砦にいる神力持ちはヤヌス伯とタケル兵団長とバルドの三人だが、炎の力持ちはヤヌス伯だけなのだ。逆に、こちらの三人は皆マルティス持ちという偏った戦力配分になってしまっている。
「誰かひとり、報告がてら向こうに行くべきっすかねぇー?」
ディオがわざとらしいしかめっ面で二人を交互に見る。
「副長はここの指揮官も兼ねてるから、あっちに行くのはまずいっしょぉー?」
変な流し目を寄越されて、イリスが焦る。
「そ…その変に語尾をあげるのはやめろ! 私が向こうに行けばいいんだろ?」
「へぇー? イリスを向こうにやっちゃってもいいんすか? 副長ー?」
今度はハーディに流し目。
「な…なにを言ってるのかな?」
明らかにキョドキョドする二人に駐屯地の皆はにやにや笑いが止まらない。
よれよれにくたびれて朝方戻ってきた二人が醸し出す、昨晩までとはまったく違う甘い空気に気づかぬ者などいない。とにかくお互いを見る目が全然違う。優しく気遣いあう態度にあてられない者がいたらよっぽどの朴念仁だ。
「まったく。こっちは寝ずに心配してたってのに、二人して山の上でなにしてたんだっつんすよ」
「なっ! なにもしてないっ!」
まっ赤な顔で猛然と抗議するイリス。
「ほんとっすかねぇ、ふくちょー」
疑わしげに言われてハーディは頬をぽりぽりかく。
「いやぁ…なんにもまったくこれっぽっちも?って言われると、それはちょっと、かな…」
「ハーディ!」
涙まじりにおろおろするイリスに、皆はもう大爆笑だ。
「はぁもう、これ以上見てらんないっす。ってことで俺がノーズ行きで決まりっすね。ちょっと寝たら行きますよ」
「…なんかすまない。にいさんによろしく言っといてくれ」
「ディオっ! バルド隊長にちょっとでもよけいなこと言ったら殺すからねっ!」
「へぃへぃ。ヒーツ村には熱くていられませんって言っときゃいいのか?」
「ディオっ! 殺すっ!」
いつも凛として隙のない剛力女王がこんな無防備な表情をさらすなんて、恋の力はすごいものだ。
初めてお目にかかるレアイリスが楽しくて、ディオは女王をからかい続けた。
*×*×*×*×*
執務室で報告書を作成したり夜の見回りのチームを組んだり雑多なデスクワークを片づけているうちに、ハーディは寝不足からうとうとと舟を漕ぎ出していた。
…なにか叫んでいる。
なんて言っているのかよく聞こえない…
小さな両手を懸命にこちらに伸ばして
…だめだ…ア…ヤ…
「ハーディ、ハーディ!」
ゆさゆさと肩を揺すられて目が覚めた。
目の前に、心配そうに顔を近づけたイリスがいる。
後ろでくくった髪が垂れ下がってきて頬がこそばゆい。
あー、かわいいな…。
思わずその艶やかな黒い束を握りしめた。
「ん…どした?」
髪を握られて頭を上げられないイリスが、近すぎる距離に顔を赤らめる。
「寝るのはいいけど、机はよくないです。なんだかずっとうなされてました。…その、アーヤ、アーヤって」
イリスの目が泳ぐ。あ、疑われてるのかな。まずい。
「なんかね、昔から時々うなされる夢なんだ。よくわかんないんだけど、たぶん女の子が泣きながら手を伸ばしてくるっていう…。うゎ、冷静に言って気がついた。ホラーじゃん。俺呪われてる?」
そう言いながら髪を引っ張り寄せて口づけようとしたらまっ赤な顔して逃げられた。
「な! なにするっ! こんなとこでっ!」
「んー、キス?」
「ねっ…寝ぼけてるからって、やっていいことと悪いことが!」
「え、だめなの?」
「任務中になに言ってるかなっ!」
「えー、戦時中なんて一日中任務についてるようなもんじゃん。いつキスできんのさ」
「とっとっとにかくっ、こんなとこでダメだからっ」
部屋の外へパタパタ逃げ出されてしまった。
あー、かわいい。たまんないな…。
今朝のイリスなんかもう、すごい破壊力だったよな。
机に突っ伏したまま、イリスの潤んだ目と桃色に染まった頬と甘い唇の感触を思い出していたら体が…とくに中心部が熱くなってきて、慌ててやめた。
自分でも、非常時だというのに突然の春に頭がわいているのはわかっている。が、顔がにやけるのをとめられない。
恥ずかしがり屋の彼女でも逃げ出さないよう時と場所を慎重に選んで…、今度は逃さず唇を奪おう。うん、そうしよう。
*×*×*×*×*
同じ頃、山の頂の洞窟で。
あれは罔象か。ちらっとしか見えなかったが、生きていたとしたら今いくつだ。
あの時十ぐらいだったから、十七、八…?
あの時、いっしょにこちらの世界に飛ばされたのか。
あの制服はオーリン王国の騎士団。
ルーを追ってきたということは、ヒーツ村に…?
忠利は、時折洞窟に来ては秘酒の補充をしていた。都合のいい死人が出ると傀儡の製作を試みたりもしたが、なかなか十全に動いてくれる傀儡を作ることはできず、洞窟に寝かせては放置していた。
オーリン王国と戦線を張っている今は、湖の近くに設営した前線基地でウラ伯参謀として軍議に参加したり、帝都の馬鹿どものわがままを受け流したり、なにかと忙しい。
…帝都のくそったれども…。あいつらを早くなんとかしなければ。
ルーを侍らせ法陣の近くに胡坐をかいていたタナトスは、恨めしげに結界にかためられた槐と四体の傀儡を見上げる。
槐の命がじわじわと尽きようとしているのを示すように結界は外側から少しずつ崩れ始め、その崩れ方はだんだん早まっているようにみえた。今は、両端の傀儡たちの二の腕と膝が出るか出ないか、といったところだ。
「もう少しだ…くそっ。早く…全部崩れろ! そうすれば!」
ふとタナトスは、右端に立つ焔の左腕に巻かれた組紐に気がついた。
もしあれが罔象だったらこれに反応するんじゃないか。
もしあれが罔象ならば、…もう一度会いたい。
会って確かめたいことがたくさんある。
タナトスは顎に手をやり、深く考えを巡らせるのだった。




