21: ウラーヌの夜(七年前・早春)
本日6話目です。
順番にご注意くださいませ。
ウラヌス谷で起きた落石は、前の晩に仕込んでおいた網をタナトスが小さな炎で焼き切って起こしたものだった。
タナトスは突然の落石に右往左往するブノアの侍従たちを見下ろし、宣言する。
「これから私は、妖力を用いてブノアを傀儡にする。お前たちはどうする? あくまでブノアを支持し、私とサーラに反旗を翻すのも一手。私について共にサーラを支えるのも一手。時間を与えるから好きなほうを選べ」
タナトスがブノアをねじ伏せて戻ると、侍従たちの心は決まっていた。元々ブノアには忠誠心のかけらも持てずにいたのだ。恐ろしい犬を従え妖しい力を持つタナトスに歯向かう利点など、ありはしない。
エドをはじめとするタナトスの信奉者たちが協力して落石を取り除くと、一行はまた粛々とウラーヌへの歩を進めるのだった。
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ブノアの帰りをウラーヌの伯爵家で首を長くして待っていたジヴェ将軍は、わざわざ出迎えにおりた玄関ホールで奇妙な違和感を拭えず戸惑い続けていた。
まず自分に尻尾を振り続けていたはずのブノアだが、青ざめた顔でフラフラしてこれまで無駄にあふれていた活力がまるで感じられない。病気にでもなったのか会話に抑揚がなく、サーラの話はなかったことにしてほしい、の一点張りだ。ここまで期待させておいて馬鹿にしているのか、と怒り心頭に発しかけたものの相手がこれでは要領を得ない。
肝心のサーラも、これまでの柔らかい笑顔はどこへやら冷ややかに対応しているのが丸わかりだった。
二人に冷たくあしらわれて憮然とする将軍に『その気もちはよーくわかっている』とばかり擦り寄ってきたのが、初めて目にするタナトスというサーラの侍従らしき人物だった。
サーラはまだ体調が今ひとつで宴や茶会に顔を出すこともできない、将軍には大変申し訳ない、と平謝りで機嫌をとった上で、お詫びにあとで素晴らしい贈り物をお届けしますからお部屋でお待ちを、とごまかされた。
実は将軍は手当たり次第の好色というわけではなく、年甲斐もなくサーラの魅力に夢中になってしまった口だった。だから女遊びの経験はほとんどなく、一昨年四十で愛妻を亡くすまで妻ひとすじだった堅物なのだ。そこを素早くタナトスに見抜かれた。
いったい何を贈ってくるつもりなのだ。剣か、金か、などとあさってな方向に考えていた将軍の部屋に届けられたのは、サーラと同じような豪奢な金髪を波打たせ、潤んだ碧の眼に長い睫毛をまたたかせながら魅力的な肉体をぴったりとしたナイトドレスに包んだ淑やかな美女だった。
短い時間でタナトスが娼館を駆けずり回り、女遊びに慣れた男の独特の嗅覚をもってして二人の相性まで考えて選び抜いた高級娼婦だ。
媚薬まじりの上品な香水をまとった美女の手練手管に、油断していた将軍はあっさり陥落し、溺れた。
女のほうも、不特定多数の男に嬲られる毎日より、好みにぴったりの逞しい男に溺愛される毎日を、身体はもちろん心の底から喜んだ。
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ブノアへの支配の効きは、急な施術ということもあるだろうがタナトスの力不足もあり半端だった。逆らうわけではないが、手足のように思い通り動かせるわけでもない。主体性のない生気のなさを、父である伯爵や重臣たちにさらし続けて不審に思われるのも得策ではない。
予定通り急病になってもらい、辺鄙な離宮に押し込めることでやり過ごすことにした。
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こうしてタナトスが四方八方に裏から手を回し、なんとか爵位の禅譲に向けて本腰をいれはじめたある深夜。タナトスの寝室を訪れる者があった。
警戒しながら開けた扉の向こうに立っていたのはサーラ。夜着にガウンを羽織っただけという無防備な姿は、うら若い高貴な女性にふさわしいものではない。
思わず叱責しようとしたら、彼女が胸に飛び込んできた。
「タナトス。私の覚悟はあなたを失望させた? それとも期待どおりだった?」
背中に手を回してそっと問いかけてくるサーラにタナトスは戸惑ったが、彼女の体を受け止めたまま答えた。
「期待以上だ。よく頑張った」
「ほんとうに?」
サーラが潤んだ瞳でタナトスを見あげる。
「でもまだまだこれからだ。女伯爵として盤石の地位を固めるまで辛抱して頑張り続けないと、結局ろくでもない男に抱かれる羽目になるぞ」
サーラはタナトスのその言葉を待っていた。
「ある程度いやな男に抱かれるのは仕方ないかもしれない。さすがに覚悟はできたわ。でも…、初めてぐらいは好きな男に抱かれたいの」
縋るようなサーラの思いがわからないほど野暮ではない。タナトスは言葉に詰まった。
サーラは可愛いが、そういう目で見たことはなかったのだ。
「タナトスの心に誰かがいるのはわかってる。私をそんなふうに見てないってことも」
夢見る少女だとばかり思っていたのに、意外に見抜かれていることに驚く。
「でも、あなたが言ったのよ」サーラの目が妖しく光る。
「どうしても手に入れたいものがあれば、力の限りを尽くすのが当りまえだって」
サーラのガウンがするりと床に落ち、魅惑的な肢体を強調しこそすれ隠しはしない夜着が露わになる。
自分の言葉から目の前の少女がなにかを受け取った、という軽い衝撃がタナトスの胸の奥をしびれさせた。
「私はあなたを手に入れたい。どうしても」
今まで見てきた少女とは違う女が、そこにいた。
ここまでさせておいてやり過ごすような卑怯な男ではない。 こわばる肩を優しく抱きしめ、愛らしく震える唇にそっと自分の唇を重ねる。思ったよりずっと柔らかくてあたたかい。
両手で持ち上げて何度も口づけを落としていくと、サーラの潤んだ瞳から上気した桃色の頬に涙がこぼれ落ちた。指でそっと拭うと、口づけをもっともっととねだるように眉を寄せて顎をあげ、自然に唇をうすく開いてくる。
タナトスの胸に思いがけず愛しさがあふれた。
火がついた体が動きを乱暴にさせる。
タナトスはサーラの身体を抱き上げ、大股で寝室に運ぶと朝までサーラの望むものを与え続けた。




