18: シフレスの愛犬 (七年前・早春)
本日3話目です。
順番にご注意くださいませ。
サーラの父と兄から社交に顔を出せと矢のような催促がしきりに届けられたが、サーラは体調がすぐれないだのなんだの言い訳をして頑として別荘から動かなかった。どうしようもない瀬戸際に追いこまれるまで、タナトスとの短い春を思う存分楽しむことに決めたのだ。
これまでずっと父と兄に逆らうことなく、言われるとおりに接待のお人形役をつとめてきたのだ。人生の墓場に放り込まれる寸前の最後のひとあがきぐらい、いいじゃないか。
雪どけが近かった。この頃にはタナトスも二匹の犬も、サーラの命を救ったこともあり別荘の皆の絶大なる信頼を勝ち得ていた。
特に皆が唖然としたのは、寒さの厳しいある夜のことだった。リヨンとルーの激しい吠え声に皆が外のようすを窺うと、庭のむこうに狼の群れに囲まれた二匹がいて、サーラもほかの者たちもすっかり慌ててしまった。
「大変! リヨンとルーが死んじゃうわ!」
ところがタナトスは「案ずるな。あいつらなら大丈夫だ」と言うとゆっくり外套を手に取り、サーラの手ほどきでぐんぐん腕が上達した剣を手に、制止も聞かず外に出ていってしまった。
リヨンとルーの戦いぶりは凄まじかった。すばやい身のこなしでひと回りもふた回りも大きな狼の喉首に噛みつくと、頭をひと振りして少し離れた木立の幹に軽々と叩きつける。信じがたい膂力だ。
その背中に狼の牙が突き立てられたように見えても血が流れるようすは一切なく、底なしの体力で機敏に動き続ける。
「いったいあいつらどうなってるんだ…」
あまりのすごさに狼よりも恐ろしくなってくる。
タナトスが加わったときは、すでに残り四~五頭というところだった。ルーが抑えこんだ狼のうしろから、牙をむきだした狼がタナトスに飛びかかってくる。タナトスはそれを躱すと、殴りつけるように首の後ろから重いひと太刀を叩きつける。さらに返すひと振りで、反対側から飛びかかってきた最後の一頭の腹を横一閃にたたっ切る。惚れ惚れするような無駄と隙のない動きだった。
「タナトスッ!」 上着もなしにサーラが飛び出してきた。
「なんて無茶を! あなたに何かあったら私っ!」
タナトスは微笑んで振り向くと、手を伸ばしてサーラを押しとどめた。
「サーラ、そこまで。少し返り血がついた」
おもむろに外套を脱いでサーラに羽織らせ、肩を叩きながら屋敷の中に連れ戻す。
「心配いらない。倒せる相手かどうかの見極めぐらいつく」
部屋の中では皆が妙におどおどして、口を開いては閉じるをくり返していた。
「どうした?」タナトスが問うと、エドが思い切って訊ねた。
「タナトス様。リヨンとルーはいったいどうなっているんでしょう? 狼を振り飛ばす犬なんて聞いたことがありません。噛みつかれても傷ひとつつかず、まったく疲れたようすも見えません」
窓の外で前脚に顎をのせて、何事もなかったようにすっかりくつろぎの態勢に入っている二匹だった。
「それに餌は…餌はどうなっているんでしょう? これまでわたくしどもはリヨンとルーに与えたことがございません」
今まで気になってしかたがなかったことをこの際聞いてしまえ、とばかりに皆がうんうんと頷いていた。
タナトスは一瞬思案したが、心を決めて語りだした。
「リヨンとルーは、秘法により生まれ変わった不死の神獣だ」
「不死の神獣…? それはいったい?」
「どのように攻撃されようと決して傷つくことがない。餌は私の血を混ぜた酒を時折ごく少量与えるだけでよい」
一同の視線が、畏怖のこもったものに変わった。
「…すごい。タナトス様は摩訶不思議な妖力をお持ちなのか」
「ただし、先ほどのような剛力を見せるのは夜だけだ。昼は普通の犬と変わりない」
皆が口々にタナトスを褒めそやし始めた。
「信じられない! サーラ様! こんな素晴らしいお方に出会えるなんて女神シフレスのお導きに違いありません!」
「え…? え?」
「決してタナトス様を手放されますな! 生涯サーラ様の心強いお力になっていただけること間違いございません!」
「え、え、生涯って…」
思わず頬を染めるサーラに皆の心がほっこりあたたまる。
どうせ行くあてのないタナトスも、贅沢な衣食に恵まれ、素直で眼福なサーラのそばにいることに異存はない。
笑みを浮かべてサーラに頷いてみせる。
ますますまっ赤になるサーラだった。
*×*×*×*×*
雪があらかた消え春の日差しが眩しくなってきた頃。
領都ウラーヌから大勢の伴を連れ、サーラの兄のブノアがやってきた。
サーラはタナトスに控えてもらって、応接室で対峙する。
「サーラ、いったいどういうつもりだ! 父上もご立腹だぞ。冬の社交をまるまるすっぽかしやがって、まったく…」
体つきは鍛えられているが、どうにも姿勢や態度が横柄で美しくない。ついでに顔も美しくない。決して整ってないわけではないのだが、傲岸不遜な性格がにじみでているせいかあくどくていやしい顔つきに見えるのだ。
「おかげでこんな辺鄙な田舎まで、お前を連れ戻しに一日馬を走らされるはめになったじゃないか。いいかげんあきらめてさっさとウラーヌに戻れ! まったく…」
サーラはひとつ溜息をついてから、きっぱりと答えた。
「使いの者にも何度も申し上げた通り、体調を崩していたのです。最近はあたたかくなってだいぶましになりましたが、寝たり起きたりをくり返しておりました。ウラーヌまで戻るのはもう少しお待ちくださいませ」
いつにない妹の強い口調に、ブノアは激昂してバンと肘掛けを叩いた。少し親指が痛そうだ。
「それだけ元気なら十分だ! さっさと馬車を用意しろ! 馬に乗らなきゃ帰れんわけじゃないだろうが! ったく!」
サーラがまたついた溜息にブノアの頬がぴくぴく反応する。
「では、支度に一日くださいませ。二日後の朝にはこちらを発つとお約束しましょう」
「手ぶらで帰るわけにはいかん。俺もそれまでここにいるぞ」
サーラの見るからにいやそうな顔にブノアがまた肘掛けを叩くが、いい悪態が思いつかなかったようだ。
肘掛けがかわいそうになってくる。
「ほかに何かございますか」
「ああ…ここの料理長の山鳥の炙り焼は絶品だったな。あれを晩餐に出すよう言っておいてくれ」
「お待ちくださいませ! まだ山の上のほうは雪が深いところもございます。鳥を狩りにいくのは大変で…」
すると背後に控えていたタナトスがサーラにこっそりとなにやら耳打ちした。サーラは申し訳なさそうに眉尻を下げて何かこたえていたが、やがて頷いた。
「わかりましたわ、お兄様。なんとかいたします」
ブノアはどんな言葉が交わされたのか気になったが、わざわざ聞くのも下手にでるようで気にくわなかった。
「ふん、最初から素直にそう言えばいいんだ、まったく」
*×*×*×*×*
その晩のテーブルにはあふれかえるほどの山鳥料理が並んで、大勢の侍従にふるまうブノアも満足げだった。
「なんだ、こんなに用意できるじゃないか。まったくもったいぶった言い方しやがって」
「いいえお兄様、今の時期はほんとうに手に入れるのは大変なんです。ただ、このタナトスがたいへん優れた猟犬を持っていて、わざわざ狩ってきてくれたのですよ」
サーラがタナトスを振り返って微笑みかける。
なんとなくブノアは気に入らない。
「ふーん。そういえばお前の顔は初めて見る気がするな」
昼も応接室にいましたけど。言いませんけど。
「久しぶりに狩りにいくのもいい暇つぶしになるかもしれんな。どうだ、マシュー」
「それは素晴らしい考えにございます。明日もまた絶品の山鳥料理を堪能できましょう」
「だろう? ははは! というわけでサーラ、そのタナトスとかいうのと犬を明日借りるぞ」
「そんな、いきなり!」
リヨンとルーにすっかり愛着を感じているサーラは、さも当然とばかり言ってのけるブノアにカチンと来た。タナトスに対する横柄な態度にもむかむかする。兄に向かってこんなふうに怒りをおもてに出すのは初めてかもしれない。
そんなサーラの肩にそっと手を置いて、タナトスは大丈夫だと頷いた。




