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霧の彼方の虹  作者: 鷹 樹
16/37

16:フォボスの女神 (八年前・晩秋)

フォボスに流れ着いたお館さまのその後の話が

六話続きます。

ダークヒーロー(?)度300%ましまし。

ウラ伯爵家のサーラは家族に恵まれていなかった。父は人の話など聞かず高圧的な態度で一方的に命ずるばかり。しかも癇癪がひどく、言うことは気分によって二転三転する。母はそんな父の顔色を窺うばかりで、子供にまで気を遣う余裕などこれっぽっちもない。

兄は父の血を引いている上に父母の力関係を肌で感じて育ったせいか、ごりごりの男尊女卑。さらに、父におもねる家臣たちがその息子をそばにあてがったおかげで、何ひとつ逆らわずへつらってばかりの侍従たちに囲まれて育った自信過剰の脳筋ばか。


出自にも一見恵まれているようで恵まれていなかった。国境をはさんですぐ南隣にあるオーリン王国は稔り豊かな国土と様々な資源に富んでいるのに比べて、フォボス帝国は冷涼で痩せた土地が多い。与えられた恵みの中で精いっぱい努力して生きていけばよいのに、隣の青い芝生が気になってしかたがない帝室の王たちは、手っ取り早い富を求めてたびたびオーリン王国に食指を伸ばしては退けられていた。


そのたびに先陣をつとめさせられる辺境のウラ伯爵家こそいい迷惑だ。少しでも戦果があればさっさと帝室に献上させられ、あえなく敗退すれば、さもウラ伯爵が不甲斐ないせいだと言わんばかりに重臣たちの前で罵倒される。父の癇癪がひどくなるのも、少しは同情の余地があるのかもしれない。


そのウラ伯爵家の長女として生まれたサーラは、彗星ははきぼしの女神シフレスの降臨と人々が噂するほど、神話の挿絵や宗教画などに描かれた女神の姿に瓜ふたつだった。ゆるやかにうねる濃い金髪に春の青空のような瞳。幼い頃は可憐な妖精のようだった体が成長とともに女らしい曲線を描くようになり、十七歳になったばかりの今はひとたび夜会に出ればそのしっとり柔らかそうな深い谷間や、折れそうな腰から臀部にかけてのボリュームのある丸みに、どんな堅物もごくりと唾をのみこまずにはいられない。


「恵まれている」と誰もが口を揃えるそんな容姿も、サーラにとっては不幸の呼び水でしかなかった。

父はオーリン王国への出征が不調に終わるたびに、サーラを帝室に献上して不満をそらそうかと真剣に考えている。今の帝王は六十歳を過ぎてなお八人もの側室を召し抱えるエロ爺だというのに!

十歳離れた兄はまた、老齢の父の死後を見据え自分の地位を盤石にするために、帝国軍の将軍にサーラを差し出す予定だからそのつもりでいるように、とことあるごとに言ってくる。オーリン侵攻の際に時折見かける将軍は、これまた親子ほど年の離れた壮年にもかかわらず、舐めるようないやらしい目つきでサーラの体を見つめてくるエロ親父だ。


どっちもいや! 絶対いや!


いくら心の中でそう叫んでも、颯爽と白馬にまたがった王子様が助けにきてくれるわけがない。いや、聞くところによると生まれた時から白い馬というのは非常に珍しくて、たいていの白馬は芦毛の馬が年をとって色がぬけたものらしいから、おじいちゃんおばあちゃん馬にまたがった王子様になるらしいんだけど。

ちがうちがう、そんなことどうでもいい。私ってどうしてまじめなことを考えていても、ふらふら余計なことが頭に浮かんでとっちらかっちゃうのかしら。


とにかく、帝王への貢物にされるのも将軍にいやらしく抱かれるのもぜったいいやなの! やだ、鳥肌が立ってきちゃった。そういえば、鳥肌ってうまく言ったものよね。羽をむしった鳥の皮ってほんとにぶつぶつしてるもの。あれをこんがりパリパリに炙ったものに甘辛いソースを垂らしたらたまらなくおいしいわよね。今晩、料理長に作ってもらえないかしら。


…こんなふうに考えがフラフラ跳びまくるのも、自分の将来から必死に目をそらしているせい。そしてわあわあ騒いでいる割には、差し迫った未来としてリアルに実感できていないせい。それぐらいサーラにもわかっていた。でもサーラにもどうしようもないのだ。


領都ウラーヌのウラ伯爵家の屋敷にいても父や兄になにか言われていやな気分になるばかりなので、サーラは信用できる数少ない伴まわりの者だけつれてオーリン山の北麓にある別荘に逃げこんでいた。


芦毛の愛馬シフルにまたがるサーラの乗馬の腕前はなかなか達者だ。乗馬だけではない。武闘派の家柄なので、男たちにまぜてもらって幼い頃から剣も弓矢も鍛えてきた。

たおやかで魅惑的な乙女という見た目に反して、サーラの中身はけっこうお転婆だった。


今はオーリン王国への侵攻にまたもやあえなく失敗して半年前に撤退したところなので、このあたりも平和で穏やかだ。伴の者たちを軽々振りきったサーラは矢を弓につがえると、湖から森にかけてひろがる草むらにおりたった野鳥を狙ってひと息に放った。


*×*×*×*×*


忠利はわけがわからず混乱していた。


洞窟を出るとひどい霧だった。秘殿に来るのは年に数回ある儀式のときだけなので、そんな日もあるのかと特に気にも留めなかった。里に向かう山道はなんだか寒くて違和感があったが、霧のせいでいつもと違う尾根に出たのかもしれないと自分に言い聞かせ、まっすぐくだってきた。

だが、この湖はどうだ。自領にも近隣の領地にも、こんな湖はない。しかも、ここに咲く野花は見たこともない大きな瑠璃色の花をつけている。


歩きとおしで疲れたところに頭まで酷使させられてはたまらない。日当たりのいい乾いた草むらを見つけると、道中で拾った皮のマントを布団がわりにごろりと横になった。



少し眠っただろうか。重くけだるかった体がいくぶんましになっている。すぐ近くの草むらがガサガサ揺れていた。きっと、この鳥がおりてきた音で目覚めたのだろう。


そのとき、ひゅっと矢が飛んでくる音が聞こえた。すかさず膝立ちに起き上がり、片時も手から離さなかった妖刀で叩き切った。鳥がバサバサと飛び立っていく。


誰が狙ってきやがった、と鋭い目つきであたりを見まわす忠利の目に、信じられないものが映った。

唖然と弓をおろし、男のような見慣れないなりをして馬にまたがる絶世の美少女だ。だが、その髪の色はなんだ。砂でよく磨きあげた銅器のように金色に光っている。よく見れば瞳の色は青くないか? 俺は夢でも見ているのか?



「あのっ! …あの…、人が寝ているなんて知らなくって! ほんとうにごめんなさい! お怪我はありませんか?」

美少女が鈴の震えるような声で案じながら、慌てて馬を降りて近づいてきた。


「え? もしかしてその右袖の汚れ、血が出ちゃったとかっ? やだっどうしよう! ごめんなさい! ごめんなさい!」

今にも涙がこぼれおちそうだ。


美しい女性を無意味に泣かせる趣味はない。

「いや、これは今ついた汚れではない。気になさるな」

「でもっ、でもっ!」


サーラにとって、いきなり草むらから人が現れた驚きもさることながら、その男の不思議な異国情緒あふれる服装と雰囲気がとても心惹かれるものだった。凛とした立ち姿と見目の麗しさは、それこそ王子様みたい!


「とにかく、いったんうちの別荘にいらして! 服が汚れていらっしゃるし、お風呂も用意しますから!」

自分でも信じられないぐらい積極的にぐいぐいいってしまう。なんとかもう少しこの出会いを長引かせたい、と乙女心が騒いでしかたない。


忠利にしたら渡りに船というか非常にありがたい申し出だった。必死に謝罪する少女の心を利用するようで悪いが、ここはひとつ甘えてみるか。この不思議な世界のことも少しはわかるかもしれない。


…この世界…

里へはもう戻れぬのだろうか。

罔象(みずは)にももう二度と…

くそっ。今は何も考えるな。


忠利はサーラに甘い微笑みを向けた。

「ではかたじけないが、お言葉に甘えさせていただこう」


そこへ、獲物をみつくろうよう命じられて山を駆け廻っていた二匹の犬が野兎や野鳥をくわえて戻ってきた。

サーラの愛馬シフルが、妖しい雰囲気に怯えて嘶く。


忠利は静かに馬に近づき、慣れた手つきで手綱をとると馬の首を叩いて落ち着かせた。そして、鐙に足を乗せひらりとまたがってサーラに手を差しのべた。


「え…? あの…」

「その犬は私のものだ。怖がる必要はない。さ、別荘とやらに案内してくださらぬか」


おずおずと忠利の硬い手を取ると、力強く一気に馬上へ引き上げられた。

やだ、なんて素敵! 乙女心がきゅんきゅんうずく。


「さて、どちらのほうへ参ればよろしいか」


サーラは横座りに忠利の前におさまった。手綱をとる彼の男らしい両腕に抱え込まれて耳元で囁かれると、ひとくくりにした髪のほつれ毛があたたかい吐息になぶられてたまらない。

やだ、耳もきっとまっ赤だ! どうしよう!


「あっのっ、あちらのピンの木のほうに行ってくだされば」

「ピン?」

「あっ、あそこに一本立っている大きな…」 慌てて指さす。


「ああ、あの松の木か。あちらに行けばよいのか?」

落ちないようにとお腹のまわりをぐっと抱きしめられ、忠利のひと蹴りでシフルは走り出した。

「ひゃいっ!」

忠利がくすりと笑うのがわかった。


うわーん、どうしよう。

なんか会話! 会話して挽回しなきゃ!



この出会いが、ウラ伯爵家の未来を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らない。






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