第四夜:王様と占者
「お前の命は十五年で尽きる」
薄汚れ、擦りきれたマントが口をきいた。
けれど、人が行き交う路上では誰に向けられた言葉なのか分からない。
不吉な言葉を吐く不気味な者とかかわり合いにならぬようにと母は子供を背に隠し、男たちは足早に去っていく。
長いマントは占者の証。
もし、真にあれが占者ならば、その言葉によって語られた未来は必ず起こる。
誰もが、お前の運命だと指さされる前にさっさと消えていき、二人連れの男がぽつりと路地に残された。
「お前だ。国王よ」
マントの裾からのぞく白い指先が片方の男をさした。
指差された男はしばし瞠目したのち、からりと笑った。
澄んだ空によく響く楽しげな声だ。
「お忍びで出てきたのに、ばれてしまったな」
男が被り物を取れば精悍な顔が現れた。
陽光に煌めく赤い髪は赤子でも知ってるこの国の王の色だ。
大口を開けて笑うと途端に人懐こい顔になる。
マントの塊としか見えないものに近づこうとする王をもう一人が引きとめ、連れて行こうとする。
腰に帯びた剣に施された紋章は将軍の証だ。
「大丈夫だ。セト」
そう男に言うと、王は一歩近づいた。
「十五年の命か」
「そうだ」
目の前に屈んだ王に死の宣告が下された。
「戯言を!」
かっと目じりに朱を走らせたセトは柄に手をかけた。
一瞬のうちに抜かれた刃を止めたのは、穏やかな声だった。
「十五年か」
「我が君、そのような世惑い事を信じられるな! こやつは国を乱す闇のものです」
「占者は空言は言わぬ。言えば、その力を失ってしまうからな」
「しかし!」
セトは叫んだ。
十五年など短すぎる。
まだ王が幼き日より支え、ともに歩んできた。
やっと対外関係も落ち着き、国内も活気に満ちて来たというのに。
目指してきたものが叶うと思った途端、終わりが見えるなど認めるわけにはいかなかった。
「十五年だ。何が出来る?」
占者が告げたのは王の死であり国の死ではない。
「国を、人を育てよう。強く、豊かに。なぁセト」
青ざめる長年の友に王はにかりと笑って見せた。
その言葉にはっとしたのはセトばかりではなかったようだ。
殺気のこもった刃先の前でも身じろぎ一つしなかったマントが微かに揺れた。
「ありがとう。導きの星よ。礼にお前の未来を占ってやろう」
導きの星、それは占者を最も尊敬して表す言葉だ。
「お前は三度私に会うだろう。三度目に会う時には、お前はそのマントを自ら脱ぎ素顔をさらす。そして、我らはよき友になるだろう」
二度目の出会いは殊更短かった。
やはり路地の片隅で名を聞かれ、答えずにすれ違う。
ただそれだけ。
占者は真実の名を告げてはいけないと、その一言さえなかった。
その名を告げるのは魂を捧げるのと同じ意味があるのだ。
王は何も言わず去っていく姿を、己の運命を知ったときと同じ笑みで見送った。
「今宵で三度目だな」
寝台に横たわった男は来訪者を見てにかりと笑った。
頬がこけていても、その笑みは以前と変わりない。
来訪者もまた、ぼろ布のようなマントを頭から被っている。
月明かりの差し込む小さな部屋で、二人は三度目の出会いを果たしたのだ。
冴えたつきあかりが、男の頬を青白く染め上げていた。
炎のようだった赤い髪も青く沈んでいる。
「今宵でお前に会ってから十五年だ。十五年でたった三度。ほんの一刻にも満たぬ時間しか会っていないのにな。お前のことは良く分る」
「わたしには分らぬ」
十五年前と同じ声が振ってくる。
幼さも老いも一度に感じさせるような不思議な響きを持つ声だ。
「寂しがりやの捻くれものめ。私が百度会うと言えば、お前は百度来ただろうに。惜しいことをしたな」
来訪者はふいと顔を背けた。
三度目は決まっていた。
この男が息絶えるその日に会うと。
二度目の出会いは良く考えた。
一番良い日を考えた。
あんな路地裏で不意に出会うとは思っていなかったからだ。
もし、百度会うと言われていたら、この男のことを少しでも理解できただろうか。
その考えを読んだように、男は笑みを漏らした。
「お前はきっと同じ事を言う。わたしには分らぬと」
「……何故、問わぬ。運命から逃れる術を……もし、問うたならば」
月明かりを受けた瞳が優しく光り、マントの中を覗き込んだ。
「この国は強くなっただろう? もはや私の手を離れ、手助けなど必要ではない」
男は次世代を育てると国の最高位から身を引いていた。
けれど、そんなことは来訪者にとってか関係ない。
生きている限り人は死を厭うはずなのだ。
今まで会った、どんな人間も死ぬのは怖ろしいと訴えてきた。
「この命を尽きるを知っていたからな。私はやりたいことを全てやったぞ。それに、友に嘘をつかすわけにはいかないだろう」
一度、占者が口にした運命は変わらない。
無理に変えようとすれば偽りを生む。
その偽りは占者の力を奪い、その命すら脅かす。
「三度目だ」
その声にはおもちゃをねだる子供のような響きがあった。
しばしの躊躇の後、マントの下から淡い色彩が現れた。
月明かりを受け、白く輝く面を彩っていたのは絹糸のような皇かな髪だった。
金の彩を得て、凛とした顔が更に輝きを増す。
まるで月が擬人化したかのような姿に男は目を細めた。
「お前は美しいな。二度目に素顔をさらすようにすればよかったか?」
占者の美しさは夜の美しさだ。
人々が目にすれば、畏怖の念を抱くような。
誰もが恐れたように美しいと口にするが、無邪気にその言葉を口にするものは少なかった。
マントは未来を語ると知らしめるだけではなく、己の姿を隠すためのものだった。
けれど今は隠すものは何も無く、けれど奇異なものを見る視線はどこにもない。
「最期に見るものが、こんなにも美しいなんて私は幸せ者だ」
男の口からごぼりと血塊があふれ出す。
月の慈悲なのか、血は色を失い胸元を黒く染める。
けれど、死の匂いは部屋の中を満たしていた。
「死なぬ。死なぬ。お前は死なぬ。陽光と共に息を吹き返すのだ」
まだ空の闇は濃い。
我知らず言葉にした空言。
占者がその意味を知る前に、男の体は硬直し、その瞳に漲っていた力が急速に失われていく。
「なぁ、導きの星よ。この国が……」
ひゅうと男の喉が鳴る。
それが最期の息だと理解できたのに、男の問いの答えが見つからない。
急に暗闇に投げ出されたかのように何も見えない。
見つけることが出来ない。
ーこの国が……
この先には何が続く?
いつまで安泰か?それとも……
早く、早く、答えてやらねば……この国の未来を
「お前にも優しい国だといい……」
「やはりお前は魔のものか」
空が色を変え始めた頃、部屋のドアが静かに開いた。
こときれた男の傍らに立つ見知らぬ人物の姿を目にしてセトは小さくつぶやいた。
擦り切れたマントには見覚えがあった。
最後の日を知っていながら、「あいつが来るから一人にしてくれ」と傍に居させてもくれなかった友を初めて恨んだ。
そのくせ、後のことは頼んだと全てを任せて逝くのだから。
それでも、安らかな微笑さえ浮かべた顔にほっと安堵した。
「……何故に泣く。お前が語った未来ではないか」
呆然と立ち尽くす人物に目をやると、己の見解が間違っていたことをセトは悟った。
魔は人のために泣いたりしない。
「分らぬ。分らぬ。分らぬ……」
白い面の上に行く筋も水の道が出来ていく。
駄々をこねる幼子のように同じ言葉を繰り返す人物に己の姿が重なった。
これは結末を知らなかったはずの己の姿だ。
「ああ、お前も悲しいのか。切ないのか。愛しい人を失ったか……」
手のひらに伝わる冷たさに、魂が震えて涙を流す。
いくら知っていても、どこまでも、途方もなく悲しいのだ。
大切な人を失うのは。
「分らぬ。悲しいなど知らぬ。切ないなど知らぬ。愛しいなど……」
ただ、分るのは山すそを太陽が赤く染めても、寝台に横たわる男が息を吹き返すことなどないということだ。
そして、己の言葉にはもう力はない。
名を隠す必要もない。
ーお前、名は?
「わたしの名は」
そっと、耳元に語られなかった真実を囁いた。




