78、キャッキャウフフの温泉回なんて書けなかった結果がコレだよ!
浩助が経営する旅館に温泉が出来たのは、凡そ三週間程前の出来事だ。
その頃は日々の町造りの作業に追われていたりしたので、温泉用の穴を掘ったのはいいのだけれど、その使いみちにまで手が回っていない状態であった。
……その穴に使いみちができたのは、一人の協力者に因るところが大きい。
「本当、アイツの御蔭で助かったよなぁ……」
旅館の端に作られた脱衣所でボロボロになった制服を脱いで、畳んで、脱衣カゴに入れながら、浩助は呟く。
流石に、この制服はこれ以上は着れないだろう。
浩助はねこしぇの収納スキルを利用して、新しい制服を脱衣カゴの中に用意しておく。
後は、腰に一枚のタオルを巻いて、これで準備完了である。
恐らく、沙也加も今頃は影の空間の中でいそいそと着替えをしている頃だろう。
「……覗いてやろーかな」
《……そんなことしたら、御主人様は二度と御風呂に入れない体になっちゃいますニャ》
「なんてことだ! 水原の鬼め! 後で覚えてろよ!」
本人のいない所で言いたい放題言いながら、浩助はねこしぇが濡れないように頭の上に固定する。
ぬいぐるみをバランス良く頭の上に乗せたところで、すぐにずり落ちてきそうなものなのだが、八界の管理者特製のぬいぐるみは、自分の意志で外すことを選択しない限りは勝手に外れることはない特性を持っている。
ある意味、不思議な光景ではあるが、魔法や魔物が横行するような世界なので、浩助はもうその程度の不思議では驚かなくなってしまっていた。
……なかなかタフな精神構造の持ち主ではある。
「さぁて、ゆっくりとくつろぎますかね」
木でできた扉をがらりと開け放てば、そこは既に野外だ。
浩助が管理する旅館の一番の目玉である露天風呂……なのだが、一流どころの旅館などと比べると、景観が見劣りすることは否めない。
生け垣で庭を囲い、一応、日本庭園を意識して木々や岩を配置してあるだけといった設え。
正直、侘び寂びの心など分かるわけもないので、なんとなくそれっぽい感じで、浩助が庭を作っただけである。
だが、本人は満足なのか、何度も頷きながら見ている。
すると――。
「あら、有馬様ではありませんか? こんな夜半に月見酒ですか?」
そう言って『温泉』のお湯の中から姿を現したのは、この露天風呂に命を吹き込んでくれた水の精霊のティアであった。
この露天風呂が機能不全であったところを、温泉のお湯を精霊の力で作り出すという荒業で解決してしまった一番の功労者である。
基本、水の精霊と聞くと、水しか操れなさそうなイメージだが、実際には、水でもお湯でも水分を多量に含んでいるものに関しては、何でも自在に操れるらしい。
つまり、温泉の成分に全く狂いのないお湯も作り出すことができるわけで……。
……かくして、有馬旅館の温泉はしっかりと機能し始めたのである。
ちなみに、ウンディーネという種族は、風呂に入る習慣がないのだが、お湯に浸かることは割と気に入ったのか、温泉に湯を供給した後で、こうしてのんびりと浸かっていることが多い。
このティアもそうしたウンディーネの一人ということなのだろう。
そんなティアに視線を移しながら、浩助はティアの勘違いを正す。
「一応、勘違いされると困るから言っておくぞ? 俺はまだ未成年だからな? 俺の住んでいた世界ではまだ飲めない規則になっているからな? だから、月見酒とかそんなことしねーからな?」
「あ、はっきりと言うと駄目な感じの奴なのですね。では何か隠語ででも言い表しましょうか?」
「いや、だから、そういうことじゃなくてよ……。…………。ちなみに、隠語ってどう言い表すつもりだったんだ?」
「例えばそうですね。……丸太とかはどうでしょう」
「はぁ? 丸太? 一体、どんな感じの会話だよ……」
――浩助は想像してみる。
『やっぱり、温泉で月を見ながらの丸太は最高だなぁ!』
『おかわりの丸太も沢山用意してありますから、遠慮しないで下さいね』
『おう、これこれ。この色艶と太さに固さ! これが堪らないだよ! うん、ぶっといなぁ!』
『ふふふ、有馬様ったら……。そんな有馬様を見ていたら、私も丸太を立てたくなってしまいましたわ』
『おう、立てろ立てろ! 二本でも、三本でも好きなだけ立てるといい!』
『……それでは、有馬様。二人で――』
『あぁ……』
浩助とティアは丸太をごちんとぶつけあう。
『……わっしょい♪』
――どう考えても駄目な感じの会話しか見えてこない。
「いや、ねーわ。どう考えてもねーわ。少し御柱祭のイメージ入っちゃうぐらいねーわ」
「そうですか? 私は割と有りだと思いますけど……。そんなことより、とりあえずお湯に浸かりませんか? その格好だと冷えるでしょう?」
「まぁ、この辺はそこそこあったけぇから風邪は引きそうにねぇけどな。まぁ、お言葉に甘えさせてもらうか」
言って、浩助は掛け湯をしてから、湯船に肩まで沈む。
暖かさが体の芯まで伝わり、疲労が筋肉から抜けていくかのようだ。
ふぃ~っと思わず気の抜けた声まで出てきてしまう――、と。
「影が揺らめいたから、そろそろ良い感じかしら?」
露天風呂近くの岩場から白いビキニの水着を着た沙也加が姿を現す。
いつぞやの沙也加自身が言っていたことだが、彼女はスタイルがいい。普通に町中を歩いていても、芸能スカウトの人間に声を掛けられてしまうぐらいには、スタイルと立ち居振る舞いが凛としていて絵になるのだ。
そんな沙也加が際どい水着を着るとどうなるのか――。
浩助は動揺を悟られぬように、ゆっくりと口元まで湯に浸かってしまっていた。
……何だか顔が熱い気もするが、温泉の温度のせいということにしておこう。
そんな浩助を知ってか知らずか、明け透けな態度のままに沙也加は掛け湯をしてから湯船に入ってくる。
「うーん! やっぱり御風呂はいいわね~! あ、ティアさん、こんばんは!」
「はい、こんばんは。沙也加さんもやっぱり丸太ですか?」
「……はい?」
「あれ? 沙也加さんは丸太はお好きじゃないのですか?」
「えーっと、どちらかと言うとそんなに好きってほどではないですけど……?」
「それは、やっぱり味が……ということなのでしょうか?」
「味……!? いや、うん、確かにキツそうだとは思いますけど……」
「なるほど。ですが、そういう時は割ったりすると良いらしいですよ?」
「割るの!? 縦に!? やっぱり斧で!?」
「斧? いえ、普通は氷とかですかね……」
「岩で割るの!? 何それ、凄くない!?」
「…………。あー、水原さんや?」
沙也加の怒涛の勘違いが続く中、浩助は口を挟もうとする。
何よりも沙也加とティアの会話の御蔭で気持ちも割と落ち着いた。
これなら、沙也加に動揺を見透かされることはないだろう。
――と、浩助が何かを言いかけるよりも早く、露天風呂に続く木戸がガラリと開け放たれる。
こんな時間に利用客? と浩助が訝しむ中、タオル一枚を身に纏った少女が何やら大きな箱を手押ししつつ露天風呂へと入ってきていた。
少女の姿には、浩助も見覚えがある。
確か、食堂の方でいつも食事を作っている川端棗という少女だ。
彼女は静々と沙也加の前にまで進むと、持ち込んできた大きな箱の蓋をささっと開ける。
「水原先輩――、水精霊の方からです」
……その箱から出てきたのは、正真正銘本物の丸太であった。
「いやいやいや!?」
浩助が驚く中、棗は浩助には見えない位置でにやりとほくそ笑む。
「新鮮なものを用意致しました。どうぞ、鮮度の落ちない内にお楽しみ下さいませ」
「え? えぇ~?」
困惑したような沙也加の様子を見ながら、棗はにこやかに笑う。
(ふふふ、水原先輩には悪いですけど、邪魔者には丸太を飲んでご退場願いましょうかねぇ? せいぜい喉に詰まらせないように、気をつけると良いですよ……、クククッ!)
爽やかな笑顔を貼り付けながら、どす黒い感情を垂れ流す棗。
だが、ハッと我に返ったのか。次の瞬間には、彼女は額を岩場にガツガツとぶつけていた。
……風呂場が血に塗れる。
「えぇ!? どうしたの!? 棗ちゃん!? 何でいきなり額を打ち付けてるの!?」
「うぅ、ごめんなさい、ごめんなさい、水原先輩! 私、私……最低なんです!」
「よ、良く分からないけど、温泉で怪我とかは良くないから、頭を打ち付けるのはもうやめよう? 有馬も引いているみたいだし」
「えぇ!? そ、それは駄目です! はい、やめます! やめて温泉に入ります!」
「いや、血行が良くなったら流血が止まらなくなるだろ……。とりあえず、今日は風呂に入るのはやめとけよ……」
浩助が若干呆れ気味に言うと、棗はこの世の終わりのような顔を見せた後――。
――春が来たかのように、満開の笑顔を見せる。
「えへへ、有馬先輩に心配されちゃった……。あ、先輩!」
「何だ?」
どくどくと顔面血だらけになっている棗の姿にただならぬものを感じながら、浩助は言葉を促す。
「写真取ってもいいですか?」
「いや、何で野郎の半裸を撮るんだよ……」
「そうですよね……」
ちょっぴりしゅんとなった棗は次の瞬間には息を荒らげる。
「じゃあ、全裸で!」
「撮らせねぇよ!?」
棗の流血は額からだけでなく、鼻からも行われていた。
色々と血の気の多い少女である。
「お前、額だけじゃなくて鼻からも血が出てるじゃん!? いいから、風呂場じゃなくて回復魔法が使える奴の所に行け!」
「ふぁ~い、ふへへ……。まは、心配されひゃった~……」
どこか嬉しそうな声を上げながら、棗はふらふらと露天風呂を後にする。
ようやく風呂にゆっくりと浸かれるかと気を抜く浩助だが、そうは問屋がおろさないとばかりに、新たな台風が二つ投下されようとしていた。
「何だか、活きの良い血が流れているようだな。……勿体ない」
「…………。……血、美味しい?」
木戸をガラリと開けて入ってきたのは、キルメヒアとアンの二人だ。
二人共、一応は人間側の作法に則っているのか、バスタオルで大事な部分を隠しながらの登場である。
ちなみに、キルメヒアの方は弾けんばかりの豊満な肉体がギリギリ隠せるかどうかといったところであり、アンの方は全く問題なく隠せている状態だ。
ちなみにバスタオルのサイズは全く一緒だということを、追記しておこう。
「おいおい、水原以上に色々と零れ落ちそうな奴がやってきたな……」
少しだけ鼻の下を伸ばす浩助。
健全な男子生徒なので、不必要なまでに朴念仁とした対応はしない。
だが、その下心も隣に浸かる沙也加から発せられる冷気にも似た殺意によって引っ込められる。
「良かったわね、有馬……。色々と零れ落ちて無くて……」
「えーっと、もし、零れ落ちてたらどうなってたんだ……?」
「私の嵐のナックルパートが炸裂してただけよ。気にすることはないわ……」
――沙也加の言葉を受け、浩助は想像する。
「行ったー! 行ったー! 水原が行ったぁぁぁー!」
「まさに怒涛のラッシュ! しかも、全てがナックルパンチですからねぇ! これは相手もたまらないはずです!」
「おぉっと、有馬選手、膝が落ちるかぁぁぁぁー!」
「目の焦点が合ってませんねぇ。これはマズイですよ。意識飛んでるんじゃないですかねぇ」
「おっと、沙也加選手、ここで浩助選手の脚を取って引き倒すぅぅぅ!」
「この体勢は――、彼女の必殺技が出ますよ」
「出たぁぁぁぁッ! 必殺のスピニングトゥホールドだぁぁぁぁッ!」
(――温泉でやる技じゃねぇぇぇぇ!)
しかも、想像の中では実況、解説、選手、全てを沙也加がこなしていた。
正直、見たいような見たくないような複雑な気分である。
何にせよ、淫らな想像は封印したほうが身のためのようだ。
浩助は表情を読まれないようにするため、また口元まで沈み込む。
「おっと、アリーマよ、そんなに肩まで浸かって大丈夫なのかい?」
「……どゆこと?」
沙也加がきょとんしたと顔を向けると、キルメヒアは桶にお湯を汲みながら難しい顔をしてみせる。
「ちらりと見えたが、全身が傷だらけだったろう?」
掛け湯は流水に入るのかどうか迷いながらも、とりあえず試してみて悲鳴を上げるキルメヒア。
彼女は焼け爛れた皮膚にふーふーと息を吹きかけながらも、割と引き攣った笑顔で湯に浸かり始める。
どうやら掛け湯は流水に含まれるらしい。
「そんな怪我だらけの体でお湯に浸かっていて、沁みないのかと思ってね」
「どんだけのブーメラン投げてくるんだよ、お前……。――ってか、ここの温泉の効能は傷にも割と効果あんだぞ? ……鼻血や流血は止まんねーけど」
お湯で顔を洗いながら、浩助はそう言って太い笑みを浮かべる。
いや、それだけではない。
「それに、一応、飲むことも可能ですよ。体に有害な成分は私が排しておりますので」
ティアがそう続ける。
とはいえ、人が入った温泉のお湯を飲もうと思う者はいないだろう。
その証拠にキルメヒアでさえも顔を顰めている。
「アリーマ汁が堪能できるのか……。いや、しかし……、こんな公衆の面前で、そこまでのご褒美を貰っても良いものだろうか……」
……顔を顰めている理由が割と酷かった。
「ふふふ、キルメヒア様のご想像はなかなかに素晴らしいものですが、今宵は月を見ながら――、ふふっ、どうですか?」
「……ほう?」
興味を持ったかのように、キルメヒアが笑みを深める。
水の精霊であるティアは、ありとあらゆる水という水に干渉し、その性質を自在に操ることに長けている。それは、とどのつまり、アルコールすらも簡単に生み出すことができるわけで――。
「期待してもいいのかな?」
「えぇ、勿論ですわ」
軽い言葉とは裏腹に、真剣な表情を見せるティア。
彼女は温泉の一部から水球を作り出すと、濁り湯めいた色合いの水球をあっという間に浄化し、無色透明な水へと変えていた。
おぉっ、と感嘆しかける浩助だが、それはティアにとって造作もないことだったのだろう。
本題はここからとばかりに眉間に皺を寄せながら、徐々に透明な液体を色付かせていく。
最初は薄い黄色、そして徐々に濃い黄金色に、更には琥珀色に――。
(ウイスキー?)
――だが、ティアは色が琥珀色になったところで止めずに、更に色を濃くしていく。
琥珀色から、茶色に、そして茶色から焦茶色に――。
「――そして、出来上がったのが、この丸太です」
「何でだよォォォォォォッ!?」
思わず叫んでしまう浩助。
だが、ティアは飄々と続ける。
「映像的にも規制はあった方が宜しいかと思いまして」
「映像にまで規制を掛けたら、それ完全に丸太じゃん!」
「大丈夫です。味は保証します」
「いくら、本物の酒でも、見た目が丸太じゃ誰も飲まねーよ!」
浩助の言うことは最もなように聞こえたが――。
「ふっ、アリーマ! そんな常識に囚われていては、この世界では生きていけないぞ!」
やたら、格好良い事を言い、キルメヒアはお湯に湿った長い髪を掻き上げていた。
どうやら、この残念美人の中には開拓者精神というものがあるらしい。
彼女は、いつの間にか手に取っていた丸太を掲げ、それをまざまざと浩助に見せつける。
「これは、丸太! そういうことにしておけば、各種色んな方面から怒られることもなく、丸太を楽しめる! そういうことなのだよ!」
「な、なるほど……!」
つまり、今後、冒険者ギルドで未成年が丸太を楽しんでいても、何も言われないわけだ。
何せ、丸太なのだから。
丸太を愛でていても、何もおかしなところなどないのだから!
「だから、自分がこの丸太を初めて味わう毒味役となろう!」
「うおおぉぉぉ! 流石、キルメヒアだぜ!」
キルメヒアは浩助の期待を一心に背負い、手にした丸太に思い切り齧りつく。
そして――。
「…………」
――歯が欠けた。
「ウゴゴゴゴォォォ……ッ!?」
「あ――。それ、私が貰った本物の丸太だわ……」
言うのが遅い。
半分涙目で沙也加を睨むキルメヒアをよそに、ティアに受け渡された丸太を味見したアンは「うえっ……」と嘔吐く。
……どうやら、アンにはまだまだ丸太は早いということのようであった。
小ネタに走っていたら、大オチが思いつかずに大分手こずりました。
いつもなら、書いている途中でさっと思い付いてハマってくれるのですが、今回は大分難産でした……。
そして、温泉回という名の丸太回という、ね……。




