73、裸族親父
「アリーマよ、ちょっといいか?」
「――ッ! アンは!? アンの状態はどうなんだ!?」
キルメヒアの姿を見るなり、浩助は掴みかからんばかりの勢いで迫る。
異世界武道館での特訓の末、浩助の本気の攻撃を受けてしまったアンは現在娼館の一室で治療の真っ最中だ。
浩助の攻撃を受けた直後のアンは、意識自体はハッキリとしていたものの、自分の体を指一本動かせないというとんでもない状態になってしまっていた。
それにいち早く気付いた浩助は、則夫のところに回復魔法を掛けてもらいに訪ねるのだが、その回復魔法でも状態は回復せず、ならば薬の類ならどうかと琴美を訪ねるも、改善の兆しが一向に見えない状態が続いていた。
途方に暮れかける浩助だが、そこに救いの手を伸ばしたのがキルメヒアだ。
彼女はアスタロテからの連絡を経て、浩助を探していたらしい。
彼女は浩助を娼館にまで案内すると、そこの二階の一室にアンを横たえるように指示する。
アンは何処か不安な眼差しを浩助に向けていたが、浩助はそんなアンを「大丈夫だ、すぐに治る」と励ますと、その手を力強く握り続けた。
やがて、現れたのは夢魔のリリィとベティの二人であり、彼女たちは治療をするのに浩助が邪魔だと言って、浩助を部屋の外に追い出してしまう。
当然、それに付き添う形で部屋の外に出た沙也加は、浩助を宥めながら、娼館の一階で大人しく治療が終わるのを待つことにしたのであった。
そして、短くはない時間が経った頃、キルメヒアが姿を現し――、浩助は勢い良くキルメヒアに詰め寄ったというのが、ここまでの流れである。
「大丈夫だ。このままなら何も問題は――」
「――ということは、あのままなら危なかったってことなの?」
椅子から腰を浮かして、沙也加まで食い気味に話してくる。
それだけ、二人はアンと仲を深めていたということだろう。
キルメヒアは場違いではあるが、それを素直に羨ましいと思う。
「あぁ、精神体と肉体が乖離し掛けていた。恐らくは余りに急で強烈な衝撃に、精神が肉体のダメージに気付かなかったのだろう。精神はまだまだやれるぞと思っていても、肉体は致命的なダメージを受けているわけだから、そこに認識の齟齬ができてしまったのだろうな。それが進むと肉体と精神体が乖離してしまい、いずれはアン君は死に至っていただろう」
「……すまん、良くわからん」
頭上に疑問符を浮かべながら、浩助はキルメヒアに聞き返す。
その点に関しては、キルメヒアも慣れたもので――。
「勢い良く叩いたから、アン君の肉体から魂が抜けかけた」
――浩助にも分かり易いように解説してくれる。
「すっごく分かり易い解説有難うございます!」
浩助の感謝に、「善き哉」と手を振って答えるキルメヒア。
こうしてまともにしていれば、絶世の美女とも言える人物なのだが、兎角、行動に残念さが目立つのが玉に瑕である。
「今は、夢魔の二人に精神干渉をしてもらい、アン君の精神体を肉体に戻している最中だ。まぁ、簡単に言えば、抜けかけた魂を元の肉体に押し戻している最中だな。一応、自分も魔力を供給してリリィとベティの力を増幅していたんだが、二人がもう大丈夫というので事情を説明しに降りてきたのだよ」
「そうだったのか……。キルメヒアにもリリィとベティにも迷惑かけちまったな……」
「ふっ、何を言う。我々はここまで町を共に守り、大きくしてきた仲間ではないか。水臭いことを言うな。……ちなみに、お礼は頬にチッスでいいぞ?」
「鉄拳という名の接吻がお望みか? それなら、思いっきり頬にぶち込んでやるが?」
「暴力的なアリーマも素敵過ぎるな! 自分も魂がドキドキで乖離してしまいそうだ!」
「キルメヒアさんもブレないわねぇ……。――あら? それって?」
沙也加がキルメヒアが持っているものに気付いたのか、小さく声を上げる。
「あぁ、これか」
そう言って、キルメヒアが掲げるのは刻印が刻まれた金色の指輪だ。
その指輪に紐が通され、首飾りのように首に下げることができるようになっている。
「アン君が首に下げていたものだな。治療に邪魔だから、ちょっと預かっておくことにした。まぁ、後で返そうとは思っているのだが……」
「治療に邪魔?」
ふと疑問に思ったのか、沙也加がオウム返しに尋ねると――。
「今、アン君は二人と裸で抱き合ってるからな。硬いものがあると当たって痛いだろう?」
「はだっ!? ――何で、裸族!?」
――そんな答えが返ってきた。
浩助が慌てて突っ込むが、キルメヒアとしては当然なのか、特に動揺した様子も見られない。
「魔力をより強く相手に干渉させるためには、直接触れるのが効果的なのだ。今回は結構難しい精神体の治療だからな。あの二人も直接的な接触をせざるを得なかったということだろう」
夢魔という精神のスペシャリストがこれなのだから、アンの状態は放っておけばかなりマズイことになっていたと思うぞ、とはキルメヒアの弁である。
浩助は今回ばかりは、この湖畔の町が多種族で構成されていることに感謝を禁じ得ない。
……恐らく、人間だけでは対処の方法がなかったことだろう。
「でも、それで一応、アンちゃんの状態は元に戻るのね?」
「復帰には二、三日掛かるだろうが問題なく元に戻るだろう。しかし、うーん、この指輪……」
キルメヒアは浮かない顔で、アンの持ち物である金色の指輪を弄くり回している。
その様子に、浩助は思わず不穏なものを感じる。
「……おいおい、呪いの品だとか、そういうんじゃねーだろーな?」
「そんなことはない。……ただ、この指輪の意匠が何処かで見たことがある気がしてね」
首を捻るキルメヒアだが、それ以上のことは思い出せないのか、やがて諦めたように嘆息を吐き出す。
「まぁ、思い出せないということは大したことではないのだろう」
「……そういうのって、大体、大したことあるフラグなんだけどね」
『ハハハ、まさか! ないない!』
「…………」
全力でフラグを立てにきた浩助とキルメヒアに向かって、沙也加はジト目で答えるのであった。
●
湖畔の町より湖を渡り、山を三つ越え、更に広大な針葉樹林帯を抜けたところに、常に霜で覆われた草原が存在する。
草の根さえも凍りつき、通常の植物では繁殖できないはずのその大地も、結晶化植物と呼ばれる特殊な個体にとっては大した苦にはならないらしい。
一面に色とりどりの花を咲かせて、見るものを楽しませるかのように咲き誇っている。
だが、綺麗な薔薇には棘があると言わんばかりに、それらの花々も一筋縄ではいかない。
結晶化の名の通り、それらの花は茎から花弁までが、全てが鉱石のように固く、触れるものを切り裂く程に鋭くできているのだ。
――そんな花々に脛や足、果ては臓腑まで切られながらも、愚直に前進してくる集団がいた。
全身を金色の甲冑に包み、各々が豪奢な武器を手に持って迫る戦士の集団である。
「我らにはデウス様の加護ぞある! 皆の者、死を恐れるな! 突き進めぇい!」
鬨の声を上げて吶喊してくる戦士たち。
自らの身がどうなろうとも構わずに突き進む姿は、勇壮を通り越して恐怖を覚える程だ。
そもそも、そんな状態で戦力として機能するのか?
だが、そんな心配など杞憂であるかのように、戦士たちは勢い良く突き進む。
……それもそのはず。
彼らは、いずれもが音に聞こえた戦士なのだ。
これぐらいの艱難辛苦では当然のように止まることはない。
「例え、死んだとしてもデウス様が蘇らせてくれる! 我らに死という概念はない! 思うがままに戦い、そして悪を蹂躙するのだ!」
「……やれやれ、なんともはや、美しくない戦だ。そうは思いませんかね、親父殿?」
突撃を仕掛けてくる戦士たちの眼前に立ちはだかるのは、三人の男だ。
その背後には数千にも及ぶ異形の徒――即ち、魔族たちが立ち並ぶが、彼らはその戦力に先んじて戦場の中央へと進み出ていた。
結晶化の花が、彼らの皮膚を懸命になって切り裂くのだが、一人は即座に回復し、一人はそもそも花を踏まずに浮かび、そして最後の一人は花を粉々に踏み砕いて進んでいる。
彼らにとってみれば、この針山のような戦場はカーペットの上を歩くことなどと同義なのかもしれなかった。
宙に浮かぶ魔族の言葉を受け、花を砕きながら歩いていた巨漢の魔族が、凶悪な面相で宙に浮かぶ魔族を睨む。
「……ぁん? 戦に美しいも何もねぇだろ? 勝つか、負けるかだけだ。……それとも、テメェはまた頭で戦をやろうとしてんのか? 前にも一度『注意』してやったよなぁ?」
「ケッケッケッ! この間は体半分に裂かれたんだっけか! 次はどうなっちまうんだろうな、アノス!」
「我が身は親父殿のものなれば、裂かれようとも、焼かれようとも、食われようとも、ご随意に――。ですが、これだけは言わせて貰います。彼らの泥臭い戦いぶりには華がないのですよ。……力という名の華が全くね……。その点、親父殿には華が――」
全てを言い終えるよりも早く、浮遊していた男の腹が、親父と言われた男の一撃によって消し飛ばされていた。
口腔から細い血の糸を垂らしながら、浮遊していた男はそのまま結晶化の花々の上へともんどり打って落ち、その身を切り刻まれることによって、自身の体を紅く彩ってみせていた。
だが、そんな状態であるにも関わらず、アノスと呼ばれた男は満足そうに目を閉じて呟く。
「これもまた血化粧の類か、美しい……」
「……駄目だ。アノスの野郎、相変わらずイカれてやがるぜ、親父」
結晶化の花に身を裂かれるも、即座に回復し続けるために一切の傷を負っていない男が呆れたように、アノスの顔を覗き込む。
アノスは『美しさ』に固執する馬鹿な魔族ではあるが、その魔力量は魔族の中でも図抜けて高い。
今も魔界の再生力が高い植物を即座に自身の体に召喚融合して、肉体の損傷を回復しているところだ。
そんな高度なことを簡単にやってのけているところからも、彼の高い実力は窺い知れる。
そして、そんなアノスが陶酔する男こそが、親父と呼ばれる野性味ある顔をした巨漢である。
「……っとけ。……そんなことよりもニルヴァよ。テメェの言ったことは本当だろうな?」
「俺が親父に嘘つくわけないじゃん?」
「……ぁん?」
問われたことに対する返答よりも先に軽口が出たことに腹を立てたのか、親父と呼ばれた男が強面を歪める。
それだけでニルヴァと呼ばれた男は背を粟立たせ、その場で即座に直立不動となっていた。
「はい! 確かに王都より使者が現れ、ベリアル様に馳せ参じるようにと指示を頂きました!」
「……ぉう、やればできるじゃねぇか。……ってことは、魔王様からの直接の命令か。ただの帰参ならいいが、手勢が要るような事態になるようなら面倒だな。……アノス、テメェの意見を聞かせろ」
「……具申致しますれば、手勢三千と八魔将の内、三人を此処に置いて頂ければ、このアノス、命に変えてもこの戦線を維持致しましょう」
「……ふん。俺様が居なくてもやってみせるってか? ……生意気な野郎だ。ニルヴァ! ザールとテメェはアノスと此処で留守番だ! 俺様が帰るまで、アノスの指示に従え!」
「分かったぜ、親父ィ! アノスの下ってぇのは気に食わねぇが、振られた仕事はきちんとこなすぜぇ!」
「……ふん、正直な野郎だ。だが、テメェらがやる気を出すように、俺様がひとつ置き土産を残しといてやろう」
迫り来る戦士の集団――それらは、神界より遣わされた魔族討伐の一団だ。
彼ら、神界の教義では、魔族は世を乱す秩序なき集団として扱われており、主神デウスを始めとして、その意識は魔族憎しという感情で凝り固まっている。
神族としてはそうした意識からか、自らを『秩序と平和の代行者』と名乗っているのだが、魔族側からしたら、迷惑千万極まりない存在だ。
確かに、魔族は世界を超えて――主に人間界に――禍を齎す存在ではあるが、異世界を滅ぼそうとする存在ではない。
どちらかといえば、相手を困らせてその様子を見て楽しむような一面を持っており、逆に楽しむべき相手のいない状況を好ましく思っていない程だ。
それが、悪だと断じられ、一方的に蹂躙されるのは、魔族としても我慢ならない。
故に、現在、魔族と神族は同じ異世界に転移させられた者同士でありながら、こうして断続的に争っており、魔界の――特に四天王と呼ばれる位置に遇される者たちは、度々、戦闘の指揮を執るために、魔界の領土と神界の領土の境界線上辺りに送り込まれるのである。
そして、この強面の巨漢も、その四天王の一人であった。
名をベリアル・ブラッドと言い、魔界最高戦力の一人に数えられる男である。
「……この辺は瘴気が濃い。まぁ、一ヶ月もありゃ、この花も再生するだろうが、それまでの継戦を考えりゃずっと楽になるだろうよ」
言うなり、ベリアルは地面に片手を突き刺し、周囲一帯の地表に対して、自身の魔力で干渉する。
より強く、より広くを意識して流されたベリアルの魔力は、地面の表面を一時的に一枚岩のように変化させ、『掴み』やすくさせる。
「……神の使徒どもよ。テメェらは幾ら死んでも甦るのをウリとしているらしいが……、それが災いしたな。テメェらの記憶に恐怖を刻みこんでやる」
ベリアルがそう言って、地面に突っ込んでいた片腕を思い切り天空へと振り上げる。
――その瞬間、地面が舞った。
捲れ上がった地面は、まるで津波のように突き進み、結晶化した花々を巻き込んで、刃物の波と化して戦士の集団に襲いかかる。
次の瞬間には、神の使徒であるはずの戦士の集団は全身を細切れにされて、光の粒子となって消し飛んでいた。
七百は居たはずの戦士の集団が一瞬で全滅――。
その分かり易い成果は、後に控える魔族数千に歓喜の声を上げさせる。
だが、そんな背後の集団を気にすることもなく、再生を終えたアノスが再び宙に浮かび上がっていた。
「死ねば、デウスの元へと導かれる『死に戻り』の光ですか――。相変わらず美しくはないですね。それに比べて、親父殿の力は相変わらず惚れ惚れする程です」
周囲を見回す。
地面が捲れ、あれだけ厄介だった結晶化の花々の姿は見えず、今は平坦な土の地面が顔を覗かせている。
これならば、弱い魔族でもこの地で通常通りの動きをすることができるはずだ。
「……ぉう。褒めても何も出ねぇぞ? ……っし、じゃあ、俺は魔王城まで行ってくる。テメェら気は抜くなよ?」
「うっす! やってみせるぜ、親父ィ!」
「親父殿、他の四天王の動きにも注意を払うように気を付けて下さい」
「……ったりめぇだ」
煮ても焼いても食えない連中の顔を思い出し、ベリアルは不機嫌そうな声のまま、その場を後にするのであった。
分かり易い人間と魔族と神族の関係。
人間……いじめられっ子
魔族……いじめっ子
神族……学級委員長




