72、スッゴク場面転換を多用した結果がコレだよ!
「……ホントに、ホントか!?」
「あぁ、本当だって」
目を輝かせて、それこそ今にも抱きついてきそうな程に近付いてきたアンに対し、浩助は困惑したような笑みを浮かべて答える。
アンにとって、それだけその提案は魅力的だったということなのだろう。
まるで、コロッセオのような造りとなってしまった異世界武道館のグラウンドで軽く屈伸運動をしながら、浩助は男に二言はないとばかりに親指を立ててみせる。
「今日は俺が特訓の相手してやるからよ。遠慮無く掛かってこいよ」
「…………。……うん!」
実に良い笑顔で頷くアンに、相好を崩す浩助。
その二人の様子を少し離れた場所で見守りながら、沙也加はさり気なく周囲を探るように視線を巡らせていた。
(ふぅん。有馬の言う通り、それなりに見に来ている人がいるんだ……)
コロッセオに似た造りの異世界武道館には、観客席が設置されており、グラウンドで体を動かしている人々の様子が良く見える。
そして、今、その観客席には、沙也加にも見覚えのある顔がちらほらと座っていた。
狼人の中でも若頭と呼ばれ、実力者と目されるカーティスという名の男。
第二次移住者組の中でも、トップクラスの戦闘能力を誇ると言われる仲町神那、蒔菜の兄妹。
そして、沙也加も良く知る、Dランク冒険者である小日向龍一。
(あぁ、小日向君もこっちの町に越してきたんだ。それにしては、何だか顔が険しく見えるけど……。気のせいだよね?)
他には、浩助をやたらとライバル視しているウエンディや、花屋をサボってきたのか、アスタロテなどの姿が見える。
(いずれも、実力者と称されている人たちが集まっている、か……。だから、有馬も動く気になったのかしら?)
それは、相手からすれば敵情視察のような意味合いが強い行為なのだろうが、浩助のそれは示威行為などではなく――。
(多分、有馬としては自分が弱いと勘違いされている現状を少しだけ改善するつもりで、アンちゃんと戦うつもりなんでしょうけど……)
――要するにアピール行為に近い。
だが、アピールし過ぎると、今度は浩助の望む『普通の生活』とは遠ざかってしまう。
此処は上手く浩助の行動をコントロールする必要がありそうだ。
《――というわけで、有馬はあんまり実力を出しちゃ駄目よ。普通って思われなくなっちゃうわよー》
(何なんだ、テメェは突然……)
突如として思考に割り込んでくる無遠慮な念話に、浩助は渋面を作り出す。
もう少しノックなりコール音なり念話の開始を告げるような音はないものかと思ってしまう。
だが、浩助の思考はどうでも良いと言わんばかりに沙也加は続ける。
《此処で有馬が全力を見せちゃったら、皆驚いちゃうってことよ。普通の人って認識されたいんでしょ?》
(それはそうだが、俺がやったことを、さも自然がやったことのように扱われるのはちょっと悔しいぞ……)
《じゃあ、有馬は水龍を退治して、森で繁殖し始めていたオークエンペラー率いるオークの大群を瞬殺して、森に棲家を作ろうとしていた黒竜を退治して――、それで皆に褒めてもらいたかったの?》
(いんや。俺の普通の生活を脅かされるのが嫌だったから排除しただけだ)
《だったら、今更目立つようなことをする意味がないじゃない》
(そうは言うがなぁ……。ちゃんとした俺の実力というのも、町の人間には知っておいて欲しいんだが……)
《で? それで全力を出して……》
沙也加は念話をしているような態度はおくびにも出さずに、アンに視線を巡らせる。
《……アンちゃんに怪我させたらどうするつもりなの?》
(すまん、水原! 俺が間違っていた! 程々に手を抜くことにするぞ!)
《言っちゃ悪いけど、有馬……、アンタってチョロいわよね……》
明確過ぎる弱点を持つ浩助に対し、沙也加は念話をしているのを隠すのも忘れて嘆息を吐き出すのであった。
●
「ほう、なかなかやるな。あの小さい女……」
素早い動きで浩助に対して肉薄するアンの動きを目で追いながら、カーティスはそう呟く。
一方の浩助は、まだまだ余裕のある動きで、アンの攻撃を捌いていた。
攻撃に移る様子はない。
「若頭ぁ~、見る相手が違いますぜ~。計るのは、あのアリマとかいう小僧でさぁ……」
「ケイジの言っていた、この町の長だろう? ……あっちは駄目だな」
「駄目って、弱いってことですかい?」
カーティスに付き従う狼人の一人が拍子抜けしたようにそう尋ねる。
すると、カーティスは可笑しそうに笑う。
「そうじゃねぇ。計りようがねぇのさ。アイツはまだ全然実力を出しちゃいねぇからな」
「え……!? いや、でも、あのチビも結構な手練で……!?」
カーティスの部下が見る限り、アンの動きは狼人の中でも上位の戦闘能力を持つ者と遜色のない動きに見える。
だが、カーティスから言わせればまだまだらしい。
「馬鹿野郎。何度も言ってるだろう? 戦闘は虚実で決まるんだ。あの小さな女の動きは早いし、打ち込みも強いが、全てが『実』の攻撃だ。それに構えも分かり易いし、次にどんな攻撃がくるかは大体予想ができる。俺たちの中でも上位の実力があれば、余裕で捌けて当然な動きだぜ」
「……ってことは、あのアリマって奴は俺たちの上位ぐらいの実力はあるってことかい?」
「まぁ、あのケイジが大人しく付き従っている相手だ。タダモノじゃねぇだろうが……。果たして、俺達を導くだけの力があるかどうかは分からねぇな……」
カーティスは懸命に動くアンの攻撃を余裕混じりで捌く浩助の姿を見ながら、狼人の未来をこの男に預けても良いのかゆっくりと思案するのであった。
●
「あれが、お兄様が言っていた有馬先輩ですの?」
「うん。蒔菜から見て、有馬先輩はどう見えるかな?」
「率直な感想で宜しいのであれば」
「うん、聞きたいな」
「お兄様の足元にも及ばないぐらい弱いですわ」
「うーん、僕は本当に率直な感想を聞きたかったのだけど……」
そう言って、仲町神那は困ったような笑顔を浮かべる。
だが、蒔菜は「率直な感想を言いました」と前置きしてから、観客席から身を乗り出すようにして、浩助の動きをつぶさに観察する。
「上手く捌いているように見えますが、動き全体にぎこちなさを感じますわ。あの小さな女の子の攻撃に戸惑っているんじゃありませんの? その程度のレベルなら、お兄様の敵にはなり得ませんわ」
「敵とか、そういうのじゃなくて、僕は有馬先輩を尊敬しているんだけど……」
有馬浩助といえば、学園から五十人程を引き連れて、この湖畔の町を作り上げたことで有名だが、それ以前にも聖魔の森からの魔物の襲来を撃退したことや、多くの魔物の素材や金を、初期の冒険者ギルドや職人ギルドに投資することで、学園の危機を救ったとされる人物である。
功績だけを見れば輝かしい人物なのだが、彼を知る人間は口を揃えて、彼のことを大した人物ではないと言う。
気取るでもなく、気張るでもなく、だというのに、普通にしているだけで功績だけは残っていく――そんなものは、本物の英雄であるとしか言いようがないだろう。
神那はそんな浩助に憧れ、彼の為人を知るためにわざわざ湖畔の町にまで移住してきてしまうほどの浩助マニアなのである。
「どちらにせよ、お兄様には敵いませんわ」
「そうかな? あの小さな女の子も良い動きをしていると思うけど」
「お兄様、目が疲れていらっしゃるのではなくて? 今日は早めに寝た方が宜しいかと思いますわ」
「うーん。でも、何ていうのかな、有馬先輩はまだまだ余裕がありそうなんだよね。動きに遊びがあるというか……」
どこか楽しむように浩助の動きを目で追う神那。
その兄の姿を見て、蒔菜は呆れたように嘆息を吐き出すのであった。
●
「あのガキの動きに、有馬の動き……。一体、どうなってやがるんだ、この町は……」
青ざめた顔のまま、龍一は二人の動きを目で追う。
今は距離が離れていることもあって、二人の激しい攻防を一挙手一投足まで追うことができているが、これが実際に相対した時にどうなるかは龍一にも想像のつかぬことではあった。
「オタナカに負けたくねぇ一心で、この町まで来たってのによぉ……。こんなの国内リーグとセリエAぐらいの差があるじゃねぇか……。畜生め……」
龍一は、そこで初めて学園と湖畔の町の実情を知ることとなるのであった。
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「ふむ。どうやら、緊張で上手く実力が出し切れていないみたいだな、アン殿は」
「そうですの?」
紅茶に垂らした一滴の柑橘系果汁の香りを楽しみながら、アスタロテは隣に座るウエンディに視線を向ける。
彼女は、両拳をぎゅっと強く握り込みながら、のめり込むようにして異世界武道館中央で行われている訓練風景を見守っていた。
「うむ。私も何度か挑まれて教えを請われたことがあるから分かる。あれは、本来のアン殿の動きではない。普段ならばもっと奇想天外な動きを混ぜ、意表を突こうとしてくるだろう。今のアン殿には、それをやるだけの心の余裕がない」
「あら、それはつまり、それだけ有馬様がお強いということなのかしら?」
無限に錬成できるクッキー皿からクッキーを取り出し、それを小皿に乗せてウエンディにも手渡す。
彼女は忝ないと言いながら、その皿を受け取り、白銀の兜を脱いでちまちまとクッキーを齧り始める。
「それもあるだろう。だが、どちらかというと、アン殿は試してみたくなったのではないか?」
「何を試そうと思ったのかしら?」
「今の自分の全力で、どれぐらい有馬殿に通用するかといったことをだ。だが、それは彼女の武器を同時に潰しているということに気付いて欲しいのだが……」
「それは、自由な発想と固執しない姿勢、かしらね」
どうしてそれをとばかりにウエンディがアスタロテを振り返ると、彼女は優雅に紅茶を一口含んでから、さも当然とばかりに言う。
「私の所にも度々魔法を請いに来ますのよ?」
茶目っ気たっぷりに語るアスタロテに、ウエンディは『その努力が報われる日が来るといいな』と心からそう思うのであった。
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――それは誰が言ったかは分からない。
だが、異世界武道館のグラウンドでスキルを磨いていたものは、一様にその声を耳にしていた。
「アンちゃんなめられてるぞ! 有馬、本気出してやれよ!」
それは、野次にも似た無責任な言葉だったのだろう。
だが、本気で挑んでいたはずの当人にとっては、想像以上にショックな一言だったらしく、アンは鋭い視線で浩助を睨む。
「…………。……師匠、本気でやってくれないのか?」
「いやぁ、えぇっと、それはそのだな……」
本気でやるとアンを傷つけるし、自分が望む『普通の生活』からも遠ざかってしまう――、それらのことを上手く言葉に出して説明しようとしたが、アンの燃えるような瞳を見て、思わず言葉を飲み込む。
アンは浩助との訓練を非常に楽しみにしていたのだ。
それを、アンを騙すような真似をして、のらりくらりと訓練を続けるのは流石に、アンに対して失礼ではないだろうか。
浩助の頭の中でそんな思いが徐々に想起していき――。
「……あぁ、そうか、こうすれば全て丸く収まるじゃないか」
どうやら、この状況を打破する素晴らしい一手を思い付いたらしい。
「じゃあ、今から少し本気でいくから、……アン、死ぬなよ?」
その次の瞬間、野次の声に反応して浩助に意識がいっていた全員が目撃する。
浩助が何もしていないにも関わらず、アンがその場に思い切り、倒れ込んだ光景を――。
●
「仕込みをしておいて正解だったね。危うく、ただの茶番を見せられて終わるところだったよ」
「えーっと、朗くん? 今、何が起こったの……?」
浩助の姿を注視していたにも関わらず、何が起きたのか――いや、そもそも何も起こらなかったようにしか見えなかった久美子は、自身の目を擦りながら朗に問いかける。
だが、肝心の朗もそれは分からなかったようで肩を竦めるのみだ。
「それは、僕にも見えなかったよ」
「え……」
「というより、見せるつもりがなかった、が正しいのかな」
「どういうことなの……?」
「つまり、知覚できない出来事はなかったも同じということさ。そうすることで、異常を異常と断定し難くしたのだろうね」
全力を出した浩助の姿を微かに捉えられたのは、異世界武道館の中に居た人物の中では僅かに二人――、沙也加とウエンディだけだ。
そして、その二人以外の人々は何が起きたのかも理解できていない。
――アンに全力で挑む。
――そして、この場に居る全員にその全力を見せない。
その二つのお題を同時にやり遂げた浩助は、今は倒れたアンに走り寄って、その身を抱きかかえていた。
どうやら、アンの方は無事のようだ。
嬉しそうな浩助の表情を見てから、朗はククッと笑い声を漏らす。
「やはり、面白いな、有馬浩助……」
そう呟くと、朗は久美子を連れ立って席を立つ。
浩助の実力を知るためだけに仕組んだ一連の動きではあったが、なかなか面白い結果が出たことに、朗は満足そうに笑い声を漏らす。
「だが、全力と言いながら、スキルを使わないとは……。有馬君、君は驕ったようだね……」
朗の笑い声は暗く深く、底なしの闇を連想させる程に低く続くのであった。
風邪引いたかもしれません。
皆様も体調管理にはお気を付けを~。




