71、国崎流ラーメン術
浩助から与えられたクエストは、凡そ朗が想像した通りのものであった。
前金で六百ゴルモアを与えられ、成功報酬として追加で六百ゴルモアが与えられる。
オーク一体あたりの獲得金額が六ゴルモアであることを考えると、成功すればオーク二百匹分を退治したのと同じだけの金額が手に入ることになる。
だが、その金額に見合うに足るだけの難易度が、このクエストにはあった。
「狼人の集落を見つけて、その集落の住人と平和的な話し合いで問題を解決した後、移住者を募ってこい、か。なかなか面白いことを考えるね」
浩助から与えられたクエストを改めて反芻しながら、朗は口元に浮かぶ笑みを益々深める。
なかなかにやり甲斐のある面白いクエストだ。
ルーチンワークとなりがちな魔物の討伐依頼ではこうはいかない。
「でも、狼人って理由もなく学園を襲ってきた種族なんでしょ? そんな相手と話し合いなんてできるのかしら?」
「やりようはいくらでもあるよ。例えば、受け取った準備金――」
朗が視界の隅に意識を集中するだけで、一気に増えた金額が目に飛び込んでくる。
これだけあれば、数ヶ月は遊んで暮らせるだろうが……。
「――これを餌にして、協力してくれる冒険者を集う。そうして、数と武で威圧することによって、向こうの戦う意志を萎えさせるとかね」
「武をみせるの? 平和的な解決がクエストの中身だけど、矛盾しないかしら?」
「別に直接傷めつけるわけじゃないさ。これだけ、力の差があるんだということを分からせるだけでいい。それこそ、黒船で開国を迫ったペリーのようにね」
「軍事力を見せつけるということね」
「まぁ、そんなことをしたら、僕らの儲けが少なくなるから、そんなことはしないけど」
他の冒険者パーティーを雇うには金が掛かる。
恐らくは浩助もそれを見越して、少し多めの金額を報酬に設定したに違いない。
だからこそ、朗はその裏をかく。
「これはね、頭を使えば使う程儲かるクエストなのさ。まさに、僕にピッタリのね」
「朗くんは、何を考えているの?」
女生徒はとうとう、そう聞くしかなくなったのか、恐る恐る聞き出す。
それを聞くことによって、朗の不興を買うかもしれない――。
……そんなことを思っているのだろう。
そんな女生徒の想いは百も承知で朗は上機嫌そうに語る。
「クエストを終わらせるのに必要なものを何処まで減らして、報酬を何処まで上乗せできるか、かな? そして、幸運なことに僕はその鍵となる人物を知っている」
「じゃあ、その人に今から会いに行くのね」
「あぁ。でもまぁ……」
そこで朗は一度だけ笑みを消すと、皮肉げに口元を歪める。
「先方は歓迎しないだろうから、上手く条件は交渉しないといけないけどね。その辺は口の上手さでカバーしよう」
それを聞いた女生徒は、より一層朗の腕に強く自分の腕を絡ませる。
「それだったら、心配ないわ」
「へぇ、どうして?」
「口説かれた私が言うんだもの、間違いないでしょ?」
「ふふっ、違いないね。では、行こうか。僕の情報網によれば、今日は娼館近くで商売をしているはずだからね。すぐ見つかるよ」
そう言って、腕を組んで歩く二人の後ろ姿は何処からどう見ても『恋人同士のそれ』に見えるのであった。
●
明くる日、聖魔の森より山ひとつ離れた森林地帯――獣人の谷と呼ばれるその地域の上空に奇妙な物体が浮かんでいた。
それは、見る者がみれば分かったであろうが、知らないものが目撃したのであれば、奇怪な鳥にしか見えなかったことだろう。
二つの風火輪と一台の屋台、そして一台のサイドカーを取り付けた『奇怪な鳥』は、その森林地帯を睥睨するかのように上空で旋回していた。
「しかし、良くサイドカーなんて準備したな」
感心したというよりは、呆れたような声音でバイクを駆る慶次が尋ねる。
そのサイドカーに搭乗するのは、夏目朗であった。
彼は「そりゃあね」とふんぞり返り、さも嫌そうに顔を歪めてみせていた。
「男とニケツなんて気持ちの悪いこと、絶対にやりたくないしね」
「族の集会とかじゃ、ニケツとか当たり前なんだがな」
「そいつらはホモなんじゃないか? とにかく、僕は御免だね。女の子を乗せるにしても可愛い子じゃないと絶対に嫌な主義なんだ。男となんて論外中の論外だよ」
朗には朗なりの拘りのようなものがあるらしい。
それを聞いて、やはりコイツとは馬が合わないと思う慶次だが、前金は既に昨日の内に貰っている。
仕事を放棄してさっさと帰る程、彼は根性なしでも中途半端でもなかった。
「あぁ、下に見えてきたね。彼処だ」
「……何処だって?」
「見えないのかい? あの大きな木が三本生えているところの丁度真ん中辺りだよ」
朗の言葉を聞いてから、注視をすることによって、慶次にもようやく分かる。
確かに森の切れ間に木や石で作られた住居のようなものが見えていた。
だが、逆に言えば、それだけしなければ、集落を見つけるのも難しかったということだ。
慶次は、朗の観察力に内心で舌を巻く。
「彼処の真ん中に降りてくれ。なるべく目立つようにね」
「目立つようにするのか?」
「何だったら、暴走族がいつもやるみたいに騒音を撒き散らしてくれても構わない。人を集めるのが目的だから、目立てば目立つほど良い結果に繋がる」
「そうなのか」
「そして、人が集まったのなら後は君の番だ。……後は分かるだろう?」
「ふん。俺の仕事はひとつだけだからな。違えねぇよ」
慶次はバイクのキーを差し込んで、躊躇うことなくエンジンを掛ける。
車輪は風火輪へと変貌を遂げたが、エンジンが動かないわけではない。
わざと目立つように何度もスロットルを吹かしては、騒音を上げて、集落の中央らしき場所へと着陸していく。
慶次たちが地面に着陸した時には、朗の狙い通り、そこには多くの狼人たちが武器を手に、慶次たちを囲むようにして待ち構えていた。
警戒感マックスといった状況に、朗は自身の身を解すようにして伸びをしながら、サイドカーよりゆっくりと立ち上がる。
その様子には狼人とは真逆なリラックスした雰囲気が感じられる。
「うん。やはり、狭苦しい場所よりも広い場所の方が清々しい。……そうは思わないかな? 狼人の皆さん?」
告げる朗を尻目に、慶次は無言のままに屋台を展開していく。
屋根部分に収納していた椅子を取り出し、鎧戸を下ろして移動モードから屋台モードへと変形していく。
それを警戒心の見える表情で見守っていた狼人の間から、一匹の若い狼人が前に進み出る。
「何者だ、貴様ら? そして、何の用だ? 返答次第によっては……」
「あぁ、そんなに警戒する必要はないよ。僕たちは言わば平和の使者。争うことの馬鹿馬鹿しさを伝えにきただけさ」
「…………。あぁ!? コイツらの格好、何処かで見たことがあると思ったら! 遺跡だ! 遺跡の連中だ!」
「何!?」
一匹の狼人がそう叫ぶことによって、集落の警戒感が限界値を超えて殺気を帯び始める。
住民の其処彼処から殺せの大合唱が起こってもおかしくないような状態。
それを余裕の笑みを浮かべて眺めながら、朗は語る。
「僕らは争うことの馬鹿馬鹿しさを伝えにきたといったのにね。聞く耳持たずとはこのことかな? なら、此方も君達の流儀に乗っ取ろう。……国崎君、構わない。やってくれたまえ」
「あぁ、元よりそのつもりだ」
ぶっきらぼうにそう言い放った慶次は、鬼気迫る表情を見せて屋台の引き出しを開けるなり、その手に取った黄色がかった麺を三玉ほど鍋に入れて茹で始める。
その間に手早くスープを出汁と合わせ、トッピングに叉焼と煮玉子、それに麺馬に似た何かを用意し、麺が茹で上がったら茶色い魚介系のスープに各種トッピングを添えて、最後に大きめの海苔を丼の脇に差し込むことで、彼の作り出す世界を完成させた。
手早く三つの丼を完成させた慶次は、無骨な態度のままに屋台から歩き出し、進み出てきた若い狼人に対して差し出す。
「とりあえず、食ってみろ」
「……ば、馬鹿にしてるのか!?」
「食えば、お前も理解する」
「ふざけるなッ!」
若い狼人は、慶次の腕を払い除けると、その魂の一杯を地面へとぶち撒けていた。
それを無言のままに、サングラス越しの視線で慶次は見つめる。
「コイツらは俺に毒を食わせようとしてきた! もう容赦は要らん! コイツらを殺せッ!」
若い狼人の号令一下、血気盛んな狼人たちが六人、一斉に動き出す。
だが、それを冷静に見ていた慶次は両腕を素早く交差させて、大きく広げる。
その指先から素早く走ったのは細くて丈夫なタコ糸だ。
そのタコ糸が次々と動いた相手を縛り上げ、その身を地面に引き倒す。
「あぁ、何だ、この糸は!? う、動けねぇ!?」
「っていうか、動けば動くほど絞まるぅぅぅッ!」
「た、助けてくれぇぇぇ! 若頭ぁぁぁぁッ!」
「――国崎流ラーメン術初伝、叉焼縛り。そのタコ糸に縛られたものは、美味さを内部にまで凝縮させ、美味しくなる……!」
「テメェ、よくも……ッ!」
若頭と呼ばれた若い狼人が激昂して慶次に向かって斬りかかってくる。
慶次は指先に絡んでいたタコ糸を素早く取り外すと、懐から黄色く、それでいて白い粉が掛かった太めの小麦粉の塊を取り出す。
「――遊んでいる場合かッ!」
狼人が吠え、勢い良く振り下ろされた剣が慶次の脳天を割ろうとした、その時――。
その剣閃の軌道上に、小麦粉の塊が割り込んでくる。
「ふん! そんなもの真っ二つ――、……な、なにぃぃぃぃぃ!?」
だが、小麦粉の塊は狼人の剣の刃すらも通さずに、その剣撃を簡単に受け止めていた。
「国崎流ラーメン術中伝、高難易度刀削麺。リズムのない斬り方ではこの麺に傷一つ付けることはできん……!」
「くぅぅっ!? もちもちの小麦粉の塊が剣の刃を捉えて離さないぃぃぃ! 硬いはずなのに、何て柔らかさだぁぁぁぁッ!」
「それが、コシがあるということだ。そして、コレが……」
慶次が指先からタコ糸を繰り、屋台のカウンターに乗っていたラーメンを手元へと呼び寄せる。
汁一つ零れることなく手に収まったラーメンを、慶次はゆっくりと狼人の鼻先へと近付けていく。
「や、やめろ! 何をする! こんな! こんな……、こん……、な……?」
やがて、狼人は何を争っていたのか忘れてしまったかのように動きを止める。
そんな狼人に丼を両手で抱えさせ、慶次は屋台の所から割り箸を持ってくると割ってやって、狼人に握らせていた。
「……食ってみろ」
「…………」
狼人は一瞬躊躇ったように見えたが、その丼から香る食欲を誘う香りに負けたのか、恐る恐るそのラーメンに口を付ける。
……その次の瞬間、狼人の円な瞳一杯に涙が浮かび、そして、彼は人目も憚らず泣いていた。
泣きながら、物凄い勢いでラーメンをかき込んで行く。
箸の持ち方もなっていない、食べ方も犬食いのようなものであったが、それに頓着するようなことはない。
若い狼人は一言も喋ることなく、最後までラーメンを食べ終わると地面に膝から崩れ落ちる。
「若頭!?」
「てめぇ、若頭に何を!?」
「……違う。……違うんだ、兄妹たちよ」
若頭と呼ばれる狼は未だ収まる気配のない涙を拭うこともせずに、ゆっくりと慶次を仰ぎ見る。
「この一杯の碗を食っただけで分かっちまった……。争いとはなんて不毛で……、馬鹿げたことなのかって……、俺たちは何てちっぽけなもののために必死になっていたのかって……」
涙が止まない。
そんな狼人に近付き、慶次は丼の底を指差す。
それに気付いた狼人は、期待が篭ったような、恐れるような目を慶次に向けていた。
「……これは、何と書いてあるんだ?」
「……俺達はこれを伝えに此処まで来た」
慶次は一呼吸置いてから、その言葉の読み方を語る。
「――絆、だ」
その日、狼人の集落がひとつ消失し、湖畔の町の住人が四十名ほど増えることになるのだが……。
……その理由を知る者は少ない。
●
「……予想外だった」
前金と成功報酬をたんまりと貰ったはずの朗は、御機嫌どころか不機嫌そうにそんなことを呟く。
朗の傍らに付き添う女生徒は、そんな不機嫌そうな朗に戦々恐々としながらも、尋ねねば不機嫌の矛先が自分に向けられるとでも思ったのか、仕方なしに水を向けていた。
「狼人の行動が、かしら?」
「違う。国崎君の実力のことだ。あれは、完全にユニークスキルの持ち主だ」
ユニークスキルとは、一部の人間だけが持つ特殊なスキルのことであり、基本的に他の人間が持つことはないとされる単一性のスキルのことである。
それ故に、特性の把握が難しく、対処方法を確立し辛いという難点と利点を兼ね備えていた。
「四天王の中でも一番のお荷物だと思っていたのに、あんな隠し玉を持っていたとは……。また少し認識を改めないといけないな……」
浩助に続き、慶次まで評価を改めなければならないとなると、朗自身の見積もりが若干甘めだったのかもしれない。
そういった意味でも、朗は不機嫌になっているのだろう。
彼は何よりも自分自身の行動にミスがあったことを認めるのを嫌うのだから……。
だが、現時点でそのことに気付いたのは僥倖であると、朗は思ってもいた。
「そういえば、君の方はどうなっているんだい?」
「此方の方は滞り無く、問題もないわね。順調と言って良いかしら?」
「そうか。期待しているよ――」
朗は甘く囁くようにして、女生徒の名前を呼ぶ。
「――加藤久美子君」
その名に答えるように、彼女は年齢にそぐわない酷く妖艶な笑みを浮かべてみせるのであった。
慶次のキャラがひたすら濃くなっていく今日この頃。




