67、助かってんじゃん?
「香草の採取も終わったことでござるし、岩塩の採掘も終ったでござる。そろそろ切り上げて良い頃でござるな……」
収納スキルに沢山の素材を放り込んだ後、則夫はそう言って自分の肩を揉む。
大して疲れてはいないが、気持ちの問題なのだろう。
そうすることで楽に感じるというのなら、やらない理由がない。
則夫は帰路を急ごうかと足を向けた後、何か不穏なものを感じたのか、その視線を森の一角へと向けていた。
「……覗き見でござるか? キルメヒア殿?」
そこには、影のように黒い色をした一匹の狼が居た。
その狼は何かを訴えかけるように、則夫をじっと見つめ、そしてふいっと顔を逸らすと森の中に消えていこうとする。
だが、本当に消えるわけではない。
則夫の様子を窺うようにして立ち止まり、則夫がその視線に気付くと、それに応じるようにして狼が少しだけ動き出す。
それは、キルメヒアが操る眷属の動きとしては非道く不思議な行動であり、則夫はその行為に何かがあることを直感的に感じ取っていた。
「……ついてこい、と言っているのでござるか?」
狼が一声鳴く。
それを聞いた瞬間、則夫はキルメヒアに導かれていることにようやく気付く。
しかも、意図が通じたと確信したのだろう。
狼は則夫の行動を待つこともなく、一気に森の中へと分け入っていく。
――どうやら、それほどの緊急事態ということらしい。
「やれやれ、森の中を走るのは得意ではござらぬが……」
だが、できないわけではない。
則夫は前を行く狼に置いていかれないように、懸命に森の中を駆けるのであった。
●
「ブフッ――……」
口腔から滝のような血が流れ、龍一は思わず膝を折る。
その龍一の姿勢を許さぬかのように鋭い蹴りが放たれ、龍一の頭は首から上が跳ね飛んだかのような衝撃に意識が半分吹き飛んでいた。
「――――…………!」
痛いとか、そういうレベルの話ではない。
最早、龍一は自分の体の何処が動いて、何処が麻痺しているのか、それすらも正確に把握できない状態であった。
鏡面のように美しかった銀色の鎧は、鮮血の紅と土の茶に汚く染まり、その表面は車にでも跳ねられたかのように、大きく凹んだ箇所が複数見受けられる。
……侮っていた。
龍一の目の前に立つ灰色のオークを相手に、彼は時間稼ぎをするつもりでいた。
だが、時間稼ぎが出来たのはほんの五秒程度のことで、逃げ出すはずだった仲間の三人も灰色のオークに足を次々と傷付けられ、立ち上がることもままならぬ状態となってしまった。
そんな仲間を守るために、体を張ることを決意して立ち上がった龍一ではあったが、その結果は見るも無残なものだ。
意識があるのか、朦朧としているのか、焦点の合わない瞳で灰色オークを見据え、何やら呪詛のようにぶつぶつと呟くことしかできない。
灰色のオークとしては、そんな言葉は気にもならないのか、玩具で遊ぶように龍一を棍棒で打ち据える。
鈍い音が響き、頭頂部にその直撃を食らった龍一は頚椎に痛みを覚える。
動こうにも、その痛みが邪魔をして体が動かせない――。
だが、そんな状況にありながらも、彼は仲間の為に体を張るつもりで指を動かす。
指が動くというのなら、這ってでも縋り付いて、あのオークを倒す――。
そんな思いを抱えているのだろう。
一体、何が彼をそこまでして動かすのか。
……答えは一人の男にあった。
(俺は、アイツとは違う……)
龍一が思い出すのは、洛に追われて森の中を必死になって走った時の記憶だ。
その時、一番最後にいたはずの則夫が、龍一を追い抜き、一番先頭になって逃げていくのを見て、龍一は本当に、本当に、本当に、本当に『悔しかった』のだ。
――則夫は強かった。
召喚された直後の則夫は、それこそ、クラスの中でも一、二を争うほど突出した強さを所持していた。
正直、龍一は嫉妬もしたし、その強さに尊敬の念すら抱いていた。
則夫さえいれば、異世界転移だろうがなんだろうが何とかなる――、そう思わせてくれるだけの強さが彼にはあったのである。
言わば、則夫は龍一の希望だった。
――その希望が、一瞬で自分を裏切った時、龍一は彼のようにはなるまいと誓った。
そして、今、龍一は学園の中でも上位の冒険者であり、冒険者ランクもDにまで上がっていた。
言うなれば、昔の則夫の位置にいると言っても良い。
そんな彼が、自分を裏切った希望と同じような真似を、自分の仲間にするわけにはいかない。
龍一は歯を食い縛って、何とか体に力を込めようとする。
だが、体は無情にも動かず、灰色のオークは嬉々として頭上に棍棒を翳す。
判然としない意識の中で、走馬灯のように記憶が蘇っては消えていく。
サッカー部でレギュラーとして活躍し、全国大会にも出場して、プロに誘われたこと――。
初めての彼女を作ったが、練習の日々にかまけたせいでフラれたこと――。
同じクラスの一条和希とは何となく馬が合って、良くつるんだりしていたこと――。
前々から意識はしていたが、異世界生活の中で、いつの間にか橘いずみを好きになっていたこと――。
そして、陰気な面を引っ提げて雑草取りをしていたはずの則夫が何故か刀を片手に森の奥から姿を現したこと――。
(……? そんな記憶、あったか……?)
血を流しすぎたのか、混乱する記憶の中、龍一の意識は溶けるようにして闇の中へと消えていく――。
●
倒れる龍一の頭蓋に向けて、棍棒が振り下ろされようとするのを見て、則夫の体は自然と動いていた。
疾風より早く、流れる清流より滑らかに、まるで隙のない動きは、剣術スキルのレベルが九にまで高まった故だろうか。
灰色のオークの棍棒を甲高い金属音と共に刀で跳ね上げ、オークの意識を則夫へと向ける。
刹那、オークが動く。
完全に不意打ち気味だったにも関わらず、棍棒から片手を離し、則夫に向かって拳を放つ。
(早いでござるな……!)
このオークもやはりただのオークではないのか。
拳が則夫に向かってくるのを見つめながら、則夫は一瞬でスキル『狂速』を発動する。
拳が則夫に届くよりも前に、則夫の刀が十七度、灰色のオークを切り刻む。
だが、灰色のオークはその攻撃に怯むことなく、人間の頭ほどはあろうかという拳を則夫に向かって振り切っていた。
大気を震わせる轟音が鼓膜を劈く――。
棍棒を振るっていた時には見せたこともないような膂力が則夫を捉え、則夫の体は地面と平行になって飛び、声も出せぬままに五本の大樹を背中でへし折って、その動きを止める。
その光景を見ていたものがいたのなら、思わず背筋を震わせたことだろう。
車で跳ねられた程度の衝撃ではない。
航空機が空から突っ込んできて、跳ね飛ばした――、それと同等の衝撃だ。
凡そ、普通の人間では跡形も残らぬ一撃ではあったものの……。
「随分と堅いでござるな……」
……則夫はそんな痛みを感じさせぬ軽快さで、直ぐ様立ち上がってみせていた。
その口の端から細い血の筋が垂れ流れているのを袖口で拭きながら、則夫は自身の学ランが一撃でボロボロになっていることに気付く。
「やれやれ、学生服は高いのでござるが……」
ボロボロになった学生服を脱ぎ捨て、その下から姿を現したのは青色の鱗を連ねて作られた帷子であった。
神秘的な淡く青い光を放つ帷子に、則夫は思わず鑑定スキルを発動してしまう。
【防具】水龍の鱗の帷子【特上級鎧】
防御力:35264 耐久:51247 品質:最高品質
説明:比較的大きな湖にしか生息しないと言われる水龍の鱗で出来た帷子。鎧に比べて防御力が落ちるが、動きやすさはこちらに軍配が上がる。水の加護が懸かっており、所持者に【火耐性(強)】を付与する。
品質や耐久があまり減ってないことを見て、則夫は安堵したように息を吐き出す。
何せ、この帷子は浩助からの贈り物だ。
下手に壊したりしたら、後で何を言われるか分かったものではない。
「しかし、有馬殿自身が防具を必要としないからといって、町の住人にレア素材の防具を供給し過ぎなのでござるよ……」
「けど、御陰で助かってんじゃん?」
「!? ――あ、有馬殿? いつからそこに……?」
則夫が振り返ると、いつの間に居たのか、怪我をした四人を回収してきたらしい浩助がその場に立っていた。
見やれば、怪我をした四人は既に治療も終わったのか、痛みによる呻き声は聞こえたものの、生々しい傷跡までは見えなかった。
恐らくは応急処置のスキルでも使ったのであろう。
一時的ではあるが、怪我人のHP減少を抑えることができる便利なスキルだ。
そして、浩助程の高レベルの応急処置なら、HPを回復してしまうことさえ可能なのである。
浩助は思い出すようにして、視線を虚空に彷徨わせてから言う。
「オタナカがオークの棍棒を弾いた辺りからだな。間に合わないようなら俺がやってたが、間に合ったから任せた形だ。――と、オタナカ、後ろに来てんぜ?」
浩助に言われるまでもなく、則夫も気付いていたのか、振り返り様に刃と棍棒を交える。
甲高い音が鳴るのは、オークが持つ棍棒がただの棍棒ではないからだろう。
恐らくはレア武器の類――。
冒険者なら、喉から手が出る程欲しい一品なのだろうが、則夫には特にそういう欲がない。
「……手伝ってはもらえないのでござるか?」
歯車と歯車の間に金属を巻き込んで無理矢理に駆動させたらこんな音がするのだろうか。
連続する金属音が無数に辺りに響き、耳障りな音楽が辺りを満たす。
則夫が刀身が霞む程の斬撃を無数に繰れば、灰色のオークはその斬撃を硬質な肌や棍棒で受け流し、身も毛もよだつようなフルスイングで則夫を捉えようとしてくる。
則夫の斬撃は、オークの身を確実に削ってはいるのだが、その装備では攻撃力が足りないのか、オークに致命の一撃を与えるには至っていない状況だ。
浩助はそんな則夫の姿を見ながら、はっと何かを思い出したかのように声を発する。
「そうだ! これ終わったら慶次のトコにラーメン食いに行こうぜ! オタナカも行くだろ?」
「戦闘に全く関係ない話題を急に振られても反応に困るでござるよ!?」
「アンも誘ってさ。きっと喜ぶぞ~」
「そして、拙者の話は完全スルーでござるか!?」
灰色のオークと激しく剣戟を交わしながら、則夫は右に左に動いてオークの隙を誘おうと努力する。
だが、そんな小細工は通じないとばかりに、オークはただ愚直に自身の渾身の一撃を放つことに終始しているようだ。
小手先の技では翻弄するのが難しい。
「勿論、水原も行くだろ?」
《そうねぇ……》
「…………『狂力』」
一際大きな金属音が響いて、オークの棍棒がかち上げられる。
そして、それを表情を変えることなくやってみせた則夫は、目の前のオークの存在を完全に無視して耳をそばだてていた。
それを本能的に感じ取ったのか、灰色のオークは憤怒に表情を歪ませ――。
《……じゃあ、行こうかしら》
「『狂速』『狂力』『狂魔』『憤怒』『憎悪』発動でござる。死ねッ!」
MPの約三割を注ぎ込んで、自己強化した則夫は一瞬でオークを唐竹割りにすると、そのまま折れてしまった刀をその場に放り捨てる。
割と高かった一品だが、好きな娘と一緒に食事をするためなら、別に惜しくもない。
田中則夫――、実に欲望に忠実な男である。
「あ、終わったので、行くでござるよ」
「あぁ、その前に怪我人に回復魔法を掛けてやってくれ。後は、キルメヒアに任せる感じでいいからさ」
浩助がそう言うと、森の奥から真っ黒な狼が三頭ばかり姿を現して、浩助の言葉を裏付けるかのように小さく鳴いた。
それに首肯で返す則夫は手早く回復魔法を掛けると、浩助と共に湖畔の町へと向けて歩き出す。
その後姿をぼんやりとした視界で見つめていた男がゆっくりと上半身を起こす。
――小日向龍一であった。
「テメェは何で……」
先程まで死にかけていたのが嘘のように、全身から痛みが引いている。
MPは減っているが、これなら自力で学園に帰るのに何の問題もない。
龍一は、そんな自分の状態を確認した後で、自身の拳を力強く握り締める。
「何でそれだけの力がありながら……、何で……、何でなんだよぉぉぉぉ……ッ!」
拳を囲うようにして、自然と龍一の背が丸くなり、その頭が下がっていく。
その嗚咽とも雄叫びとも取れる声は、聖魔の森に虚しく響くのであった。
肌色オーク⇒普通のオーク
緑色オーク⇒ハイオーク
灰色オーク⇒オークジェネラル
後は上位種に、オークキング、オークエンペラーがいると思います。
気分で上位種は更に増えるかもしれません。




