65、特注自覚
有馬浩助が学園を去ってから一ヶ月の月日が経とうとしていた。
学園の方では、元生徒会長である時任聖也が中心となって組織立った動きを取ることにより、突出した力はないものの密な連携と迅速な対応により、問題を着実に処理することに成功していた。
特に、学園の基部とも言える冒険者ギルドのギルドマスターとサブマスターのアイデアに因る貢献は凄まじく、この二人が居なくては学園の存続が危ういと言われている程にはなっていた。
一ヶ月程で安定軌道に乗った学園の人々は、当然のように生を享受することに慣れたのか、一部の生徒たちがより高ランクの冒険者になるため、クエストを受けては学外に出る姿が目立つようになっていく。
右も左も分からない最初期の頃は、無目的にレベル上げをして強くなろうという動きもあったのだが、食糧問題や居住スペースの問題、衣服や飲料水、衛生の問題など、諸々の問題に対応している内に、そういった身勝手な動きは鳴りを潜め、とりあえずは現状の環境を良くしようという方向性にまとまってしまったのだろう。
そして、ようやく学園に安定が訪れた為に、彼らは我儘を通すかのように学外へと冒険を始めたのである。
足場をしっかりと固めてから、徐々に行動範囲を広げていく――。
その行動方針は、決して間違ってはいない。
突出した力がないのだから、そうするのが一番懸命なのだ。
そして、足場が安定しているからこそ、物品の供給にもムラがない。
「どうよ、中村! 俺の鋼の鎧は!」
「へぇ、なかなか凝った意匠じゃん? 自分で加工したの?」
「んな面倒臭いことすっかよ。特注品だよ、特注品!」
まだ使い込まれていないのか鏡面のように光る銀色の鎧の表面には、それとは目立たないように白い線で力強い龍の絵が描かれている。
良く言えば粗悪品でない――、悪く言えば、画一的に造られた鎧を身に着けながら、小日向龍一は自慢気に鼻を鳴らす。
その姿は、上から下までが銀色に統一されており、さながら絵本の中から抜け出してきた騎士のようである。
龍一は、クエストを受けた仲間三人と共に、聖魔の森を悠々と歩く。
受けたクエストは、オークの退治。
肉としての素材が必要で、それを五匹分取得したところでクエストクリアとなる。
見やれば、龍一の背後を歩く男子生徒二人は大きなずた袋を手にしており、いつでも格納準備万全といった様子だ。
それを知ってか知らずか、銀色の鎧を着けた龍一と、その隣を歩く――恐らくはアタッカーであろう――中村と呼ばれた男が、互いの装備を見比べては意見を言い合っていた。
「マジかよ! 特注品とかカッケーな! 俺もやろうかな!」
「やっとけ、やっとけ。それなりに良い装備だとパクられかねねぇからな。これは、俺のもんだって意味合いでも、やっておいて損はねぇって」
「よーし、帰ったらやってやんぜ! ……しかし、それにしても俺達の装備も進化したよな?」
「最初は甲羅の鎧だとか、魔物の皮の盾とかだったしな。それが、今は鋼だしな。もう一月も経てば、龍の装備とかも作れるようになるんじゃねぇの?」
「龍かよ! すげぇな! 勿論、龍一も狙ってんだろ!?」
「当たり前じゃん! 俺の名前にも入ってる生き物だぜ! そいつの素材で作られた装備とか、俺が装備しなくて誰が装備すんだよ! って感じよ!」
「だよなー。しっかし、そうなると湖の方に行った奴らが哀れだよな~……」
「は? アイツら、まだ生きてたの?」
「ヒデェよ、龍一! それはさすがによぉ!」
言いながらも、中村は可笑しそうに笑っている。
どうやら、彼も心の中では龍一と少なからず同じことを思っていたらしい。
それで、一体何が哀れなのか、龍一が尋ねてみると……。
「未だ鎧も付けないで学生服姿の奴が多いらしいぜ。どうも、経済が上手く回ってねぇから、物品が上手く回ってねぇんじゃねぇかってよ。この間も学園に有馬が来てたし、その辺の工面でも願い出てたんじゃねーの?」
「ったく、学園から出て行ってもお荷物な奴らだな……」
「まぁ、学園に居られないぐらい協調性のない奴らの集まりだったし、空中分解するのは目に見えてたしな。よっぽどのリーダー……それこそ、時任辺りがいないと、まともに機能しないだろ」
「時任の代わりが有馬だもんな。そりゃ、行き詰まるって感じだわ。むしろ、一ヶ月も良くやった方じゃね?」
「お、上から目線。言うねぇ」
「異世界召喚された当初ならまだしも、俺たちだってこの世界に慣れてきて、格段に強くなってんだ。今なら、有馬も目じゃねぇって」
「……だな。最初に有馬がオークを倒した程度には、俺達も楽勝でオークを倒せるしな」
彼らの認識では、浩助の強さはオーク戦のままで止まってしまっているようだ。
それもそのはずで、浩助は突出した戦力として特殊な状況下に投入されることが多かった。
それ故に、その強さが一般的な冒険者に伝わっていないのだ。
オークを一太刀で倒してみせた腕は見事であったが、それぐらいなら今の彼らにもできることだ。
実力を肌で知らぬが故に浩助を侮ってしまうのも無理はないのだろう。
「ま、あっちの町に行った奴らは不幸だったってことで」
「……おっと、噂をすればなんとやらだ」
龍一が何かに気付いたのか、足を止める。
それに追従するようにして、周囲の三人も足を止めていた。
その彼らの目の前三十メートルほどを行った、少し開けた場所に野草を探しているのか、何やら中腰で作業をしている男の姿があった。
龍一は、ハンドサインで仲間に声を出さないように指示を出すと、自らが先頭に立って開けた草原のような場所へと歩み出る。
その気配に男も気付いたのだろう。作業の手を止めて、ゆっくりと顔を上げる。
「よぅ、オタナカ、元気にしてたかよ?」
「……小日向殿」
「――って、どうやらそうでもねぇみたいだな。鎧も付けねぇで、草を漁って飢えを凌いでるなんて、今日び、乞食でもやらねぇぜ?」
龍一の背後に控える三人が笑いを殺しきれなかったのか、呼気を漏らす。
だが、則夫はそれを気にすることもなく、龍一たちの装備を上から下まで見下ろして、感心したように嘆息を漏らしていた。
「……派手な装備でござるな」
「言う言葉を間違えてねぇか? 派手なんじゃねぇ、強ぇ装備だ」
凄みを利かせた視線を受け、則夫はついと視線を逸らす。
竦んだ、というよりは、他人に強引に迫られるのが苦手なのだろう。
だが、それを竦んだと捉えた龍一は満足そうに歪んだ笑みを浮かべる。
「……くれぐれも、言葉の選択は間違えるなよ? 俺たち学園組はテメェら田舎の湖組とは違って、随分と進んじまったみたいだからよぉ? 機嫌を損ねたくはねぇだろ?」
「……そうでござるな。仲良くしたいと思っているでござるよ」
「……仲良く、ねぇ?」
龍一は鼻でせせら笑う。
どの口がその台詞を言うのか――。
まるで、そう言っているかのようだ。
「まぁ、学園としてもそれで異論はねぇんじゃねぇの? ……いつ裏切られるか分かったもんじゃないがな?」
「…………」
龍一の言葉に則夫は黙り込むしかない。
その様子を見て、龍一も冷めてしまったのか、「おい」と背後に向かって声を掛ける。
彼らの目的はオーク退治だ。
こんな野っ原で雑草摘みをすることなどは、彼らの仕事ではない。
「行くぞ。……オタナカ、テメェもまぁせいぜい死なないように注意するんだな?」
俯く則夫を背に、龍一たちは森の中に消えていく。
その場に一人残った則夫は、震える体を抱きかかえるようにして、ゆっくりとその場に膝から崩れ落ちていく。
「……駄目でござるな、拙者は。……何も言い返せぬとは」
それは、力が強いとか、弱いとかの問題ではない。
心が記憶してしまっている障害のようなものだ。
あの時――則夫が仲間を見捨てて逃げてしまったことを糾弾された時――に居た人間の顔を見るだけで全身から怖気が走る。
過呼吸のように、空気が上手く吸えなくなり、則夫はその状態から脱するのに、十五分程の時を要した。
その間に魔物に襲われなかったのは、僥倖であったとしか言いようがない。
「……やはり、拙者は弱いでござるな」
こんな時、隣に慶次がいたら馬鹿野郎と怒鳴り散らしてくれただろうか。
それとも、美優がいれば、大丈夫だよと言ってくれたであろうか。
その『もしも』に答えはないが、則夫は再認識することになる。
――自分は弱い。
浩助の特訓をこなし続けていることや、装備が強化されていることで勘違いしてしまうところだった。
則夫は改めて自覚する。
そして、彼はより一層真摯に強さに対して追求していくことを心に決める。
「おっと、国崎殿に頼まれていた香草を回収せねば……。いや、それにしても……」
ふと気になったのか、則夫は龍一たちが消えていった先に視線を送る。
「あちらに強いオークの気配があることを知って、小日向殿は向かっていったのでござろうか? だとしたら、小日向殿の危険感知能力も大分高いのでござろうな……」
則夫は自分が引き受けたクエストを思い出したように、止めていた手を再度動かし始めるのであった。




