64、地図バンザイ
「あら、北村先生、まだ残られていたんですか?」
「あぁ、伊角先生。いや、一段落したところだから、これから帰るところだよ」
同僚教師同士の会話――。
その会話に何も不自然さは無かったし、普通の日常風景に感じられたことだろう。
此処が異世界であり、その場所が冒険者ギルドの一室でなければ……、であるが。
「仕事熱心ですね。そんなに沢山のクエストが届いたんですか?」
「いや、大したものは届いていないよ。せいぜいが食料の調達のクエストやら、素材の調達のクエストといったところだね」
湖畔の町の人々から依頼のあった案件をクエストとして発行し、店を持たない冒険者はそれらのクエストをこなして日々の糧としている。
現状では、そこまで難しいクエストの依頼は入っていないものの、真砂子には漠然とした不安があった。
それが、思わず口をついて出る。
「最近の冒険者の子たちは、クエストのついでに違う魔物と戦って経験値を得ているようですが、危なくないんですかね……。私はちょっとその辺が心配です……」
「彼らも強くなったということだろうね。それも、伊角先生が組んだカリキュラムのお陰じゃないのかな」
北山は、光石が照らす薄暗い室内で銀縁眼鏡の縁を持ち上げてそう答える。
気障ったらしい仕草ではあるが、北山のそれは癖みたいなものだと真砂子は理解している。
だから、そこまで気にならない。
むしろ、気になるのはその眼鏡の奥で知性を湛えている瞳の方だ。
昏い闇色をした瞳はまるで真砂子の心情を全て見透かすようで、彼女はぶるりと背を震わせる。
「私のは……、少し有馬君の仕事をお手伝いしただけです。彼らが伸びたというなら、それは有馬君の力もあるでしょうが、彼ら自身の力も大きいと思います」
「なるほど。たまに優秀な生徒に引っ張られて、周りの生徒も同調して伸びることはあるが、有馬のは、まさにそれだな。特に、有馬が元々優秀な生徒ではなかったことも相まって、克己心と羞恥心が同時に刺激されているのだろう。だから、彼らも高いモチベーションを保つことができる」
「それだけじゃないと思いますけどね……」
苦い顔をする真砂子の脳裏には、嬉々として娼館の話をしている男子生徒の顔が思い出せた。
娼館は一時間、三十ゴルモア。
オプションを付ければ、更に値段は高くなる。
――だが、やっている内容は淫夢をみせてくれるということだけ。
実際に真砂子も娼館の見学に行ったのだが、特に怪しい行為に及んでいるといったこともなかった。
二階の個室に案内して、お客の要求に合うような体験を夢の中で疑似体験――。
その夢の中で発散された精気が、淫夢であるリリィとベティに吸収されるというわけである。
連日の娼館通いは危険なため、その辺もリリィやベティは管理しているようであったし、特に娼館の運営については文句はない。
そして、その娼館に通う為には金が必要で、それがモチベーションの維持に一役買っているのではないかと真砂子は思うわけだ。
だが、それを話して間違っていたら恥ずかしいし、意識し過ぎだと北山に思われるのも嫌だったので真砂子は特に口には出さなかった。
「ふむ、モチベーションの保ち方は人それぞれだからね。それを自主的に見つけてくれる生徒の姿勢に、私達は喜びを覚えれば良いのではないかな」
「そういうものですかね……。――って、北山先生のそれって……」
そこで、初めて気がついたのか、真砂子が小さく声を上げる。
北山が机の上に置いていたのは、クエスト募集の張り紙などではない。
それは、この町を上から見た際の完成予想図――、要するに町の地図であった。
「これが、北山先生が描く未来像なんですね。黄金比率がどうとか言っていた時はどうなることかと思いましたけど、完成図は何だか綺麗ですね」
「黄金比率……? あぁ、そういえば、そんなことも言っていたような気がするな」
「気がするって……、北山先生が拘って、区画整理を行ったんですよね? それは、黄金比率がなんとか、効率がなんとかって言ってましたよね?」
「あれは方便だよ」
「え?」
意外な顔を見せた後に、真砂子は弾かれたようにその地図を手に取る。
「まさか、これは……。最初から、狙ってやっていた、んですか……?」
だとしたら、恐ろしいことだ。
真砂子の背を自然と冷たい汗が流れる。
「あぁ、勿論」
だが、北山は飄々とした態度でそう答えていた。
「町を作ると、学園で聞いた時から考えていたことだよ」
北山の言葉に真砂子は目を剥く思いであった。
●
さて、今日も今日とて、浩助唯一の弟子に対する修行の時間がやってきた。
だが、本日の様子はいつもと一味違う。
浩助がアンと並ぶようにして、正面の人物に視線を向けている。
それは、何処か呆れたような顔をする沙也加であり――。
浩助とアンの二人が期待の視線を向けるのは、その沙也加が抱きかかえる猫のぬいぐるみなのであった。
《えー、では、今回は不肖ねこしぇが講師役ということで失礼致しますニャー》
「おー、待ってました」
「…………。……ぱちぱち」
決して手は叩かずに口で言うアン。
そして、本当に待ち侘びていたらしく、眼の奥が笑っていない浩助。
二人に見つめられ、ねこしぇはぬいぐるみなのにも関わらず、重圧を覚えてしまう程だ。
《えーっと、そんな期待できるような内容じゃニャいのですが、本日は鑑定スキルのレベル上げ方法について講義したいと思いますニャ》
「へー、便利そうなスキルの講座をするのね。私もやってみようかしら」
「おい、水原、お前も講義を受けるならちゃんとこっち来て並べよな」
「…………。……うん」
頬を膨らますアンも若干不服そうだ。
仕方ないので、沙也加もねこしぇのぬいぐるみを地面に下ろして、浩助たち側に回る。
「これでいいんでしょ?」
「問題ないぞ」
「…………。……うん」
二人の了解を得られたことで、今度こそねこしぇは講義の続きを始める。
《鑑定スキルは、相手の力量を確かめたり、道具の使い方を確かめたりと色んな事に使える汎用性が高いスキルですニャ》
「その割には、浩助が取得していないのが意外だったんだけど?」
「スキル自体は有用だが、ステータスボーナスがねぇんだよ。だから、後回しにしてた」
浩助としては、鑑定はねこしぇに任せれば良いという部分もあったし、それほど優先順位が高いスキルではなかったのだろう。
だが、今回、アンに役立つスキルを教えようということになって、真っ先に候補に上がったのが鑑定スキルだった。
何より、鑑定スキルは汎用性が高く、人も物も制限なく調べられることから使う機会も多い。
特に、アンは知識不足な面が多々あり、そういった部分を補う意味合いもあった。
《鑑定スキルを覚えるためには、そのモノの本質を見極める必要がありますですニャ》
「…………。……難しい」
「アンが難しがってるじゃねぇか! ねこしぇ、もっと噛み砕いて説明してくれ!」
「え? 例えば、こういうことでしょ――」
ねこしぇの言葉だけで意図を読み取ったのか、沙也加は自信満々で浩助に向かって言う。
「――妹狂いの普通キチガイ」
《そういう感じで経験値を貯めていきますニャ》
「今のありか!? 俺、本当に普通だし、妹は大切に思ってるだけで頭おかしい程じゃねぇよ!」
「…………。……黙れ、アンを見る目が変質者な男」
浩助が一瞬で五体投地まで沈んだのは言うまでもない。
●
かくして、悪魔のスキル特訓が始まった。
「お、拓斗だ」
「ん? どうしたの、皆して?」
町中でたまたまバッタリと出会った拓斗に対して、浩助は肩を叩くなり――。
「THE・無難」
沙也加は少し悩んでから――。
「普通の皮を被った普通」
アンはパッと思い付いたのか、表情を変えることなく――。
「…………。……凡骨」
「なんなのいきなり? いじめ?」
「いや、スキル特訓だ。んじゃ、次行くから」
したっと片手を上げて、有馬たちは去っていく。
後に残された拓斗は――。
「平凡の何が悪いんだよぉぉぉぉぉっ!」
誰にともなく叫んだという。
●
さて、迷惑トリオの次なる標的は――。
「――お、真砂子先生発見」
「あら、どうかしたのかしら?」
町中でたまたま出会った真砂子に対して、浩助は憐憫の視線を向け――。
「男旱」
沙也加は、それはないんじゃないといった顔を見せながら――。
「でも、噂のひとつも聞きませんよね?」
アンは特に何も考えてもいないのか、表情を変えることなく――。
「…………。……不幸そう」
「ごめんなさい、意味が分からないんだけど? これ、私を怒らせるゲームか何かかしら?」
「いや、スキルレベル上げの特訓なんだが……、お、次なる標的発見!」
ろくな説明もないままに去っていく浩助たちの背を見つめながら――。
「べ、別に出会いがなかったわけじゃないんだからね!」
どこか拗ねた口調で真砂子はそんなことを言うのであった。
●
迷惑トリオの被害が徐々に町中にも浸透してきた中、次なる彼らの標的は――。
「お、柳田だ」
「あわわ! 有馬君に沙也加ちゃんに、アンちゃん!?」
一通り驚いた後、美優は不思議そうな顔を浩助たちに向ける。
「はふぅ~……、有馬君の顔が怖すぎるから意味もなく驚いちゃったよ……」
「コイツには容赦なくていいな……」
舌舐めずりするような顔で、浩助はそんなことを言う。
勿論、先程から容赦など欠片もしていないのだが、気持ちの持ちようか。
むむむっと低く唸り、本質を見極めたらしい浩助が顔を上げる。
「とりあえず、冠詞が『巨乳』」
それを聞いた沙也加が首を振りながら、浩助の肩に手を置く。
どうやら、浩助の見立てに納得が言っていないらしい彼女の答えは――。
「ピーチパイ特盛り~努力を添えて~」
もう何だか、鑑定に関係なくなってきている中、アンは顔色を変えることなく――。
「…………。……あやかりたい」
――切実な願いを呟く。
……やはり、鑑定に関係がなくなっていた!
「うぅ、何ですか? 何なんですか? 何で、そんなに私のこと悪く言うんですか?」
「気にするな。単なるスキル上げだ。んじゃ、喫茶店頑張れよ」
こなれてきたのか、手早く引き上げていく浩助たちの背中を見送りながら――。
「こんな気分で頑張れるわけないんですけど!?」
その日は一日沈んだ気分になる美優であった。
●
「フハハハッ! 待っていたぞ! アリーマとその一行! 何だか面白そうなことをやっているようじゃあないか! 是非とも自分にも罵りや蔑みをくれ給え!」
何だか、町の人通りが少なくなってきた辺りで、浩助達はキルメヒアと遭遇したわけだが、彼らは出会うなり、タイムを取って三人で話し合う。
そして、五分もしない内に結論が出たのか、三人は横一列に並ぶと――。
「パスで」
「どうせ、変態しか出てこないし、面白くないのよね」
「…………。……げったうと」
「フハハハッ! 何というか、反応が塩過ぎやしないかね!? キミたち!?」
今までの被害者とは違った意味で涙目になるキルメヒア。
そんなキルメヒアに対して、浩助たちは特に反応することもなく去っていく。
置いて行かれたキルメヒアは――。
「はぁぁぁぁんッ! 放置プレイばかりじゃつまらないのぉぉぉぉぉっ!」
――滂沱の涙を流したという。
●
そして、日もとっぷりと暮れた頃、浩助達は本日最後の被害者たちと遭遇する。
そろそろ終わりにしようとしていた矢先だったので、実に運のない被害者だと言わざるを得ないだろう。
そんな被害者は、男の三人組であった。
男たちはアンの姿を見るなり、「げげんちょ!?」と奇声を上げていた。
どうやら、何か嫌な記憶でも思い出してしまったらしい。
それに構わず、浩助は沙也加たちと相談して、三人を各々で分担して鑑定することに決めたようだ。
トップバッターである浩助が先頭に立っていたリーダーらしき男を上から下まで観察する。
「な、なんスか? 俺たち、これから娼館行くんで、暇じゃないんスけど……」
「――デリカシーと金が無さ過ぎて女に逃げられるタイプ」
「グハァッ!?」
心当たりでもあるのか、リーダーらしき男が地面に倒れこむ。
それを支えるようにして心配する他二名。
「や、屋代……、お前、戦闘回数少ない割には娼館に入れ込んでると思ってたけど……、身を削って……!?」
「しかも、ベティちゃん、欠片も振り向いてくれてなかったよね……。大人になろうよ、屋代君……」
「大人になりたかったから、突っ込んだんだよぉぉぉぉぉ……ッ!」
血を吐くような叫びが聞こえてくるが、浩助はそれに気付かないのか小さくガッツポーズ。
どうやら、一日で鑑定スキルを習得できたらしい。
そして、沙也加も残った二人の一人を穴の空くほど観察する。
そして、沙也加は全てを見切ったかのように、ふっと短い吐息を漏らしていた。
「――生え際、際どいですよね?」
「ゴボハァッ!?」
蹲る屋代の隣に倒れ伏す生え際が薄くなってきたもう一人の男。
その男を気遣うようにして、三人目の男は背を擦る。
「そうだったんだね……。部屋に良く毛が落ちているのを見かけたんだけど、誰かの下の毛かと思ってたけど、緒方の上のだったんだね……」
「そ、掃除は小まめにしてただろぉぉぉぉぉぉっ!」
緒方と呼ばれた男は、生きているのが辛いかのように五体投地で地面に伏せている。
まるで死体か何かだ。
そして、浩助は残った最後の一人を見て思う。
コイツ、わりと毒舌だよな、と――。
そして、アンは表情の変わらぬ顔のままに、その毒舌男を鑑定しきったようだ。
抑揚のない声で告げる。
「…………。……モッコリ八兵衛」
『…………』
……場が一瞬で凍りついた。
「おっと、僕としたことがついうっかりアンちゃんの目の前で勃○を!」
「……そういえば、お前、いつも娼館でリリィちゃんに積極的に話し掛けてたよな?」
「……喫茶店でも、いつも美丘を目で追ってるよな?」
「つまり確信犯か?」
浩助が拳を鳴らしながら地面から顔を上げる二人に聞くと彼らは声を揃えて言う。
「「クソロリコン野郎に天罰を!」」
「えぇい! この増岡が死んでもロリコンは死なず! ちっぱいは正義! ロリコンバンザーイ! ――グボハホアヘァッ!?」
増岡を七回転半させて湖まで送り届けた浩助は、ばっちいものでも触ったとばかりに拳を振りながら、視線をアンに向ける。
「――で? 鑑定スキルは手に入ったのか?」
アンはいつも通りの無表情のままに、片手でピースサインを作って応えてくれたのであった。
うん。良かった良かった、めでたしめでたし――。
――となれば、良かったのだが、やはり翌日には山のように苦情が入り、浩助は一つ一つの苦情に対して沙也加と共に謝って回るはめになるのであった。




