49、温泉トラウマ
「そもそも、温泉はどうするのよ?」
人型に戻った沙也加が多少呆れたように尋ねる。
「まさか、温泉が出るまで掘るとか言い出すんじゃないでしょうね?」
「それこそ、まさかだろ? ちゃんと地下から組み上げた水を使用する予定だ」
「水脈の場所が分かるスキルでも取得したの?」
沙也加が驚いたように尋ねるが、浩助は首を横に振る。
そんな便利なスキルがあれば、学園住まいの時に使って水源のひとつでも確保している。
浩助は笑って、地面を片足でトントンと叩く。
「あるだろ。地下に機甲種の拠点が。そこから此処まで水道管を引いてくればいい」
「それ温泉って言わないわよ?」
それでは、ただのお風呂である。
「え……、そうなのか……? まじで……?」
「うん」
「な――、なんてことだッ! ジーザス!」
後退って、あまつさえ膝を折りながら、浩助はガクリと肩を落とす。
彼の夢は、開始三十分で潰える事となった。
少しだけ同情する沙也加ではあったが、浩助は十秒後にはさっと立ち上がり――。
「まぁいいや、後でクアハウスに改造しよう」
――と言ってのけた。めげない男である。
そんな浩助を半眼で見つめながら、沙也加はいつの間にか建物の前に整列している影分身たちに視線を移す。
所要時間、三十分前後――。
影分身が整列する後ろには、木だけで作られた見事な旅館が完成していた。
「とりあえず、できたみたいだけど?」
「んじゃ、入ってみるか。デカめに作ったから、多分全員入れるだろ。しっかし、風呂はどーするかなー?」
考える素振りを見せて、浩助は旅館の中に入ろうとして入らない。
「どーしよーかなー?」
入るようで、入らない浩助。
意味の分からない行動を繰り返す浩助を尻目に、好奇心に負けた何人かが旅館の中に入っていく。
そして、口々に「スゲー!」だの「マジかよ!?」だのといった驚嘆の声を連呼するのが聞こえた。
そんな声を聞いてしまっては、沙也加も旅館の中に飛び込んでみたいのだが、どうにも不安を覚えて、彼女は浩助に睨みを利かす。
「何やってんの、有馬? さっさと旅館に入りなさいよ?」
「え、いや、それが、あれだ。俺、悩んでて、他人の意見を聞きたいなぁ、とか思っててさ」
妙に歯切れの悪い返答に加えて、浩助の視線はじっとアンの姿を捉えている。
彼女はそんな浩助の視線に気付いているのか、沙也加の足元までやってくると、彼女の後ろに隠れて、頭だけを出して浩助を警戒する。
「警戒されてるわよ?」
「ガッデム! ……じゃねぇ! 別にそのチミっ子の意見が聞きたいとかじゃねぇし! 全然違ぇし!」
「ふーん」
ニヤニヤと面白いものでも見つけたかのように笑う沙也加を前にして、浩助は静かに冷や汗を流す。
そんな三人の間に割って入る声。
「おーい、浩助ぇ、畳とか布団とかねぇけど、作った方がいいか~?」
「うるせぇ、拓斗! 勝手に作ってやがれ!」
素材を収納から取り出して、拓斗に向かってぶん投げる。
素材の山に潰された拓斗が救出されるのは、それから五分後のことであった。
●
「なぁに、カリカリしてんだよ、浩助……」
「してねぇし! 全然してねぇし!」
「ほら、アンちゃん。あそこにカリカリおじちゃんが居るよ~♪」
「……カリカリおじちゃん?」
「テメェ! 本当やめて下さい! 俺はアンちゃんと仲良くしたいだけで! そういう穿った見方植え付けるのとか卑怯だから! 本当ゴメンなさい!」
鬼の形相で土下座する浩助を前にして、沙也加はアンを膝の上に座らせて、その頭をゆっくりと撫でている。
浩助が作った旅館の一室での出来事である。
あの後、全員が旅館へと入り、本日は此処で一泊することに決まった。
外の警戒はキルメヒアの眷属に任せるとして、各々が好きなもの同士と適当に相部屋をしたり、余るほど部屋があるので久し振りの一人部屋に泊まってみたりと好き勝手にやっているようだ。
一応、現在は旅館の一室で拓斗が畳を錬金で作り出している最中であり、浩助たちはそれを見るともなしに眺めている。
それが終わったら、今度は人数分の布団も用意する予定となっているため、錬金スキル持ちの拓斗は大忙しだ。
一方の浩助は、一段落ついたというわけでもないのだろうが、どうにかしてアンと仲良くなる方法を模索中である。
別段、そのことに拘っているとは思いたくない。
そもそも、彼女は浩助の妹に生き写しなぐらいに似ている――が、赤の他人なのだ。
彼女を気に掛ける理由は、本当に妹に似ているというただそれだけなのだが、仲良しの妹とそっくりな相手に露骨に避けられてしまうというのは精神上『クル』ものがある。
故に、関係の改善を目指そうと奮闘しているわけだが――。
「何故、水原には懐いて、俺には懐かん!?」
「人徳でしょ」
「顔じゃねーの?」
「ですニャー、声大きいから怒ってるように感じる!」
「うるせー! そんなの知ってるわ! ……ん?」
仲間たちのろくでもない返答に叫び返しながら、浩助は聞き捨てならない情報を聞いたとばかりに、洛に視線を向ける。
「今、なんつった?」
「ですニャーの声は大きいから、怒ってるように感じる! 言語翻訳スキルで言葉の意味は伝わるけど、イメージ的には怒られてるように思えちゃうぞ!」
なんとまぁ、スキルの盲点である。
声量の大きさと意味の伝達にズレがあるために、大声で話す浩助は常に怒っているように見えてしまうようだ。
特に浩助は日本語を使って、翻訳スキルにより相手に意志を伝えるような使い方をしているため、その違和感は顕著に出る方だろう。
改めてひとつ咳払いをすると今度は少し声量を抑えるように、浩助は工夫する。
「こんな感じでどうだ?」
「おー、良いと思う」
洛からゴーサインが出たことで、改めてアンに向かって声を掛ける。
「アン……、俺は怖いお兄ちゃんじゃないぞ?」
「…………」
当初よりは恐れられていないだろうか?
アンは浩助を探るように、その視線を顔に向け――。
「……顔怖い」
「はいはい、怖くないわよ~」
「知ってた」
「ですニャー唯一の欠点」
散々に言われ、浩助は畳の上に這いつくばる。
彼の涙が枯れるまでは、今暫く時間が掛かるようであった。
●
「大体、やり方がおかしいのよ」
足を崩して座りながら、沙也加は人差し指を立てる。
「有馬にしては、やり方が真っ当すぎるところからしておかしいじゃない」
隣にアンを座らせ、アンはされるがままに畳に座る。
だが、やがて座っているのに飽きたのか、ごろんと寝転がり始めた。
どうやら、それが気持ちよかったらしく、無表情のままにゴロゴロと畳の上を転がっている。
「おー、アン、畳が気に入ったのか! 洛もゴロゴロしたいぞ!」
そういえば、洛もゴロゴロ仲間だったなと思い出しながら、浩助はようやくの思いでショックから立ち直っていた。
エインジャやイウダ・ジ・オールよりもアンの方がよっぽどの強敵だ。
……何せ、この戦いには失敗が許されないのだから。
「だって、嫌われたら立ち直れねーし……」
「有馬……、アンタ、いずみとの一件がトラウマになってるんじゃない?」
「そ……、そんなことねぇよ!」
どもりながらも、一応反論する。
挙動不審になったのは、もしかしたらの可能性を考えてしまったからだ。
それだけ、橘いずみにフラれた経験が堪えているということなのだろう。
だが、そうでもなければ、浩助が此処まで強くなっていなかったわけで……。
それを思うと、色々と思うところもあるわけだ。
「誰だって、仲良くできそーな奴とは仲良くしてーと思うじゃねーか! アンは特に妹に似ていたから、仲良くしてーって思いが強かっただけだ! トラウマとか、そーいうんじゃねぇ!」
「本当に?」
「本当だって!」
「だったら、いつもみたいに容赦のない最善手を打てば良かったのよ」
「いや、だから、それが相手の心を掴まないこともあるわけで……」
「ほら、有馬にしては歯切れが悪い。いつもの、『俺が良ければ、全部どーでもいーや!』って感じに振る舞った方がらしいわよ?」
「……俺、そんな自分本位な奴だったっけ?」
「うん」
「大体合ってる」
「ですニャーはそんな感じだな!」
ボロボロの総評である。
浩助はひとつ大きな溜息を吐くと、ゆっくりとねこしぇの収納スキルを利用して何かを取り出す。
そこまで言われては、手段を選んでなんてやっていられない。
有馬浩助の本領発揮といこうじゃないか。
「……要るか?」
「…………」
それは、焼きたてほやほやの焼き鳥のような何かだ。
ゴクリとアンの喉が鳴る。
「要らないんなら、食べちゃおっかな~?」
「…………」
素早く近づいてきたアンが、がしっと浩助の腕を掴む。
その目が爛々と輝く。
相手の弱点を攻めるのは常道だ。
浩助は焦らすように焼き鳥もどきに視線を絡めた後で、アンに視線を向ける。
今度はアンも視線を逸らさない。
「欲しいのか?」
「…………」
アンは激しくコクコクと首を縦に振る。
まぁ、こんなものか。
餌付けに成功した思いで、浩助はアンに焼き鳥もどきを渡すと、アンは猛烈な勢いで食べ始める。
「おかわりもあるが、晩飯が食えなくなるからな。程々にしとけよ?」
聞いているのか、聞いていないのか、アンはすぐさま焼き鳥もどきを食べ終えると、期待に満ちた瞳で浩助を見上げる。
妹に甘い男がそんな瞳に勝てるはずがなく、結局浩助は八本の焼き鳥もどきをアンに食べさせてしまっていた。
アンは満足そうにお腹をさすりながら、ゴロンと畳の上に寝転ぶ。
その顔はとても幸せそうだ。
「……で、アレって何? 鶏肉じゃないんでしょ?」
沙也加の当然の質問に、浩助は肩を竦める。
「元は鰐肉らしい。調理班渾身の作らしいが、試食する前に終わっちまったな」
そう言う浩助の表情には後悔の念は浮いておらず、ひたすらに満足したような色が浮かんでいた。
ちなみに、アンはこの後の夕食もきっちりと食べきった。
どうやら、彼女は食いしん坊キャラということらしい。




