48、順調村正
「汐、なのか?」
まるで熱に浮かされたように浩助はその名を口にする。
だが、銀髪の少女はそんな浩助に恐れを抱いたかのように一歩後退っていた。
彼女が本当に有馬汐であるのならば、決して見せることのない反応に、浩助はどうにか冷静さを取り戻す。
そもそも、汐は銀髪でもないし、赤目でもない。
普通の日本人然とした黒髪黒目であった。
ただ、顔と体型に関しては見れば見るほどそっくりであり、浩助が勘違いしてしまうのも無理のない話である。
「えぇっと、汐じゃないんだな……?」
確認のために尋ねると、少女はコクリと頷く。
その返答に安堵の息を吐いた後で、では彼女は何者なのだ、という疑問が浮かんでくる。
キルメヒアに視線を向ける浩助だが、彼女は小さく頭を振って答えを示していた。
知らないということか。
幾分の怪しさを覚えながら、それでも妹そっくりな少女に強く出れずに浩助は二の足を踏む。
「それじゃ、まずはお名前を教えてくれないかな?」
そんな浩助を見兼ねたわけではないだろうが、沙也加が視線を少女の高さにまで下げて、ニッコリと微笑みながら尋ねる。
彼女の家は古流剣術の道場であり、その関係上、小学生の門下生と触れ合う機会も多い。
ぐずる子供とどうやって接したら良いかに関しては、一日の長がある。
少女も若干警戒心を薄めて沙也加を見つめる。
「…………」
だが、答えない。
答えられないのだろうか。それとも、声が出せないのであろうか。
浩助がやきもきしていると、やがて少女はポツリと零す。
「……アン」
「そう、アンちゃんって言うんだ。素敵なお名前ね」
そこで少女は初めてはにかんだ笑みを見せてくれる。
能面のようだった表情は、それだけで季節の花々が咲き誇る桃源郷の如き華やかさを見せ、その笑みを見た者は思わず幸せを感じてしまったことだろう。
(やはり、汐に似ているな……)
浩助はそう思う。
だが、あまりしつこくしても、アンと名乗った少女に疎ましがられるだけだろう。
つかず離れずの距離を保つために、あくまで冷静を装う。
「アンちゃんはキルメヒアさんを訪ねてきたと言っていたけど、何のために訪ねてきたのかな?」
「……お腹空いたから」
少女の言葉は端的過ぎて、なかなか全容を知るのには苦労しそうだ。
それでも、沙也加は粘り強く続ける。
「お腹が空いたら、キルメヒアさんの所に行けって言われたの? 誰に言われたのかな?」
「……おじさん。おじさんが、食うに困ったらお人好しの吸血鬼のところに行けって」
「そのおじさんの名前は分かるかな?」
アンは無言のままに首を横に振る。
どうやら知らないらしい。
となると、彼女は素性も知らない相手の言葉を信じて、キルメヒアの屋敷の前で待っていたということになる。
それをキルメヒアに尋ねると、彼女はさもありなんと訳知り顔を浮かべていた。
「魔界では割りとあることだよ」
「そうなの?」
「自分に実力がないと知った魔族は、早々に子供を育てるのを放棄して、実力のある者の家に里子に出すのだ。そうすれば、子供が食いっぱぐれる心配もないし、自分が育てるよりも高度な教育が受けられる。だから、預けることに躊躇いはしないのだよ」
「それって、預ける側の理屈でしょ? 預かる方の身は大変なんじゃあ……」
沙也加が眉を顰めるが、その点は無用とばかりにアスタロテが肩を竦める。
「貴族は、どの時代でも戦力は求めるものです。一から育てるのは手間ですが、その分、忠義心の厚い良い部下に育ちますので、こういった子供を受け入れる貴族は多くいるのですわ」
「特に、キルメヒア殿は自他共に認める変わり者で有名でありますからな。こういった少年、少女たちが訪れるのは良くある光景なのです」
ウエンディまでそう言って、うんうんと力強く頷いている。
「いや、だが、この場にまでこられるのは……。うむ……」
だが、困ったのはキルメヒアだ。
これから、人間と魔族が住む町を作ろうというのに、事情を知らない魔族が混じるのは、人間側に大きな不信感を与えかねない。
どうしたものかと迷うキルメヒアだが――。
「人間に危害を加えねーって言うんなら、別に一緒に町作りを手伝って貰えばいーだろ」
浩助の鶴の一声である。
沙也加は分かっていたとばかりに微笑むと、腰を曲げてアンの目線に合わせていた。
「アンちゃんは、皆と仲良くできるかな?」
「…………」
少女はその意味を十分に吟味した上で、ゆっくりと頷く。
「……うん」
「なら、仲間として迎えていーだろ。こっちは人数も居るから、自己紹介はまた後でだな。とりあえず、休憩も終いだ! テメェら、歩くぞ!」
『へーい』
意気軒昂とはとても言い難い返事ではあったが、意志は統一されているのか、返事を返さない者は一人もいないのであった。
●
「うっし、この辺でいーだろ!」
浩助がそう言って足を止めたのは、湖の畔の中でも割りと広い平原が広がる土地であった。
ウンディーネの里からも程近く、学園側からもそこまで離れていない。
なかなか立地的に恵まれた場所である。
やっと休めるのかという思いからか、何人かの顔から気合が抜け落ちるが、本番はここからである。
浩助は逸る気持ちを抑えつつ、皆に向けて期待に満ちた視線を向ける。
「それじゃあ、皆、何を作ったらいいか! 意見をくれ!」
『え?』
主体性のまるでない意見を聞き、生徒のみならず、魔族さえも戸惑った声を上げる。
そんな様子は想定済みだったのか、浩助は嬉々とした表情を浮かべて続ける。
「――と言っても、いきなりじゃ思い浮かばねーと思うから明日までに考えておいてくれ! そんじゃ、まずは俺が作りてーって思ったもんを作らせてもらうから!」
浩助は無詠唱で影分身を十体作成。
その影分身たちが各々十体の影分身を作成し、これで一気に百人にまで人数を増やす。
その影分身たちが、突風の如くに動き回り、浩助の目の前には、瞬く間に山のように木材が積み上がる。
学園での伐採業務の全てが浩助に任されていたせいか、既に彼の伐採スキルはレベル六にまで上がっている。
それが、百人がかりで仕事に取り掛かったのだ。
ものの十五分もしない内に、木材が平原に堆く積み上がっていた。
「んで、これを加工して、組み上げていくだろ――」
ちなみに学園の外堀を埋めるための柵を作っていた際に、建築スキルなる物もレベル四まで習得している。
この建築スキルは、レベルが上がると同時に扱える建材の種類と建物の階数と種類が増えるらしく、現在の浩助のレベルでは木造建築二階建ての建物が作れるのがせいぜいであった。
今回はそのスキルをフル活用し、二階建ての建物を作るつもりだ。
影分身たちに木材の加工を頼んでおきながら、浩助は一人湖に向かう。
『おーい、ウンディーネ! 誰か居ないのか~?』
そう言って、湖面をバチャバチャ手で叩くと、水色の光がゆっくりと浮かんできて少女の姿をとり、その上半身を湖面へと現していた。
その様子に、初見のものたちは「おぉ!?」と悲鳴とも感嘆とも取れる声を上げ、見知ったものは「それで呼べるんだ……」と複雑な表情を見せる。
そんな複雑な思いが交錯する中で、浩助は姿を現したウンディーネに対し、加工された木材を指し示してみせていた。
『あの木材の中の水分を抜いてくれないか?』
『木、乾かす?』
『そうだ。そうすることで、木が曲がり難くなるんだ』
『木、不思議! 水、抜く!』
どうやら、交渉は成立のようだ。
ウンディーネが喜んで幾つかの呪を唱えると、木材の上方に徐々に大きな水球が出来上がっていく。
どうやら、木材から抽出した水分ということらしい。
ウンディーネはその水球を自分の近くにまで魔法を使って持ってくると、浩助におねだりするような視線を向けていた。
『これ、くれない?』
『良いけど、どーするんだ?』
『食べる、美味しい、爽やかな味』
『分かった。今日から俺たちはここで同じような作業をするつもりだ。また木の水が欲しくなったら来てくれると助かる』
『友達、沢山、連れてくる! 明日も来る!』
ウンディーネはそう嬉しそうに言うと、木から抜き取った水球を大事そうに抱えて湖の底に消えていく。
湖の中に水球を持って潜ったら混ざるんじゃないかと思ったが、それはどうやら杞憂のようだ。
浩助が軽く息を吐いている間にも、働き者の影分身たちは平原を整地し、建物のための土台を造り、次々と建材となる木材を加工していく。
「よしよし、順調順調」
浩助はそんな様子を満足そうに見た後で、沙也加を手招きする。
「おーい、水原、刀になってくれー」
「村正じゃ駄目なの?」
「お前の方が使い勝手がいーんだよ。頼むわ」
「もう、仕方ないわねぇ~」
満更でもない表情を浮かべながら、沙也加は刀に変化する。
柄を握るなり、手に馴染む感覚――。やはり、細雪は普通の刀とは一味も二味も違う。
自在に操れる喜びを感じながら、浩助は振るう手も見せずに、地面をすり鉢状に切り取っていた。
「こんなもんか」
「――ッ!?」
刀を扱って出来る仕事の範囲をゆうに越える荒業に、それを見ていたウエンディの指先がぷるぷると震える。
いや、多くの生徒はいきなり起こった現象を理解すらできていないことだろう。
だからこそ、それを認識できただけでもウエンディの凄さが伝わろうというものだ。
まぁ、だからといって、浩助がウエンディに気を配ることはないわけだが……。
「洛、悪いけど、この穴に対して仙術で土が水に溶けねーように加工できねーか?」
「分かった、やってみる!」
元気良く返事をする洛が、素早く印を結び、そのまますり鉢状の穴に向けて両手を付く。
すると、一瞬だけ重々しい音が響き、すり鉢状の穴は浩助が切り取った時よりも、その大きさを更に少しだけ広げる形で、表面上の材質を岩肌のように変えていた。
「土を圧縮したぞ! これでいいか!」
「上出来だ。泥水にならなきゃ問題ねーよ」
《――で、結局、有馬は何を作っているわけ?》
いい加減焦れたのだろう。
不満そうな響きを含んだ沙也加の言葉に、浩助は「実に普通なのだが――」と前置きしてからこう続ける。
「温泉旅館」
『いや、普通じゃないから、ソレ!』
浩助は総ツッコミを受けた。




