2、天剣六撰―細雪―
「おい! 水原起きろ! つーか、頼むから足動かしてくれ!」
「…………」
何かをブツブツと呟き続ける沙也加は、やはり意識混濁状態のようだ。
背骨が折れ、足からも多量の出血がある。
そんな状態で、さっさと走れと急かしたところで聞いてもらえるわけもない。
豚のバケモノから逃げるため、沙也加に肩を貸した状態で走る浩助は、グラウンドの中央から、端へ端へと逃げていく。
特に計画があるわけではない。
ただ、校舎に近付けさせるのは、色々と拙いのではないか、という思いがあるからだ。
「頼むから! 本当走ってくれよ! 俺も体痛ぇんだっつーの!」
「…………」
「マジで起きろ馬鹿! じゃないと胸揉むぞ! コラ!」
「…………」
「……マジで揉むからな?」
「…………」
少し逡巡した後で、浩助は沙也加の胸を揉む。
ブラ越しだが、ちょっと大きめで形が良い。
そして、その感触を堪能していると、ようやく沙也加の目の焦点が合ってきた。
「有馬……、アンタさぁ……」
「ま、待て落ち着け!? っていうか、意識が戻ったんなら、足動かせ! 死ぬぞ!」
「へ?」
気の抜けた返事をした沙也加の頭上に黒い影が掛かる。
それは、巨大な棍棒を振りかぶった豚のバケモノのものだ。
それに気付いた沙也加は一瞬の判断で肩を貸してもらっていた浩助を突き飛ばす。
二人が離れた、その中央を断ち切るようにして、豚のバケモノは地面に棍棒を叩きつけていた。
あと一歩遅かったら、二人共動かぬ肉塊となっていたことであろう。
だが、浩助としては恐怖の片鱗を味わったような、青褪めた顔で沙也加を睨みつける。
「突き飛ばすなら、突き飛ばすって言えよ……、俺のHPあと1しかないんだぞ……」
「はぁ? 何でここでゲームの話よ? いいから、早く逃げましょ――、痛ッ!」
足首を挫いたというよりは、ダメージを負いすぎたのか、立ち上がろうとした沙也加が即座にその場に座り込む。
それを見た浩助は、背筋が寒くなるのを感じていた。
豚のバケモノがねっとりと嬲るような目で沙也加を見ていたからだ。
そして、その下半身がムクムクと大きくなっていくことも……。
「まじかよ……」
浩助が呟くが、沙也加にそれは聞こえない。
……というより、彼女はその状況に気がついていなかった。
何故なら、彼女の視界の端には、ちかちかと点滅する文字があったのだから。
それに意識を集中した途端、彼女は浩助の言った言葉の意味を知る。
HP:8/47 状態:人、負傷
「有馬! 何か、HPっての出たんだけど! あと、状態:人、負傷ってのも!」
「報告してる場合か!? 馬鹿! 早く逃げろ! その豚、お前を犯そうとしてんぞ!?」
「はぁ!?」
沙也加が豚のバケモノに視線を向け、そして反り返るアレを見る。
「…………」
気持ち悪すぎて、泡を吹きそうな気分になりながらも、彼女は立ち上がろうとし――。
そして、全身に走る激痛に堪え切れずに、その場に倒れ込む。
豚のバケモノが沙也加の肩を掴む。
「いや……、やめて……、助けて……」
彼女の顔色は白粉を塗ったかのように蒼白で、それを見ていた浩助の顔色も土気色になっている。
ヤバイ、なんとかしなきゃ、どうにかしなきゃ――。
浩助は必死に考える。必死に考えるが――。
――だが、気持ちだけで何が出来るだろう?
「お母さん……」
沙也加が震える声で、その言葉を呟いた時、豚のバケモノは、それこそ醜い悪魔のように下卑た笑みを浮かべた。
大粒の涙が沙也加の頬を伝う中、彼女は視界の片隅に――。
●
沙也加の肢体が豚のバケモノの手によって高々と掲げられ、そのままの勢いを持って降ろされる。
そして、浩助の目の前で、豚の股間から赤い飛沫が散るのが見えた。
どくどくと、赤い液体が流れ、そして――。
「PIGYAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?」
――斬り落とされた豚のバケモノのイチモツと共に、一本の刀と黒塗りの鞘がそこに転がっていた。
《有馬! 聞こえる!? 私を使って何とかしてッ!》
それは、頭の中に直接響く声だ。
そして、その声には聞き覚えがあった。
――水原沙也加。
その声が何処から届いているのかは言うまでもない。
豚のバケモノの足下に転がる一振りの刀だ。
「刀……? 水原、刀になっちまったのか……?」
《いいからッ!》
「くっそ! MP! 時間経過で回復してねぇのか!?」
浩助は視界の隅で明滅する文字に意識を集中させる。
MP:5/9
「行ける! つーか、行けぇぇぇぇッ!」
心の中で捷疾鬼を発動させる。
その瞬間、体の中を言い知れぬほどの脱力感が襲う。
捷疾鬼の消費MPは5だ。
そして、現在の浩助のMPは0。
MPがマジックパワー、もしくはメンタルパワーであった場合、それは彼の精神力が尽きたことに他ならない。
心が折れ、全身から力が抜ける。
「……ま、だ、だッ!」
だが、彼は歯を食い縛って耐え、フラフラになりながらも豚のバケモノの足下にある、沙也加であった刀を拾い上げる。
《え!? なに、この空間!?》
拾い上げた瞬間、沙也加が意識を取り戻したかのように喋り始めるが、それに答えを返す余力もない。
それほどまでに、浩助の全身を倦怠感が支配していた。
苦悶の表情を浮かべる豚のバケモノに向けて、その刃をさっと振り下ろす。
【スキル】妖刀:LvMAX が発動致しました。
【スキル】剣鬼:LvMAX が発動致しました。
天剣細雪と契約を結びました。
【スキル】天剣六撰:Lv1 を習得致しました。
――剣系スキルを完全開放致します――。
【スキル】聖剣:LvMAX を習得致しました。
【スキル】魔法剣:LvMAX を習得致しました。
【スキル】剣術:LvMAX を習得致しました。
【スキル】二刀流:LvMAX を習得致しました。
【スキル】抜刀術:LvMAX を習得致しました。
【スキル】剣聖:LvMAX を習得致しました。
浩助の体が少しだけ軽くなり、刀で斬りつけられた豚のバケモノは、その場でゆっくりと真っ二つになって左右に別れていく。
《嘘……、え……、これって……、まさか、契約って……》
「やっべー、すっげぇ疲れた……。悪い、水原、後頼むわ……」
《ちょ、ちょっと待って! お願いだから、鞘にしまって! 気絶するのはそれからでいいから!》
「? ……わかったよ」
ぼんやりとする頭で疑問符を浮かべながら、浩助は刀を鞘にしまうなり、ゆっくりと全身の力を抜いていく。
そして、耳の奥で硝子の割れるような音が響くのを聞きながら、そのまま意識を失うのであった。