閑話、外道Lv1
前々回の裏になります。
話は、浩助が解体作業を行うより、少し前へと巻き戻る。
鬱蒼と茂る樹々に、絡みつくようなねっとりと湿った空気は迷い込んだ者たちに、恵みと悪夢をもたらすと言われている。
ディン・フスレ森林――。
彼らの単語で、『神魔の森』と名付けられた、その森林の只中では、今、ひとつの大きな聖戦が行われようとしていた。
「尻尾を巻いて逃げ出さなかったか、エインジャ……」
「だぁ~れに、物言ってんだよ、タァ~コ! そっちこそ、良くもまぁ、雁首揃えてやられにきたじゃねぇか、スイレンさんよぉ!?」
スイレンと呼ばれた男が、口数も少なく森の樹々よりも太い腕を組み、エインジャと呼ばれた口汚い男が下品な笑みを浮かべながら、猫背のままにスイレンへと近付いていく。
彼らが対峙するのは、森の半ばに不自然なまでに拓かれた野っ原である。
当然、自然に出来たものではない。
彼らの先人たちが、事ある毎にこの場で骨肉を争う戦いを繰り広げ、樹々が折れ、大地が踏み固められ、岩が砕かれた結果、この広場が作られたのである。
そして、今朝もまた、その先人たちの行いを時を経て追随するかの如く、彼らは対峙していた。
「ふん。烏合の衆しか集められぬ者が吠えよる」
スイレンの背後には、十体前後の筋骨隆々の巨漢たちが各々の武器を持って控えている。
グレイト・トロール――。
硬質な皮膚と、驚異的な生命力、更には強烈な再生能力と人智を超えた怪力を擁する種族である。
そして、彼らを纏め上げるスイレンは、そんなグレイト・トロールの上位種であるアド・トロールという種族であった。
グレイト・トロールを正統進化させた種である、アド・トロールはミスリルゴーレムよりも硬い皮膚を持ち、多少の魔力操作を得意とする。
魔力を操ることによって、防御力や攻撃力が飛躍的に増大し、更には再生速度さえも上げることができる――、そんな強力な種である。
一方のエインジャは、アド・トロールではない。
彼の種は、バーサク・トロール。
高い生命力と一撃必殺に特化した攻撃力と技を持つ、超近接戦闘型のトロール種である。
その拳は、ミスリルなど容易く破砕し、拳圧だけで滝を逆方向に登らせると言われている。
そんな圧倒的な死を振り撒く種族であるエインジャの後ろには、オークやゴブリン、オーガなど雑多な種族が控えており、武器を構えて、今か、今かと開戦の時を待ち望んでいる。
それを、背中から湧き出る闘気だけで静めながら、エインジャがスイレンの目の前に立つ。
「俺様より弱い癖に、俺様を見下す発言をしてんじゃねぇ。……殺すぞ」
「虚勢を張るな。今から、俺に倒され、俺の下につくことを怖れているのが透けて見えるぞ」
「馬鹿が。誰が誰の下になるって? てめぇが、俺様の下になるんだよ!」
「ふん。頭が悪い故に、口で言っても分からぬとみえる」
「まぁ、最初から分かっていたさ。てめぇの空っぽの頭じゃ戦闘力もまともに計れないだろうことはな!」
エインジャの拳が一瞬で閃き――。
スイレンの掌が一瞬で閃く――。
瞬間、大地を揺らす衝撃波が二人を中心に散らされ、激しい突風が広場を駆け抜けていた。
音は後からか。
胃がひっくり返る程の重低音が辺りに轟き、見守る互いの部下たちが一瞬の攻防に息を飲む。
エインジャが放った高速の拳は、スイレンの掌をぶち壊し、その指を全て千切り飛ばしていたのだが、スイレンの圧倒的な回復力により、瞬時に指と掌が復活――。
エインジャの拳を握り止めるまでに至っていた。
互いにバケモノ――。
様子を見守る部下たちは、その様に誇りと興奮を覚え、喝采を送り、広場は瞬く間に熱気に満たされていく。
エインジャとスイレン、先に嗤ったのはどちらであっただろうか。
二人と、二人が率いる配下たちが、今まさに雌雄を決さんとしていた――、その時である。
「……何だ、アイツは?」
その疑問の声を投げかけたのは、誰だったのだろうか。
二つの勢力の間に割って入るようにして現れたのは、見た目からして不気味な男であった。
全身を漆黒に塗り固め、人の形をとっていながら不定形にも見える、そんな不可思議な存在。
男の顔には、目や鼻は無く、ただただ目立つ赤い三日月型の口のみが存在していた。
そして、彼はヘラヘラヘラヘラと笑っている。
それを見たものは、道化か、狂人かと、そんな感想を抱くことであろう。
事実、ゴブリンの一匹が「腑抜けが来たぞ!」と面白がって言う。
魔物たちが、どっと沸く。
黒い男もヘラヘラと笑う。
馬鹿にされても関係ない。
手近な魔物に近付いて、魔物に凄まれようが関係ない。
魔物の首を撥ね飛ばして、返り血を多量に被ろうが関係ない。
ヘラヘラ、ヘラヘラと嗤う。
「――こ、この野郎!?」
今更になって、黒い男の異常性に気がついたのか、オークやゴブリンが武器を持って、黒い男に襲いかかる。
だが、いずれもが男の身体をすり抜け、男にダメージが入ることはない。
それどころか、男はすり抜けながら、魔物の贓物を素手で掻っ攫い、魔物たちに深刻なダメージを与えていく。
エインジャの連れてきた雑多な魔物の間に、度し難い緊張感が走る。
「何だ、アイツは……。跳ねっ返りエインジャの新しい味方か?」
「いや、それにしては御せておらぬ様子――、む?」
ヒソヒソと言葉を交わすスイレンの部下たちのすぐ真後ろから、見たことのある姿がゆらりと現れる。
それは、全身を真っ黒に染めた、ヘラヘラと笑う男だ。
その特徴的な、真っ赤な三日月型の口は、見るものに不快感を与え、グレイト・トロールの群れは不機嫌な様子で腕を轟っと振っていた。
「去れ! 黒き者たちよ! 今は、我が主が敵との神聖な戦の最中! それを乱すものは何人たりとも――」
ぶつんっと、まるで粘土が千切れて飛ぶように、宣言したグレイト・トロールの腕が飛ぶ。
真っ黒な男の手には、影によって作られた真っ黒な剣が握られ、そして挑発するように、笑みを益々深くする。
トロールたちが逆上する。
「殺せ!」
「神聖な戦に異物を紛れ込ませるな!」
「排除せよ!」
わっとグレイト・トロールの群れが黒い影に襲いかかり――。
その場に、一斉に紫色の華が咲く。
グレイト・トロールがドシンドシンと巨体を震わせて、間合いを詰めるよりも早く、黒い男は懐に飛び込み、一瞬の間に七度の斬撃を見舞う。
首筋を断ち、手首の健を斬り、脚の筋を裂き、肋の間に刃を走らせ贓物を三度突く、そして、思い出したように、武器を持った腕を切り飛ばす。
武器を失くしたトロールは、虚空を虚しく撫で付け、次の瞬間には頭を撥ねられて息絶える。
「馬鹿な! 我々の生命力をこうも容易く――」
全てを言い終えるよりも早く、漆黒の男が動く。
男は相手の武器を無力化することを、まず狙っているようだった。
迂闊に踏み込んだグレイト・トロールたちが腕に傷を負って、後退を余儀なくされている。
だが、それだけでもトロールにとっては、十二分なインターバルとなる。
斬られた腕の健は回復し、切り飛ばされた傷口からは新しい腕が生えてくる。
さすがに、頭を斬り飛ばされては生きてはいけないが、それ以外であれば、一瞬で致命的なダメージを受けなければ、果てることはない。
生命力と再生力を武器に、黒い男を取り囲み、攻撃を加えていく。
だが、効かない。
男には、まるでダメージが入っている様子がない。
そして、その力技はトロールだからこそ出来る手であって、エインジャの部下たちはそうもいかない。
駆逐され、蜘蛛の子を散らすようにして逃げようとするが、黒い男は逃さない。
逃げようとする弱いものから、的確に命を刈り取り、次へ次へと標的を変えていく。
その姿はまるで牧場に放たれた狼だ。
「テメェ! 俺様の部下に何してやがるッ!」
怒声を上げたエインジャが、拳を振り上げ、黒い男に向かって一気に振り下ろす。
空気を裂くような轟音と共に、黒い影の向こう側にいたオーガとオークが一瞬でバラバラに千切れ飛ぶ。
「コイツ、どうなってやがる!? 手応えがほとんどねぇ!?」
「実体がないタイプの魔物か。エインジャ、闘気を纏え。それである程度はダメージが入るようになる」
「うるせぇ! 俺様に指図すんな!」
だが、エインジャは、スイレンの言葉通りに闘気を纏う。
彼の周囲の空気が瞬時に陽炎のように揺らめき、彼の巨体を更に何倍にも大きく見せる。
トロール族の戦士の間で、僅かな者しか実践できないとされる、その強力な戦闘スタイルは、使用者の肉体を硬化させ、拳に気という不可視のエネルギーを纏わせることができる。
そして、その拳に触れたものは、例え、不定形生物だろうと、幽霊だろうとダメージを受ける。
「…………」
ニヤニヤとした笑みが、一瞬凍りついたようにエインジャには見えた。
イケる、と彼は即座に判断する。
「ゴブリンシャーマン共! 俺をフォローしろ! コイツは俺が倒す! ゴブリンメイジ共も、俺に構わず魔法を撃ちこめ! コイツは恐らく魔法生命体だ! 普通の物理攻撃じゃ通用しねぇぞ!」
『あいあいさー!』
散り散りになって逃げ出そうとしていたエインジャの部下たちが、即座に息を吹き返す。
結束力が薄い代わりに、立ち直りも早いらしい。
「我らもやるぞ! 闘気を纏えるものは纏え! それ以外のものは致命傷を避け、盾となるのだ! 行くぞ!」
トロールの軍勢が雄叫びを上げ、黒い男に一斉に襲いかかる。
黒い男には、大してダメージが入っていないように見えたが、それでも暴力の波が収まることはない。
間断なく、黒い男を攻め立てる。
「やれるぞ! スイレン! このまま、押し込める!」
グレイト・トロールの一人がそう叫び、黒の男はその叫びを知ってか知らずか、持っていた得物を凶悪そうな斧へと変形させていた。
その一撃を受けた、グレイト・トロールの太腿から先が、一瞬で胴体より離れる。
「油断をするな! 此奴の攻撃、先程よりも威力が増してきているぞ!」
スイレンが叫ぶ通り、黒の男が攻撃をする度に攻撃力が上がってきており、その攻撃は掠っただけでも、激しい衝撃と部位破損を引き起こさせるものになっていた。
最早、僅かのインターバルでの回復も難しい状況だ。
「闘気の使えない者は退け! 傷がきちんと癒えてから参加しろ! その間は我々でやるぞ!」
スイレンは的確に指示を飛ばしながら、ちらりとエインジャを盗み見る。
彼は彼で、体中を傷だらけにしながらも、黒の男を弱らせているようであった。
このままなら、どうにか撃退することができそうだ。
だが、果たして、この後に、彼と戦をするだけの体力があるのかどうか。
いや、アド・トロールである自分が、体力の心配などするとは、コボルトが無い知恵を絞るようなものか。
我知らず、口元に笑みを刻みながら、スイレンは黒の男を追い詰めていく。
大きなダメージが通るわけではないが、慎重にコツコツと相手を弱らせ――。
■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!
――耳触りな喚き声が響いたかと思った瞬間、スイレンの全身から力が抜ける。
(……何だ!? 一体何が起こった!?)
分からない。理解できない。
だが、スイレンの目を通して見える光景は、判然としていた。
皆が動きを止めていた。
黒の男を取り囲み、殴り、蹴り、斬り、叩き、全霊の暴力を振るっていた彼らが、まるで糸の切れた人形のように、その動きを止めていた。
その場で動いているのは、ただの二人――、いや二影――。
黒の男たちだけである。
■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!
黒の男が鳴く。
その叫びを聞いた瞬間、スイレンの中に抗いがたい欲求が生まれ、その欲求のままに拳を握り込んでしまう。
そして、彼はそのまま、味方であるグレイト・トロールを殴りつけていた。
グレイト・トロールの頭部が粉微塵に吹き飛んでいた。
「え……。違……、そうじゃない……、俺は……」
だが、言葉とは裏腹に心の奥底から込み上げてくる、この異常な悦びは何だ?
高揚感と幸福感が全身を支配して、堪らず、その甘美な誘惑に全てを委ねてしまいたくなってしまう。
そんな光景は、この広場の至る所で起こっているようであった。
同胞が同胞を攻撃し、悔恨と興奮を同時に味わう。
ある者は勝手が効かない自身の身体に涙を流しながら斧を振るい、ある者は自制が効かないのか笑いながら仲間を殴る。
魔物が魔物を殴り、魔物が魔物を狩る混乱の最中――。
黒の男たちは、悠々と、それこそ物見遊山にでも行くかのように、弱った魔物たちを端から斬り捨てていく。
――ニヤニヤといけ好かない笑みを口元に残して。
(貴様か! 貴様が何かをやったのか!)
問い質したいスイレンであったが、その声が口外に出ることはない。
彼には『発言が許されていない』からだ。
許されるのは、ただ仲間を襲って回ることのみ。
(外道が! このド外道が!)
そして、スイレンは見てしまう。
黒い男の片方が、一定数の魔物を抱え上げると、その姿を闇の中へと溶かしていくのを。
それは、男が抱え上げていた同胞の亡骸も例外ではない。
消えた黒の男の姿は、直ぐ様また舞い戻ってくるが、同胞の亡骸が戻ってくることはない。
……そう、戻ってくることはないのだ。
(!? !? !? !?)
スイレンは混乱の極みにいた。
ただただ味方が味方を傷付け、その傷付けられて弱ったものたちを黒の男が狩って回る。
そこまでは、まだ分かる。
……理解したくはないが、理解できる範疇だとしよう。
だが、同胞の亡骸を奪い去って行くのは何だ?
看取ることも、埋葬することも許されず、その遺体を前に嘆くことも、悲しむことさえもできない。
……この悪魔の仕打ちは、一体なんだ?
(おのれ……、おのれ……、おのれぇぇぇぇッ!)
スイレンの瞳から、自然と紫色の涙が零れ落ちる。
彼の同胞は、既に片手で数えるほどしか姿を散見することができず、エインジャの仲間たちもほぼ同様のようだ。
あの跳ねっ返りのエインジャでさえも、何処か泣きそうな顔で自分の部下を傷つけて回っている。
殺さずに――傷つけている――のは、エインジャの悪あがきというものなのだろう。
それでも、魔物たちは数を減らし、いつしかスイレンはエインジャと殴り合いを始めていた。
(エインジャ……、俺は、お前とこんな決着は望んでいない……)
ここまで気持ちの入らない殴り合いは、スイレンも初めてのことであり、エインジャも同じ気持ちなのだろう。
興奮と高揚に身を焦がしながらも、その表情には悔恨と後悔の色が、両者共に濃く浮かんでいる。
エインジャの攻撃を、スイレンが受ける。
スイレンの左肩から先が吹き飛ぶが、ずるりという擬音語が聞こえてきそうな勢いで、左腕が生えてくる。
スイレンがエインジャの腹を殴りつける。
硬い皮膚で覆われたはずの腹から、肋骨が突き破って外に出て来るが、その傷も一瞬の間に完治してしまう。
終わらない殴り合い、終わらない勝負。
やがて、どれほどの時間、スイレンとエインジャは殴りあっていただろうか。
気が付くと、周囲に生きているものは彼らしかなく、そして、亡骸も跡形もなく姿を消している。
……黒の男たちはもう居ない。
悪夢としか思えないバケモノたちは、彼らの心に傷だけを残し、いつの間にか姿を消していた。
「ふざけんじゃねぇよ……」
「……あぁ」
――スイレンとエインジャの心の奥底から、どす黒いものが噴出して止まない。
「やろうぜ……、スイレン……」
エインジャの目がすわっていた。
「あぁ、殺し合おう、エインジャ……」
今なら、エインジャが何を考えているのか、スイレンには分かる。
高レベルの同族を殺す事によって成り立つ、魔物のクラスアップ――。
その条件は様々にあるが、恐らくはスイレンとエインジャが殺し合い、どちらかが生き残った場合には、クラスアップは起こるであろうことが予測できた。
そして、クラスアップした魔物は、現在の強さよりも次元の違う強さを身につけると言われている。
グレイト・トロールが群れたところで、アド・トロールに逆立ちしても敵わないように、上位種になるということは、それだけ破格の恩恵を受けることになるということだ。
そして、彼らにはその境地に至りたいだけの理由があった。
「その前に約束だ。どちらが勝ったにしても――」
「あぁ、勝者はあの黒いクソ野郎をぶっ殺す。命を懸けてでも――」
「あぁ、命を懸けてでも……!」
開始の合図は無かった。
ただ、その広場の中で腹の奥底に響くような重低音が幾つも、幾つも打ち鳴らされる。
それこそ、死んだ者たちの冥福を祈るかのように――。




