15、バランスブレイ影ェ
早朝、浩助は少し寝苦しくなって目を覚ます。
薄い毛布を一枚掛けただけの状態であったため、そんなに暑さは感じないかもと思っていたのだが、亜熱帯の森林がすぐ近くに広がっている気候をナメていたのかもしれない。
寝苦しさを覚えて、寝返りを打ち――、そこで固まる。
「すぅ――、すぅ――」
沙也加の可愛らしい寝顔が目の前にあった。
寝ている間に沙也加の方へと、寝返りでも打ってしまったのだろうか。
思わず、自分の寝相を確認するかのように、ゆっくりと首を巡らせ――。
「むにゃ、えへへ、おもしろー、にゃはは……」
毛布ミノムシに遭遇する。
どうやら、浩助が寝ている間に、沙也加と洛に周囲を囲まれてしまったらしい。
下手に身じろぎしようものなら、彼女たちの眠りを妨げてしまい、王の呪いならぬ、顔面パンチを打ち込まれてしまうことだろう。
(やってみっか……)
浩助は、周囲に声が漏れないように、小さく口内で言葉を呟く。
「【闇魔法】影走り――」
すぅっと、浩助の身体が毛布の中へと沈み込んでいく。
いや、正確には影の中か。
影の中へと沈み込んだ浩助の目の前に広がるのは、黒と白の世界だ。
ほとんどが黒で覆われている中、白の輝きは何かの形状を象っているのが分かる。
それは、影だ。
影の形をした白い出口が、浩助の目の前に無数に広がっている。
浩助はその内のひとつに向けて歩き出すと、ゆっくりと出口を抜ける。
そこは、どうやら、教室の扉が作り出していた影ということらしかった。
ずるり、と影の中から浩助の身体が這い出してくる。
(影から影へと抜けれるのはいーが、扉の外が見えねーから、抜ける時にちょいとこえーな……)
少しだけ恐ろしさを覚えながら、浩助は教卓近くのスペースに移動。
教室の真ん中あたりで眠りこけている二人が、起きていないことを確認してから小声で魔法を発動させる。
「【闇魔法】影分身――」
これこそが、浩助が運命的な出会い、と勝手に感じた奇跡の魔法である。
【闇魔法】影分身は、闇魔法のレベルに応じて、影で作成された自分の分身を生み出す魔法だ。
浩助の闇魔法レベルはMAXである10なので、この場合、一度に十人までの影分身を作成することができる。
この作られた影分身――、ステータスだけで見ると弱い。
基本的に、術者のスキルを全て使用することはできるものの、HP等の基本パラメータに至っては、術者の十分の一程度の力しか持ち合わせていないのである。
更に言うと、一体を一分顕現させるのに、MPを一消費する。
浩助の場合で言うと、MP三千をフルに使って、十体の影分身を五時間保持するのが、やっとということになる。
それが、やっとというレベルなのか、どうなのかはさておき……。
とにかく、そんな面倒くさい魔法ではあるのだが、それらを補って余りあるメリットが、この魔法には存在する。
浩助は躊躇することなく、MP三千を代償に、五時間出現し続ける影分身を十体作成する。
作成された彼らは、浩助の形を象ってはいるものの、目も鼻もなく、全身が真っ黒で覆われた姿をしていた。
見る者が見れば、とても不気味に思えたことだろう。
特に、赤く三日月型を象る口だけが目立つのを見ると、その思いは一段と強くなる。
「うっし、整列!」
だが、不気味なはずの十体の影たちは、浩助の指示に従うようにして小気味良く横一列に整列する。
その様相は、鍛え上げられた軍隊のようだ。
「んじゃ、やれ」
命令一下、影達は静かに床に腰を下ろすと、次々と座禅を組んでいく。
すると、程なくして、浩助の視界の端に文字が踊るのが見えた。
【スキル】精神修養:Lv1 を習得致しました。
(早っ! 三分ってとこか? つまりは、実際には一時間も座禅を組んでいないといけねーのか。メンドクセー……)
そう、この魔法の利点とは、影分身が積んだ経験が、浩助にそのまま還元されるということにあった。
つまり、十人の影分身が同時に同じことを経験した場合、浩助ひとりが同じことを実践した場合に対して、十倍の経験値が入ってくるのである。
更に付け加えれば、ねこしぇのスキル経験値二倍の効果も加わり、通常のスキル習得に掛かる時間の二十分の一で浩助はスキルを習得することができるのである。
(一応、精神修養のスキルを覚えたことで、MPが120ぐらい増えたか? 影分身の効果時間を伸ばすためにも、MP増加のステータスボーナスがあるスキルを率先して覚えていくべきかもしれねーな……。まぁ、その辺は後でねこしぇにでも確認するか)
その辺は、MPだけではなく、HPも伸ばす必要があるだろう。
浩助の防御力は自他共に認める紙防御だ。
耐久力を上げるためには、どうしてもHPを上昇させるしか手立てがない。
自分の生死に直接的に関わってくる要素なだけに、軽視することはできない。
(後、できれば、それに加えて状態異常無効みてーなスキルも欲しいよな。どー考えても、状態異常系の魔法によえーし。てゆーか、暗黒魔法が怖すぎっからな。何とかしねーと……)
自分のスキルを正確に認識したからこそ、怖さが分かるというものか。
やがて、あーでもない、こーでもないと考えている内に、精神修養のスキルがレベル2になる。
時間にしては、凡そ九分ほどか。
どうやら、本来は三時間ほど座禅を組んでいないと、スキルレベルアップしないらしい。
そう考えると、この『影分身で楽々スキルアップ作戦』は、なかなかに効果を上げていると言えた。
「ですニャー、沢山~」
やがて、浩助たちの気配に気付いたのか、洛が寝惚け眼で声を上げる。
そのスタイルは徹頭徹尾、ミノムシスタイルだ。
暑くないのか、非常に気になる。
「おう、オハヨーさん。起こしちまったか、すまねーな」
「オハヨー、ですニャー、ダイジョブ」
「ですニャーじゃねぇって……。まぁ、良いんだけどな……」
腑に落ちないのは山々だが、最早、慣れるしかあるまい。
それに、今はスキル上げの方が重要課題だ。
自分の弱点を補うのは、早ければ早い程、安心が得られる。
起き抜けの働かない頭で、浩助の様子をボーッと見ていた洛は、やがて好奇心の虫が疼き出したのだろう。
期待するような視線を浩助に向けていた。
「ですニャー、何? してる?」
「コレのことか? 座禅だよ、座禅。洛もやってみっか?」
「ザーゼン? 洛、する、する」
もぞもぞと起き上がって、ミノムシから脱皮。
若干、着衣が乱れていたため、妹の面倒をみる兄の気分になりながら、浩助は洛の身だしなみを整える。
洛はくすぐったそうに身を捻っていたが、それも僅かの間だ。
すぐに、道服をきちんと着こなすと、浩助の影分身がやっている姿を見よう見真似で、座禅を組み始める。
「できた!」
「そりゃ、胡座だ」
浩助は指摘する。
足が全然組まれていない。
「違う?」
「ちげーよ、足を組むんだよ。こうやって……。あぁ! 今からやっから、ちゃんと見とけ!」
足を組もうとして、ころんっと転がる洛を見かねて、浩助は目の前で実演してみせる。
さすがにそこまでやれば、洛も分かったのか、きちんと足を組んで座っていた。
だが、座禅というのは、ここからが本番である。
「んで、目を閉じて――、心を無にするんだ」
「ココロ? ム?」
「何も考えずに、全てを受け入れ、感じる――、みてぇな感じじゃねーの?」
「ムツカシイ!」
「頭空っぽにしろってことだ」
「バカ、なる?」
「そうじゃねぇ! あぁ、説明が難しいな、オイ!?」
頭を掻き毟りたい衝動に駆られていると、浩助の背後から声がする。
「――集中して、精神を研ぎ澄ませるの。世界に自分が一人でいるイメージでやればやりやすいわ」
「水原、起きてたのか?」
「あれだけ、騒げば起きるわよ。……ふぁ、オハヨ」
「おう、おはよーさん」
欠伸を噛み殺しながら、沙也加はもぞもぞと毛布から起き出してくる。
寝癖や着衣の乱れは若干あったが、彼女は一瞬で刀の姿になると、また元の人間の姿へと戻っていた。
それだけで、キメの細やかな黒髪はさらさらになり、学生服もクリーニングから返ってきたばかりのように綺麗になる。
まるで、変身したかのような姿に、浩助は口をあんぐりと開けるしかない。
「うん、やっぱり。一度、剣状態を通してから人間に戻ると綺麗になってるみたいね。お風呂入れない間は、これで過ごすようにしようかしら?」
「な、なんだそりゃ!? ズルくねぇ!? っていうか、お前だけ風呂問題解決かよ!? 納得いかねー!?」
「そんなこと言われても困るわよ。というか、一度、刀に変身する苦労を知ってから、そういうこと言いなさいよね……」
有馬に振り回されるの結構怖いんだからね、と沙也加は言う。
刀の苦労は、確かに分からない部分で大変なこともあるだろうが、それでも風呂問題が解決されるのは大きい。
浩助は恨みがましそうな目で、沙也加を睨みながらも座禅を続ける。
やがて、十八分程経過したところで、精神修養のスキルレベルは3に上がっていた。
どうやら、スキルレベル3になるには、六時間の座禅が必要なようだ。
まともに上げようと思えば、とんでもなく面倒臭いスキル上げに辟易しつつも、浩助はようやく腰を上げる。
洛は、座禅を組んだまま寝ていた。
器用な少女である。
「そろそろ、集会とやらに行っといた方がいーか」
勿論、浩助は影分身たち座禅部隊を教室に置いていくつもりだ。
「洛ちゃんは、起こしてあげた方が良いんじゃない? 目を覚まして近くに有馬がいないと寂しがるわよ」
「何で、俺がいねーと寂しがんだよ……」
「だって、懐いてるじゃない」
酷く大雑把な理由だった。
それでも、後で泣き喚かれて、校舎を破壊されるよりはマシと判断したのか、浩助は洛を揺さぶって起こす。
「起きろ、洛。そろそろ行くぞ」
「ですニャー?」
「浩助だ! 学食の方に行くから、いい加減起きろ!」
「分かった、洛、起きる!」
ぴょいんっと跳ね上がって、洛が起き上がる。
相変わらず、無駄に元気が良い。
そんな洛と沙也加を連れ立って、浩助は重い足取りのままに食堂へと向かう。
……何故、重い足取りかというと、浩助の足が痺れていたからである。
ようやく俺TUEEE要素が出せるかもしれない予感。