134、彷徨魔王
浩助が案内されたのは、これまた無駄に巨大な室内であった。
五階建てのビル程の高さを誇る天井に、威圧するように真っ黒な壁、そして足元には血が染み込んだように鮮やかな真紅の絨毯が敷かれている。どうにも圧迫感を覚える光景ではあるが、物は良いのか、絨毯自体は毛が長く、まるで沈み込むような上等な感触を覚えさせる。
こんな絨毯の上を土足で良いのかなと、浩助は考えたりもしたのだが、どうやら構わないらしい。
先導していたアーカムは実に堂々とした足取りで絨毯を土足で踏んでいく。
その部屋の奥には豪奢な椅子が一脚用意されており、それを頂点としてコの字型に椅子が並べられていた。
浩助が案内されたのは、その椅子の内で最も豪華なものだ。
「いや、俺、こういう目立つ椅子はちょっと……」
「我々の中では、強者こそ讃えられるべきなのです。ですから、我々に勝った有馬様には是非ともこの椅子に座って頂きたいのですよ」
「いや、でもなぁ……」
《いいじゃない、座っちゃいなさいよ。あぁ、そろそろ私たちも元に戻るわよ》
《…………。……疲れた》
浩助が半ば強制的に椅子に座らせられるのと同時に光の粒子が踊り、二人の少女が姿を現す。
沙也加とアンである。
彼女たちは配置された残っていた椅子に適当に腰掛け、話の流れを見守るように脚をぷらぷらとさせ始める。
「あー、有馬~、適当に何か食べ物食べてて良い? アンちゃんもお腹空いてるみたいだしね」
「…………。……空いた」
自由人な二人の行動に、一瞬目を見開いたアーカムは恭しく頭を垂れる。
「これはこれは、前魔王様の第九十九子、アン・ゴルモア様ではないですか。私のことは覚えておいでですか。魔王様に連れられて一度会ったことがあるのですが……」
うーん、と一度考える素振りを見せた後で、アンはコクリと頷く。
「…………。……ダーンミトの串焼き買ってくれたオジさん?」
「お、オジさんですか。軽くショックですね。まだまだお兄さんぐらいのつもりだったのですが。ですが、覚えは確かなようだ」
「千二百歳が良く言うわよ」
呆れるスネアの言葉に目を剥くのは、人間である浩助と沙也加だ。
アーカムの見た目年齢はどう見ても二十代後半にしか見えない。それが、千二百歳というとんでもない数を聞いて驚いたようだ。その後、動揺のあまり「いや、すっごく若く見えますよ!」と社交辞令のような言葉を沙也加が口走ってしまったのも無理のない話だろう。
そんな沙也加たちを呆れた目で見つめながら、スネアも自分の席に座る。
百年程前に四天王に就任した際に魔王に指定された席だ。
アーカムも同じように、決められた席に座る。
そして、室内を見渡して――何やら収納スキルから唐揚げの山盛りを取り出した沙也加からは目を逸しながらだが――厳かな声で言葉を紡ぎ出す。
「さて、降参した我々から条件を切り出すというのもおかしな話ですし、まずは有馬様の方から条件を提示して頂けると有り難いのですが?」
「条件? 条件ねぇ……」
なるほど。戦いに勝った以上、敗者にはある程度の条件を飲ませることができるというわけか。
浩助はじっくりとその内容を考える。
(町を攻められて、壊れたので直して欲しい? そんなもの自分で直せるし、魔族を町に連れていったら、トラブルの火種にもなるから却下だろ。そんじゃあ、賠償金寄越せってのはどうだ? 有りだとは思うが、こいつら確か国内では独自通貨使ってったんだよな。外貨とかあんまりふんだくれなさそうだ。むしろ、あれか? この後、また攻められないように条約的なものを締結するとか? いや、破られねー可能性がねぇしなー。ならいっそ監視施設を魔界に置かせてもらうってのは? いや、誰が常駐すんだよ? キルメヒアでも放り込んでおくか? つーか、アイツ、一応町長だし! アイツ居なくなったら、面倒臭い仕事が俺に振られるじゃん! くっそー! 良いアイデアが出ねぇ~! 俺は頭脳派じゃねぇんだよーッ!)
もう全部投げ出して沙也加に任せちゃおっかな~ぐらいの勢いで諦観の表情をみせる浩助を見かねたのか、やんわりとした笑顔を浮かべてアーカムが提言してくる。
「特に条件がないのであれば、我々から有馬様へ有益な条件を提示したいと思うのですが、どうでしょう?」
「胡散臭ぇから却下」
悪魔の誘惑のように聞こえた言葉を、浩助はにべもなく斬って落とす。
だが、アーカムは怯んだ様子もなく、にこやかな……逆ににこやか過ぎて胡散臭い……笑みを浮かべて提言の続きを述べる。
「先程の有馬様のご様子からして、夏目様を生き返らせようと考えていらっしゃったのですよね? それに丁度はまる良い案があるのですが」
「何ィ!? いや、ちょっと待て――」
思わずその意見に飛びつこうとして、それはあまりにも安易だと気付いたのか、浩助は探るような視線を沙也加に向ける。それを受けた沙也加は唐揚げを串に挿して食べやすいようにしながら、「聞くだけ聞いてみれば?」と助言を送る。
確かに、聞くだけならタダだ。
だが、タダより高いものはないという言葉もある。
しかも、相手は魔族だ。どう考えても単純な上手い話というわけではないだろう。
疑念と怠惰の気持ちの間で唸る浩助。
そこに鶴の一声ならぬ――。
《なんでしたら、ニャーがリスクとリターンについて解析しますニャ》
――猫の一声である。
(さ、流石のねこしぇ様! 是非お願いします!)
縋らないわけがないのである。
「ふっふっふ、その条件を聞こうかね! アカーム君!」
そして、圧倒的に尊大になる態度。
あちゃーとばかりに額を押さえる沙也加が印象的である。
「アーカムです。条件というのはですね。有馬様に魔界を統べて頂けないかということでして」
「はぁ? 魔界を統べる? 何だそれ? 俺に番長になれってーの?」
「いや、有馬……。流石に規模が違うと思うわよ?」
唐揚げ串を頬張りながら、御茶もどきを片手に取り出した沙也加は呆れたように言う。
だが、アーカムはその言葉を否定することなく、にこやかに頷いていた。
「有馬様に分かりやすく言いますと、その通りですね。有馬様の傘下に降るといったような感じになります。まぁ、あくまで有馬様の傘下ですがね」
含むような言葉。
それに怪しさを感じた浩助は、すぐさまにねこしぇに念話を飛ばす。
《ご主人様にのみ忠誠を誓うことで、他の人類とはあくまで対等な関係であることを強調しているんだと思いますニャー》
(どーゆーこと?)
《ご主人様が条件に望めば、恐らく魔族全員を奴隷化することも可能だと思いますニャ。なので、それを防ぐ為の処置だと思いますニャ》
(でも、この条件だと俺の奴隷に成り下がるんじゃねぇの?)
《あっさり降伏したところを見ると、ご主人様に逆らうことはできないと考えてますニャ。逆らえない以上、ご主人様の意見は全て通そうとしますニャ。それは奴隷化と変わりませんニャ。だから、この条件に魔族が何ら不利になることはないと思われますニャ》
(暴力による支配ってか? 俺はそんなつもりはねーんだが……。まぁ、つまり俺以外の人間に顎でこき使われたくねぇって話なのかね? っていうか、話の規模がデカくなってねぇか? 俺は町の代表みたいなつもりで来たんだけど?)
《恐らく、魔界側としては、人間界の代表としてご主人様を捉えていますニャ》
ねこしぇの言葉に、浩助の表情が僅かばかり引き攣る。
これは迂闊なことは言えないとでも考えているのであろう。
そして、確かにアーカムは、浩助たちをそのような存在として捉えていたのである。
なので、ここでのねこしぇの助言は実に正しかったと言えよう。
(やっべー……、緊張してきた……)
とりあえず、相手の意図が読めてきたところで、浩助は疑問に思っていたことを尋ねる。
「――で? その条件と夏目を生き返らせることが、どう繋がるんだよ?」
「人間の蘇生方法を探るのですよね? それを何処の何方が知っているかは存じ上げませんが、有馬様一人で虱潰しに探すというのなら相当な時間が掛かるのは自明の理であるはず」
確かに、今の浩助は人間の蘇生方法を調べる手段など取っ掛かりすらも掴めていない。
それだけ困難な目的であり、まさに雲をつかむ話であった。
だが、アーカムはその表情に自信を覗かせる。
「ですが、有馬様が我々魔族を統べて下さるのであれば、魔界諜報部は貴方の手足となり、この世界中からありとあらゆる情報を集めてくることを約束致しましょう」
「アーカム、貴方……ッ!」
やられた、と臍を噛むのはスネアだ。
魔界での会議の場は基本的にアーカムが取り仕切ることが多かった為、成り行きを見守っていたのが裏目に出たか。
魔界の諜報部の有用性を説き、その戦力の維持を極自然に持ち出し、尚且つ、自分を諜報部の頭として再雇用して貰えるように上手く浩助に売り込んでいるのだ。
もし、浩助が新魔王になったのならば、今までの四天王は解散ということになり、新魔王が任命する新たな四天王がその職に就くことになる。つまり、現四天王であるスネアやアーカム、それにキルメヒアが、次も魔界四天王であるという保証は何処にもないわけである。
それを見越しての自然な売り込みを行うアーカムに、抜け駆けされたとスネアは思ったのであろう。
「そーだなー。それは有りか無しかで言ったら……、有りだろーな」
事実、浩助も暫く考え込んだ後に、そう結論付けている。
だが、浩助もそれを鵜呑みにするほど間抜けではない。
裏できっちりとねこしぇ大先生に、アーカムの意図を尋ねていたりする。
(俺としては悪くねー提案だと思うんだが、ねこしぇはどー思う?)
《ご主人様の下に魔族がつくというのは、色々な面で便利になると思いますニャ。ご主人様だけでは回らなかった部分で、人海戦術が取れるようになりますニャ。それに、機甲界の相手に対しての抑止力にもなると思いますニャ》
(イウダ・ジ・オールの件で機甲界の連中に喧嘩売ってたな、そういやぁ……)
相手がどれほどの規模で戦力を有しているか分からないものの、対抗戦力は持っていても悪くないということか。
《他にも市場の拡大などメリットは沢山ありますのニャ。ただ……》
(ただ?)
言い淀むむねこしぇに浩助は続きを促す。
《勢力を率いることには責任が生じますニャ。統率し、治世し、尚且つ外敵からも味方を守らなければならないですニャ。それをご主人様一人が請け負うのは流石に難しいですニャ》
(魔界の統治ってことか? 確かにそーいうのは面倒臭ぇな……)
そもそも、普通の高校生に国の統治など出来るわけがない。
だが、アーカムの提示した条件には、色々とメリットがあるのも事実だ。
そこで、浩助はもう少し条件を緩和できないか交渉してみることにする。
「一応、言っておくが、俺は国を治めるだとか、防衛の方針をうんたらかんたらだとか、そういう小難しいことはできねーぞ。そんなんでも、魔族を率いることができるもんなんか?」
「その辺の細かな部分に関しては、担当を決めて割り振って頂ければ宜しいかと思います。我々四天王のような統治の立場に立つ者を作り、有馬様は我々に都度指示を出して頂ければ、そこまで有馬様に負担は掛からないかと……」
「なるほど、大臣みたいなのを作って、そいつらに任せりゃいいのか」
日本の政治でも内閣は多数の大臣で担われている。
それと同じことをすれば良いのかと、浩助は何となく納得する。
(後は、この条件を受ければ、湖畔の町に手出ししねーように命令もできるし、アンにちょっかい出すなとも命令できるのか。割りと有りだな。どー思うねこしぇ?)
《そうですニャー……。条件的には問題ニャいと思うですニャ。問題があっても、ご主人様が強権を発動させればひっくり返せるところが良いと思いますニャ》
なかなか腹黒い発言をするねこしぇ。
浩助はそれを聞かなかったことにしながら、ふぅ、とひとつ息を整え――。
「いいぜ、その条件飲もう」
――そう言葉を発したのであった。
●
かくして、異世界に築かれたひとつの町と、異世界に転移してきた魔族との戦いは終結を迎える。
魔界の首都たる王都に、人間の王が誕生したという驚きは一夜の内に駆け抜け、そして、王が面倒臭くなって逃げ出したという話も次の日の内に駆け抜けた。
なんじゃそりゃあ!? と驚く魔界の住民たちではあったが、その事に対する混乱は少なかった。
どうやら、王が逃亡前に任命していた担当大臣――魔神将なる役職にあたる者たちが国の方針を理解し、きちんとした政策を押し進めたからだ。
その方針とは、人間種、精霊種、仙人種との融和と共闘といった内容――。
その内容を理解し、政策の方向性も見失わずに進んだ結果、数ヶ月後には湖畔の町との国交取引を開始し、徐々に二つの町が異世界の中でも発展していくことになるのだが、それはまた別の話であろう。
そして、気紛れな魔王はというと――。
困っている者の元にふらりと現れては強引に問題を解決していく変な存在として語られる事となるのである。
彷徨魔王――。
誰が呼んだかは知らないが、そんな奇妙な都市伝説のひとつが出来上がるのにそう時間は掛からなかった。
●
そして、八世界召喚より五ヶ月が過ぎた。
異世界から抜け出す方法は未だ判明せず、事件の犯人も定かではない。
人を生き返らせる方法についても、未だ雲をつかむような話のままで進展はない。
それに加えて、異世界転移は徐々に進行しており、巻き込まれる人間の数は増えている。
天界と魔界の確執も深まっているし、機甲界と人間の小競り合いも至るところで起きているようだ。
冥界は相も変わらず沈黙を保ち、その目的はようとして知れず、仙界はその絶対的な人数が少ないのか目立った動きはない。
幻獣界はいち早く環境に適応した動きを見せ、外敵が少ないせいか、その版図を徐々に広げているという。
妖精界の住民は幻獣界の住民の脅威に晒されながらも、自然の中で強く生きている。
相も変わらず厳しい世界ではあるが、人間は未だ滅んではいない。
――滅んではいないのだ。
というわけで第一部完結です。お疲れ様でした。
とはいえ、まだまだ色々と謎は解明されていませんので、
世界観引き継ぎの第二部をやっていけたらなぁと思います。
今度はインフレバトルものにならない感じでやっていきたいですね。
あと、もう少しちゃんとプロット組んでやりたい……。
では、また明日(第二部開始)。
⇒第二部の情報は活動報告の方に上げました。
宜しくお願い致します。m(_ _)m