133、爪痕
君が手本を見せてくれたお陰で、僕はこのスキルがどんなものかいち早く知れたんだ――。
夏目朗がそう宣言するのを聞いて、浩助は戦闘中でありながらも当時の様子を思い返していた。
(確か、水原が絶体絶命なまでに追い込まれて――)
彼はギリギリの精神力を支払って、【スキル】捷疾鬼を発動させたのであった。
そして、倒れそうになるのを意志の力で押さえ込んで、時間が止まってしまったような世界の中で、沙也加を救う為に全力で行動したはずだ。
そして、目の前の朗は同一スキルを持っていたが故に、その様子に勘付けたのだという。
そんなことが果たして有り得るのか?
それは、浩助にはわからない。
ねこしぇ辺りに聞けば、答えは返ってくるのかもしれないが、あえて答えを確かめる必要もないと感じる。
何故ならそれは朗の主観であり、客観的な話ではないであろうからだ。
彼はその時にそう感じ、浩助はその朗の言葉を「そんなものか」と納得するしかないのだろう。
そういえば、あの時にもうひとつ奇妙なことが起きていたなと浩助は勘考する。
刀の状態となった沙也加をその手に掴んだ、あの時――。
彼女は、あの不思議な時間が流れる世界のことを、きちんと把握できていたのだ。
それこそ、スキル使用者に触れられた途端に、『その時間の流れが把握できるようになる』かの如くに、だ。
ならば、あのスキルの対処法とは――。
浩助の意識がそこに向くのと、ほぼ同時に……。
「――万が一を失くす為さ」
……浩助は朗を認識できなくなった。
●
殺った。
自身の刀が浩助の胸元に軽く刺さった瞬間、朗は勝利を確信した。
絶対無敵であり、理不尽の権化のような暴力の化身、有馬浩助――。
そんな相手に届く攻撃などないのではないかと思い始めた頃、ようやく値千金の攻撃が届いたのだ。朗の表情に嬉しそうなものが浮かんだのも無理からぬことであろう。
だからこそ、朗には理解出来ていなかったのかもしれない。
水の入った革袋を刃で斬ったような音が響くと同時に、彼の視界がぐるぐると回り始めたという事態に――。
その不可思議な現象を前にして、朗は「え?」と表情を強張らせる。
衝撃を感じなかった。……というより、気付いた時には視界が回転していたというのが正しいのか。
何故そうなったのか、何が起きているのか。
それを理解するのに、そう多くの時を必要とはしなかった。
回る視界の中で、刀を振り切った姿勢のままの浩助がいる。
その目の前には、頭を失くした首なしの体。
首なし騎士かとも思ったが、その首なしの体の服装に見覚えがある。
何の事はない。朗の体であった。
ならば、回る視界は、首を跳ね飛ばされた為か。
刀を突き入れた瞬間に、何がどうなればこういう事態になるのかはわからなかったものの――、どうやら朗は刀を浩助に突き入れた瞬間に、首を刎ねられたということらしかった。
そのあまりに理不尽な展開に、朗は思わず口の端を吊り上げる。
(なんて相手だ。捷疾鬼のスキル時間の差があったとしても殺せない。逆に僕が殺される始末……)
ボヤキのひとつでも言ってやろうかと思って、朗はやめる。
五体満足でなくなった今、そんなところに余力を割く余裕がない。
最後の力はたった一言に込めれば良い。
【スキル】限界線――。
それがある限り、今の朗に敗北はない。
彼は回る視界の中、その言葉を言うために意識を集中する。
人間の頭部が切り離されて意識を保っていられるのが、どれほどになるのかはわからないが、急いだ方が良いのは違いない。
焦る気持ちを抑える朗の視界の片隅に映るのは、残心の姿勢のままに固まる浩助の姿だ。
危機的状況を一発回答で切り抜けて見せた男は、さぞかし得意げな表情を顔に貼り付けていることだろう。
朗はそんなことを考えながら、浩助の様子を窺う。
だが、浩助は真っ青な顔をして正体を失くしていた。
得意げな雰囲気など欠片もありはしない。
(あぁ、そうか)
朗は薄れ行く意識の中で得心する。
(有馬に殺すつもりは無かったから……。だから……)
だから、浩助は『朗を殺してしまった』ことで、多大なる後悔と慙愧を抱くことになったのだろう。
朗は、ここに至ってようやく浩助に一矢報いたことに気付く。
どうやっても攻略出来なかった最難の壁がようやく崩れたことに、彼は歪んだ悦びを覚えるのだ。
そして、更に気付いてしまう。
浩助を更に追い込むには、どうしたら良いのかを――。
だが、それは諸刃の剣でもあった。
(やめるべきだ)
冷静な朗の心は、その行動を慎み、さっさと【スキル】限界線を使えと囁いてくる。そして、また一から浩助との勝負をやり直せとも囁いてくるのだ。
(やり直す? また何度も、何度も……、絶望的な状況の中で死に続けるのか?)
やり直しができると言っても、痛いものは痛いのだ。
それに、何度も死ぬことは精神を摩耗させる。
いつの間にか、痛みにも慣れてしまった自分の体を思い、朗は表情を強張らせる。それは、時間を戻せる者特有の悩みであろう。
(いや、そもそも、その状況を繰り返すことで、僕に勝ちの目はあるのか?)
わからない。
だからこそ、朗はここで選択するべきだと感じた。
勝ち筋があるかどうかも分からない手探りの未来を選ぶか、それとも……。
(そんなものは決まっている。僕は最初から……)
痛みの中、それを思うようにできたかどうかは朗には分からない。
だが、何となく出来ているのだという確信があった。
朗は不器用にも口角を吊り上げると、誰にでも分かる得意げな顔を浮かべて視線を浩助に向ける。
一言――。
限界線という名のたった一言を呟けば、この状況は振り出しに戻る。
だが、命の危機に瀕しているというのに、朗の心は恐ろしく晴れやかであった。
そう、夏目朗にとって最も重要なのは、死なないことではない。
彼にとって重要なのは、自分の力が誰よりも優れていることを証明することなのだから――。
だから、浩助の想像を越えた今ばかりは、『朗が浩助を上回った』ことになる。
(刻んでやるよ、その事実を……ッ!)
ぼやけていく視界の中で、朗は確かに残る言葉として、その言葉を呟く。
「……僕の、勝ちだ。ざまあみろ、有馬……」
そして、彼の首は厭らしい笑みを貼り付けたまま、床に転がったのである。
●
「ふ――、っざけんなよッ!? 勝ち逃げのつもりか、テメェッ!」
まるで話にならない命の投げ捨てによる奇策は、確かに浩助の心に爪痕を残したようだ。
頭部を失って崩れ落ちる体や、床に放り出される一本の刀に意識を向けることなく、浩助は怒りに燃える目で以て、生気を失った朗の生首を睨みつける。
普通の現代人であれば吐いてもおかしくない凄惨な光景なのだが、どうやら浩助は怒りに我を忘れているようだ。掴みかからんばかりの勢いで生首に近付く。
混乱を来たしていたのは浩助だけではなかった。
周囲を囲む三百を数える魔族や、状況を見守っていたアーカムやスネアなども呆気に取られたように動きを止める。
彼らからしたら、勝負が始まって小競り合いをした後に、あっという間に勝負が決したように見えたのだろう。呆気に取られるのも無理からぬ話である。
「決まりましたね。彼が次代の魔王です」
その何とも言えない空気をいち早く破ったのは、アーカム・オールストンであった。
彼は最初から最後まで魔王の地位に興味がないのか、他人事のように続ける。
「そうとなれば、彼を玉座の間にまで案内しないといけませんね」
「ちょっと、アーカム! 貴方、アレを認めるの!?」
眦を吊り上げたスネアが食って掛かるが、アーカムはわざとらしく肩を竦める。
「ならば、スネア様が挑戦しますか? ……三百人からの強化魔法を一身に受けた相手に、あっさりと勝ってしまうようなバケモノが相手ですが……。やります?」
「ぐっ……! クッ、気に入らないわね……ッ!」
怒りの表情を浮かべながらも、スネアはアーカムから視線を逸らす。
挑戦すると明言しない辺り、彼女も浩助の強さには警戒しているようだ。
それでいい――、とアーカムは思う。
わざわざ天災に喧嘩を売る馬鹿はいない。
そもそも喧嘩として成立するかどうかも怪しい『自殺行為』に、優秀な魔王軍の幹部を差し向ける必要性も感じない。それに、天界との交戦中に徒に優秀な手駒を減らすわけにもいかないのだ。
「では、次代の魔王を快く迎えましょうか」
「私はまだ認めたわけじゃないわよ……!」
やせ我慢のような言葉を吐くスネアに対して、アーカムは聞き分けのない子だとばかりに肩を竦めてみせるのであった。
●
《有馬、とりあえず夏目君の遺体を収納スキルで回収して!》
「あぁ?」
《真砂子先生が言っていたのよ! もしかしたら、この世界なら生き返らせる手段があるのかもしれないって!》
「そういうことかよ!? そういう事は早く言えよ!?」
正体を失くす程に憤りに震えていた浩助は、沙也加の助言により、その瞳に生気を取り戻す。即座に朗の遺体を収納スキルに放り込むと、やれやれとばかりに額の汗を拭う真似をする。
「よし、これで一安心だな! 言いたい事だけ言いやがって……! 生き返らせたらみてろよ……!」
《いや、全然安心じゃないんだけどね!? というか、この囲まれている状況でどうするの!?》
不安そうな沙也加の言葉を受けて、浩助は思い出したとばかりに辺りを見回す。
ちょっとした野球場ぐらいの広さを誇る室内には、浩助のことを囲むようにして三百名近い魔族が配置されていた。そのほとんどが怯えたような、驚いたような視線を浩助に向けている。そこに、浩助が気に留めるほどの敵愾心のある視線は感じなかった。
この程度の相手なら、例え囲まれているといえども強引に突破できなくはないだろう。
だが、それをやるのは躊躇われる。
何故なら、浩助にも目的があるからだ。
「居たな。こいつら。ていうか、俺はこいつらに落とし前つけにきたんだ。偉い奴とちょっとOHANASHI(物理)をしなきゃならねぇな……」
《あぁ、有馬の中ではこの程度の危機はもう危機じゃないのね……。というか、町の一件やアンちゃんの一件の報復の方に頭が一杯なのね……》
どこか残念なものでも見るように沙也加は嘆く。
だが、浩助はそれを気にした様子もなく、魔族の顔ぶれを見回してから一人の魔族に視線を止めていた。雰囲気、佇まい、そして何よりも敵意や嫌悪が無いのが気に入った。
浩助が歩みを進めるよりも先に、その魔族の方が歩みを進める。
気負いなく近付いてくるなり、魔族は浩助の目の前で恭しく礼をする。
「初めまして、力ある者よ。我が名はアーカム・オールストン。元魔王軍四天王諜報部門担当……と言っても通じないでしょうね。うーん、そうですね。人の余の理で言うのならば、大臣のような職と考えて頂ければよろしいでしょう。今後とも宜しくお願いしますね」
「お、おう、俺は有馬浩助だ。夜露死苦……?」
妙に恭しく挨拶されて調子が狂ったのか、浩助はわたわたと返事を返す。
どうやら、浩助の中ではもっと喧嘩腰での交渉になる予定だったようだ。
それが、和やかな歓談のような空気になってしまっているのは計算外の出来事であったのだろう。
当然、これはアーカムの『計算尽く』の出来事であり、初手で浩助は対話のアドバンテージを失うことになったわけだが、それを責めるのはお門違いだろう。
若干十八歳の少年に老獪な交渉術を求めるのは流石に酷である。
「えぇ、できれば今後とも良い付き合いをしたいものです。さて、早速ですが、我々にはこれ以上貴方と戦う意志がありません。言うなれば、降伏という奴です。ですので、これ以上虐めないで頂けると有り難いのですが?」
戯けた調子で両手を上げるアーカム。
その様子に毒気を抜かれたのか、浩助は嫌そうに渋面を作る。
この眼の前の男が何を考えているのか、さっぱり分からないからだ。
「油断させておいて、後ろからグサリって手か……?」
「そんなことはしませんよ。魔族の真理は『強者こそが勝者』――。貴方はそれを体現させてみせたのです。だから、我々もこれ以上の争いは無意味だと判断したのですよ。簡単に言ってしまえば、貴方に勝てないと思ったから降参したというだけです」
食えない男――。
浩助が、アーカム・オールストンに持った第一印象はそれである。
だが、話し合いの席が設けられるのは、浩助としても望むところではあった。
(俺の町が攻め込まれ、友達が殺されて傷付いた……。コイツらを許す気はねぇが、アンの生まれた場所でもあるんだ……。国ひとつ全部を潰す気はねぇ……。なら、ここらが妥協点か……?)
犠牲者が出たことは痛ましいことだ。
だが、それを理由に延々と殺し合いを続けるのは不毛であろう。
どこかで、誰かが憎しみの連鎖を止める必要がある。
それは、喧嘩慣れしている浩助にも分かっていることだ。
不良グループ同士の抗争――。
そこには時として血で血を洗う報復劇が繰り返されることがある。そんな諍いに終止符を打つのは、第三者を交えた停戦協定であったりする。
浩助もそんな現場を知っていた為、何処かで妥協点を作ることに異論はなかった。
まさにアーカムの言葉は渡りに船だったのである。
「降参したって言うなら、まずは兵を退かせるぐらいしてみせろよ。そうでないと、痛くもねぇ腹を探られることになんぞ?」
「なるほど、それもそうですね。――あぁ、皆さんさがって宜しいですよ」
アーカムが片手を上げると三百人はいた魔族の数が二百人程に減る。
だが、この場から動かない魔族もおり、その存在に浩助は困惑した視線を向ける。
「退かねぇ奴もいるようだが?」
「まぁ、彼らは私の部下ではありませんから。――スネア様、退かせて貰っても宜しいですか? それともやります? 第二戦?」
「…………」
アーカムの言葉を聞いて、スネアも片手を上げる。
すると、謁見の間を囲うように配置されていた魔族が潮のように引いていく。
「これで良いかしら」
「結構ですよ」
満面の笑みを湛えるアーカムにどこか薄ら寒いものを覚えながらも、浩助はどこかさっぱりとした室内を見渡す。改めて見回してみても馬鹿でかい空間である。そして、床や壁のそこかしこには、細かな亀裂や深い傷跡が刻まれており、昏い歴史を感じさせた。
正直、長く居たい場所ではない。
「んで? どこで話し合いを行うんだ?」
「そうですね。でしたら、案内したい場所がありますので、そこで話し合いましょうか」
そういうアーカムの表情はどこか楽しそうに見えたのであった。
お待たせしました。
書き過ぎて上手く切れなかったので明日も更新予定。
そして、明日で一応の完結予定(第一部)です。